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旦那様は魔王様!  作者: 狭山ひびき
離宮の夜は大混乱⁉
17/82

お化けが怖いのです

 女は、木の杭を片手に、鬱蒼とした森の中を進んでいた。

 ひらひらと白いワンピースの裾が、女が歩くたびに羽のように揺れている。

 周囲の木々から鳥の鳴き声が聞こえる。


 ――大好きだよ。


 ふと、鳥のさえずりが、誰かの声と重なって聞こえた。

 女はハッとして、その声を振り払うように首を振る。


(わたしはあなたなんて大嫌いよ……!)


 女はキッと虚空を睨みつけた。


「今度こそ、失敗しないわ―――」



     ☆



 沙良は動揺していた。

 朝、目を覚まして飛び込んできた光景が、想像をはるかに超えていたからだ。

 くぅ、と健やかな寝息がすぐ頭の上で聞こえている。

 沙良は今、シヴァの腕にしっかりと抱き込まれていた。

 彼は沙良にのしかかるような体勢で彼女を抱きしめ、すやすやと規則正しい寝息をかいている。

 しっかりと抱きしめられているせいで、沙良は身じろぎ一つまともにできなかった。


(シヴァ様……、寝てる)


 今までも一緒に眠ったことはあるが、シヴァはいつも沙良より先に起きていた。それゆえ、明るいところでシヴァの寝顔を見るのはこれがはじめてだ。

 しかし、沙良にはどうしてこういう状況になったのかが全くわからない。

 昨夜は、この広いベッドで一緒に眠ったが、きちんと端っこで眠ったはずだ。ましてや抱きしめられた記憶は一つもない。


(どうしてこんなことに……?)


 沙良は昨夜眠る前のことを思い出した。

 沙良がゼノと談笑していると、しばらくしてシヴァが戻ってきた。

 シヴァはゼノが用意した赤ワインを寝酒として飲んでいたが、酒の飲めない沙良は、シヴァよりも先に休むことにしたのだ。

 広いベッドの半分より端寄りに横になり、眠りについた――はずだ。

 それがなぜか沙良はベッドの真ん中にいて、シヴァの腕の中に捕らわれている。

 シヴァの体温と、少しのしかかられているために重みを感じて、さきほどから沙良の鼓動は早鐘を打っている。

 このままの体勢でいることが耐えられなくなり、沙良は小さく呼びかけた。


「シヴァ様……?」


 けれど、シヴァは眉一つ動かさない。

 沙良はシヴァの腕をぺちぺちと叩いてみた。


「シヴァ様?」


 これでも起きない。

 沙良は少し考えて、しっかりと巻きついているシヴァの腕を引きはがそうとした。

 つかんで、持ち上げて、できた隙間から抜け出そうという作戦だ。


 しかし――


(重い……)


 細そうに見えるのに、シヴァの腕はがっしりしていて、とても重かった。しっかりと抱きしめられているから余計になのかもしれないが、まったく持ち上がらない。

 それでも沙良が諦めずにシヴァの腕と格闘していると、


「ん……」


 微かに眉を寄せたシヴァが身じろぎし、そして――


「どうしてえぇ……!」


 なぜか沙良は、最初よりもがっしりと抱きしめられ、そのあとシヴァが起き出すまでの数十分間、身じろぎどころか、ほとんど微動だにもできなかったのだった。




     ☆




 沙良は着替えを胸に抱きしめるように抱えて、とことこと廊下を進んでいた。

 一階の温泉に向かっている途中である。

 シヴァと沙良の部屋は二階の端にあり、一階の端っこにある温泉までは少し距離があった。

 シヴァが空間移動で送ってやろうかと申し出てくれたが、普段、誰かに空間移動で飛ばされるか、シヴァに抱きかかえられて移動することが多いので、たまには自分の足で歩こうと、沙良は辞退したのだ。

 毛足の短い絨毯が敷かれている二階の廊下を、離宮の中央にある大階段の方角へ、沙良は早歩きで進んでいく。

 今は昼間だし、離宮の中は明るいのだが、どうしても昨夜見た白い影が脳裏をちらつき、一人で歩いていると心細くなるのだ。そのため、沙良の歩く速度は速くなる。

 それでも、沙良が一人で温泉に向かっているには訳があるのだ。

 なぜなら、シヴァは今、部屋で本を読んでおり、温泉には入らないと言っていた。つまり、沙良が入っていても、シヴァがやってくることはないということだ。

 一人でゆっくりと、安心して、心おきなく、温泉につかることができるのである。


 これは、行かない手はない。


 というわけで、沙良は意気揚々と温泉に向かうことにしたのだが。


(うぅ、ゼノさんに頼んでついてきてもらえばよかった……)


 この離宮は広いわりに使用人が少なく、人気がない。

 廊下にはメイド一人いないし、物音もせずシーンとしている。

 沙良のとてとてという足音だけが廊下に響いて、沙良は少し怖くなった。

 沙良は歩く速度を少し上げた。大階段の手前まで来ると、階段も急いで駆け下りようと、手すりに右手を乗せる。――そのときだった。


 ふわっと微かな風を頬に感じて、沙良は顔を上げた。

 沙良が歩いてきた方とは逆の廊下を見やって、彼女は驚愕に目を見開く。

 一瞬、ほんの一瞬だが、白い影が彼女の視界の端を横切った。


「―――!」


 沙良は声にならない悲鳴を上げて、歩いて来た廊下を全力で駆け戻ったのだった。





「シヴァ様ぁ!」


 部屋の扉をあけるなり、沙良は半べそでシヴァに駆け寄った。

 つい先ほど上機嫌で部屋を出て行った沙良が泣きそうな顔で戻ってきて、シヴァは目を丸くした。


「どうしたんだ?」


 読んでいた本を閉ざし、シヴァが問う。

 沙良は廊下を指さした。


「で、出ました!」

「なにが?」

「白い、白い影です!」

「影?」

「温泉で見た影です! きっとそうですっ」


 またそれか――シヴァはそう思ったが、怯えた様子の沙良を見て声には出さなかった。

 シヴァは立ち上がると、扉が開いたままの部屋の入口から、沙良が指さす廊下の方を見やる。


「それで、その影はどこにいるんだ?」

「わかりません……。廊下、曲がって行ったみたいで」


 もちろん、怖かったから白い影を追跡するようなことはしていない。ちらっと目にしただけだ。


「白い影、ね……」


 シヴァはふと考え込むように顎に手を当てた。

 沙良が二回も言うくらいだ。本当に白い人影のようなものを見たのかもしれない。

 沙良が言う「お化け」ではないであろうが、こんなにも怯えられると、いつ帰りたいと言い出すかわかったものではない。

 セリウスが戻ってきて、城がうるさくなったので一時避難で離宮を訪れることにしたが、もう一つ、沙良とセリウスを引き離すつもりでもあった。

 あの自分勝手で脳のネジが数本抜けていそうな弟は、なぜか沙良に興味を示していた。

 これ以上、沙良の周りをちょろちょろされたくはないし、それによってイライラさせられるのも勘弁してほしかった。

 せめてもう少し、この離宮で平穏な時をすごしたい。そのためには、沙良を怯えさせている元凶をなんとかする必要がある。

 シヴァは安心させるように沙良の頭を撫でた。


「わかった。その白い影というのを探してどうにかしてやるから、しばらくはおとなしくしていなさい」


 沙良はすがるようにシヴァを見た。


「本当ですか?」

「ああ」

「お化け退治してくれるですね」

「あ、ああ」


 それが「お化け」かどうかもわからないというのに、沙良は決めてかかっているようだ。

 だが、「お化け」ではないと否定したところで、沙良は納得しないだろう。

 沙良はシヴァがお化け退治を請け負ったことに安心したのか、ホッと息を吐きだした。

 そのあと、少し残念そうな顔をして、


「温泉、入れなかったです……」


 お化けが怖くて一人で入れないと、ぼそりとつぶやく。

 しかし沙良は、うっかりと心の声が口から駄々洩れになったことを、このあと激しく後悔した。

 なぜなら、シヴァが沙良をひょいと抱え上げて、


「そんなことか。なら、今からもう一度行けばいいだろう」

「え?」

「一人で入るのが怖いのならつき合ってやる」


「ええっ?」


 沙良が愕然としているうちに、シヴァは沙良を抱えたまま、温泉の入口まで一瞬で移動した。

 こうして、「一緒は恥ずかしいですー!」という訴えも聞き入れられず、沙良は昨日に引き続き、今日もシヴァと混浴する羽目になったのだった。




     ☆




 シヴァは地下へと続く階段を下りていた。

 石を組んで作られたその階段は、やや湿度の高い空気にさらされて、表面が滑りやすくなっている。けれどもシヴァは危なげなくその階段を降りると、階段を下りてすぐのところにある、精緻な彫刻が彫られた木の扉に手をかけた。


「入るぞ」


 一応の礼儀として室内に声をかけるが、返事はない。

 シヴァは構わず扉を開けると、室内に足を踏み入れた。

 部屋の中は、じめじめした地下に存在しているとは思えないほど豪華だった。

 壁には絵画が飾られ、室内にある家具や調度品も趣味がいい。しかし、一つだけ、この部屋に不似合いな妙なものがあった。


 それは、でん、と部屋の中央に鎮座していた。


 掘られた彫刻の細かさや、金や銀で細工してある豪華さを考えれば、部屋の中の調度品と何ら遜色のないモノではあるが、見た目の華やかさではなく「それ」自体が部屋の中に恐ろしいほどの違和感を落とす。

 部屋の中で一番自己主張をしていると言っても過言でないそれは、大きなひつぎだった。


「……相変わらず、寝るときはそこなのか……」


 あきれたようにつぶやいて、シヴァはその棺の上に腰かけた。

 視線を壁に向けたまま、コンコンと棺を叩く。


「お前、何かしてないだろうな?」


 しかし、棺からは沈黙しか返らない。


「沙良が怯えている。お前が絡んでいるのなら、なんとかしろ」


 やはり棺からは何の言葉も戻ってこなかったが、ややして、棺の中でごそごそと音がしはじめる。

 シヴァは立ち上がって、棺を見下ろした。

 やがてガタンという重たい音がして、棺の蓋が持ち上がった。

 棺の中から、眠たそうに眼をこすりながら、一人の男が体を起こす。

 まだ眠そうな双眸をぼんやりと開き、シヴァを見あげた男は、小さく首を傾げた。

 その瞳は、血を流したように赤い。


「あれ、シヴァ様?」

「あれ、じゃない。今起きたのか。いつまで寝るんだお前は。昼過ぎだぞ」

「昨夜はわけあってずっと起きていたんですよ。おかげで、まだ眠いんです」


 シヴァはため息をついた。

 男は棺から出るとシヴァと自分のために茶を煎れはじめる。


「それで、どうされたんですか?」


 挨拶なら昨日も来ただろう、と言いたげな口ぶりに、シヴァは片眉を上げた。どうやらシヴァが先ほど話しかけた内容は、夢の中にいた彼の耳には届いていなかったらしい。

 シヴァはソファに腰を下ろし、腕を組んだ。


「白い影を見たと言って、沙良が怯えているんだ」


 その言葉に、男は慌てたように振り返った。


「なんですって?」

「……やはりお前が絡んでいるのか」


 この離宮で何か騒動が起きるのならばこの男が絡んでいるはずだ、と踏んだシヴァの勘は当たっていたらしい。

 男は入れかけていたティーポットを放置して、シヴァに詰め寄った。


「白い影って、どんな影ですか?」

「どんな? 俺は見ていないが、沙良は女のようだったと言っていたな」

「ああ……!」


 男は顔を覆った。その声が幾分歓喜に沸いているように聞こえ、シヴァは訝しむ。


「まさかとは思うが、知り合いか?」

「ええ! あなたも知っているはずですよ。きっとエルザです!」

「は?」


 シヴァは目を丸くした。確かにエルザという女は知っている。だが、沙良が語った白い影とエルザの印象が一致しない。エルザは、蜂蜜色の髪をした、快活な少女のはずだ。

 男は指を組み、天を仰ぐように天井を見上げた。


「ああ! エルザ、やっぱり君は僕をまだ愛していてくれたんだね……!」


 話が全く見えない。

 シヴァは頭が痛くなってきて額を抑えた。


「それで……、仮にその人影がエルザだったとして、どうしてエルザが離宮の中を徘徊しているんだ。ゼノなりメイドなりを呼んで堂々と入ってくればいいだろう」

「きっと僕を探しているんです!」

「いや、だから……」

「こっそり僕に会いに来て、驚かそうという魂胆ですね!」

「……」


 だめだ。うっとりと自分の世界に入り込んだ男には、シヴァの言葉は正しく解釈されないらしい。

 シヴァは面倒になってきて、幸せそうに笑み崩れている男の耳を引っ張った。


「い、いたたたた……」

「いいか。エルザとお前がどうなろうと、俺にはどうだっていい。ただ、エルザらしき人影が沙良を怯えさせている。お前が絡んでいるなら今すぐ捕まえて、離宮の中を幽鬼のようにうろうろするのはやめろと伝えてこい!」


 容赦なく耳を引っ張られて、うっすらと涙を浮かべた男は、こくこくと小刻みに頷いた。


「わかりました! エルザを捕まえて、僕に会いたいなら堂々と胸に飛び込んで来いと伝えればいいんですね」

「―――、はぁ」


 シヴァは嘆息した。だが、もう訂正する気力もない。シヴァは立ち上がり、用はすんだとばかりに部屋を出て行こうとした。


 だが――


「きゃああああああ―――!」


 遠くから、沙良の悲鳴のような声が微かに聞こえてきて、シヴァの顔がこわばる。

 男もやや驚いたような顔をしたが、慌てたシヴァは男を完全に視界から追い出し、急いで沙良の部屋まで飛んで行ったのだった。




     ☆




 シヴァが地下へと続く階段を下りていたころ、沙良はゼノと二人でティータイムをすごしていた。

 沙良が一人は怖いと言ったこともあり、シヴァが、自分が沙良のそばを離れるときはゼノにそばにいるように、と命じてくれたようであるが、沙良は、見た目は少し怖いこの老人に、すっかり気を許していた。

 生まれてこの方、祖父という存在に会ったことのない沙良が、ゼノに祖父像を重ねてしまうのは仕方がないことかもしれない。

 ゼノの方も、長年仕えている魔王が突然嫁と言って連れてきた沙良のことを、孫娘を見るような気持で接していた。

 そのため、お菓子を挟んでのティータイムは、自然と和やかなものになる。


「おやおや、それで、またシヴァ様と一緒に温泉に入ったのですか」

「そうなんです! 一緒は恥ずかしいって言ったのに、シヴァ様、全然聞いてくれないんですよ!」

「困ったものですねぇ」

「そうでしょう!?」


 ティータイムのお菓子はシフォンケーキだった。生クリームが添えられたシフォンケーキが、沙良の口の中にどんどん消えていく。


「しかし、また白い人影を見られたんですね。この離宮のメイドは紺のお仕着せですし、白い服を着た女性は、いないはずなんですがね……」

「やっぱり、お化けですよね……」


 沙良の声がしぼむ。怯えた子ウサギのような目をむけられて、ゼノは慌てて首を振った。


「いえいえ、この離宮に、お化けなどは……」


 ゼノが「お化けなどはいないはずだ」と言いかけたとき、どこかからガタン! と大きな物音がした。

 沙良の肩がびくりと揺れる。

 ゼノは不思議そうに部屋の入口を見てから、沙良に微笑みかけた。


「おそらく風でなにかが倒れたんでしょう」


 風と聞いて、沙良はほっと息を吐いた。だが―――


 バターン!


 直後、部屋の扉が勢いよく開いた。

 息を呑んだ沙良が見たものは、真っ白いワンピース姿の、蜂蜜色の髪をした少女の姿だった。

 彼女は波打つ長い髪を振り乱し、なぜか片手に木の杭を持っていた。

 少女は血走った眼を沙良とゼノに向けて、言った。


「あの人は、どこ!?」


 沙良はその鬼気迫った様子に、大きく息を吸い込み、


「きゃああああああ―――!」


 悲鳴を上げた。




 沙良の悲鳴を聞きつけたシヴァが、慌てて空間移動で駆けつけたとき、沙良の悲鳴を聞いた少女は身を翻して逃げるところだった。

 シヴァの視界を白いワンピースの少女が横切って行ったが、シヴァにとって怯える沙良に駆け寄ることが優先事項だったので、少女のことはそのまま捨ておいた。興味がないからだ。

 だが、その髪色だけはしっかりと目に焼き付けて、なるほど、エルザと言われればそうかもしれないと一人納得した。


「大丈夫か」


 シヴァが問いかけると、沙良は勢いよく抱きついててきた。


「シヴァ様! 出た! 出ました! お化けぇ!!」


 シヴァにしがみついてプルプル震えている沙良の背を、シヴァが落ち着かせるように撫でる。


「沙良、落ち着け、あれはおそらくお化けではない」

「でも……!」


 シヴァは沙良を抱き上げ、ソファに腰を下ろした。

 ゼノがエルザらしき人影が走り去った廊下の方を見に行って、やがて首を振りながら戻ってくる。


「もう、どこかに行かれたようですね」


 シヴァは嘆息して、ゼノに訊いた。


「顔を見たか?」


「はい」

「……エルザ、か?」


 ゼノは困ったような表情を浮かべた。


「そのようですね……」

「いったいどうなっている?」


 シヴァには何が起こっているのか全く分からなかった。

 ゼノはこほんと一つ咳払いをして、言いにくそうに口を開いた。


「それが……」

「シヴァ様、どうされました?」


 しかし、ゼノが事情を説明しようとした矢先、廊下から一人の男が入ってくる。

 沙良はその男の顔を見て、ひっと小さな悲鳴を上げた。

 黒髪に、真っ赤な目をした男だった。顔立ちは繊細な作りで、彫刻のように整っているのだが、血の気のない真っ白な肌が蝋人形のように見えて、お化けだと思っている少女を見たばかりで動揺している沙良には、彼もお化けのように見えたのだ。

 ますますしがみついてきた沙良に、シヴァは苦笑した。


「沙良、あれもお化けではない。俺の遠縁だ」

「遠縁?」

「親戚だ」


 沙良はシヴァの親戚と聞いて、ようやく肩の力を抜いた。言われてみると、目鼻立ちがどことなく似ているような――気が、しなくもない。


「こいつはなぜか、この離宮が気に入っていて、ほとんど年中ここに住んでいるんだ」


 沙良は首を傾げた。住んでいると言うが、今まで会わなかった。

 その疑問を口にすると、シヴァがあきれ半分で答えてくれた。


「この馬鹿は、大体いつも地下の部屋に閉じこもっていて滅多に出てこないからな」

「地下は涼しくて静かですごしやすいんですよ。シヴァ様も一度暮らしてみればいいのに」

「断る」


 シヴァはにべもなく即否定した。

 男は沙良に微笑みかけた。


「はじめまして、沙良ちゃんだっけ? ジェイルです。様付けで呼ばれるのは苦手だから、ジェイルって呼んでね」

「ジェイル……さん?」

「うん、まあそれでもいいや」


 ところで――と、ジェイルは沙良の細い首筋に視線をやって、キラリと目を光らせた。


「君の血、飲んでいいかな?」


 ジェイルが薄く開いた口からは、鋭い犬歯が二本覗いている。

 シヴァがあきれたように額を抑えてため息をついた。

 沙良は時間が止まったかのように沈黙したのち――


「いやあああああああ!」


 沙良は顔を真っ青にして泣き叫んだのだった。


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