新事実にびっくりです!
アスヴィルは苦悩していた。
彼の目の前には、真っ赤な髪をツインテールにして、黒のひらひらしたひざ丈のドレスを身に着けているミリーがいる。
彼女はふんふんと鼻歌を歌いながら沙良の部屋の窓に張りついて、そこから見える庭の迷路の中を観察していた。
アスヴィルは先ほどから胃がキリキリしていて、ついに良心の呵責に耐え切れなくなり口を開いた。
「さすがに、今回のはやりすぎだったのでは……」
対して、ミリーはあっけらかんと答えた。
「なに言ってるんですか。このくらいしないと、あの二人はいつまでもこのままなんですよ。全然らぶらぶしないじゃないですか! わたしは愛のキューピッドなんです。やりすぎもへったくれもありません!」
魔界に住んでいるものがキューピッドも何もないと思うが、そこを突っ込むとうるさそうなので、アスヴィルはそこには触れずに続けた。
「だが、いくらなんでもあれは……」
手伝え、と言われてミリアムに極甘のアスヴィルは言われた通り素直に従ったが、思い返せば自分もどうかしていた。
「いいんですよ! そんなに強いものは使ってないでしょ?」
「そうだが……」
アスヴィルはミリーの隣に静かに歩み寄り、そこから窓外を見下ろした。
遠くに見える庭の四阿は、屋根があるので中で二人がどうなっているのかは伺えないが、アスヴィルは心配そうに眉を下げる。
「押してダメなら引いてみろなんて言いますけどねえぇ、わたしは引くなんてまどろっこしいことはしません! 押してダメならさらに押せばいいんです!!」
「いや、それは当人たちに言えることであって、周りが押すものではないだろう……」
アスヴィルはため息交じりに突っ込んだ。
ミリーはふふんと笑って、ミリーの倍の身長はあるアスヴィルを見上げた。
「あらだって、あの二人、周りが何とかしないと、いつまでも進展ないんだもの」
ミリーのその声と口調がぐっと大人の女のものになり、アスヴィルは閉口した。
一瞬垣間見えた表情は、子供の顔には似つかわしくないほど艶やかだった。
だが、その顔はすぐに子供特有の無邪気なものに戻る。
「んふ、だから、こうしてお手伝いしてるんですよぉ」
もはや、アスヴィルは何も言えなかった。
☆
シヴァは沙良を腕に抱きかかえたまま、彼女の赤く染まった頬を見下ろした。
「気分は?」
「んん……、大丈夫です。ふわふわして、頭がぐるぐるしますけど、吐きそうとかそんなことはありません」
「ほかにおかしなところは?」
沙良はぼんやりと目を開けて、小さく首を振った。
「ないです」
シヴァはホッと息を吐きだした。
「それならいい。あまり強いものではなさそうだったから、微熱が出る程度ですんだか……」
シヴァは沙良を抱えたままゆっくりと立ち上がる。
沙良のぼんやしした視界がとらえたシヴァの顔は、ひどく怖かった。
「シヴァ様、なにか、怒ってます?」
「これが怒らずにいられるか」
吐き捨てるように言われて、沙良は首をすくめた。
怯えさせたと気づいたのか、シヴァがほんの少しだけ笑って見せる。
「お前に怒っているのではない。気分がそれほど悪くないなら、このまま移動するぞ」
こくり、と沙良がうなずくのを見て、シヴァは四阿から見える沙良の部屋の窓を睨んだ。
「あの馬鹿どもが、今度ばかりは許さんぞ」
☆
「ミリアム!!」
四阿から一瞬で沙良の部屋に移動したシヴァは、部屋に到着するや否や、部屋の中に向かって怒鳴りつけた。
それは、窓にはりついていたミリーが「もう、全然見えません!」と文句を言いだしたときのことである。
背後からの、怒気を含んだその声を聞いたアスヴィルは、額をおさえて息を吐き、ミリーはビクッと肩を揺らした。
「ど、どうしたんですかぁ、シヴァ様、何かありましたかぁ?」
取り繕ったように笑顔を浮かべて振り返ったミリーであったが、明らかに目が泳いていた。
シヴァは沙良を腕に抱えたまま大股でミリーに近づいた。
ミリーが慌ててアスヴィルの背後に隠れる。
「なにが、シヴァ様、だ。いい加減にしろ、これ以上お前の茶番につき合えるか! 今回のこれはどういうことだ!!」
びりびりと空気さえも震えそうなほどの怒声に、ミリーはアスヴィルの背中にしがみついた。
頭がぼんやりしている沙良が、シヴァの剣幕とミリーの様子に不思議そうに首をひねる。
沙良がアスヴィルを見やると、困ったような彼の視線とぶつかった。
「ミリアム!」
シヴァがもう一度怒鳴ると、ミリーが渋々アスヴィルの背後から顔を出す。
「え?」
沙良はさらに首を傾げた。
聞き間違いでなければ、今、アスヴィルはミリアムと呼んだはずだ。だが、ここにいるのはミリアムではなくミリーである。
「え?」
沙良は答えを求めるようにもう一度アスヴィルを見た。
アスヴィルは嘆息して、ミリーの頭を撫でながら告げた。
「沙良、ミリーがミリアムだ」
「……え?」
沙良はますます混乱した。
ミリーがばつの悪そうな表情を浮かべて、「なんでばらすのよ」とアスヴィルの足を蹴飛ばしている。
(え? だって、ミリアム様は大人の女の人で、ミリーは子供……?)
もしかして、ミリーはミリアムと同じ名前なのだろうか。
酩酊状態の思考回路ではうまく情報処理が行えず、沙良はシヴァの腕の中で軽くパニックになった。
アスヴィルの説明では沙良を混乱させるだけだと判断したのか、シヴァがそのあとを引き継いだ。
「この馬鹿は、姿を子供に変えてお前の世話係をすると言い出したんだ。子供の方がお前も打ち解けやすいと判断したから許可したが、さすがにこれ以上は目に余る。もういい加減にしろ、ミリアム。これ以上は黙っていないぞ」
ややあって、ミリーの口から、はあ、と盛大なため息が聞こえた。
沙良の目の前で、ミリーの姿が一瞬で大人の女性に変わる。
それは、沙良がこの世界に来た日の夜に出会ったミリアムそのものだった。
沙良はポカンとした。
ミリアムは眉尻を下げて沙良の顔を覗き込んだ。
「ごめんなさいねぇ、どこかで言おうとは思っていたのよ。ただ……、楽しくて」
えへ、とミリアムはミリーの姿のときのように無邪気に笑う。
「何が楽しくて、だ!」
シヴァが怒鳴ると、ミリアムは慌ててアスヴィルの腕にしがみついた。
アスヴィルはミリアムを見下ろした。
「ほら、今回のはさすがにやりすぎだと言っただろう」
「なによ! あなただって手伝ったでしょ!」
「そうだが……」
アスヴィルは沙良の上気している顔を見つめた。
「一応、中和剤は用意していますが……」
「すぐによこせ!」
シヴァはアスヴィルが取り出した、液体の入った小瓶をひったくるようにして奪った。
「沙良、これを飲め。楽になる」
シヴァから小瓶を受け取った沙良は、何が何だかよくわからないが、素直に従った。小瓶に入っていた液体は少しだけ苦かったが、我慢できないほどじゃない。
「あなたも食べたんでしょう? 中和剤はいいんですか?」
アスヴィルが少しだけ心配そうに言ったが、シヴァはふんと鼻を鳴らした。
「あんな子供だましのような媚薬、俺に効くはずないだろう」
「びやく?」
聞きなれない単語に、沙良は首をひねる。
シヴァは沙良をソファに座らせて、その頭をぽんぽんと叩いた。
「お前は知らなくていい。ただ、この阿呆が、あのバスケットの中の菓子に妙な薬を仕込んでいただけだ」
沙良はびっくりしてアスヴィルを見た。
ばつの悪そうな顔をした彼は、沙良の視線から逃げるように顔をそむけた。
ミリアムはアスヴィルの腕から体を離し、沙良の隣に腰を下ろすと、沙良に抱きついた。
「ごめんなさいね、沙良ちゃん! だってぇ、お兄様と沙良ちゃん、ちっともラブラブしないんだものぉ」
「余計なお世話だ」
うんざりしたようにシヴァが言う。
「いいか、くだらないことはもう二度とするな」
「はぁい」
ミリアムは間延びした返事を兄に返すと、沙良の頬にすりすりと頬ずりする。
まだ少しぼんやりしている沙良は、ミリアムにされるままおとなしくしていた。
シヴァは一つ嘆息して、部屋を出ていこうと踵を返す。
ミリアムはにっこりと微笑んで、沙良の耳元にこそこそとささやいた。
「次はぁ、もっといい方法考えておくからね、沙良ちゃん」
部屋を出ようとしていたシヴァの足がピタリと止まる。
魔王様は地獄耳だった。
また余計なことを、とアスヴィルが慌ててミリアムの口を塞ごうとしたときはすでに遅く――
「ミリアム!!!」
シヴァの怒号が、再び部屋の空気を震わせたのだった。