初デートはお庭です!
「ごめんなさいってばぁ、沙良様ぁ」
ミリーは両手を合わせて謝っていた。
シヴァの腕に抱き込まれて寝ることになった昨夜、沙良はほとんど眠ることができなかった。
朝、寝ぼけ眼の沙良が完全に覚醒するより早く、沙良はシヴァによって部屋に戻された。
そこへ、満面の笑顔を浮かべたミリーがやってきて、「昨夜はどうだったんですかぁ」と嬉しそうに訊ねるのを、沙良は恨めしげに睨みつけた。
ミリーは沙良の顔を見て、まずい、と思ったのか、慌てて取り繕うように謝りはじめたのだが、沙良はぷいっと顔を背けて、スケスケの夜着からドレスに着替えはじめる。
「機嫌なおしてくださいよぉ」
ミリーは沙良の着替えを手伝いながら機嫌を取るが、沙良の機嫌はなかなか直らなかった。
なぜなら、すっごく恥ずかしかったのだ。
スケスケの夜着もさることながら、シヴァの腕に抱き込まれて、彼の体温と鼓動を聞きいている夜の間、恥ずかしすぎて死にそうだった。
(シヴァ様は、すぐ寝ちゃうし……)
沙良は緊張で目が冴えてしまって、どんなにがんばってもなかなか寝付けず、ようやくうとうとしはじめたのは、明け方近くなってからだった。
だからすごく寝不足だし、一晩中緊張して体に力を入れていたせいか肩も痛いし、なによりまだシヴァの体温が残っているような気がして、脳が沸騰しそうだ。
シヴァな沙良を花嫁と言ったが、今までスキンシップらしいスキンシップは一度もなかったのに、突然同じベッドで眠るなんて、沙良には難易度が高すぎたのだ。
「沙良様ぁ」
本当に反省しているのかどうかは怪しいが、ミリーは必死で謝っている。
沙良はぷくっと頬を膨らませて拗ねたまま、それでもミリーをこのまま無視し続けるのは良心が咎め、しぶしぶ口を開いた。
「もう、あんなことしないでくださいね」
「わかりましたぁ! もうスケスケ夜着姿でシヴァ様の部屋には飛ばしません!」
「……約束ですよ?」
本当にわかっているのか、と胡乱な目つきでミリーを見るが、彼女はにっこりと微笑んで頷いた。
「もちろんです! ……でもぉ」
ミリーの笑顔が、なにやらワクワクと楽しそうなものに変わる。「んふふ」と口元に手を当てて、ミリーはにやにやしながら言った。
「どうだったんですかぁ? 昨夜はぁ。……らぶらぶ? らぶらぶですか?」
ぼん、と沙良の顔が火を噴いた。
「な、ななな、何言いだすんですかぁ!」
顔を真っ赤にした沙良は、大慌てでブンブンと首を振る。
「えー? だって、朝までシヴァ様と一緒でしょぉ? 何もなかったんですか? ぜんぜん? これっぽっちも?」
ミリーは、親指と人差し指で長さを図るような仕草をする。
「ありません!」
「ええー? ないんですかぁ? なにも? スケスケ夜着で突撃して、なにも?」
沙良は突撃していない。無理やりシヴァの部屋まで飛ばされただけである。
「健全男子として、それってどうなんですか。ありえません!」
よほど不満なのか、ミリーはチッと小さく舌打ちしている。
一体ミリーが何を期待していたのか、沙良は怖くて訊けなかった。訊いたが最後、どんな爆弾発言が飛び出すかわかったものではない。
「い、一緒に眠っただけです……」
シヴァに抱きしめられて、という部分の説明は、恥ずかしいので割愛した。そのせいか、ミリーの目が半眼になる。
「ほんと、あり得ません! あの人は五歳児ですか!? 一緒におねんねしましょうね~なら、五歳児だってできるんですよ! いいえ、五歳児だって手ぐらいはつなげるんです!五歳児以下!!」
「………」
もはや、沙良には突っ込む気力もなかった。
ミリーは、沙良が半ば放心状態のようにぐったりしていることには気づかず、爪を噛んでぶつぶつ言いはじめた。
「スケスケも効かないんですか。あんなの、ほかの誰かさんならイチコロなのに。ああ、もう、次はどうしてやりましょう……」
頼むから、もうこれ以上変な気は起こさないでほしい――
沙良は、切実にそう思った。
☆ ☆ ☆
沙良がシヴァの部屋で一夜をすごした日から数日たった、ある日の午後。
ふらりとやってきたアスヴィルにバスケットを差し出されて、沙良は首をひねった。
受け取って中身を見ると、クッキーやケーキなどのお菓子がこんもりと入っている。
「どうしたんですか、これ」
アスヴィルはいつもお手製のお菓子を午後のティータイムのときに差し入れてくれるが、こんなにたくさんのお菓子をバスケットごともらったのは、はじめてだった。
アスヴィルはほんのちょっぴり困った顔をして、一通の手紙を差し出した。
『沙良ちゃんへ
やっほー 沙良ちゃん
お元気かしらぁ?
今日はとってもいいお天気だし
アスヴィルにお菓子を作らせたから
よかったらお庭の迷路でティータイムをしないこと?
迷路の真ん中に四阿があるの
今ちょうど、四阿の周りの蔓薔薇もきれいに咲いているし、ね?
いいでしょう?
四阿のところで待っているからぜひ来て頂戴ね!
愛をこめて ミリアムより』
沙良は少しびっくりした。
ミリアムとは過去に一度会ったきりだったのだ。
まさかティータイムに誘ってもらえるとは思わず、アスヴィルから受け取ったバスケットを見下ろす。
(これが俗にいう、女子会ですか!?)
しかも、外に出ることができる。
考えてみれば、沙良は一度も城より外に出たことがなかった。
窓から見下ろしていたあのきれいな庭でティータイムを楽しめるのだ。
わくわくしないはずがない。
「あとで迎えに来るから、支度しておけ」
「支度、ですか?」
沙良は自分の格好を見下ろした。
相変わらず、ミリーによってフリフリなドレスを着せられている。今日は空のような青色に、白いリボンや真珠が散りばめられたドレスだった。
充分豪華だが、このままではいけないのだろうか?
「ミリアムが、ティータイム用にドレスも用意している。あとから届けられるはずだからそれに着替えて待っていろ」
沙良は「ティータイム」のためにわざわざ着替える必要性は理解できなかったが、アスヴィルがそう言うのであれば、と頷いた。
「わかりました!」
素直に頷く沙良に、アスヴィルは何か言いたそうな視線をよこしたが、結局何も言わずに、「またな」と言って彼は部屋を出て行ったのだった。
☆ ☆ ☆
アスヴィルが去った後にやってきたミリーによって、沙良はなぜか、ミリアムが用意したというエプロンドレスに着替えさせられた。
紺色のスカートに白いフリフリしたエプロンの、メイドが着ていそうなエプロンドレスである。
もっと謎なことに、頭にカチューシャをつけられて、髪をツインテールにされた。
(……メイドさん?)
なぜ、ティータイムに行くのに、メイドの格好なのだろうか。
沙良は以前、シヴァの愛人にメイドに間違えられたことはあったが、こうしてメイドの格好をするのははじめてだった。
だが、何事もスローテンポの沙良が、なぜメイドの格好なのかと問いただす前に、「行ってらっしゃい~」とミリーによってポンッと庭の迷路に飛ばされる。
沙良は、一瞬後に迷路の中にある四阿の前に立っていた。
目の前の四阿は、白い柱が何本も立っていて、大きな鳥かごのように見える。
四阿の中にはベンチと、真ん中に丸いテーブルがあった。
ミリアムの手紙にもあった通り、四阿の周りを取り囲んでいる蔓薔薇は、白やピンクの花を咲かせていて、とても幻想的な光景だ。
ミリアムはまだ来ていないようである。
沙良はテーブルの上にバスケットをおくと、ミリアムを待っているあいだ、薔薇の花を見て楽しむことにした。
写真や絵では見たことがあるが、実は、本物の薔薇の花を見るのはこれがはじめてなのだ。
「いい匂い……」
たくさんの薔薇が咲いているからか、あたり一帯、沙良の大好きな香りがする。
一輪手折って帰ったら怒られるかな、と沙良が白薔薇の前で真剣に悩んでいると、背後から足音が聞こえてきた。
ミリアムが来たのだろうか、と振り返った沙良は、そこにいた人物に目を丸くした。
「シヴァ様……?」
いつの間にか、沙良の背後にシヴァがいた。
シヴァと会うのは、ミリーに嵌められて同じベッドで眠ることになった日以来で――、シヴァの顔を見て、その時のことを思い出した沙良は、ボンッと顔を染めた。
抱きしめられた時のシヴァの体温までまざまざと思い出してしまった。
(ミリーのばかぁ……)
恥ずかしくて、シヴァの顔がまともに見れない。
「どうしてお前がここにいる?」
シヴァに訊ねられて、沙良は反射的にシヴァの顔を見上げてから、ぱっと視線を落とした。
「み、ミリアム様に、お茶に誘われたんです……」
四阿のテーブルの上のバスケットを指さすと、シヴァは怪訝な顔をした。
「俺はアスヴィルに話があるからと呼び出されたんだが……、ああ、なるほど」
はぁー、とシヴァは長く息を吐いた。
「つくづく、あの馬鹿どもはろくなことをしないな……」
独り言ちて嘆息するシヴァに、沙良は首をひねる。
シヴァは苦笑して「また嵌められたんだ」と答えると、四阿のベンチに腰を下ろした。
ぼーっと立っているのもおかしな気がして、沙良もシヴァの隣にちょこんと座る。
「あのー、嵌められたって……?」
「ああ、あの馬鹿二人は、俺とお前が鉢合わせするように仕向けたんだろうよ。次から次へと、あの手この手でご苦労なことだ……」
「つまり、ミリアム様は、こないんですか?」
「そうだ」
シヴァに即答され、沙良はバスケットに視線を投げた。
シヴァも沙良の視線の動きに気がついてバスケットを見やる。
「それは?」
「お菓子です。お茶会用の」
沙良は少し考えてバスケットを開けた。クッキーやケーキをシヴァに見せる。
「またずいぶんと持ってきたな」
「はい。……せっかくだから、シヴァ様、食べませんか?」
シヴァはバスケットの中身を見た。そこにはシヴァの好きなチョコチップクッキーも入っている。
シヴァは無言でパチンと指を鳴らした。
次の瞬間には四阿のテーブルの上に二人分のティーセットがあらわれた。
シヴァは何も言わなかったが、沙良はティーセットが登場したことにホッとした。これはシヴァの同意だ。
沙良はバスケットの中をのぞいて、一番気になっていたフルーツケーキを手に取った。
シヴァも当然のようにチョコチップクッキーを手にする。
「シヴァ様はよくここにくるんですか?」
甘いお菓子と紅茶でリラックスした沙良は、にこにことシヴァに訊ねた。
「たまにな」
「すてきなところですよね。わたし、本物の薔薇を見たの、はじめてなんです! きれいだし、いい匂いだし、ここ、大好きになりました」
「そうか」
「また、来てもいいですか?」
シヴァは、ふっと小さく笑った。
「好きな時に来ればいい。ただし、来るときは誰かと一緒にしろ。周りの迷路で迷うぞ」
「はいっ」
シヴァは黙っていたら相変わらず冷たい雰囲気で少し怖いが、こうして微かにでも笑ったときの顔はとても優しい。
沙良は嬉しくなり、幸せな気持ちでフルーツケーキにかぶりついた。
バターがたっぷり使ってあるフルーツケーキは、フワフワだけどしっとりしていて、甘くて、中に入っているドライフルーツの酸味も絶妙だ。
思わず沙良の顔がにやける。
いつも思うが、アスヴィルの作るお菓子は絶品だ。
お菓子を作るアスヴィルの姿は、正直まだ違和感が強い。背が高くて筋肉質で厳つい顔をした彼が、どうしてこんな繊細な味のお菓子を作り出せるのか、沙良はいまだに不思議で仕方がない。
しかし、こんなにおいしいお菓子を毎回差し入れてくれるアスヴィルに、沙良はとても感謝していた。
アスヴィルは、見かけによらず繊細で、ミリーの言葉を借りるなら「オトメン」で、とても優しいのだ。
幸せそうな顔をしてケーキを頬張る沙良を見て、シヴァは微苦笑を浮かべた。
「うまいか?」
「はい!」
「よかったな」
そう言いながら、シヴァもチョコチップクッキーを口に入れる。――ややして、シヴァは眉間に深く皺を刻んだ。
「沙良、もう食べるな」
そう言ったがすでに遅く、沙良は一つ目のフルーツケーキを食べ終えたあとだった。
「どうかしたんですか?」
沙良は首をかしげながら、少しだけ頭がふわふわするなと思った。
酒は飲んだことはないが、酒を飲んで酔ったときはこんな感じなのだろうか――そんな、酩酊したような感覚だ。
どうしたのかな、と思っているうちに酩酊に似た感覚はひどくなって、徐々に目が回りはじめる。
「チッ」
シヴァは舌打ちして、体がぐらぐら揺れはじめた沙良を膝の上に抱きかかえるようにして支えた。
頭の中が靄がかったようにぼんやりしている沙良の耳に、忌々し気なシヴァの声が届いた。
「あの馬鹿どもが―――、まったく、ろくなことをしない……!」