第7色 真の救い
「七野自由くん、先ほどは暴走から助けていただき誠にありがとうございました」
「あうあうあー」
スライドドアが開かれそこにいたのは、水球から助け出したあの親子だった。その二人の顔はあれだけ血の気の無い真っ白だったものからすっかりと元の血色を取り戻し、一目で回復したのだと見て取れた。
「妻と息子を救っていただき、何とお礼を申したら良いのか……」
二人の後ろから額には汗を滲ませ気疲れを少し覗かせる壮年の男の人が出てきて、こちらに向かって深く深く頭を下げ、お礼を何度も何度も繰り返す。
大の大人二人がこんな矮小な自分に頭を懸命に下げお礼を言っているという今まででは考えもしない状況に、自由の居たたまれなさが一気に天井を突破する。
「頭を上げてください。俺は何も――「それ以上は許さねぇ」」
“何もしていないので”と手を振りながら続けようとした瞬間、今まで何も言わずにただ見ていた着流しが、たちまち身体が動かないほど強ばり、何が何でも逃げろという矛盾した警鐘を鳴らすほどのプレッシャーを放ちながら、言葉をかぶせてきた。先ほどのやりとりでも一切見せなかった怒りの感情に、自由の全身には悪寒が走り回った。
「すいません、今の言葉は撤回します」
まだ立ち上がることが出来ないためベッドの上から頭を下げると二人は必死に首と手を振り、
「「いや、良いんです……恩人に頭を下げられるのは、こちらとしても心が痛むので顔を上げてください」」
その言葉に気を遣わせるのはいけないと思い顔を上げると、助けた女性の方が申し訳なさそうにおずおずと言葉を続ける。
「差し出がましい言葉だと存じておりますが、一つだけ言わせてください」
「――――」
「私も……いいえ、私たちは他の誰でも無いあなたに、中和者になっていただきたい」
今まで自分が着流しに何を言っていたか、声を荒げてしまったため恐らく外で聞いていて全容は知っているだろう。今更聞いたことについてはどうこう言うつもりは無いが、聞いた上でなれないと言っていた俺に向かってその言葉が出るのは、恩が聞いて呆れるんじゃ無いか。
そんな十中八九八つ当たりの言葉が出そうになり口が開くも、女性は先ほどとは打って変わって、自信に満ちあふれていて自分が絶対正しいと信じ切っている純粋な目で言葉を続ける。
「私、前も暴走をしちゃったんです。その時に出来た傷が……」
女性は着ている服を少し捲り、右の脇腹から反対の左脇腹まで一直線に斬られたような跡をこちらに見せる。そして、女性が持つには痛ましすぎるほどの傷をゆっくりと指でなぞりながら、
「今回とは違い、この時はまだ理性を多少なりとも保っていたので少しだけ覚えてて……その時偶然近くにいた中和者に助けて貰ったのですが、水球から放り投げられた際に私は石の塀にお腹から向かってしまいました」
「――――」
「命があるだけで御の字のはずなんですが、どうしてもあの時あなたが助けてくれていたら……。あなたが偶然にでも近くにいたらと思うと……」
お腹に目立つ傷を抱えてしまった女性はその時のことがよほど悔しいのだろう、そのまま膝から崩れ落ち、咽び泣いてしまった。
個室にはなっているが場所が場所のため嗚咽を懸命に抑え静かに泣く女性に変わり、男性が話を続ける。
「確かに暴走を起こしてしまったのなら、命さえあれば御の字です。でも、あなたは前回よりも今回の方が暴走の程度が凄いのにも関わらず、妻の怪我は全治1週間で、出来てしまった傷跡が少しも残らないと医者に言われています」
「――――」
「この赤い髪の御仁が言う通り、妻のことに関してはあなたは助けた後のこと、つまり傷を負っている誰かに寄り添っている他無いと思いませんか?」
「でも……」
「これは私たちのワガママであり、正真正銘ただのエゴです。最終的にはあなたが自分で決めることが、どんな道を選ぶにしてもきっと正解でしょう」
「――――」
「私たちはあなたに是非中和者になって欲しい。偶然でも何でも中和のその先を考えられた他の誰でも無いあなたに」
真下を向き視線の先ではシーツを力強く握りしめ、弱々しく反論する。
「俺は弱い……」
「弱くてもあなたが良い」
恥ずかしいからか居たたまれないからか、何でかは分からないが男性とは目を合わせないように下を向きながら、否定を重ねる。
「俺は血能が使えない……」
「使えなくても妻を救った」
上を向き溢れてくる無尽蔵な涙がこぼれないようにしながら、まだ否を唱える。
「俺には個性が無い」
「あなたが選んだその全てが個性だ」
いよいよ涙で世界が溶けて見えなくなり、絶え間なく嗚咽がこみ上げてきても、否定し続ける。
「意気地も持ってない」
「周りが傍観している中、そこに飛び込めた勇気がある」
もうすでに涙も嗚咽も鼻水もすべて我慢すること無く垂れ流し見苦しくも、否定する材料を探す。
「俺よりも凄い人が山ほどいる」
「あなたほど中和者に相応しい人は見たことが無い」
「――――ッ!!」
人目を憚らずに声をあげ哭く俺に、今まで抱えられていた赤ちゃんがおもむろにベッドに上ってきて、
「あうえてうれて、あいがと(助けてくれて、ありがと)」
みっともなく泣いている俺の頭に、短い手を懸命に伸ばし撫でながらそう口にした。