第9色 ヤンキー
間近で見るとより圧倒される威圧感に恐れ戦きながら校内に入ると、そこはあの魔法学校のような外観から予想される通り、天井がこんなに必要かと疑問に思うほど高く、廊下も複雑な構造をしているのが見て取れた。
しかし、一つだけ違う点があった。あの石造りの魔法学校よりももっと近代的で、材質は今一何か分からないが、それよりもとにかく丈夫そうな感じがする。
「―――――」
教室に行け、と言われたは良いものの、肝心なその教室の場所を教えられなかったため、心の中で着流しに悪態を吐きつつも、しばらくだだっ広い校内を気の向くままにうろちょろと歩き回っていた。
すると、男性が遠くの方から俺を見つけるや否や、こちらに向かって歩いてきて、
「君が七野自由くんだね」
着流しよりもサッパリとした赤――赤橙色の髪で、ぴしっとスーツを着こなした真面目そうな男性が、声を掛けてきた。
街中であらゆる方向から刺さる視線は、好奇な動物を見るようなそれとほぼ同質の物だ。
しかし、目の前にいる男性はそれとは全く異なり、実際には寄ってくる途中に白い髪を見たのだろうが、髪色など一つも気にしていないようなそんな様子だった。
「はい、そうですけど……」
そのため、俺がいつもとは全く違う扱いに少しだけ狼狽えながらも答えると、男性はパッと花が咲いたように真面目そうな顔を崩し、笑顔を見せる。
「やっぱり君がか! 両親そっくりで凜々しい顔立ちをしているよ」
「――父さんと母さんを知ってんのか!?」
今までも身内の口からでしか中々出ることが無かったため、他人との関わり合いで出るとは思いもしなかった両親というワードに、一も二も無く飛びつく。
こうして親のことを知りたいのは、どれだけ調べてもその姿や形が欠片も掴めなく、唯一の息子である俺にも身内からは何も聞かされていないからだ。
聞かされていることは殉死したのと、中和者として優秀だった、この二つだけだ。
そんな気持ちから一瞬で食い付いた俺に、男性は優しく微笑み頷く。
「もちろん知っているとも。何せ二人とは同期ですから」
「早く教えろ! 父さんはどんな人だった? 母さんは?」
興味と言うよりはむしろ使命に近い感情だっただろう、俺は先ほどよりも更に男性に詰め寄った。その距離は顔と顔の距離は目と鼻の先まで近付き、男性は俺の肩に手を押しやりながら困ったような表情になる。
そして、視界に入った時計をチラッと確認すると、眉の下がった困り顔は更に深まった。
「と、とりあえず時間が迫っているから! ま、また後で、で良いかな?」
「おい、ふざけっ――いや、はい……」
「聞き分けが良い子は好きだよ。それじゃ、行こうか」
両親の事について知りたい気持ちは何よりも高かったが、編入初日に問題を起こす事に加え、この男性がもし俺に嫌悪感や忌避感を抱いたらなどのこれからの事、この二つを天秤に乗せ、片方に強引に手を加えた結果、ほんの数ミリ後者に傾いた気がしたので、ひとまずは付き従うことにした。
「ああ……」
「今日からここが君が学ぶ教室だ」
五分ほど迷路のような複雑な校内を歩いてようやく立ち止まったかと思えば、中からあり得ないほど爆音で声が聞こえる教室の前に辿り着いた。
黒組と組の札が掛けられたその場所は、結構な距離離れている時から喧噪が漏れ、ここだけはどうか止めてくれと願っていた場所でもあり、自由は編入初日から文字通り気持ちがブルーを通り越し、ブラックになるほど憂鬱さを全開にしていた。
「そう、落ち込まなくても……ちょっと――いや……結構――いいや……相当騒がしいけど、みんな良い子だからさ」
「はあ」
これは深いため息に乗せるように空返事を同時にしたため、こんな感じになった。
「じゃあ、僕が呼んだら教室に入ってきてね。軽く自己紹介して貰うから」
「分かりました」
そんな重苦しい雰囲気を少しも隠そうともしない自由に、男性は苦笑いをする他無く、そのままの表情で教室に入っていった。
男性がドアを開けた瞬間、あらゆる災いが詰まっているパンドラの箱、もしくは臭い物に蓋をしていたがそれらを開け放ってしまったかのように、騒がしさという名の災いや臭気が漏れ出てきた。
それ故に自由は、これ以上下がることは無いだろうと思っていた肩が、より一層下がる思いを感じた。
そんな事を思いながら廊下で待っていると、人影がゆっくりとこちらに向かって歩いてきているのが遠目に見えた。
「誰だ……?」
遠くから来るそいつはポケットに手を突っ込み歩きづらいほど前傾姿勢で歩いており、それはもう絵に描いたようなヤンキーだった。
対してそれを見ている俺は、迂闊に関わってはいけないと脳が警鐘を鳴らしていたが、一直線に教室がずらりと並んだこの廊下で隠れるところなどは一切無く、教室の中に呼ばれた時に居ないのでは男性の気を損ねる可能性があると思い、その場に止まるしか無い。
どこか違う教室で曲がってくれないかなと一縷の望みに縋るも、何となくこの教室だろうなという嫌な予感はしていた。
「ああ? オマエ誰だー? 見ねー顔だな」
案の定そのままのヤンキー歩きの姿勢で話し掛けられるほど近付いてきて、俺は確信した――こいつやっぱりヤンキーだ、と。
「あ、いや。俺今日からこの組に編入するんだが……」
俺の人生の登場人物はほとんど赤髪になるかもしれないと思うほど、着流しと言い、先程の男性と言い、このヤンキーもまたしても赤い系統の髪色だった。
着流しよりも少しだけ淡く、先ほどの男性よりも濃い――茜色だった。
「知らね―な」
「まあそうだよな……」
「自由くん、入ってきてー」
ヤンキーとの会話がお互い二言で終わってしまい、謎の睨み合いらしきもの、というか一方的に睨まれるという理不尽が始まった所で、タイミング良く中から俺の名前が呼ばれた。
「じゃあ、俺中に入って自己紹介しなくちゃいけないんで」
「お先に」と声を掛けそそくさと逃げるように教室に入ろうとした瞬間、横から腕をあり得ない力で引っ張られる。
「――ッ!?」
「ちょっと待てよ!! オレがまだ話してんだろーが!!」
このヤンキーは一言も言葉を発していなかったが、ここで揉めても良い方向に転がることは絶対に無いだろうと思い、不服に思わなくもないがとりあえず謝る。
「ごめんごめん、でも、俺呼ばれたからさ。とりあえずこの手離してくれない?」
三十六計逃げるにしかずを思い出し、腕を力尽くで引き抜こうとしたが、それが余計に火に油を注ぐこととなってしまった。
「だから、オレが話してんだろ! 話している人の目はちゃんと見ないといけねーって教わんなかったか? おい!!」
見た目ただのヤンキーの割には意外とまともなことを言ったのだが、何故だかそれが逆にむかついてしまい、飛び火を喰らったが最後、お互いがお互いの火に油を注いでどんどんとヒートアップしていく。
「俺が返した時お前何も言ってこないで、睨みつけてきやがったじゃねーか!」
「うるせー! 話してたって言ったら話してたんだよ!!」
「訳わかんなすぎだろ! 何言ってるのかちゃんと考えてから喋りやがれ!!」
「考えんのは苦手なんだよ! 大体こんなところに部外者が突っ立ってるんじゃねーよ!!」
「――――」
「――――」
お互い小学生のような無茶苦茶なことを言って無限に続くか、と思われた口論という名の罵倒の仕合いに、それ以上に怒りを持った者によって終止符が打たれる。
「き・み・た・ち」
罵倒し合っていた二人はピタリと言い合いを止め、二人ぐらいの火力など余裕で消化できそうなほど冷えた声がした方に向かって重い首をゆっくりと動かしながら、仲良く同時に見る。
「仲良くしろ!!!!!!!!!!」
この日初めて、温厚で優しいと評判の2年黒組の担任――赤木戸 登の怒号が、だだっ広い校内どころかそれらを突き抜け、校外の果てしない場所まで響いたという。