第95話 勇者舐めんな
夜も更けきった王都近郊の平原。
月は無く、無数の星が鏤められた空に、大きな島が浮かんでいる。
上空を守護していた飛竜部隊や、地表を守護していたトランポリン部隊の姿は無く。
そこいるのは、限りない星々が照らす二人の男だけ。
「お~! やっとるやっとる!」
「おー……」
幼女魔王コロラと、その姪ヴィオラの視線の先。
老人オレゴンと剣聖イチノセが、鋭い目で睨み合っていた。
「いや、めっちゃ決闘してるじゃん……」と、僕が言葉を漏らす。
そんな僕たちは、たった今、コロラさんの助けによって、王都アセトンから脱出してきたところである。
アセトン郊外――遠くまで広がる平原には、大きなトランポリンが、無造作に、いくつか置き忘れられている。
しかし、そこら中に兵士がバタバタと倒れているわけではないので、恐らく部隊の人たちは、僕たちが来るまでの間に、一人残らず撤退してしまったのだろう。
邪魔者の入らない、一対一の勝負。
それは模擬戦や練習試合などではない。
真剣。待ったなし。正しく命のやりとりだった。
地面を踏み込む、乾いた足音。
その直後、イチノセが鬼気迫る表情で、大剣を振るう。
オレゴンは、白く、ときに黄色く発光するオーラを帯びた杖で、それを軽くいなす。
誰の目でも判断できる――
「凄いです……」
「やっぱり二人とも凄いんだね……」
と、姫騎士の二人、コルネットさんとクラリィが驚いている。
そこに――
「むにゃぁ……。まだ食べられるよう……」
と、夢の中にいて、未だ満腹の兆しが見えないレト。
彼女は今、コルネットさんの背中で安眠している。
僕の極少の体力が底を突いてしまったので、ついさっきコルネットさんに交代してもらったばかりなのだ。
普段使わない筋肉……否、身体の隅々から悲鳴が聞こえ始めて久しいし、痛いという感覚など疾うの昔に麻痺しているので、許されるなら僕もコルネットさんの羽の間で眠りにつきたい。
最悪、レトの背中でもいい。
そんな旺盛な睡眠欲求を持て余していると、傍観している僕たちの気配を察知したのか。
「おぉ、そちらは無事終わったみたいだね。それでは魔王城に帰りますか」
あっけらかんとした様子で、こちらを余所見し出すオレゴン。
そのまだまだ余裕の窺える彼の語り口調に、気分を害したかのように。
「ご老人! 戦いはまだ終わっていないっ!」
と、イチノセが声を荒げ、猛攻を加える。
次々に放たれる剣技の数々。
そのスピードが、どんどん加速していく。
命を奪おうとする鋭い一閃一閃。
それを、オレゴンは、丁寧に最小限の動きで躱し。
刺突で伸びたイチノセの腕。そのわずかな隙を掻い潜って、杖を構えた。
「最強への情熱は認める……が、まだ完全では無いな」
そして、一撃。
そう。それは、たった一撃で決まった。
フルスイング。
場外ホームラン並みに、イチノセを遠くまで吹き飛ばしたオレゴンの姿に、僕はどこか言いようのない既視感を覚えた。
「なんじゃありゃ。ワシの真似かぁ?」
オレゴンのキレのあるバッティングフォームを見て、コロラさんが呆れている。
「遊びは終わりだ」と、オレゴンの渋く嗄れた声。
ちょうど、空に浮かぶ島アッシュランドの真下。
平原に、ぐったりと横たわっているイチノセ。
あれを技と呼んでいいのかは、非常に怪しいところではある。
ただ、『憤怒殺し』と誤解されている勇者オレゴンの真価は、垣間見えた気がした。
すると突然、オレゴンが面倒臭そうにイチノセの方を振り返った。
そこにいたのは、むくりと起き上がったイチノセ。
しかし、どこかその様子がおかしい。
野獣のような呻き声。
口元からは、理性を失ったモンスターの如く、涎が垂れている。
何故か急激に筋肉が発達してしまったようで、元の姿と比べると、体格が一回りも二回りも肥大して見える。
加えて、その化け物染みた身体の周りには、不気味な黒い靄が纏わりついているのが分かった。
その靄は、彼の右手に握られた大剣から、溢れるように生み出されている。
そう言えば、あの大剣……。
妖刀って言われてたっけ……。
「ハハハ! 妖刀に飲まれよったわい! あぁなっては、もうダメじゃなぁ!」
と笑う、冷静というか、冷酷というか、冷徹なコロラさん。
「全く……。迷惑な……」
そう言ってオレゴンは、再び闘志を漲らせた。
射るような眼差しで、異形のモンスターと化したイチノセを睨むオレゴン。
きっともう、彼の瞳には、かつての剣聖イチノセの姿は映っていないだろう。
イチノセだった化け物は、バネを絞るように、ググっと両脚を縮め。
杖にオーラを纏わせているオレゴンに向かって猛進。
恐ろしいスピードのまま、妖刀で斬り掛かった。
オレゴンは杖を前にし、それを正面から受け止める。
あまりの衝撃の強さに、平原の地面が抉れ、踏ん張っていた老人の細い足が、ズザザと音を立て後退する。
「オ……オマエ、コノ身体ヨリ……強ソウダナ……。オレガ奪ッテヤル……」
妖刀の化け物が、自らの憑代であるイチノセを卑下し、オレゴンの老いた身体を乗っ取る宣言をした。
「名も無き妖刀風情が偉そうだな。その呪い、儂が断ち切ってあげよう」
それに対して、少しも怯むことのない老人オレゴン。
しかし、強気にそう言い放った瞬間、オレゴンが吹き飛ばされた。
「オレゴンは、あのモヤモヤのことを忘れておったみたいじゃのう。油断しよってからに」
と、すっかり観戦模様のコロラさん。
彼女が言うには、どうやら拮抗していたイチノセの肉体部分ではなく、夜闇に紛れた黒い靄がオレゴンに影響を及ぼしたようだ。
「ただの直線番長というわけではないみたいだな」
と、オレゴンは、服に付いた土を払いながら起き上がった。
そして、相手をしっかりと見据えると。
今度は一転、オレゴンが攻勢に。
イチノセの身体から噴き出ている夥しい数の黒い靄を見極め、スルスルと本体へ近づく。
ただ、数が多すぎて、避け切れなかった部分に擦過傷に似たダメージを受けているようだ。
少し時間が経っているとはいえ、魔王コロラさんとの連戦。
流石の勇者でも……。
「オマエノ身体、奪ウ……。ソシテ、俺ハ最強ニナル……」
化け物の放った大振りの剣技を、頼りない杖一本で受け止める老人オレゴン。
そして、オレゴンの動きが止まったところを、再度襲い掛かる黒い靄。
化け物の目と鼻の先まで来て、オレゴンは完全に靄に包まれてしまった。
平原に、嫌な静寂が訪れる。
そのとき――
「奥義……“陽炎”!!」
目を覆いたくなるような強い白色光。
その閃きによって黒い靄が爆ぜ、雲散霧消してしまった。
「馬鹿ナ……!?」
驚愕と動揺が隠し切れない化け物。
「勇者舐めんな」
と、眉間に皺を寄せている勇者オレゴン。
これは完全にオレゴンの間合いに入った、と僕が思った、そのときだった。
「拘束魔法ッ!」
オレゴンが“気を付け”の状態で動きを封じられる。
何が起きた!? と、僕が振り返ると。
そこには、ボロボロの姿で、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたドネオが立っていた。
お読み頂き誠にありがとうございます。気に入って頂けていたら嬉しく存じます。
次話、『第96話 オトコ同士、ユージョ―の証』は、明後日(1月9日)の投稿となります。
引き続きお楽しみ頂けたら幸いに存じます。




