第86話 老人が招く混乱
気配もなく、突如ヴィオラの隣に現れた老人に、この場にいる全員の視線が集まる。
つるつるの頭に、仙人のように長く伸びた白髭。
白い着流しに痩せた身体を包んでいる。
特に敵意は感じられないものの、こちらに対して全く隙の無い立ち振る舞い。
仮に、この老人が『憤怒殺し』であるならば。
目の前の存在は、すでに百歳を超えているということになる。
先程まで、目を伏せ、神経を研ぎ澄ませていたイチノセが、一転。
目を見開き、信じられないといった表情で、「ご老人、かなりの手練れとお見受けする。今一つ、立ち合い願えないだろうか」と、丁寧に挑戦を申し立てた。
強さへの執着、凄っ。
と、僕が感心していると――
「儂のように気配を完全に消せる者もいることを覚えておきなさい。視覚に頼ることは、弱さではないよ。あと、妖刀を使うなとは言わないが、くれぐれもその力に溺れないように」
老人はまるで弟子を教えるように言い、イチノセの試合要請にその許否を示さなかった。
えぇ……。あの大剣って妖刀だったんだ……。
新事実に驚き、大剣をもう一度見ようと、僕がイチノセの方を窺うと。
イチノセは、その場を一歩も動けずにいる様子だったが、老人の出している圧倒的な存在感に敵愾心を燃やしているのが犇々と伝わってきた。
それに比べ、ドネオなんて天使の羽を閉じ、完全に気配を消してしまっている。
それどころか、クラリィとコルネットさんの陰に、ひっそりと隠れている。卑怯。
すると、ヴィオラが探偵モードのまま――
「ねぇねぇ、お爺さん。お爺さんは、本気で私たちに雷魔法を浴びせようとは思ってなかったでしょ?」
さっきヴィオラが言っていた、誘い込まれた可能性の話だろうか。
僕たちがアッシュランドに上陸して、まだそんなに時間が経っていないというのに、老人に僕たちの居場所が突き止められているということは、その可能性が高いのかもしれない。
しかし、ニトロの最後尾にいた僕だけは、しっかりと雷魔法を浴びている。
これは何かの手違いかな?
僕は、そんなことを考えながら、稲妻に焦がされた部分――プリケツの一部をそっと撫でつつ、次に何が起こるのか、と一層警戒を強めた。
「お嬢ちゃんは、勘が鋭いようだね。確かに、儂は侵入を許す者と許さない者とを篩にかけていた」
「じゃあ、私たちは、アッシュランドに上陸してもいい、ってみなされたってこと?」
「あぁ。天使族の一行は是非とも招待したい、と言われているからね」
……招待したい、と言われている?
この島に住んでいるのは、元英雄である『憤怒殺し』一人じゃなかったのか?
どうやらヴィオラも、その点が引っ掛かったようだ。
ヴィオラは老人に臆することなく、「お爺さんは『憤怒殺し』なの? それとも、この島には、まだ他に誰かいるの?」と、矢継ぎ早に質問攻撃を加えた。
それを受けて、老人は――
「儂は、『憤怒殺し』であるとも言えるし、一方で『憤怒殺し』でないとも言える」
と、人が良さそうに微笑みながら、不思議な返答。
う~ん、哲学。
しかし、老人は人を怯ます達人の雰囲気を纏っているものの、どうやら思っていたほど凶悪な人物ではないようにも見える。
前情報で作り上げられていた『憤怒殺し』のイメージは、怒り狂う魔王をたった一人で討伐した勇者が世界の敵に回った、といったものだったから、余計にそう感じるのかもしれない。
「まぁ、とにかく。今から君たちを、あそこの魔王城まで招待したい。城に来れば自ずと理解できるだろう」
そこでゆっくりと話をしようじゃないか、と僕たちを見渡し、老人が提案してきた。
「どうしよう、スロー」
ヴィオラが、老人の提案を受け入れるべきかどうか、僕に意見を求めてきたので――
「ええっと、勝手に侵入しておいて非常に恐縮なんですが、僕たちの安全は保障されるの?」
と、僕は老人に確認しておきたいことを尋ねた。
それに対し、老人は一言。
「君たちは、天使族みたいだから大丈夫だろう」
……。
じゃあ、ダメじゃん!
取り敢えず、イチノセは、自分でなんとかしてもらうとして。
僕とヴィオラとピクリンさんは、すっかり、ばっちり、こってり人間族だけど?
あと、天使族のドネオがこの中で一番安心した顔をしているのが腹立つ。
しかし、ヴィオラ。
彼女は天界城での暮らしが長かった弊害か。
「じゃあ、安心だね!」と、自分が天使族だと勘違いしている様子。
というか、なんだか和気藹々と会話をしているけれど。
よく考えたら。……いや、よく考えなくても、僕たちが今置かれている状況というのは、いわゆる最悪の状況というやつなんじゃないか?
「先程も言ったが、城の主がとても会いたがっているからね」
「そっか! じゃあ、早く行ってあげないとだね!」
そう老人に、気さくに接するヴィオラ。
彼女は人懐っこいのか、豪胆なのか、天才にありがちな感じなのか。
もう僕は分からなくなってきている。
「あの……城の主って、お爺さんじゃないの? 僕はそう聞いてたけど……」
と、僕は、混迷極まる頭で、気になっていたことを老人に問いかけると――
「城の主は、儂ではないよ」
「そうだよ、スロー。お爺さんなわけないじゃない」
えっ? 何?
僕が分かってないだけ?
ヴィオラ、もう何か分かったの?
それはちょっと名探偵すぎない?
「魔王だ」
「魔王さんだよ?」
老人とヴィオラ。息ぴったりの二人を見ていると。
もしかして、これは夢なんじゃないか!?
三度寝とか四度寝の間に見る、割とリアル目なやつ!
そう、これは夢だ! 間違いない!
敢えて今は、ほっぺたを抓らないでおくけどさ!
そんな夢現の状態に陥る、只今絶賛混乱中の僕なのであった。
お読み頂き、誠にありがとうございます。
気に入って頂けていたら嬉しく存じます。
次話、『第87話 スロー、魔王城にて省エネを意識』は、明後日の朝、午前中の投稿となります。
引き続きお楽しみ頂けたら幸いに存じます。
【お知らせ】
現在、隔日で投稿している本作ですが、12月29日~1月5日まで、毎日投稿しようと考えております。
年末年始、ご多忙のところ誠に恐縮に存じますが、お付き合い頂きたくお願い申し上げます。




