第80話 剣聖とエセ堕天使
日が暮れたら、人など寄り付きそうもない雑木林の奥地。
不自然に一部だけ切り拓かれたところに、それは待機していた。
ピクリンさんに率いられ、林を抜けた僕たちの目に飛び込んできたもの。
それは、信じられないくらいに大きく育った一匹の飛竜だった。
「デカいっ!」と、僕は思わず声を上げる。
「大きいだろう? こいつは飛竜の上位種のハイ・ワイバーンで、名前はニトロっていうんだ。うちで飼ってる中で、多分一番大きい竜じゃないかな」
ハイ・ワイバーンのニトロは、通常の飛竜よりも身体の色が濃く、ほとんど黒に近い深緑色の肌をしている。
サイズも、一回り。いや、二回り以上は大きく見える。
そして、大の大人が何人も乗れそうな背中から突き出た巨大な翼の間には、縦一列にいくつかの鞍が装備されていた。
「みんなを一度に乗せないといけないからな!」
ピクリンさんはそう言って、着ている黒ビキニがはち切れそうなくらい胸を張った。
「おぉ、そいつらか。ピクリンの言ってた客人っていうのは」
そう言って、ニトロの陰から、左右に薄着の女性を侍らせた男が姿を現した。
「あぁ、ドネオ。お前と同じ、天界からの旅人なんだ。案外、知り合いがいたりするかもな」
ドネオと呼ばれた長髪の男が、艶の無い黄色の髪の毛を掻き上げている。
ド派手な黄色一色のスーツの胸元に、これまたド派手な柄シャツ。
背中に天使の白い羽が生えているのが窺える。
「今日は、よろしく。ドネオさんも天使なんだね」
僕が、その天使族の男に声を掛けると。
「あ~、天界からの旅人? てめぇ、どう見たって人間族じゃねぇか。天界とどういった関係があんだ? あ~ん?」
「まぁ、色々事情がありまして……」
あ~ん? と凄まれましても……。
そう思いながらも、全く怖く感じられないのは、その男性から滲み出ているオーラのせい。
「キャー! ドネオさま、格好いいーー!」
「ドネオさま、ワイルド!」
「当ったりめぇよ。なんたって俺は、天界から自主的に堕天してきた天使族の異端児なんだからな」
やたらと説明的な口調で天使族の威厳を振りかざし、左右にハーレムを築いていたとしても、決して拭いきれない小物臭。
「おおっ! そっちに人間族の可愛い子ちゃんたちがいっぱい! 俺は天使族なんだぜ? どうだ、俺の愛人にならねぇか?」
眠っているレト。
レトをおんぶしているヴィオラ。
黒いローブと、小さなバックパックで、ちょうど天使の羽が隠れているクラリィ。
ドネオは、彼女たち三人をいやらしく舐め回すように見て、ニヤニヤと笑いながら、どこまでも失礼な発言をした。
すると、僕の背後に隠れるようにしていたコルネットさんが――
「ドネオさん、地上に降りてきても相変わらずなんですね……」
「あ~ん? その声……。やっぱりコルネットじゃないか! なんだぁ? 寂しくなって、わざわざ地上まで俺に会いに来たのか?」
「違います!」
コルネットさんは、ドネオの自意識過剰な発言に、はっきりとした態度で応じた。
先程、ピクリンさんから“ドネオ”という名前を聞かされ、露骨に嫌そうな顔をしたコルネットさん。
過去、二人の間に何かあったのだろうか。
「コルネットさん、あの人と昔、友達だったんですか?」と、僕が尋ねる。
「いいえ。彼とは、私が天界城で雇われる前、住んでいた村が一緒だっただけです……」
「そりゃないぜ、コルネット! 俺とお前の仲じゃないか!」
と、ドネオが笑みを浮かべ続けたまま、コルネットさんに話しかける。
「彼は昔からあんな調子で……。私とは、本当に何もないんです……」
悲しそうな声で、コルネットさんが呟いた。
「おい、そこの小僧。俺とコルネットはなぁ、昔、デキてたんだぜ?」
「コルネットさんが否定してるじゃん。もう止めなよ、そういう嘘」
「いや、デキてただけじゃねぇ! 爛れた仲だ、爛れた仲! こいつはなぁ、俺との間に……子供もいるんだぜ?」
「子供……?」
頭では虚言と分かっていても動揺が隠し切れない僕を見て、ギャハハと汚く笑うドネオ。
いや~ん、と同調して笑う取り巻きの女性たち。
「スローくん、あれも嘘ですからね」
その言葉を聞いて平静を取り戻した僕に、コルネットさんが顔を寄せ――
「だって、私……。スローくん以外の男の人に、指一本触れさせたことないですから……」
と、はにかみながら耳打ち。耳にかかるコルネットさんの吐息。
その言い方には少しだけ……。
いや、かなり語弊があるけど、ちょっとドキッとした僕。
「あ~ん? なんだって? 指一本触れさせたことないだぁ~? 俺と愛し合うために、生娘のままでいたとはなぁ~。結構、結構」
ドネオが向こうで、好き勝手何か言っている。
キモい。ただひたすらにキモい。
そして、ちょっと怖い。
ドネオは、間違いなく関わらない方がいいタイプの存在だ。
「もう放っときましょ、コルネットさん。誰も信じませんから、あんなやつの言葉」
「はい……」
ドネオと距離を置くため、僕たちはニトロの向こう側へ。
そこには一人乗り用の飛竜が二匹と、切り株に腰掛け、静かに目を伏せている剣士がいた。
彼が、きっと剣聖……。
「そろそろ出発だろうか」
こちらを見ず、僕たちの気配だけを察知し、そう言う剣聖。
ドネオとは違い、大物臭が凄い。
見た目は30歳前後だろうか。短髪で黒髪。
筋肉質でがっしりとした体格なのに、隙がない雰囲気。
そして背中に、大人一人くらいの大きさもある大剣。
特に凝った装飾はなされていないが、その研ぎ澄まされた黒い刃は名刀を感じさせる。
「ドネオが失礼なことを言っていたみたいだね。済まない」
「いえいえ。お気になさらず」
その圧倒的なオーラに、思わず僕は恐縮してしまった。
「こいつはイチノセ。一言で言うと、めっちゃ強い。アセトニド王国最強の剣士で、剣聖とも呼ばれている」
「最強を目指してはいるが、私なんて、まだまだ未熟だよ」
ピクリンさんに、最強の剣聖と紹介されたイチノセ。
彼は、謙遜しながら、伏せていた目を開いた。
「イチノセ、行けるか?」
「私は、いつでも」
剣聖イチノセが、ピクリンさんにそう返答して、切り株からゆっくりと立ち上がると――
大型のニトロと、一般的なサイズの二匹の飛竜たちが嘶いた。
僕たちのフライトの準備が、始まろうとしていた。
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次話、『第81話 バインバイン』は、明後日の朝、午前中の投稿となります。
引き続きお楽しみ頂けたら幸いに存じます。




