第70話 色欲の厄災を止めるということ
……大昔に性欲を失った?
さらっととんでもないことを暴露する目の前の美しい青年。
「えっ? リオンくん、大昔って歳じゃないでしょ?」
「いや。僕はもう、とっくに百歳を超えているんだよ」
「百歳!? リオンく……リオンさんって何者なの? エルフ族とか?」
見た目では信じられないくらい年上だと知って、咄嗟に敬称を“さん”に変えたけど、特に敬語は使っていないままということに、僕は質問をしてから気が付いた。
「ハハハッ。リオンって呼び捨てでもいいくらいなのに。僕は普通の人間。人より魔道具に依存している割合が、ちょっと大きいだけのね」
リオンさんはそう答えて、美形極まる顔から素敵ウインクを放った。
これはきっと、女性に対しては、まさに殺人的な威力を持つことだろう。
「話せば少し長くなるんだけど、暇つぶしだと思って聞いてくれないかな」
リオンさんは明るくそう言ったものの、少し俯き加減。
彼には何か暗い過去があったのだろうか。
「その……。僕なんかで宜しければ、聞かせていただきます……」
なんで敬語なの、と微笑を浮かべ、少し表情が明るくなったリオンさん。
気を取り直したのか、ポツポツと過去を語り始めた。
「スローくんは、『色欲』という厄災を知っているかい?」
「はい、知ってます」
天界城で資料を見たことがある。
確か百年前、周囲の生物を強制的に発情させるという魔道具が暴走。
そして、その効果範囲が徐々に拡大していくといった厄災だったはず。
「なら話が早い。それを破壊したのは、僕だ」
「えっ? じゃあリオンさんって、元英雄……」
しまった。今のは失言だった。
元英雄とは、七つの厄災を防いだ後、各々の理由により暴走し始めた英雄の蔑称だったから。
「そうだよ。僕が元英雄の一人、『色欲壊し』だ」
「すいません、元英雄って、失礼でした」
「いいんだよ。近頃、僕が暴れ回っているのは本当だからね」
そう言うリオンさんのハンサムスマイルに、少し鋭さが加わった気がするのは……気のせいだろうか?
「百年前、脳の性欲を司る部分を外科手術的な魔法で消されてしまって。まぁ、『色欲』の厄災を止めれたのは良かったんだけど、子供を儲けられなくなったせいで、当時の婚約者からは別れを切り出されるわ。英雄ということで顔が周知されてしまっていたから、どこへ行っても同情や憐憫の目で見られるわ。なんなら嘲笑に曝されるわで。僕は長い間、なるべく目立たないようにして生きてきたんだ」
「そうだったんですね……」
「その隠遁生活の中で、どうにか元の自分に戻れないかと色々試してみたんだけど、全部ダメで。僕は、医療や魔法の進歩に賭けることにして、身体のあらゆる部分を魔道具に置き換えたり、身体の中に魔道具を埋め込んだりして、延命を図ることにしたんだよ」
「なるほど。それで今でもお若いんですね、当時の姿のまま」
リオンさんの若々しい肉体には、全ての生物にかかっている“老い”という呪いの影響は、どこにも見ることができない。
しかし、どうしてリオンさんは今になって暴れ回るようになってしまったのか。
僕が神妙な面持ちで、リオンさんの顔を眺め続けていると。
「つまらない百年だった。人間の三大欲求の一つが失われるだけで、こんなにも色褪せた毎日が続くとは思いもしなかった。もし分かっていたら、『色欲』の破壊になんて志願しなかったさ」
「大変だったんですね……」
僕には、堕落させるスキルがあるというだけで、戦闘能力が一切備わっていない。
なので、僕は、なるべく波風を立てないように、慎重に慎重に、毒にも薬にもならぬ返答を心掛けた。
「あぁ、大変だったよ」
リオンさんはそう言うと、遺跡の天井を仰いだ。
もう知らない内に夜になっていて。
天井の吹き抜けから、夜闇に浮かぶ、彩度の高いピンク色の月が見えた。
さっきよりも月の光が鮮やかになっている。
「ただね……。数年前、僕に希望の光が射したんだ」と、恍惚の表情のリオンさん。
「希望の光?」
「そうさ! ある日、気がついたら、僕は知らない小屋の中で機械の椅子に繋がれていて」
機械の椅子? どこかで聞いたことがある……。
まさか……。
「あれは本当に、天使のように美しい少女だったよ。彼女がその機械仕掛けの椅子で、僕に至上の快楽をくれたんだ! 絶頂なんてもんじゃなかった! まさに天国にいる気分だった!」
両腕を広げ、かなり興奮した様子で、そのときのことを説明する『色欲壊し』。
彼が出会った少女。
間違いない。
それは、僕たちの旅の目的である――
「これが『嫉妬』の厄災だと気付いたのは、しばらく経ってからだったよ。だって、とっくに鎮圧されていたはずの『嫉妬』の厄災が、復活していたなんて知らなかったからね。ただ、今思うと、すぐ気が付くべきだった。『椅子に座り直すか、私を殺すか』なんて選択を迫られたんだから」
「それで……その選択は、どうしたんですか?」
「ハハハッ、迷わず彼女を殺したさ。まぁ、『嫉妬』は殺しても死なない厄災だけどね」
彼のハンサムスマイルは、もう僕の目には魅力的なものに映らない。
「あの絶頂! あの圧倒的快楽! 性欲とは無縁だった脳に与えられた衝撃! 僕は自分の脳が正常に戻ったんじゃないかと思って、急いで性の臭いがする場所を巡って、自分を試すことにしたのさ」
それで、今回。わざと桃目に捕まるようなことをしたのか。
「けど、今のところ賭けには負けっぱなし。これは自分でも分かっていることなんだけど、あの快楽を知ってしまってから、どうしても性欲に溺れる者に対する嫉妬心が消えなくてねぇ。ダメだと分かっていても、自分だけが不遇だと思うと、つい破壊したくなってしまうんだ」
「はぁ、そうなんですか……」
「オークたちの繁殖地を見学させてもらったときなんて酷いものさ。途中で気分が悪くなったからその山全部、魔道具で消し飛ばしちゃったよ!」
楽しそうに思い出を語るリオンさん。
静かに暮らす英雄だったはずの彼が、元英雄に堕ちてしまった原因。
それが、『嫉妬』の厄災にあったなんて……。
「けど、『嫉妬』が攫うのは、配偶者のいる男性だったような?」
「まぁね。地味な生活を続けていても、百年も生きていれば書面上、法律上の妻くらいはできるよ。ただ、僕がこんなだからね。実質的に夫婦生活は長続きはしない。あくまで形式的な配偶者さ」
「その配偶者さんに会いたいとは思わないんですか?」
「全く思わないね。できるなら、僕はもう一度、あの少女に会いたい……」
リオンさんがそう呟いた瞬間――
「あら、それは私たちじゃダメなのかしら?」
目が眩むようなショッキングピンクの輝き。
開かれた遺跡の扉の向こうに、夥しい数の双眸が浮かんでいた。
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次話、『第71話 浮かぶ月、儀式の夜』は、明日の夜頃の投稿となります。
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