第56話 原初の記憶は、縫いぐるみと共に
禍々しい箱から勢いよく跳び出してきたのは、悪魔を模した縫いぐるみだった。
「キキキッ! 外だ! 出られた!」
と、甲高い声の縫いぐるみが、御者台の手すりに着地した。
顔には、ちゃんと口がついているようで、そこから牙が生えているのが窺える。
右目は、美しく輝く白色の貝ボタン。
左目は、まるで深淵を覗き込んでいるかのような漆黒の丸ボタン。
頭部から伸びたヤギのような角は、縫いぐるみに似つかわしくないリアルな質感を見せている。
身体全体は紫色の布でできているものの。
かつて破れてしまった部分なのだろうか、部分的に、箱の表面と同素材の光沢のない革が縫い付けられ、パッチワーク状になっている。
「わぁ、可愛い! ゴブリンさんの縫いぐるみかなぁ?」
「キキーーッ! オレをゴブリンなんかと一緒にするな!」
ニコニコ顔で嬉しがるヴィオラに対して、悪魔の縫いぐるみが両腕を振り上げて怒りだした。
「えっ? だって、ゴブリンさんと同じ鳴き声してたから……」
「……ギギギッ!」
変えた! 今、絶対鳴き声変えた!
明らかに濁点が加えられた声で、僕たちを威嚇する縫いぐるみ。
「ま、まぁまぁ。それじゃあ、キミは一体なんなの?」
僕は、その怒れる縫いぐるみを宥めすかすように、そっと尋ねた。
「オレの名前は、大悪魔ヘルサタンキングだ! 覚えとけ!」
「えっ、何? もう一回言って?」
「だから、オレの名前はデスキラーゴッドだ!」
さっきと違うじゃねーか!
「……本当の名前は?」
「真の名は、アンデッドオブザデッド!」
また変わった!?
っていうか、それどういう状態? 哲学?
「ヴィオラ……。この縫いぐるみ、まだ名前がないみたいだね」
「じゃあさ! 私たちが名前つけてあげようよ!」
「ギギーーッ! 勝手に決めるなぁーー! オレの名前は、ムキムキマッスルアメイジングだって言ってるだろーー!」
「う~ん、じゃあねぇ……」
「話を聞けぇーー!」
「ポチ!」
「オレが悪かったぁ! ちゃんとゴメンナサイするから、もっとカッチョイイのをお願い!」
「うん! ポチがいいかも!」
縫いぐるみの怒号や懇願にも臆することなく。
というか、それを完全に黙殺して、ヴィオラは頑なに命名権を譲ろうとしない。
大悪魔ポチ……。
ヴィオラさん、マジシンプルイズベスト……。
それに対し、ギギギィ~と、分かりやすい泣き真似をする悪魔の縫いぐるみ。
もちろん、ボタンでできたその目からは、涙など一粒も出ていない。
「じゃあさ、ヘルサタンキングの最初の部分をとって、ヘルサなんてどう?」
見かねた僕は、憐みの目をしながら、一種の折衷案を放り込んだ。
「ヘルサかぁ~! 私の考えてたポチとかゴブ太郎よりも良さそうかも!」
ヴィオラの腹案に、ゴブ太郎が増えてる……。
「ねぇ、キミ。ポチとゴブ太郎とヘルサ……」
「ヘルサ! ヘルサにする!」
僕の提案する究極の三択に、喰い気味の即答。
取り敢えずヘルサという呼び名が決まったが、依然としてその正体は分からないままである。
気になった僕が、「ヘルサはさぁ。なんでこの箱に閉じ込められてたの?」と、尋ねると。
「ちょっとフーインされてただけギギ! 全然モンダイナイよ!」
え……。ヤバい……。
もしかすると、僕は軽いノリで、開けちゃダメ系の強固な封印を堕落させてしまったのかもしれない。
「ギギギ……。久々の外だから、身体がニブってる気がするギギ……」
「もう鳴き声は、ギギギでいくことにしたの?」
「まずは準備運動がてら、このうるさいオトコを、コロすことにするギギ!」
「普通に怖い」
メルヘンチックな縫いぐるみの口から、僕に対して物騒な言葉が発せられるのと同時に。
パッチワークの隙間から、ヘルサの体長くらいある細長いナイフが取り出された。
どこに入っていたんだ、その大きさ……。
そんな疑問に脳の働きの全てを費やし、危機感のない僕。
その無防備な膝の上に、軽やかに跳び乗ってくるヘルサ。
次の瞬間――
「ズババーーッ!」
鋭く光るナイフ。
敢えて言葉にされた擬音が轟く御者台で、僕の腹部が切り裂かれた。
ゼロ話的な、遠い原初の記憶を遡って述べるとするならば。
僕の命の灯火は、再びここで消えてしまうのか?
またしても、「さよなら、みんな」なのか?
いつもお読み頂き、誠にありがとうございます。
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次話、『第57話 マンゾクッ!』は、明日の午後、夕方頃の投稿となります。
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