第50話 貴族的倦怠と怒れる腹の虫
風の涼しい夜に、満月が浮かんでいる。
正確には、満月に似た何かが、夜空に浮かんでいる。
ここは異世界。
宿屋の一室。
二階の窓からは、ライムラークの大通りを行き交う人々が見下ろせる。
それはちょうど、片肘をついて黄昏れるには絶好の窓際から。
魔獣の毛皮を頭から被った大男が闊歩している様子を、僕がなんとなく目で追っていたときのことだった。
「お待たせ~! 一番近い宿屋だったから、すぐ見つけられたよ」
と、ピクリンさんが、意気揚々と帰ってきた。
砦に向かって伸びていた長い列――まるで何かの討伐隊のように集められた戦闘員たち。
彼女は一人で、その正体を探りに行ってくれていたのだ。
「おかえり~。何か分かった?」
たった今、美しい装飾の施された扉を閉めたばかりのピクリンさんに対して。
貴族的というか、まるでワイングラスでも片手にしていてもおかしくないような、アンニュイな表情を保ったまま、僕はそう尋ねた。
「それがな。なんでも、この辺りに昔からあった遺跡が、最近ダンジョン化したらしいんだ。それで今、ライムラークには、冒険者だったり、ギルドの調査隊だったり、トレジャーハンターだったり、遺跡に住む珍しい魔物の素材を集めようとするやつだったり、耳聡いやつらがいろんな場所から集まってきてるんだって」
「へぇ~、ダンジョン化。じゃあ砦に並んでた列は……」
「ダンジョンの最深部に住み着いた主を仕留めて、名を揚げようとする傭兵志願者たちだ」
ダンジョン化した遺跡に金の匂いを嗅ぎつけ、一攫千金を狙う者たち。
というより、むしろこれが平常通りで、生活の一部となっている者もいることだろう。
この世界は、自分の身一つで、成り上がったり、生活していけたりするところなのかもしれない。
「そっかぁ。じゃあ、厄災とは関係無いみたいだね……」
と、ヴィオラが分かりやすく残念そうな表情をしている。
「残念だけど、そうみたいだなぁ~。なんなら、ちょっと寄り道してダンジョンに潜ってみるか? 宝を見つけて大金持ち的な!」
「う~ん……」
ピクリンさんの打診に、ヴィオラは目を伏せて悩んでいる。
そりゃそうだろう。
だって――
「お金の心配はいらないからなぁ……」と、ヴィオラ。
現在、彼女のお財布の中身は、無尽蔵を誇っている。
空よりも広く、海よりも深い。
天界城の国庫と密接に繋がっているはずなんだから。
たとえ、ヴィオラが旅先で爆買いを試み、天界城の財政を圧迫させたとしても。
きっとバス王は、娘可愛さに、それを許すことだろう。
なんなら、それで天界城が滅んでしまっても不問まである。
なんならライムラークの傭兵団を丸ごと買い取って、お宝を総取りしてしまえばいいのだ。
国宝レベルのSランク級防具を乱暴……いや、カジュアルに使いこなすヴィオラのことだ。
遺跡深くに隠された珍しいお宝も、誰よりも有意義に……。
僕が、そんな下世話なことを考えていると――
「まぁ、金の心配がないのは……。この部屋を見れば分かるわなぁ」
そう言って、部屋をぐるりと見回すピクリンさん。
そう。ここはデラックス・スイート。
この宿の中で、一番高価な部屋である。
「私たちが天界から来たって知ったら、急に女将さんがサービスしてくれたの!」と、ヴィオラが満面の笑み。
「ボクたちがお願いしたわけじゃないんだよ?」
「もしかして……。私の羽が高圧的だったのでしょうか……」
このスイートルーム内を探索していた天使族の二人が、向こうの部屋から戻ってきた。
「いやいや、ここ何部屋あるんだよ……」
と、一瞬だけ隣の寝室の覗いて、呆れながらも嬉しそうなピクリンさん。
ちなみに、寝室は4つ。ベッドは合計で8台あった。
豪華すぎて、逆に病むレベル。
僕たち一行は、五人旅だから。
三人くらいなら、うっかり体細胞分裂してしまっても大丈夫な計算だ。
そんなスライムみたいなメンバーはいないけれど。
そうこうしている内に。
僕の腹の虫が、「グギュンギュ!」と、不気味な怒鳴り声を上げた。
この宿に来る途中、屋台から漂ってくる美味しそうな香りを嗅いでからというもの。
あらかじめテーブルの上に用意されていたフルーツの盛り合わせでは鎮静化できないくらい、腹の虫が大興奮してしまっているのだ。
もう大激怒。体細胞分裂どころの騒ぎではない。
もうこの虫が『憤怒』の厄災かもしれない。
もうダメ。ほんと呪詛。抵抗するにはエネルギーが足りない。
「そろそろ晩御飯の買い出し行かない? 僕、お腹減っちゃった」
いつまでも、もうもうもうと泣き言は並べていられないので。
僕は、話の流れを晩御飯の方へ。
「あ~、私も行きたい~!」
「ボクも行く!」
「私も行きたいです」
ヴィオラ、クラリィ、コルネットさんの声が揃う。
みんな顔には出さなかっただけで、実はエネルギーが足りていなかったのかもしれない。
みんな、グギュンギュ?
しかし、そんな中――
「あ、あの、私は……。ちょっと長旅で疲れたみたいだから、先に部屋で休ませてもらうよ」
先程とは打って変わって、少々浮かない顔のピクリンさん。
「あら。体調が優れないのですか?」
「いや、少し休めば大丈夫! 私、みんなの荷物見てるからさぁ、コルネットも行ってきな?」
「……そうですか」
心配そうにしているコルネットさんも含めた僕たち四人は、ピクリンさんだけを部屋に残し、夜の町へ買い出しに向かうのだった。
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次話、『第51話 ピクリンさんの置手紙』は、明日の午後、夕方頃の投稿となります。
お楽しみいただけたら幸いに存じます。