第32話 胸騒ぎの朝
翌朝、僕が目を覚ましたとき、クラリィは僕の隣でスヤスヤと熟睡中だった。
もうこれは僕の日常の一部となってしまっているし、ヴィオラはというと、相変わらず、すでに僕のベッド脇の椅子に腰掛けていた。
唯一、いつもと違っていること。
それは――
「やっぱり復活しちゃったんだ……」
「ヴィオラ、おはよう。……あれ? ヴィオラ?」
「ん? あぁ! スロー、おはよう!」
いつもの天真爛漫なヴィオラではなく、彼女のぎこちない作り笑いに、どこか悲哀の影が差していたことである。
「あっ、その資料!」
昨晩、姫騎士ショナさんから借りた資料。
「七つの厄災」や「元英雄」の現状についてまとめられているものだ。
今、その内の一束が、ヴィオラの手の中にあった。
「ん~、ちょっと眺めてただけ」
しまった……。
姫騎士以外には口外禁止のはずなのに、テーブルの上に出しっぱなしで寝てしまっていた。
と、僕が内心焦っていると。
「スローはさ。自分がもしかしたら自分じゃないかもしれない、って思ったことある?」
ヴィオラが、静かにそう呟いた。
昨日の今日のことで声を呑んでしまい、僕は、ただ黙ってヴィオラの碧眼を見つめるしかなかった。
「……ごめん、なんでもない。私、もう行くね!」
そう言うと、ヴィオラは突然立ち上がり、部屋から出ていってしまった。
枕元のテーブルに積み上げられた資料の一番上。
そこには、先程まで彼女が読んでいたものが置かれている。
僕は、静かに寝息を立てているクラリィを起こさないように、ベッドから出て確認してみる。
「『嫉妬』の厄災……」
ヴィオラと何か関係があるのだろうか。
今まで僕に一度も見せたことのない悲しそうな表情。
「う~ん……」
「あぁ、クラリィ。ゴメン、起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫。今、出ていったのはヴィオラ?」
「うん。なんか、この資料を読んだ後、すぐ出ていっちゃった」
「資料?」
僕は、資料を手に取り、目覚めたばかりのクラリィに手渡した。
クラリィは、幼いながらも一応姫騎士団に所属しているので、読んでも大丈夫なはずだ。
ペラペラとページを捲るクラリィ。
そのとき、不意にその手が止まる。
「これ、『嫉妬』の厄災の資料だね……」
彼女の手元を後ろから覗き込んで、僕も内容を確かめた。
『嫉妬』は、百年前に打ち倒されたと考えられていた七つの厄災の一つである。
その現象としては、世界規模で発生した配偶者のいる男性の拉致及び監禁事件。
攫ってきた男性を、呪術の込められた機械仕掛けの椅子――通称「快楽椅子」座らせ、直接その脳に史上の快感を与えた後、再び立ち上がらせ、妻のもとへ帰るか、椅子に座りなおすかの選択を迫る存在。それが『嫉妬』。
多くの被害者が各地の監禁場所から助け出されるも、「快楽椅子」に座った状態で発見された男性たちのほとんどは、配偶者に対する謝罪を譫言のように繰り返すだけの廃人となっていた。
ある日を境に現象がパタリと収まり、同時に某王国から、一人の英雄との相討ちによって厄災は打ち払われた、との声明が出される。
原因や犯人等の情報は国家間の争いに繋がりかねないため非公開とされているが、討伐隊に属し、『嫉妬』との接触に成功するも、敗走を喫した名のある剣豪の「いくら斬ってもあの女を殺せなかった」等の証言から、犯人は恐らく高い再生能力を持った女性ではないかと考えられている。
七つ厄災の内で、唯一英雄が殉職してしまった厄災であり、逆を言えば唯一英雄が元英雄とならなかった厄災でもある。
しかし――
「そっか……。スロー、ここ見て。最後のところ。数年前から『嫉妬』の現象が再び発生し始めた、って書いてある」
「え、復活しちゃったの?」
「うん、そうみたい。暴走した元英雄たちの対処だけでも大変そうなのに、厄災まで復活しちゃったら、もう地上はてんてこ舞いなんだろうなぁ」
クラリィは、資料から目を離さず真剣に、それでいて、まるで他人事かのように、そう言った。
彼女も姫騎士団の一員であるからには、元英雄が天界へ攻めてくる可能性については知っているはずだ。
だが、クラリィはまだ幼い。
攻めてくる人間の恐ろしさについては知っていても、厄災や元英雄といった世界的な脅威については現実味が湧かない……といったとこだろう。
それについては、この世界に来てまだ日が浅い僕も、同じ気持ちだった。
今一つピンと来ない、というのが僕の本当の気持ちだ。
前の世界での記憶は曖昧だけど、僕は今まで、命の危険なんてものとはずっと無縁で生きてきたから。
ヴィオラが出ていった扉に視線を向けると、何かが起こりそうな胸騒ぎがした。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。応援感謝致します!
次話、『第33話 スローライフ、終焉の予感』は、明日の午後、夕方頃の投稿となります。
お楽しみいただけたら嬉しく存じます。




