第31話 怠惰の悪魔
ショナさんから受け取ったばかりの資料が、掛布団の上に散らばっている。
僕は、自室のふかふかベッドに腰を落ち着けながら、その内の一つ、『怠惰治し』の資料を眺めていた。
「『怠惰』は、もうこの世界にはいないんだなぁ……」
どうやら、『怠惰』は、七つの厄災の中でも最弱だったらしい。
発生からものの数ヶ月で対処されたとの記述が目に入る。
深い森の奥にある遺跡に封印されし古代の悪魔。
しかし、その実態は、不気味に蠢いているだけの、ただの肉の塊だったそうだ。
とある帝国が、それを軍事利用できないかと祭壇から持ち帰ったものの、特に異能があるわけでもないことが判明し、廃棄される。
ここまで読めば、文字通り『怠惰』らしいという印象だが、廃棄の仕方が悪かった。
可燃ゴミと一緒に燃やされたのである。
大気中に放出された悪魔の灰を吸った者たちは、遅効性の毒のように徐々に生きる力が失われていき、堕落。
厄災『怠惰』の発生。
案の定、帝国の手に負えなくなった。
そこで、悪魔払いの資格を持つ高名な聖職者の女性が、滅びかけている帝国に赴き、領内の人々を丸ごと巨大な魔方陣で浄化してしまったのだそうだ。
ただ、灰は帝国領の外にまで飛散してしまっており、彼女は、それらの全てを浄化しようと旅を続け、その道中で行方が分からなくなる。
一般的に、灰は全て浄化されたのではないかと考えられている。
しかし、それから約百年の時を経て、聖職者だったはずの彼女が、当時の見た目そのままに、複数の悪魔を率いて現れたそうだ。
「そして今もなお、世界中を襲っている、と。……何があったんだろ、その間に」
僕は、読んでいた資料をベッドの上にそっと置き、凝り固まった背中の筋肉を伸ばそうと思ったが、その動きを止めた。
「まさか僕が、『怠惰』の生まれ変わりなんてことないよな」
僕は、ここへ来る前の記憶がほとんど残っていない。
転生に失敗し、天界にやってきたらしいという現状。
僕の自堕落な性格と堕落のスキル。
そして、七つの厄災から百年という、元英雄たちの暴走との偶然の一致。
まぁ、たったそれだけで関連付けるのは些か早計な気もする。
「流石に、考えすぎかな……」
それでも僕は、この世界における自分という存在の不安定さを感じてしまっていた。
僕自身と『怠惰』とが無関係という確信が欲しかった。
「どうしたんだ、スロー。さっきから、ちょっと元気ないんじゃないか?」
向こう側にある自分のベッドの上から、クラリィが身を乗り出して尋ねてきた。
「いやぁ、全然大丈夫だよ! 難しい資料ばっかり読んでて、ちょっと目が疲れちゃったけど」
「嘘だね。いつものスローなら、資料を読んでる途中で飽きて、今頃寝ちゃってるはずだもん」
僕の誤魔化しを看破したクラリィは、いつものパジャマ姿で、そろそろと僕のベッドのそばにやってきた。
「ほんとに大丈夫か?」
僕は黙ったまま笑顔を見せて、不安そうにしているクラリィの頭を撫でる。
彼女の細い黒髪が、指に絡むことなく、さらりと流れていく。
クラリィは目を閉じ、大人しく撫でられ続けながら、「やっぱり変だ……」と、ポツリと言葉を零した。
もし僕が僕じゃなかったとしても、クラリィはクラリィのままでいてくれる?
僕は、そう尋ねようとして、止めた。
「よし! クラリィを撫でたら元気が出ました! 僕は今から全力で寝ます!」
僕は、取り繕った大声で、そう宣誓した。
クラリィが、複雑そうな表情をしている。
きっと、まだ心配してくれているのだろう。
「クラリィちゃ~ん、一緒に寝るかい?」
ベッドにクラリィ一人分のスペースを作り、僕が変態じみた声色でそう言うと――
「ひわいっ!」
クラリィは、自分のベッドまで走って逃げ帰ってしまった。
そして、僕たちは、おやすみの挨拶を交わして、部屋の電気を消した。
それから数十分後――
「スロー、もう寝たか?」
僕の枕元で、クラリィの声がする。
部屋の中は、どこまでも静まり返っている。
「……スローだって、悩みの一つくらいあるよなぁ、きっと」
ベッドの中に温もりが加わる。
「こっちの世界じゃ、独りぼっちなんだもんな……」
僕の頭が、小さな手で撫でられている。
きっと僕の髪はクラリィみたいに撫で心地がよくないだろうに。
そうして僕は、自分が眠りにつくまでの短い間、クラリィの手の優しさから、何か温かいものを感じ続けていた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。応援感謝致します!
次話、『第32話 胸騒ぎの朝』は、明日の午後、夕方頃の投稿となります。
お楽しみいただけたら幸いに存じます。




