第22話 敬愛すべき霊峰
「やっちゃいけねぇことをやってると、なんだかテンションが上がってくることってあるだろ? 背徳感だっけか。こいつの場合、それが自分の国に対する裏切り行為で起きるらしいんだ」
牢獄長であるバリトンさんの、困りつつも深みのある熟成された声が、地下牢にいる僕たちの鼓膜をじんわりと叩いた。
「裏切り行為?」
クラリィが、バリトンさんを見上げて尋ねる。
「もっと具体的に言やぁ、人間側の情報を俺らに漏らすことだな」
「え……」
「それで、こいつは興奮しやがるんだ」
それを聞いたクラリィが、渋い顔をしながら、黙ってピクリンさんを眺めている。
幼いながらも、天界のために、姫騎士として、日々真面目に任務に取り組んでいるクラリィ。
彼女からすれば、目の前にいる人間は、得体の知れない化け物のように見えているのかもしれない。
余程恐ろしいものに見えているのか、クラリィは、僕のローブの裾をキュッと掴んでいる。
「それでピクリンさんは、情報を持っているアピールが凄いんだね」
「あぁ、そうみたいなんだ。こいつ、初めはこんなんじゃなかったのに、一つ情報を漏らすと急に変になっちまった。まるで誰かに魔法でもかけられたみたいに」
バリトンさんが、僕にそう答えた途端――
ヴィオラとクラリィの視線が、同時に僕に突き刺さった。
「いやいや、僕じゃないからね?」
誤解を解こうと僕がそう言っても、ヴィオラは、手で口元を隠して、ハッとした顔で僕を見るのを止めない。
クラリィは、少しだけ眉間に皺を寄せて、ジトーっとした疑いの目。
「ほっ、ほんとだって! そもそも僕、部屋から出たことすら、ほとんどないから! あれだよ、あれ! 僕、引き籠りだから!」
僕の悲しき弁明。
情けなさのあまり、自分の堕落のスキルが恨めしくなってくる。
「分かったよ……。ほら、“解除”!」
みんなの疑念を払拭しようと、僕は牢の中のピクリンさんに右手を向けた。
「……どう、ピクリンさん。情報、漏らしたいの無くなった?」
「ん? ……いや、普通に漏らしたいが?」
「ほら! 僕じゃないじゃないか!」
……というか、ピクリンさんヤバすぎないか?
「うーん、じゃあさぁ。逆に今、ピクリンさんに堕落のスキルをかけたら、国への忠誠心が無くなって、それと同時に、裏切るっていう感覚……背徳感も無くなって、いい感じに捕まる前のピクリンさんに戻れるかもしれないよ?」
「堕落のスキル? 忠誠心が無くなる……?」
そう僕が冷静にアドバイスすると、少し逡巡するピクリンさん。
「でも、裏切るのって気持ちいいから……」と、甘い吐息。
地下牢の雰囲気が、徐々にピクリンさんワールドに染められ始めている。
大抵のことには寛容でいられる僕ですら、若干引き気味である。
ちょっと関わり合いになりたくないタイプ。
「まぁ、聞きたいことを教えてくれる分、こっちとしても手荒なことをしなくて済むから、楽でいいけどな!」
バリトンさんが、ガハハと勇ましく笑った。
「そうだぞ? 何か聞きたいことがあったら……」
ピクリンさんは、ゆらりと立ち上がると、前屈みになって鉄格子を掴み――
「お姉さんが教えて……あ……げ……る」
大きく開いたローブの胸元から色気の象徴を窺わせて、ハートマークが可視化されそうなくらい挑発的に、そう言った。
「おーー……」と、僕の隣で、感嘆の声を漏らしているヴィオラ。
僕も、僕自身、決して邪な気持ちじゃないことを念頭に置きながら……。
後学のために。いや、本当に後学のために……。
人間心理を研究する一環として、どこまでも紳士的に……。
わがままで、ダイナマイトで、そして自立していらっしゃる……。
敬愛すべき霊峰が寄せ合わさって、見事な渓谷を形成している様子を……。
熱心に凝視……いや、真顔で観察してみる。
おぉ……。これは……。
喉が鳴ってしまわないように、強く意識を保っていないといけない……。
そんなことを考えていた、次の瞬間――
「ひわいっ!」
クラリィの叫び声と共に、僕のお尻に鈍い痛みが走った。
「いてっ!」と、僕は反射的に振り返る。
すると、僕のすぐそばで、クラリィが怒りを露にしていた。
彼女の手には、しっかりと魔導書が握られており、どうやら僕の臀部は、これで殴打されてしまったらしい。
「卑猥……?」と、弱々しい声が漏れる僕。
「卑猥なの?」と、僕の顔を覗き込むヴィオラ。
「卑猥だな!」と、さっきまで僕と一緒に、目を皿のようにして注視していたはずのバリトンさん。
「そうだぞ、卑猥だぞ!」と、檻の中のピクリンさん。
どういうわけか、僕が責められる流れになってしまった。
ピクリンさんから聞くことを聞いて、早急にこの場から立ち去りたい……。
少しだけ残ったお尻の痛みを感じながら、そう僕は思った。
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次話、『第23話 変な人間が、変な人間について考える夜』は、本日の夜の投稿となります。
お楽しみいただけたら幸いに存じます。




