第19話 明日から頑張る
客室の扉の外には、厚かましくも、「スロー」という文字の刻まれた木の札が掛けられている。
この掛け札は、僕が暇なときに少しずつ彫り上げた大傑作である。
素材の木片や彫刻刀は、ヴィオラに我儘を言って用意してもらった。感謝。
まぁ、こんな生活をしている僕にとって。
逆に、暇ではないときとは、姫騎士スーナさんの限界――五度寝に挑戦しているときであり。
いつか自堕落の化身として奉られたい願望のある僕には、基本的に暇なときという概念がない。
何故なら、起きているときは、大事な大事な食事の時間だからである。
全力で眠り、全力で食べる。
そんな多忙極まりない僕が――
明日から飛竜の面倒を見なければいけないなんて!
「ねぇ、クラリィ。先に言っとく」
「なに?」
「今度、僕。自律神経が失調する予定が入ったから」
「えっ?!」
「あと、二個ぐらい口内炎ができる予定も」
「スロー……。それ貧弱すぎない?」
呆れ顔でそう言うクラリィは、ついさっき僕の部屋(もうそう言ってしまっても過言ではない)に運んできたばかりの小さなベッドの上で、せっせと寝支度を整えている。
そして、仕上げとしての行動なのか、彼女は、感触を確かめるように枕を軽くポンポンと叩いた。
その様子は、まるで仲の良い友達に夜の挨拶をしているかのようにも見えた。
実は、あの後。
なんだか僕の与り知らぬ間に、クラリィがこの部屋で寝ることになったのだ。
クラリィ曰く、監視役としての使命を貫き通すため、だそうだ。
なるほど、一理ある。
……。
いや、全くもって一理ない。
それはゼロ理だし、人はそれを無理矢理という。
しかも、行住坐臥、僕の日常全てを監視するつもりらしい彼女。
師匠であるスーナさんからのお誘い――
「もし独りが寂しいのなら、私の部屋に来ない? 二人部屋なんだけど、最近一人欠員が出たから」
を、断ってのことである。
これは、かなりの使命感だと思う。立派。
だが、結果として、僕に安息の時間は消えて無くなったのである。
個人的な見解としては、僕なんかを見ているより、天界城の窓から雲の行く末でも見ていた方が、まだ有意義だと思うんだけど。
すると――
「あのさ、スロー。さっきは庇ってくれて……ありがとう」
丁寧に畳んだ黒のローブを枕元のテーブルに置きながら、可愛らしいピンク色のパジャマ姿のクラリィが言った。
「さっき? あー……。まぁ、ほんとのことだったから」
「それでも、ちょっと嬉しかったよ」
クラリィは照れ臭いのか、僕と目を合わせようとせず。
僕のベッドから少し離れた位置――部屋の反対側にある自分のベッドに潜り込んでしまった。
これは僕の推測だけど、人間族が襲ってきた日に、クラリィは心に傷を負ってしまった。
彼女の意識が朦朧としていたときに発露した人間に対する恐怖心。
それは、きっとそこから来ているんだろう。
それに比べて、敵意どころか、やる気の欠片すらない僕。
しかし、それでも人間であることに変わりがない。
「今日は眠れそう?」
「どうだろ。今日、もし怖い夢を見たら、そんときはスローがまた庇ってくれよな!」
「僕が?」
「夢の中でスローが襲われてる隙に、ボクは逃げる!」
「そんな殺生な!」
クスクスという笑い声が、向こうのベッドから聞こえてくる。
「明日からも、バッチリ見張らせてもらうからな!」
「僕も明日から、ぼちぼち頑張るよ」
おやすみ~、と僕は大きな欠伸を一つ。
ふかふかのベッドに沈み、溶けていく。
「……おやすみ、スロー」
静かな夜の天界城。
その一室の明かりが、今、消えた。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
読者のみなさまが、少しでも明るい気持ちになって、本作をお楽しみいただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第20話 一定の速度で動く点P』は、明日の朝、午前中の投稿となります。
起床時、スローの頭の中がヤバいことになるお話です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。