第180話 ゑ
「すいません。〇ァッキン遅くなってしまいました」
行方をくらましたエミール司祭の動向を探るべく、率先して聖都に住まう人々に情報を聞きに行ってくれていたサクラさんが、申し訳なさそうな顔をして、大通りの向こうから帰ってきた。
「どうだった? エミール司祭の居場所、特定できそうかな?」
「いえ……。誰もあいつを見ていないみたいで、全く情報がなく……」
「そっか……。でも、まぁ、大丈夫だよ! きっと見つかるよ!」
そう言ってヴィオラが励ましの言葉を掛けたが、サクラさんの表情は依然として暗い。
「どうかしたの、サクラさん……?」
「それがちょっと……」
保護者のように優しく尋ねるヴィオラに対して、頑なに言葉を濁そうとするサクラさん。
その姿は、まるで心配事を容易に悟られまいと努める思春期ガールのようである。
すると、そのとき。
「みなさん、お待たせしました……」
たった今サクラさんが帰ってきた通りの奥から、サクラさんがやってきた。
「えっ!?」
「へっ!?」
「なっ!?」
えへな、という仰天を示す声が、それぞれヴィオラ、クラリィ、コルネットさんの口から同時に発せられた。
それはそうだ。目の前にサクラさんが二人いるのだ。当然のことである。
一方、判断能力がナマケモノのそれと相違ないレベルである僕は、あまりの衝撃に何が起こっているのか理解できず、現状をゆっくりと概観した後、一ターン遅れで声を漏らした。
「ゑっ!?」
遥か古の発音。
古き良き時代の「え」で言い表された僕の驚きは、意図せず幼きレトにも伝播したようで――
「ゑーーっ!? 〇ァッキンお姉さんが二人もいるーー!?」
いや、待て。
なにやら良からぬ言葉遣いまで伝わってしまっているではないか。
後で、「Fワードを口伝すな」と、サクラさんを厳しく詰めることにしよう。そうしよう。
まぁ、何はともあれ。この場は、取り敢えず。
「アタシの前に、突然この〇ァッキンクソ野郎が現れたんです!!」
「いいえ、違います! この方が、アタシの前に現れたんです!!」
無事、混沌の渦に呑み込まれた。
ほのぼのショッピング気分から一転した、この混迷極まる緊張状態。
何が何やらと戸惑う僕たちをよそに、二人のサクラさんは舌戦を繰り広げている。
「みなさん、信じて下さい! アタシが本物のサクラ・ロレーヌです!」
「なんだと、この〇ァッキンフェイク野郎!!」
「フェイクはあなたです! そもそも聖女はそのような汚らわしい言葉を使いません!!」
どちらが本物のサクラさんで、どちらが偽物のサクラさんなのか……。
二人とも同じ顔、同じ服装、同じ声、聖女と呼ぶに相応しい清楚さを保っていて、僕には判断が……。
「うるせぇ!! 〇ァッキン〇ァック!!」
あぁ……。
多分、こっちの口の悪い方が、今まで僕たちが一緒にいたサクラさんなんだろう……。
〇ァッキン〇ァックという表現は、もう罵声なのかどうかすらよく分からない。
芸術点が高すぎて、常人にはちょっと理解できない。
「アタシが本物です!」
「〇ァック!!」
「あなたが偽物!」
「〇ァーーック!!」
マジでなんなの、この不毛な争い……。
デスゲームなの?
呆れ混じりに僕がそんなことを考えていると、ヴィオラとレトがそそくさと二人に近づいていき――
「ん~、なんだか二人とも違和感があるんだよねぇ……」
「うんうん。だって、どっちも悪魔族の匂いがするもん」
「ねぇ、お二人さん。本物のサクラさんはどこ行ったのかな?」
「二人とも偽物でしょーー?」
ゑっ!?
二人とも偽物なの!?
感覚派のヴィオラと、嗅覚派のレト。
鋭敏な知覚を有する二人に嫌疑を掛けられた自称・本物のサクラさんたちは――
「ゑっ!? アタシは本物ですよ?」
「ゑっ!? アタシは本物だが?」
と、二人仲良く声を揃えた。
……。
次々と古雅な発音が伝染する異空間。
この場を席巻しているのは、もしかすると僕なのかもしれない。
隠しても隠し切れない僕のカリスマ性にかかれば、今年の流行語は、もう「ゑ」で決まりなのかもしれない。
いいや、絶対にそんなことはないのかもしれない。
けど……。
一応「ゐ」も放り込んでみようか、物は試しに。
などと、すっかり言葉のインフルエンサーにでもなった気分で、僕が「ゐ」を登場させるタイミングを窺っていると、クラリィがヒソヒソ声で僕に話し掛けてきた。
「ちょっと、スロー……」
「どうしたの、クラリィ……?」
「『怠惰治し』って確か、サクラさんと同じ見た目をしてるんだったよね……」
「そうゐえば……」
百年の時を経て現れた元英雄の一人、『怠惰治し』は、当時の姿そのままに、複数の悪魔を引き連れて世界中を暴れ回っているんだったか。
当時の姿……ということは、サクラさんの姿ということである。
当の本人であるサクラさんは、ずっと石にされていたから全く知らないみたいだったけど。
「じゃあ、あの二人は……」
と、僕が正体を見定めるように彼女たちに視線を向けると――
「二人とも悔い改める準備はできていますか?」
いつの間にかコルネットさんが、自称・サクラさんたちの背後を取っていた。
天使の微笑みを浮かべながら放つ彼女の殺気は凄まじく、何故か僕まで気絶してしまいそうである。
「ひゑっ……」
「ひゑっ……」
偽サクラさんズも、僕に負けないくらい、気配なく死角に現れた天界城の精鋭――姫騎士団長のコルネットさんの放つオーラに戦々恐々といった様子である。
「本物のサクラさんとエミール司祭の居場所、教えてくれますね……?」
いい子でしょう? と、まるで迷える子羊を諭すようなコルネットさんの囁き。
しかし、その天使の声には、対象の心を芯から凍えさせるような冷徹さが見え隠れしていた。
今までこの殺気が直接僕に向けられたことはないが、普段の慈悲深い彼女とはえらい違いだと思う。
まぁ、向けられた瞬間僕は自動的に気絶することになるだろうから、覚えていないだけかもしれないけど。
「ちくしょう……」
「こうなりましたら最終手段ですね……」
「あぁ最終手段だな……」
まだ抵抗する気が残っているのか、偽サクラさんズが覚悟を決めたように魔力を練り始めた。
ただ……。
「わぁ~。やっぱり二人とも敵だったんだねぇ」
「ボク、もういつでも攻撃できるよ」
「残念です……。悪い子でしたか……」
「ねぇねぇ! この〇ァッキンお姉さんたち、倒していいのー?」
ヴィオラ、クラリィ、コルネットさん、レトは、各々すでに戦闘態勢に入っており、ヤル気充分である。
それに対して、僕はというと――
「えっと……。あの……。にっ、荷物は任せて……」
両腕にヴィオラから受け取った大量のショッピングバッグをぶら下げ、ヤラナイ気充分なのであった。
◇ ◇ ◇
こうして僕たちに敵認定されてしまった偽サクラさんズは、反撃の魂胆も虚しく、ヴィオラたちのヤル気と僕のヤラナイ気による猛烈な圧力に屈して、本物のサクラさんとエミール司祭の居場所を吐くこととなったのである。
不意に僕の頬を撫でる冷たい風。
一連の回想を終え、僕はもう一度、目の前に広がるフィルシュ教の神殿跡地を眺めた。
あちらこちらに大小様々な石材の破片が散らばっており、その上を赤く夕陽が照らしている。
まだ辺りに仄かに残っている火薬の香りが、僕に諸行無常の感を呼び起こさせる。
偽サクラさんズを肉体的・精神的に締め上げて吐かせた情報によれば、どうやらこの神殿の地下に隠されている祭壇にエミール司祭はいるらしい。捕えられた本物のサクラさんも。
しかし……。
地下。地下。地下……。
「ここの地下にサクラさんがいるんだね! 助けに行こう!」
鼻息荒くヴィオラがそう言った。
天界城の姫の一声。えいえいおーと言わんばかりの勢いである。
それを聞いた僕は――
「ひゐっ……」
この広大な瓦礫の海を掻き分ける勇気を、ヘトヘトでカサカサでシナシナなこの身体のどこかから探し出すしかなかった。
読者のみなさま、いつもお読みいただき本当にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話は、来週の3月13日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。




