第179話 紳士という生き物
ヒイヒイと荒い呼吸をしながら、一歩一歩、長い階段を上る。
そして、ついに最上段。
硬い石段に足を掛け、顔を上げた瞬間、僕はこう思った。
「いや、完全なる既視感ッ!!」
今、僕の視界には、先程と全く同じ光景――フィルシュ教の神殿跡地が広がっている。
唯一の違いは、空の色――日が翳り始め、うっすらと全体が茜色であることぐらいである。
消息を絶ったエミール司祭を探し出し、見つけ次第ぶっとばすために聖都を練り歩いたことに加え、なんだかんだ色々あったせいで、本日二度目のベリーロングな階段上りである。
すでに僕の体力は消耗し切っており、下半身の筋線維は音を上げて久しい。
足取りなんて、ほぼミイラである。
僕は今朝スキルの使いすぎ由来の気絶から目覚めたばかりだというのに、なんという肉体の酷使か。
もう少しこのミイラを労わって欲しいと思う。
潤いが足りておらず、聖都フィルシュフィールの往来で、うっかり干物になるところだったではないか。
医者にかかる予定はないが、もし仮にかかった場合、「激しい運動は避けろ、というかいい加減水分補給をしろ」という厳しいお叱りを受けることになるだろう。
僕にはその心構えができている。
っていうか、ミイラって歩けたっけ?
まぁ、今はそんなことどうだっていい。
僕のピチピチでフレッシュな身体から潤いが失われたのは、どれもこれも、サクラさんのせいなのである。
喉が引っ付いてしまいそうな渇きを感じながら、僕は聖都を巡り巡った日中の出来事を思い返した。
◇ ◇ ◇
「聖都はアタシの庭みたいなものだからな! 安心してついてくるといい!」
そう言って、意気揚々と僕たちを先導してくれていたサクラさんは今……。
完全に沈黙していた。
「また行き止まりだね……」
僕の独り言に返事はなく、サクラさんは、気まずそうに、袋小路の突き当たりから視線を逸らさないでいる。
聖都フィルシュフィールを案内しようとしてくれたのは素直に嬉しい。とても助かる。
この街に縁も所縁もなく、当然土地勘のない僕たちにとって、本当にありがたい話である。
ただ……。
「サクラさんってさ。この街の情報、更新されてないよね?」
というヴィオラの純粋な、悪意のない、核心を突く一言。
みんなが薄々気付き始めており、それでも敢えて口にしなかったことを、遠慮のない、情け容赦のない、忌憚のない、躊躇いのない、歯に衣を着せない、ないない尽くしの、言葉のコークスクリュー・ブローである。
「どうしてだ……。どうして、こんなところに〇ァッキンでっかい壁が……。アタシの知らない壁が……」
いい具合に軸捻転が加わり、心を抉り込むようなヴィオラの質問を喰らって、サクラさんは動揺の汗を掻き始めた。
ただ、僕の口からは、そりゃそうだとしか言いようがない。
想像してほしい。
百年。
これは、フィルシュ教の真実を知ったサクラさんが、聖都の広場で石にされていた期間である。
これだけ長い歳月が経過していれば、「〇ァッキンでっかい壁」の一枚や二枚、路地からニョキニョキと自然発生していてもなんらおかしくない話である。
「これは、アタシ……。悔い改めた方がよろしいでしょうか……?」
サクラさんが怯えた様子で、天使族の二人、クラリィとコルネットさんにお伺いを立てている。
それを受けた彼女たちは、無言で深々と頷いた。
◇ ◇ ◇
こうして僕たちは、悔悟の気持ちを新たにしたサクラさんと共に、聖都フィルシュフィールに隠れたエミール司祭を捜索するため、道を引き返した。
すなわち、ナビゲーターを失った状態で見知らぬ巨大都市を歩き回り、迂回に次ぐ迂回を繰り返した結果、僕のなけなしの体力が奪われていったのである。
ただ、これは理由のほんの一つにすぎない。
続いて僕の頭に浮かんできたのは、あの出来事で――
◇ ◇ ◇
非常にエンジェリックな微笑みが僕の両脇を彩っている。
「スロー、これ美味しいかも!!」
「ふふふっ。スローくん、この不思議な飲み物も美味しいですよ」
クラリィは聖都の名物らしい「フィルフィ・クレープ」を頬張り、コルネットさんは「女神の涙」というオリジナルジュースを口にして、どちらも大変ご機嫌な様子。
クラリィなんて、口元に白いクリームが付着しているではないか。
僕はハンカチを取り出し、クラリィの口を拭ってあげた。
「むぅ……」
クラリィは恥ずかしそうにしながらも、幼さの残る笑顔を崩さないまま、クレープをもう一口。
満足気な天使二人を左右に侍らせて、僕も満足だった。
確かに満足だった。
しかし、僕はそろそろ限界を迎えつつあった。
「レトちゃん、レトちゃん! 次はあっちのお店に行ってみようか!」
「わーい! ワタシ、ヴィオラ好き!」
たった今、子供用の衣服店から出てきたヴィオラとレトは、当初の目的を忘れ、完全にショッピングを楽しんでいた。
恐らくヴィオラからプレゼントされたのだろう。レトはおニューの服に身を包み、聖都の大通りを風のように気随気儘である。
「あっ! スローだ! どうこれー? 似合うー?」
「似合ってるよ。めちゃくちゃかわいい」
「へへへー! ありがとー!」
そう言ってレトは、嬉しそうにその場でクルクルと回って、僕に純白のワンピースを見せてくれた。
かわええ。
目の保養である。
しかし……。
「ヴィオラ、その紙袋も持っておこうか?」
「えっ!? いいの!?」
「オッケー、オッケー!」
「でも……。もうスローにはいっぱい持ってもらってるし……」
そうなのである。
僕はすでに、ヴィオラたちの購入品で埋め尽くされた紙袋によって、両手が塞がれているのである。
しかも、それらは中々の重量を誇っている。辛い。
ときに、僕は紳士である。
そう。とても紳士なのである。
紳士は、東に疲れた淑女があれば、行ってデザートを振舞い、西に爆買いを試みる淑女があれば、行って買い物袋を持たなければならない。
そういった鋼鉄の掟――涙の不文律に僕は従わなければならないのである。なぜなら紳士だから。
これにより、お財布の中身は干からび、腕の筋肉は干からび、僕は心身ともに限界を迎える結果となってしまったのである。
さらに、悲しいかな、淑女のショッピングに同行する紳士という生き物が、例外なく生気を失いミイラ化してしまうというのは、もはや万人の知るところであろう。
その儚さにこそ紳士のロマンがあると言っても過言ではないのだが、いい加減紳士は国際的な法規か何かで保護してやる必要があるのではないか。
少なくとも僕は保護して欲しいぞ。
渇いた脳で、そんな訳の分からないことを考えていると――
「えっと……。じゃあ……、スローがそう言ってくれるなら……」
ヴィオラから追加の紙袋を1セット拝受することになった僕である。
任せて下さい。この身が干からびようとも、丁重に取り扱わせて頂きます。
すると、ちょうどそのとき。
聖都の人々にエミール司祭の動向を尋ねに行ってくれていたサクラさんが、大通りの向こうから帰ってきた。
読者のみなさま、いつもお読みいただき本当にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話は、来週の3月6日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。