第177話 いとをかし
目を覚ますと、僕は別の生き物になっていた……なんてことはなかった。
上半身を起こすとそこは見覚えのない部屋で、僕は今までこのふかふかのベッドの上に寝かされていたことが分かった。
「僕は一体……。そうだ、呪いを受けたんだった!」
みんなを庇うため、エミール司祭の放った「強制転生の呪い」を一身に受け止めた僕である。
……。
もとい、ライアン兵士長にスキルを無駄撃ちしすぎた反動で貧血になり、よろめいた拍子に呪いがモロ直撃してしまった僕である。
……。
理由が「いとをかし」すぎて、これでは死んでも死にきれん。趣が深すぎていけない。
が、しかし!
どうやらなんと!
僕は来世へと旅立たずに済んだみたいだ! 拍手!
ペチペチと、ベッドの上で一人静かに手を叩く男、スロー。
その姿はどこか物寂しく、背中には哀愁すら漂っているが、目覚めるや否や急に無表情のまま拍手をし始める男は、ただただ純粋に不気味でもあった。
というか不気味そのもの。いとわろし。
オッケー、大丈夫。ちゃんと自覚はある。
「あのとき、確かに魂が身体から抜けた感覚はあったんだけどなぁ……」
あの後、何があったんだろう……。
気を取り直して、現状の把握に勤しむことにする。
そういえば、あのとき、聞き覚えのある声がしたかと思ったら、急に目の前が真っ暗になって意識が途絶えたんだよなぁ。
あの聞き覚えのある声は……。
「あれは、ヘルサの声だったのか……?」
僕は、絶海の孤島デスアイランドでの一件から久しく見ていない、悪魔の縫いぐるみヘルサの姿を思い浮かべた。
すると、その瞬間、部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれて――
「あっ! やっぱり今の音、スローだった!」
「スロー! 今、手叩いてたぁーー?」
ヴィオラとレトが部屋に飛び込んできた。
二人は僕の姿を見るとパッと嬉しそうな顔になった。
そして、そんな二人に少し遅れて――
「ほぉ、よかった~。ボク、心配してたんだよ?」
「本当に無事でよかったです……」
「目覚めはどうだ? 〇ァッキンヒーロー!」
クラリィとコルネットさん、そしてサクラさんが部屋に入ってきた。
「やぁ、みんな。心配させてゴメン」
僕はみんなを安心させようと、力強くそう言って、ベッドから下りた。
数歩だけ歩いてみるが、もうバランス感覚は取り戻されているようで、足腰もフラフラではない。
充分、普段通りであるといっていい。実に普段通り。
しかし、みんなも知っての通り、普段から僕はぐうたらしていて、身体も決して強い方ではない。
周知の事実として、貧弱であることに関して僕の右に出るものはいない。
「Are you 貧弱?」と問われれば、「シャラップ!!」と返す勢いで、肺と喉を少し痛めるレベルの貧弱さである。
そんな尋常ならざる貧弱さを「普段」とする最強の貧弱――僕の直立二足歩行がまだ頼りなく見えたのか、ヴィオラが僕を支えようと前に出てきてくれた。
「スロー、まだ寝てなくて大丈夫?」
「ありがとう、ヴィオラ。もう大丈夫だよ」
「そう……? 本当に……?」
「本当、本当。それより、僕って、さっき『強制転生の呪い』を受けたよね? どうしてまだ生きてるんだろう?」
僕は話の舵を切ろうと、目が覚めてからずっと抱いていた疑問をヴィオラにぶつけることにした。
すると、ヴィオラの肩から下がっているインベントリー・ポーチの口がひとりでに開き、そこから――
「ニュッ! それはオレのおかげと言ってもカゴンじゃないギギ!」
ニュッという擬音をわざわざ声に発しながら、ヘルサが顔を覗かせた。
漆黒の丸ボタンでできた左目と、美しく輝く白色の貝ボタンでできた右目が、僕に無機質な視線を送っている。
「そうなの? 僕って、ヘルサのおかげで助かったの?」
「そうギギ! オレがいなかったら、今頃スローは別のイキモノに転生しているところギギ!」
「ひえっ!」
それは怖いっ!
背筋が寒くなると同時に、背中から滝のような冷や汗が吹き出した。
恐らく今ならば、僕の背後で本格的な滝行ができることであろう。
修行をしてみたいという方は是非。
「身体から抜け出たスローのタマシーがどこかへ飛び去る前に、オレが食べてやったギギな~!」
「えっ? 確か、ヘルサに食べられた魂って転生しちゃうんだよね? それだったら、どの道転生しちゃうじゃん」
「その通りギギ! けど、それはオレがタマシーを飲み込んじゃったらの話ギギ! 口に含むだけだったらセーフギギ!」
えぇ……。
それはセーフなの……?
知らなかった……。
それでもまだ疑問は残っている。
「僕の魂が飛んで行ってしまわなかった理由は分かったんだけど、今度はそれをどうやって僕の身体に戻したの?」
一時的に、ヘルサの口の中に保持されることになった哀れな僕の魂は一体……。
「それは、当然口移しギギ!」
「いや、僕、哀れすぎか!?」
それは、いくらなんでも不憫! 不憫がすぎるぞ、それは!
僕の人生初めてのキスが、こんな得体の知れない悪魔の縫いぐるみとだなんて!
これは法廷闘争も辞さな……ん? でも、ちょっと待てよ?
冷静に考えると、ヘルサは縫いぐるみだからノーカンか?
などと、自分の命の恩人に対して、僕が失礼極まりない検討を重ねていると――
「安心しろ、スロー」
「えっ?」
「ディープなやつギギ!」
「それはもう完全に、いとあはれ」
とてもしみじみとした趣があり、身に沁みて心が動かされます。
ヘルサから伝えられる追い打ちのような情報に、僕の精神は耐えきれず、崩壊し、ついには風雅を味わい始めた。
すると、落ち込んでいる僕の様子を見て励まそうと思ってくれたのか、ヴィオラは、だらりと力の抜けた僕の右腕をそっと手に取ると、しっかりと視線を合わせて、こう告げた。
「元気出して、スロー! エミール司祭には、ちゃんとみんなで仕返ししておいたからね!」
読者のみなさま、いつもお読みいただき本当にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話は、来週、2月13日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。