第169話 エミール司祭
そこは静かな空間だった。
人の声はせず、ライアン兵士長と女性兵、そして僕たち旅の一行の足音だけが響いている。
聖都フィルシュフィールの小高い丘の上。長い階段の先にある神殿の内部は、粛然とした雰囲気に包まれていた。
白を基調としたエンタシスが何本も並んでおり、高い天井には、決して派手ではない美しいシャンデリアが飾られている。
肌がひやりとするような神聖な空気感が、どことなく天界城と似ているような気がした。
「司祭さまっ! 天使さま御一行を連れて参りました!」
先頭を歩いていたライアン兵士長が、教壇の前に立っているお爺さんに声を掛けた。
「来ましたね、ライアン。そうですか、そちらの方々が……」
司祭と呼ばれた老人はそう言うと、僕たちに視線を向けてきた。
宗教然としたクラシックな白のローブや、落ち着いた佇まいから、彼のこの神殿での位の高さが伝わってくるようだった。
「天使さま、ようこそおいで下さいました。私はこの神殿の司祭を任されております、デビールと申します」
ほう。デビール。
これは勝手な思い込みだけど、神職にしては少し意外な名前。個性的。
そんなことを思いながら、僕が、「どうも、デビールさん」と、挨拶をすると――
「ありゃ? 信じてしまわれましたか?」
「えっ?」
「申し訳ありません。今のは、ほんのジョークのつもりだったんです」
「んんん?」
「私の本当の名前はエミールです」
いや、エミールかい!!
こちとら初対面だぞ!! 普通、信じるだろうが!!
僕の心の中でのツッコミに反して、フォッフォッフォと楽しそうに笑っているエミール司祭。
僕が鋭い目付きでライアン兵士長の顔色を窺うと、彼は手を額に当て、困った表情で首を横に振っていた。
「いや~、しかし、本物の天使さまですか……。私は今年で200歳になりますが、初めてお目に掛かれました……。ありがたいことです……」
そう畏まると、エミール司祭は、天使族であるクラリィとコルネットさんの方を向いて、拝み始めた。
クラリィとコルネットさんは、何が何やら分からないといった様子で、お互いに顔を見合わせている。
そんな二人の隣で、「おー……」と、碧眼を輝かせて、興味の眼差しでエミール司祭を眺めていたヴィオラが口を開いた。
「エミールさん。今年で200歳ってことは、人間さんじゃないの?」
この異世界に順応しすぎて違和感がなかったけれど、確かに200歳なんだったら、ヴィオラの言う通り、エミールさんは人間族ではないことになる。
しかし、エミール司祭は頭を垂れたまま――
「いいえ。かなりの長生きですが、私は、ちゃんとした人間族ですよ? こう見えても純血なのです」
いや、嘘つけ。
そんなわけないだろうが。
僕は、もう信じないぞ。
ただ横を見ると、ヴィオラが、「おー……。めっちゃ長生き……」と、感心していた。
……うん。
是非とも彼女には人を疑う心を養ってもらいたい。
人間は嘘をつく生き物だからね。気を付けてね。
すると、ヴィオラから与えられた骨付き肉を静かに頬張っていたレトが、突然スッと手を上げた。
「どうしたの、レトちゃん。おかわり欲しくなっちゃった?」
「ううん、ヴィオラ。おかわりは当然欲しいんだけどね、ワタシ、あの変な人に質問があるんだぁ」
「変な人?」
「うん。変な人」
ヴィオラとレトがヒソヒソと小声で話をしたかと思うと、レトが――
「あのね。どうしておじぃさんからは、人間の匂いがしないの?」
と、エミール司祭に、頗る珍妙な質問をぶちかました。
エミール司祭は、「へっ?」という言葉を漏らし、天使の二人を拝み倒して下がっていた顔を上げた。
「だってね、スローとヴィオラからは人間の匂いがするし、クラリィとコルネットからは天使の匂いがするんだけどね、おじぃさんからは人間の匂いがしないんだよ」
えっ!? 旅の道中では、なるべく身体を清潔に保っていたはずだけど!?
嗅覚に優れているアマゾネス族の幼女レトの衝撃の告白を受けて、スンスンと一斉に自分の体臭を嗅ぎ始める僕たち一行。
そうして焦る僕たちの向こうでは、エミール司祭がちっとも焦ることなく余裕の笑みを浮かべていた。
「よくお気づきですね、お嬢さま。実は私、神殿に入る前は必ず、聖なる水浴びを行うんです。私から人間の匂いがしないのも、きっとそのせいでしょう」
「ふぅん。なんだか変なの~。あっ、ヴィオラ! ワタシ、おかわり欲しいよう」
レトはそう言うと、匂いの話題に興味を失ってしまったようだ。
どうやらヴィオラにおかわりの骨付き肉をねだるつもりらしい。
「はいは~い。ど~ぞ、レトちゃん」
ヴィオラは、そう言ってインベントリー・ポーチから出した骨付き肉を手渡すと――
「わぁ~い! ワタシ、ヴィオラ好きっ!」
というレトの愛の告白を受け、途端にメロメロの骨抜き顔になった。
ちょろい。
ちょろちょろのちょろである。
「骨ごとお肉を食べちゃうレトちゃんも可愛い……」
と、豊かなお姉さん心をくすぐられたヴィオラは、今や完全なるレトの虜である。
それはもう、彼女の碧眼の中にハートマークが見えてきそうなくらい。
レトもレトで、骨ごとバリバリとワイルドな食べっぷりを披露してくれているが……。
こういう神殿って……。
だいたい飲食禁止なのではなかろうか……?
「ん? スローも欲しいの?」
「へっ!? いや、僕は大丈夫だよ!?」
「またまたぁ~。遠慮しちゃって~。はい、ど~ぞ」
「えっ!?」
こうして、ヴィオラに骨付き肉を持たされる僕である。
こっ、これは、どうすれば良いんだ……?
僕は肉を手にして、ゴクリと喉を鳴らした。色々な意味で。
「そういえば、司祭さま! 先程、天使さま御一行が、広場にある聖女像の呪いを解いて下さったんです!」
今までライアン兵士長のそばで黙っていた女性兵が、突然思い出したように大声でそう発言したので、薄ぼんやりとした不安に苛まれかけていた僕は、急に現実に引き戻された。
「なっ!? 聖女像の呪いを!? それは本当の話か!?」
エミール司祭は信じられないといった表情で慌て始めた。
「はいっ! 本当です! 凄んですよ、天使さまのペットの男の子!」
「ペット……だと……?」
「そうです! そこにいる男の子です!」
エミール司祭の視線が、たった今ヴィオラから骨付き肉を餌付けされた僕の視線と交わる。
「あなたは……、ペット……なのですか……?」
「どっ、どうも……」
ペットらしいです、僕……。
よく分からないですけど……。
「そうですか……。あなたが呪いを……」
「はい……。そうです……」
僕が解呪しました……。
しかし、もっと喜んでもらえるかと思ったが、エミール司祭は神妙な面持ちをし続けて止めない。
「それでは、天使さま方。今夜はフィルシュフィールの宿屋にお泊り下さい。一番いい部屋をお取りしておきましたので」
「はぁ、ありがとうございます……」
僕は感謝の言葉を述べてはみたものの、なんだか色々と蟠りの残る神殿での謁見であった。
読者のみなさま、いつもお読みいただき誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第170話 今はもう、そういう時代』は、来週、12月12日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。