第162話 撫での二刀流に迫る影
「いやぁ、それにしても、さっきのクラリィの魔法、凄かったなぁ~!」
僕は大きく伸びをしながら、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
港の空気は、潮の香りと、ほんの少しだけ魚の匂いがした。
「そうかな? まぁ、あんなもんだよ」
別にいつも通りだけど、と言わんばかりの口調のクラリィ。
ただ、彼女の背中に生えている天使の羽は、嬉しそうに小刻みに動いている。
客船サント・セイント号が停泊し、港に降り立った僕たち旅の一行。
船上とは異なる、久し振りの揺れない陸の感覚に、僕は懐かしさを覚えていた。
「『神の怒り』だっけ? 雷みたいなのが、スガーンって! あれって新しい魔法だよね!」
「うん。デスアイランドで、ファザレドさんから、要らなくなった魔導書を何冊か分けてもらったんだ」
「へぇ! クラリィは勉強熱心だねぇ~」
平素からぐうたら寝ることしか考えていない僕とは大きな違いである。
僕は感心し、努力家のクラリィの頭を撫でてあげた。
「なっ、なぁ~、もう……」
クラリィは、ほんの一瞬だけ抵抗する素振りを見せたが、その後は諦めたように大人しく僕に撫でられ続けた。
彼女のショートボブの黒髪は、細くて撫で心地がいい。ずっと撫でていたい。
当の本人も困った顔ながら、満更ではない様子。
そんなとき。
少し離れたところで、しゃがんで、海を泳いでいる魚を眺めていたレトが――
「あーーっ!! クラリィが頭撫でてもらってるーーっ!! ワタシも! ねぇ、ワタシも!」
僕たちを発見するや否や、猛スピードで駆け寄ってきて、自分の頭も撫でるようにとおねだりしてきた。
アマゾネス族の健脚。物凄い機動力である。機動戦士レト。
「はいはい、レト。ちょっと待ってね」
クラリィはそう言うと、自分の頭上を怪しく蠢いている僕の手をガシッと掴み、それをレトの頭に乗せ換えた。
慣れた手つきである。手際がいい。
「わぁ~い! ワタシ、クラリィ好き!」
レトは、クラリィの感謝の言葉を告げると、満足気な表情で僕に撫で回され始めた。
クラリィは、レトとそんなに歳が離れていなさそうなのに、ふふんと、すっかりお姉さんの顔である。
僕は、レトのふわふわのスモークブルーの癖っ毛を撫でながら、お兄ちゃんの目で温かく二人のやりとりを見守っていた。
海鳥が空を自由に飛び回っている。
港に寄せる波音も静かである。
この港には、ゆったりとした時間が流れているなぁ。
僕が、そんな感慨に耽っていると――
「むむっ!?」
不意に人の気配を感じ、そちらに首を動かした。
「スローの兄貴っ! 私もお願ぇしますっ!」
何故か子分口調のヴィオラが、僕に頭を向けていた。
「ヴィオラ……。どうしたの、その口調……」
「お願ぇします、スローの兄貴っ!」
「えぇ……」
僕は戸惑いつつも、レトの頭を撫でている手と逆の方の手で、ヴィオラの美しい金髪を撫でてあげた。
えへへ~、と大変満足そうにしているヴィオラ。
ダブルでナデナデなんて今までやったことがなかったけど、やってみるものである。
なんだかプロフェッショナルな気持ちになってきた僕は、このまま撫での二刀流として、免許皆伝まで突っ走ろうかと考えていると――
しばらく目を伏せてじっと撫でられていたヴィオラが、思い出したかのように目を開き、一言。
「私、スロー好き!」
突然、とんでもない告白をカマしてきた。
「えっ!? えっ!?」
先程の子分口調から一転した、ヴィオラからのド直球の好意の表明に、僕は先程の戸惑いも相まって、動揺の極致へと達した。
撫でのプロとして、僕の左右の手は、レトとヴィオラの頭をそれぞれ撫で続けてはいるものの、脳がパニック状態に陥っている現在、それはもはや自動人形のような理で、ただ動作しているだけだった。
すると、ヴィオラがその碧眼に僕を映して――
「えへへ、どうだった? レトちゃんの真似、似てた?」
いや、今のレトの真似かい!!
僕は、あまりに急激な方向転換のせいで、脳のハンドルが折れてしまいそうだった。
というか折れた。もう操作不能。
可能な限りのイケボで、「僕も、ヴィオラのこと好きだよ……」と返すか、脳内で最終合議までいったぞ。
「こらこら、ヴィオラ。スローが好きなのは分かったから、あんまり揶揄っちゃダメだよ。すーぐパニックになっちゃうんだから」
クラリィがそう言って、優しくヴィオラを諭した。
が、もう遅い。自慢ではないが、すでに僕はパニック状態である。
「は~い!」と、可愛い笑顔で、クラリィの言うことに従うヴィオラ。
全く……。天界城のおてんば姫のすることは読めない。
僕が荒ぶる心を静めていると――
「ん?」
ヴィオラのすぐ隣で、サント・セイント号の船長が、無言でキャプテンハットを傾けていた。
いつもと同じく彼は幽霊のように青白い顔色をしていたが、目だけは期待でキラッキラに輝いていた。
「船長も!?」
「ぶぉ~くも、よろしくお願いしたいねぇ~」
いや、船長は、よろしくお願いすな。
頭を撫でる代わりに一発シバいてやろうかと思ったが、僕はプロ。
しばらくずっと船の上でお世話になっていたこともあったので、僕は、「我慢、我慢」と心の中で自分に言い聞かせて……。
いや、実際に「我慢、我慢」と声に出しながら、船長をハットの上から撫でてあげた。
頭の上から手がいなくなり、レトが不服そうに「むう」とほっぺたを膨らませている。
一方、船長は、僕に撫でられながら、「あ~。これは、いいものだ~ねぇ~」と、喘いでいる。
おい、止めろ。うっとりすな。
これでも一応、ハットの上からなんだぞ。
と、僕が究極にげんなりした気分でいると――
「スローくん……」
僕の背後――ほとんど耳の近くから、コルネットさんの囁きが聞こえた。
「はっ、はいっ!?」
びっくりして、声が裏返る僕。
頭を撫でる作業に勤しんでいた両手も、反射的にその持ち場を離れた。
「まさか……。コルネットさんも、僕に頭を……?」
「いえ……」
ほっ~。よかった……。
これ以上は、手が過労死するところだったからね。
「頭もいいですけど、私は羽を撫でてもらいたいです……」
「えっ!? 羽を!?」
「はい……」
あれっ? ちょっと待てよ。
確か、「天使の羽を撫でる」というのは、とてもセクシャルな行為だったと記憶しているが。
僕の記憶違いだったか?
そんなことを考えながら、肩越しではなく、しっかりと振り返って、コルネットさんの表情を窺う。
すると――
「私、スローくんにだったら、いいかなと思いまして……」
頬をうっすら染めて、そう言うコルネットさん。
……。
うん。ちゃんとエッチ。
大丈夫ですか?
これ、セクシャルな方面で重大なハラスメントがあったとして、案件化されてしまわないですか?
僕、捕まりませんか?
と、流石に怖くなったので――
「それは、またの機会に」
僕は、誤魔化しにもなっていない誤魔化しで、その場を取り繕った。
その瞬間。
「おい、お前ら!! そこで何をしている!!」
波止場に降り立つと同時に、男女の区別なく、無闇矢鱈に頭を撫でたり撫でられたりしている、非常に怪しげな集団。
それを取り囲まんとする何者かの影が、そこにはあった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第163話 消えた客船サント・セイント号』は、10月31日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。




