第161話 聖獣って食べてもいいんですか?
いよいよ新章スタートしました!
「あー……。やっちゃった……」
竜車の御者台から降りた僕は、そう呟くしかなかった。
青々と広がった草原に、白銀色の体毛が美しい狼が横たわっている。
ただ、その体躯は一般的な狼のそれとは比べ物にならない程に大きい。
横たわっている姿は、もうちょっとした山のようである。登頂に成功した場合、かなりの達成感が得られることだろう。
まだ辛うじて息はあるようだが、鋭く尖った牙は砕かれ、額にはたんこぶができてしまっている。
「スローくんを食べようなんて、私が許しません! めっ、ですよ!」
たった今、この巨大な狼の顎の下に、強烈な上段蹴りを浴びせたばかりのコルネットさん。
彼女は天使の羽をピンと伸ばしながら、目の前で気を失っている、自分の身体の何十倍もあろう大きさの狼に向かって、そう叱りつけた。
「そうだそうだ! 急に襲ってくる方が悪いんだからな!」
クラリィはまだ興奮しているのか、小さな天使の羽をパタパタさせて、コルネットさんの言葉に同意すると、手の中で激しく光を放っている魔導書をようやく鎮めた。
あれは、絶海の孤島で知り合った黒魔術師から分けてもらった魔導書らしい。
先程、彼女があの魔導書に魔力を注ぎながら、「土巨人の拳!!」と、叫ぶと、突然大地が隆起し、巨大な狼よりもさらに一回り大きな拳状の物体が出現した。
そして、その拳状の物体は、コルネットさんの蹴りを受けて浮き上がった狼の頭の上から、スーパーヘビー級の一撃をお見舞いしたのだった。
天使族で構成された天界城の精鋭部隊、姫騎士団。
その団長、および、史上最年少姫騎士の二人のコンビネーションは見事と言わざるを得なかった。
それは、あっという間の出来事。
涎を垂らした化け物狼を前にして、僕が走馬灯を眺めながら、「さよなら、みんな……」と、辞世の言葉をお漏らししている間に、もうすでに討伐は完了していた。
瞬殺だった。まぁ、まだ息はあるみたいだけど。
ただ、一つ心配なのが……。
「こいつってさぁ……。まさか、さっき兵隊たちが言ってた三大聖獣の一匹じゃないよね……?」
そう不安がる僕の声を聞いた天使の二人は、気絶している白銀のモフモフに一瞬だけ目を落とした後――
「ふふふっ」
「はははっ」
と、僕の目を見て、ただ静かに笑った。
野生のモンスターとは到底思えない毛並みの艶やかさ。
そして、筋骨隆々とした前肢と後肢についている豪華な金色の装飾品。
殺気が消え、牙も失い、眼光の鋭かった二つの目も伏せられている狼の現状は、総合的に見ると、いい具合に厳かな雰囲気が醸し出されているようにも思える。
というより、どう見ても聖獣。
「まっ、まぁ、もしそうだったとしても大丈夫! 兵隊たちは、なんとか上手く誤魔化そう! それでもダメだったら、僕が責任をとるよ!」
戦闘力が皆無に近い僕には、それぐらいしかできないから。
大人しく投獄されますね。
「スローくん……」
「スロー……」
コルネットさんとクラリィが、申し訳なさそうに僕を見ている。
「いやいや、咄嗟のことだったから、仕方ない仕方ない」
こいつが、この平原を縄張りにしている三大聖獣の一匹だったとしても仕方ない。
いや、むしろ僕を食べようとしてくる方が悪い。
完っっ全に正当防衛だから、これは。
断じて責任転嫁ではないぞ!
と、誰に言い訳をしているのやら、僕がそんな強い気持ちで、失神している狼にもう一度視線をやると――
「この狼……。焼いたら食べられるかなぁ……」
アマゾネス族の幼女レトが、真剣な眼差しでお肉の検分をしており……。
「うんうん。あとで焼いてみようねぇ~」
天界王の一人娘ヴィオラが、メロメロの表情で、レトの横顔に熱い視線を送っていた。
「だーーっ!! 食べちゃダメーーっ!!」
ダメだから!! 食べたらもう、正当防衛じゃなくなっちゃうから!!
それと、ヴィオラの「あとで焼いてみよう」っていう狂気の提案は何!?
僕が急いで駆け寄り、サイコがパスしかかっている二人の凶行を止めに入ると、レトがスモークブルーの瞳にピュアな輝きを宿しながら――
「なんで食べちゃダメなの? ワタシ知ってるよ? この世はね、弱肉強食なんだよ?」
「いや、まぁ、そうだけど……」
「だって、この狼は、スローを食べようとしてきたんでしょう?」
「う~ん、確かに……。死は覚悟したかも……」
「じゃあ、食べてもいいんじゃない?」
「えぇ……? いいのか……? 食べてもいいのか……?」
もしかして、お兄ちゃんが間違ってました……?
幼女に論破されかけている僕である。
そんな中、ヴィオラが――
「うんうん。みんなで焼いてみようねぇ~」
と、笑顔でとても怖いことを言ったので、僕は途端に冷静さを取り戻した。
「やっぱり食べちゃダメ。こいつ、この辺りに住む人たちが崇めてる、神聖な生き物の可能性があるから」
僕がそう窘めると、レトは、「そうなの……?」と、少し寂しそうな表情になった。
口惜しいかもしれないけれど、息の根までは止めないであげて欲しい。
その代わりに、お昼ご飯は豪勢にいこうね。
と、財布の紐を握っているヴィオラに許可を得ることなく、僕が心の中で勝手な予定を立てていた、そのとき。
「動くな、密入国者たち!」
「お前たちは完全に包囲されている!」
僕たちを取り囲むようにして、数十名の兵士たちが、すでに攻撃の態勢に入っていた。
「おい、あれを見ろ! ハクロウさまが倒れているぞ!」
「あいつら……。イッカクさまだけでなく、ハクロウさままでも……」
「なんてことだ……。なんてことだ……」
「絶対に許さんぞ……」
なにやら周囲から、危ない感じがビンビンに伝わってくる。
絶対に許されない感じがビンビンのところ大変恐縮ですけれど、許しとくれやす。
待て……。
というか、こいつ……。
やっぱり聖獣だったのか……。
「大人しくしろよ!」
「さっきみたいに逃げる素振りを見せたら、その瞬間一斉に攻撃を加えるからな!」
「諦めて投降しろ!」
思い思いに怒鳴り声を上げる兵士たち。
彼らの怒りのボルテージは、もう最高潮に達している。
怒髪天どころの騒ぎではない。
油断すると本当に怒髪が天界城辺りにまで「こんにちは」してしまいそうなくらい、完全に怒り散らしている。
いくら僕以外のメンバーが戦闘に秀でているとはいえ、流石にこの人数が一度に相手となると、無事では済まないだろう。
ヴィオラは不安そうな顔で、レトの手を繋いでいる。
過去に色々あったせいで人間族が苦手なクラリィは、コルネットさんの背後で怯えてしまっている。
僕は、旅のみんなに目配せをした後――
「分かった、もう逃げも隠れもしない。けど、まずは話をさせて欲しい」
怒れる兵士たちの前に歩みを進めた。
正直、めっちゃ怖い。
むっちゃ怖いし、ごっさ怖い。
足なんか、緊張のあまり微細な振動を帯びてしまっている。初期微動。
プッルプルの、ピッリピリである。なんなら、ちょっと痒いくらい。
それでは、どうして僕たちが、こんな風に足が痒くなるくらい追い詰められているのか。
それは、客船サント・セイント号の船長のせいだと言っても過言ではない。
僕は、ちょっくら現実逃避がてら、港に到着した今朝にまで記憶を遡ってみた――
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第162話 撫での二刀流に迫る影』は、明日、10月25日(日)の投稿予定となっております。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します!