第159話 顔色ベリーグッド
デモーナの海賊船が去ったデスアイランドの入り江に、停泊している船が一隻。
客船サント・セイント号のデッキにいる僕は、船の手すりに体重を預けて、海を見るでもなく、星空を見るでもなく、出航までの一時を、一人でただぼんやりと過ごしていた。
波の音が静かに聞こえる夜の始まりである。
すると、船内へ繋がっている扉が勢いよく開かれた。
「スロー! シャワー、お先、でしたっ!」
全力疾走してきたのか、ヴィオラが息を切らしながら、僕に声を掛けてきた。
海水浴の後には、決まってシャワータイムというものがある。
僕たちもその例に漏れずシャワータイムに突入したのだが、部屋のシャワールームを利用できる人数には、もちろん限りがある。
なので、僕は紳士だからと、ヴィオラたち女性陣を優先してあげたのである。
すなわち、僕はベタつく身体のまま、ここで時間を潰し、海水を落とす順番を待っていたということである。
なぜなら、とても紳士だから。
「やぁ、ヴィオラ。そんなに急がなくてもよかったのに」
一人で黄昏れていた僕は、突然の物音に驚いたが、ヴィオラの姿を見て、落ち着きを取り戻した。
「いやいや~! スローは多分みんなの中で一番疲れてるから、身体についてる海水を早く洗い流した方がいいのでは、と思いまして」
「なんと、それは! お気遣いありがとうございます!」
何故か畏まった態度のヴィオラに、僕も恭しく頭を下げながら、そう返した。
「でも、僕、そんなに疲れてそうに見えた?」
僕は顔を上げて、ヴィオラに尋ねた。
「見えた見えた! だってスロー、今も凄い顔してたよ?」
「今も?」
「うん! 溶けかけのスライムさんみたいな顔だった!」
「溶けかけのスライム!?」
……って、どんな顔!?
「壊れかけのゴーレムさんにも似てたかも!」
「えっ!?」
今、僕、壊れかけの顔してたの!?
「それか、消えかけのゴーストさんみたいな顔!」
「ちょっとヴィオラさん! さっきから人の顔を淡々と消し去ろうとするの、止めてもらえませんか!?」
僕の懇願混じりのツッコミに、ヴィオラは、「ふふふっ! 冗談だよ!」と、戯けてみせた。
「でもね。実際、スローの表情を見てると、ちょっと元気ないなぁ、って思うよ?」
と、急に真顔になったヴィオラ。
彼女の澄んだ碧眼が、僕を捉えて離さない。
「そうかなぁ?」と、僕は空惚けた。
今、自分が冴えない表情をしていたことは、僕自身よく分かっていた。
「そうだよぉ。やっぱり、パンちゃんのこと?」
「う~ん、それもあるけど。この島ではいろんなことがあったからねぇ」
「疲れちゃった?」
「ちょっとだけね」
さっきまで僕は、このデスアイランドでの出来事を思い返し、百年前から今日まで繋がる歳月の途方もない流れに圧倒され、どこか浮かない気持ちでいたのだった。
もちろん、デモーナとの別れを惜しんでいたというのもあるが。
「じゃあ、余計に早くシャワー浴びに行った方がいいかもね!」
「部屋のみんなは、もうシャワー終わってるの?」
「多分、終わってると思うよ! そんなに心配しなくても、部屋の中だけで3カ所もシャワールームがあったから、どこかは空いてると思う!」
「えっ!? あの部屋って、シャワールーム3カ所もあったの!?」
流石、ロイヤル・スイート……。
と、ヴィオラが気紛れに選んだゴージャスすぎる船室に感服させられつつ。
「よしっ! それじゃ、行ってくるよ!」
僕は小さく気合を入れると、ヴィオラになるべく元気な顔を見せようとした。
すると、ヴィオラが、「他の誰かが入ってても、覗いちゃダメだよ~?」と、揶揄ってきたので――
「ははは、まさかぁ。ヴィオラじゃないんだから、覗かないよ」
と、僕もふざけて、そう応酬すると――
「ギクッ!! もっ、もしかして、バレてたの……?」
突如、狼狽え始めたヴィオラ。
彼女の美しい碧眼が、もう誰の目にも明らかなくらい泳いでしまっている。
バタフライに、背泳ぎに、平泳ぎに、クロール。
碧眼の個人メドレーである。
これが僕の水泳教室の成果かな?
「ええ……。ヴィオラ、ほんとに覗いたことあるの……?」
「ふふふっ! 冗談冗談!」
いや、冗談かい!
「焦ったぁ……。なんだ、冗談かぁ……」
「ごめんごめん!」
すっかり手玉に取られる僕である。
「でも、スローの顔に元気が出たみたいでよかったよ」
「えっ?」
「まだちょっと元気なさそうだったからさ」
それは、ほとんど無理矢理な、強引極まりない荒療治ではあったが。
ヴィオラの言う通り、さっきまで塞いでいた僕の気分が、少しだけ晴れていることに気付いた。
「元気出た?」
「うん。ありがとう」
「それならよかった!」
まるで自分のことのように喜ぶヴィオラ。
そんな彼女に、僕は心の中で改めて感謝を――
「いやぁ、よかった! だってスロー、ほんとにさっきまで元気なさすぎて、デスクラーケンの吸盤みたいな顔してたもん!」
「吸盤!?」
失礼な! もはやそれ、顔ですらないから!!
「あっ! 間違えた!」
「えっ?」
「デスクラーケンじゃなくて……」
「ん?」
「デスクラーケンモドキだった!」
「いや、重要なのはそこじゃないから!!」
吸盤みたいな顔って何、って話だから!!
あと、生き物に“さん”付けするこだわりはどこ行ったの!?
「どちらかと言えば、僕、戦う男の顔だったでしょ!?」
「う~ん……」
「ほら見て、この隠し切れない勇ましさ!!」
「どうだったかなぁ……」
「黙っていても醸し出される雄々しさ!!」
「醸し出されてたかなぁ……」
と、首を傾げて、今一つ煮え切らない態度のヴィオラ。
ただ、僕を茶化すように笑う彼女との時間は楽しかった。
いつの間にか、自然と僕まで笑顔になっていた。
「さっきのスローの顔はねぇ、強いて言うなら……」
「強いて言うなら……?」
「虚無っ!!」
「虚無っ!?」
「って感じだったよ?」
「僕、虚無顔してたの!?」
「でも、結構格好よかったかも」
「えっ、嘘。じゃあもう表情筋捨てようかな」
ホメているのか、イジっているのか、どっちなの?
と、たまに悪女の一面が顔を出すヴィオラに翻弄されまくりながら。
力技で元気を注入され続ける、すっかりベリーグッドな顔色の僕なのであった。
けどね。もうこれ以上は、元気の過剰摂取だからね。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話は、10月3日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
ご指摘やご感想もお待ちしております! 大歓迎!




