第140話 リベンジ オブ ジ イカ
海賊船の中央デッキは、悲惨な状況だった。
悪魔族で形成された海賊団は、恐らく個々の戦闘能力もそれなりにあったのだろう。
戦闘不能になっている者はあまりおらず、彼らはデスクラーケンモドキから加えられる猛攻から、なんとか船を守っているようだった。
ただ、そのほとんどは、やんごとない香りのする粘液にまみれていて、完全に意気消沈してしまっているようではあるが。
辺り一帯に広がる濃厚なイカ臭。
もはや濃厚を通り越し、特濃と言っても差し支えない程の芳しさである。
「おいっ! 聞け、野郎ども! デモーナ船長と人間族船長が助太刀に来てくれたぞ!」
ここまで僕たちを先導してきた海賊(名前を知らないので下っ端Aと呼ぶことにする)に対して――
「さっきから何度言ったら分かるんだ!」
「さっきから何度言ったら分かるの!?」
デモーナと僕がユニゾンでツッコミを入れる。
否定するのも段々面倒になってきたから、乗組員全員船長でいいよ、もう。
すると、下っ端海賊B以下、数十名の悪魔たちは、首謀者カシラの姿がないことに全てを察したのか――
「援軍か!?」
「あぁ、デモーナだ! これで一安心だな!」
「それにしても、あの格好はどうしたんだろう」
「全体的に白い感じだな」
「羽も白い」
「まるで天使族になっちまったみたいだ」
「俺、知ってるぞ。女の子ってのは、定期的にイメチェンをしてみたくなる生き物らしい」
「ほぅ、イメチェン」
「イメチェン」
「俺もイメチェンをしてみたいぞ」
「なんにせよ、きっとイカの化け物をやっつけてくれるはずだ!」
「やった! 助かった!」
「助かったぞ!」
「なぁ、ところで人間族船長って誰だ?」
まるで反旗を翻した事実など一切無かったかのように、戦力が増えたことを手放しで喜んでいる。
しかし――
おい、と。
ちょっと待て、お前ら、と。
悪魔族って、みんなこんなに調子がいいのか?
僕は、この下っ端海賊たちの異常なまでの心変わりっぷりに、怒りを通り越して、薄気味悪ささえ感じ始めていた。
こいつらには思うところや言いたいことが沢山あるのだが、ここはグッとこらえることにしよう。
デモーナがこいつらを許すというのならば、外部の人間である僕は口を出すべきではない。
口を出すのは野暮というものだろう。
そしてなにより……。
僕は、この海賊たちに、無事にデスアイランドまで送り届けてもらう必要がある。
変に内部統制について口出しして、うっかり本当に船長とみなされてしまっては困る。
生憎、僕の中には、冒険にロマンを感じちゃうようなパイレーツ魂は育っていない。
どちらかと言えば、安全なところでナマケモノのように、ゆったりのんびり暮らしていたい性分だ。
危険がいっぱいの海では、辛うじて二度寝することはできても、三度寝以降は満足にすることができない。
完璧なるインドア気質。ちっとも気が休まらない。
今も今とて、みんなが待ってくれているはずのデスアイランドに帰還したいという気持ちが大爆発している。
すでにホームシックならぬ、デスアイランドシックに罹患してしまっている僕である。
すると、僕の隣にいるデモーナが――
「何だ、そのデスアイランドシックというヤバそうな病名は?」
「えっ!? 今、僕の心の声、漏れてた!?」
「いや、その恐ろしい単語だけ耳に入ってきたんだが……」
「そっか、それならいいんだ……」
……。
いや、よくない。
いくら平常心じゃないからといって、公衆の面前で、「デスアイランドシック……」などという不気味な独り言を漏らしているやつがいたら、そいつは激ヤバ認定待ったなしである。
そんな危険人物とは距離を置きたいぞ、自分のことながら。
いっそのこと幽体離脱でもしてみるか?
「スロー。早いところ、このイカの化け物を何とかするぞ」
自分の身体から抜け出す方法を熟考し始めた僕をよそに、デモーナは真剣な表情で、暴れている巨大イカを見上げている。
イカの化け物は、相変わらず触手のような腕を器用に使い、下っ端たちを薙ぎ払ったり、押し潰したりしている。
ただ、こいつ……。どこか違和感があるような……。
いや、今はそんなことどうだっていい。
今こそ名誉挽回のチャンスである!
「オッケー、ここは僕に任せて。一発で仕留めてあげる」
僕はここぞとばかりに袖をまくって、力をアピールした。
そして、何も代わり映えしない――逆に安心感すら漂うスタイルで右手を突き出し、スキルを放つ。
「堕落ッ!!」
いつものように、僕の細い腕(現在、密かに筋トレ中)からは、特に何も放たれたりはしない。
けれど、大丈夫。
それでも前回と同じように、このイカ野郎は堕落し、縄張り意識を捨て去って、海へと帰っていくはずだ。
しかし、そんな僕の思惑とは裏腹に――
「クラクラクラーーーーケーーーーン!」
僕の目の前を、複数名の悪魔たちが、一気に吹き飛ばされていった。
見分けがつかないので申し訳ないが、恐らく下っ端HからPくらいまでが尊い犠牲になったようだ。南無。
……いや、待て。
のんきに南無なんて言っていられない事態だぞ、これは。
「馬鹿な!!」
僕の焦りの声がデッキに響く。
まさかこいつ、『堕落』のスキルが効かないだと!?
そんなはずはない!
スキルはちゃんと放たれたはずだし、この図体のデカさだ、確実に命中したはず!
だから、クラクラクラーケンのはずはないはず!
おっ、落ち着け、自分……。
はずはず言ってないで、もう一度、落ち着いて整理してみるんだ……。
スキルは放たれたはずだし、命中したはずだから、効かないはずはないし、クラクラクラーケンのはずは、絶対にないはずなのだ。
はずだし、はずだから、はずはないし、はずは、はずなのだ。
これはもう、間違いないことなのだ。
……。
どういうこと?
これまでのドタバタ騒ぎでかなり頭が疲れてしまっていることを、今ひしひしと実感している。
マジで何を言っているのか分からない、自分のことながら。
僕は今一度、冷静さを取り戻さなくてはいけない。
冷静に、冷静に。
現状を曇りなき眼で見定めて……。
「あれっ? このイカよく見ると、ヒレに変なギザギザが入っているような気が……」
それに、黒い斑点というか何というか、身体の模様も少し違っているような……。
あと、やっと違和感の正体が分かった。あれだわ、間違いない。
見覚えのある太さの腕に混じって、細い触手が何本か躍動しているみたいなんだけど、なんじゃありゃ?
まさかとは思うけど……。
もしかして、こいつ……。
デスクラーケンモドキじゃなくて……。
本物のデスクラーケンじゃない?
「クラーーーーケーーーーン!!」
身も凍るような本物の絶叫。
そして、無慈悲にも僕の真上に振り下ろされる極太のゲソ。
「ちょっと、それは聞いてない」
あっ、これ死んだわ。
目を伏せる暇もなく、僕が呆然と突っ立っていると――
「間に合え! 炎竜の呼吸!」
遠くの方から、聞き覚えのある勇ましい声が聞こえてきた。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになったり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第141話 もうこの際、構わないものとする』は、7月25日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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