第139話 失われし紳士、復権のとき
「たっ、大変だぁーーーー!!」
船体の揺れもまだ収まらない内に、敵の下っ端海賊が姿を現した。
敵討ちが済んだばかりの船尾に、再び緊張が走る。
「カシラ船長ーー!! 緊急事態ですーー!!」
かなり慌てた様子で、反逆者カシラの名を呼ぶ下っ端。
が、しかし。
この海賊船の船長だったデモーナを追放し、新たに船長に就任しようとしたカシラの野望は、僕たちの手によって文字通り水泡に帰した。
「あれ? カシラ船長は?」
船尾を見渡すものの、肝心のカシラの姿がどこにも見えないので、下っ端はキョトンとした顔をしている。
誠に残念ながら、君たちの船長になるはずだったカシラは、たった今、ヘルサのフルスイングによって、船外ホームランをぶちかまされてしまったところだ。
それを伝えるために、僕、デモーナ、ヘルサの二人と一体は、何も言わず、ただ黙って船の外を指差した。
「げぇーーーー!! カシラの野郎、負けちまったのかよ!?」
「おい、お前! 緊急事態と言ったな!? 何があった!」
「あっ! デモーナ船長! 大変なんです!」
「私のことはデモーナと言えといつも言っているだろう!!」
まさに光の速さで手のひらを反す下っ端に、デモーナが鬼の形相で詰め寄る。
「いや、今はそんなことどうだっていい。一体、何が大変だというのだ!!」
「あの、あの……。中央デッキの火の手はなんとか食い止めたんですが、船体が焦げる臭いに誘われて……」
「誘われて……?」
「巨大なイカが襲ってきました!!」
「巨大なイカだと!?」
巨大なイカだと!?
と、僕もデモーナと同じように驚きはしたものの……。
……。
僕……。なんかそれ、知ってる気がするんだけど……。
なんだかヌメッとした嫌な予感に、僕が身を強張らせていると――
「クラーーーーケーーーーン!!」
案の定、どこかで聞いたことのあるイカの鳴き声が、僕の耳に届いてきた。
「やっぱりね……」
僕は、かつての苦い経験を思い出しながら、小さく落胆の声を漏らした。
デスクラーケンモドキ。
それは、デスクラーケンに擬態しているただのイカである。
しかし、擬態しているくせに、本家のデスクラーケンよりも気性が荒く、縄張り意識も強いというよく分からない性質を持っている。
以前、僕は一度襲われたことがあり、そのときは、僕の『堕落』のスキルで、ゲソを干物にしてやったり、持ち前の縄張り意識をどうでもよくさせたりして、なんとか撃退したものである。
「早くあの化け物をなんとかしないと、今にも船が沈没しちまいそうです!!」
「一大事じゃないか!」
確かにデモーナの言うように、これは一大事である。
ただ前述の通り、僕はデスクラーケンモドキに関してはキャリアがある。
一日の長。ちょっとした有識者である。
もう、この道のプロといっても過言ではない。
いや、待て。それは過言だ。
この道のセミプロといっても過言ではない。
「ねぇ、君。そのイカがいる場所まで案内してくれる?」
「なんだ、なんだ、人間族! お前に何ができるというんだ!」
「僕がなんとかしてあげるよ。数日前にも一匹倒した経験があるんだ」
「えっ? 本当?」
「人間族は嘘をつかない」
「ひゃあ、それは凄すぎる! 頼む! この船を助けてくれ!」
早速、『人間族は嘘をつかない』という嘘をつきながら、僕は目の前の下っ端を信じ込ませることに成功した。
「こっちです! さぁ、早くっ! 人間族船長!」
「人間族船長って何。っていうか、僕は船長になるつもりないから」
船長という響きはいいけれど、そこを誤解してもらっては困る。
そんなことを思いながら、調子のいい下っ端海賊に導かれるようにして通路を進もうとした、そのときのことだった。
「あの……すいません。人間族船長?」
「だから、僕は船長じゃないって言ってる――」
「こういった場合は、どう対処すればいいのでしょうか?」
こちらへ振り向きざまに、僕の声を遮るようにして、そう尋ねてくる下っ端。
その胴体には、白くて半透明の……。
先の細くなった触手が巻き付いていた。
おいおい。これは穏やかじゃないな。
お前。イカ野郎に捕まってんじゃねーか。
「あー……。それはもう引き千切るしかないよね……」
僕は、この道のセミプロフェッショナルとして、対処法を懇切丁寧に教えてあげた。
そんな素人でも分かる僕の助言を聞いて、すっかり青褪めている下っ端。
「引き千切らないと、どうなるんでしょうか?」
「その場合、海に連れ去られて、食べられるか……」
「げげげ……」
「ここの捕まえられてる部分で、逆に引き千切られて……」
「げげげーーーーっ!?」
「そして、食べられるか……」
「もう食べられるのは確定事項なんですか!?」
僕のダメ押しの言葉に、下っ端は脅え散らかしている。
さっきまでのピリついた極限状態から解き放たれた反動なのか、僕はなんだかこの下っ端を脅かすのが楽しくなってしまっていた。
そうして、僕の心が悪魔族よりも悪魔的な色に染まり始めた瞬間。
キラリと一瞬の輝き。
そのすぐ後、ふっと身体が自由になったらしい下っ端。
船上の廊下に、巨大なゲソの切り身が一つ、ポトリと落ちる。
「全く世話が焼ける」
そこには、僕たちの処刑用の大鎌を持ったデモーナが立っていた。
「あぁーー! 助かりましたぁーー! デモーナ船長ーー! 一生ついていきますーー!」
「私のことはデモーナと呼べと何度言ったら分かるんだ、お前は」
ここまでくると、ただ「船長」と言いたいだけなんじゃないかとも思えてきたが、下っ端は死の恐怖から救われて心底喜んでいるようだった。
すると、一転。
イカの粘液まみれになった下っ端は、表情を曇らせて……。
「けど……。どうしよう……。俺の身体、すっかりイカ臭くなっちまったよ……」
おい、下っ端よ。
お前。その物言いは大丈夫なのか?
「デモーナ、ほらここ。嗅いでみてくれませんか? どうです、イカ臭いでしょう?」
いや、こいつ。分かっててやってやがる。
ちらっと下っ端の目を見てみたが、そこに品の無い邪悪な光が宿っているのを僕は見逃さなかった。
ゲスの極み。
完全なるド外道である。
決して許されてはいけない。
こいつみたいな悪魔は、永久にイカ臭くあれ。
などと、今まで意識にさえ上らなかった悪魔的な考えまで、僕の脳裏に浮かび上がってくる始末。
しかし、デモーナは、そっち方面の知識に疎いのか――
「何だ、そんなにイカの臭いがついてしまったのか?」
と、今自分がセクハラを受けているとは微塵も思っていない様子。
彼女は、元々角だった部分――頭の白い羽をピコピコさせて、今まさに下っ端に言われるがまま、見るからにスメルズバッドな、穢れし悪魔の臭いを嗅がされそうになっている。
けど、それはいけない。
それだけは絶対に阻止しなければならない。
ここは僕が守ってあげなければいけない。
デモーナは僕が守る。
今こそ失われし紳士、復権のときである。
「デモーナ止めときな、それ猛毒だから」
「そうなのか?」
「うん。最悪死ぬ」
物は言いようである。
まぁ、究極に体調が優れなかったりしたら、そう言うこともあるかもしれないからね。
可能性はゼロではない。
「そっ、それでは止めておこう」と、僕の詭弁を聞いて、考えを改めたデモーナ。
それに対して――
「嘘だろ!? しっ、死ぬのか!? 俺、死んじまうのか!?」
と、大いに動揺している下っ端。
先程までのグへへ顔が、再び青褪めてしまっている。
真っ赤な嘘ではあったが、この猥褻野郎には効果覿面のようだった。
これは罰である。深く反省するように。
僕は心を鬼にして、下っ端に近づくと……。
彼の耳元でそっと――
「人間族は嘘をつかない」
そう情け容赦のない悪魔の囁きをしてやるのであった。
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次話、『第140話 リベンジ オブ ジ イカ』は、明日、7月19日(日)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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