第134話 さよなら、紳士
海賊船の奥にあるデモーナの寝室。
泥酔したデモーナ本人に誘われて、ノコノコとやってきたのはいいが、決して油断をしてはいけない。
ここは悪魔族が蔓延る敵陣のど真ん中。中枢。しかも異性の寝室である。
多感な時期である僕にとって、色々な意味でデンジャラス極まる局面と言えよう。
それでも僕は、メンタル強者。
持ち前の鋼鉄メンタルを活かしに活かして――
「こんなところをニギニギさせてやるのは、スローくらいなんだからな?」
「は、はぁ……、光栄です……」
デモーナの羽をニギニギしていた。
……もとい、ニギニギさせられていた。
今のところ、僕の口からは、「その背中の羽をニギニギさせてくれないか」などといったヤバすぎ発言は一度たりともなされていない。
そんな非紳士的な要求、僕がするはずがない。
というより、そもそもこの「羽ニギニギ」という謎の儀式が、非紳士的な所業なのかどうかすら分からない。
しかし、まぁ。
この水色の肌をした悪魔族の羽は、すべすべしていて、とても触り心地が良い。
羽の付け根の部分を揉んだり、滑らかな翼膜を撫でたりしながら、僕の脳内は、「一体、自分は何をやっているんだろう」と、とことん冷静でいた。
なんとかしてこの海賊船から脱出しないといけない。
そう思えば思う程、デスアイランドで離れ離れなったみんなの顔が浮かんでくる。
「羽はなぁ……。意外と重いから凝るんだよぉ……」
と、僕に羽をニギニギされて、気持ちよさそうな声を出すデモーナ。
これは、いわゆる逆セクハラというやつではないのか。
そう疑って止まない僕の視界に、ゆらゆらと揺れるデモーナの尻尾が入り込んでくる。
「デモーナ。ついでにこっちの尻尾もニギニギしておく?」
いや、それは違うだろ! 自分!
落ち着け! 変な空気に飲まれてはいけない!
「いっ、いや! そこはダメだ!」
「尻尾はダメなの?」
宴会場からここまで来る間、ずっと僕の腕に絡めてきていたのに?
「ダメダメ! スローは、見かけによらずスケベなんだな……」
デモーナは、急に頬を赤らめ、僕の何気ない提案を容赦なく拒絶した。
どうやら今の提案は、スケベだったらしい。
セクハラをされていると思っていたら、セクハラをしていた。
これはもう、何が何やら分からないことである。
ただ、紳士を自称している以上、無自覚にセクハラをしていたとあっては、そんなもの紳士の名折れである。
人間族だから悪魔族の生態について知らなくても仕方が無い、なんてことは言い訳にならない。
僕はもう今後、紳士を自称することができない。
アイデンディの崩壊である。
悲しい。
とても悲しい。
こんなことなら種族に関する図鑑でも読み込んでおくんだった。悪魔族の項目を特に重点的に。
さよなら、紳士……と、僕が物事を深刻に捉え、後悔の念に苛まれながら――
「僕というよりも、人間族はみんなスケベなんだ」
と、もう取り返しのつかない弁明をする僕。
デモーナと出会ってから何度か、この都合の悪いことを全て人間族に擦り付けるスタイルで乗り切ってきたが、今回は流石に……。
「そっ、そうなのか……!!」と、デモーナは納得している様子。
ちょ、ちょろい……。悪魔族って、ちょろい……。
と、僕の心の中が、悪魔族よりも悪魔じみてきた、そのとき。
「ふぁ~。スロー、もう充分ニギニギを堪能したか?」
「へっ?」
「なんだか、私、急に睡魔が襲ってきてなぁ……」
大きな欠伸をした後、涙目のデモーナは、自分のベッドに倒れ込んだ。
そして、何か重要なことを思い出したのか――
「そうそう、スローにだけは言っておこうと思ったんだが」
と、ベッドの上に仰向けに寝転がったまま、そう告げてきた。
「ん? 何? 内緒の話?」
「いや、内緒という程のことではないんだが、さっき縫いぐるみがいただろ? あの紫色の」
「うん……。いたね……」
きっとヘルサのことだ。
「あの縫いぐるみはな、実は昔、私が……」
固唾を飲んで、その先を待つ僕。
ただ、いくら待っても打ち明け話の続きが聞こえてこない。
「まさか……!?」
肝心なところでデモーナが寝てしまったのかと思い、僕がデモーナに近づくと――
「よお、スロー! 助けに来てやったギギ!」
動く縫いぐるみヘルサが、スゥスゥと眠っているデモーナの枕元に立っていた。
「ヘルサ!! こんなとこで何してるの!?」
「それはこっちのセリフギギ」
「ごもっともです」
全くもってその通り。えぇ、反論の余地は無いです。
「でも、なんで? ヘルサって、モフモフたちと一緒に網状拘束魔法で捕縛されてたんじゃなかったの?」
僕は、正当性しかないヘルサの言葉を受けながらも、疑問を解消すべく、彼に同様の質問をぶつけた。
「ギギ~? 忘れたのか? オレは簡単な魔法くらいなら解除できるんだ!」
「そうだっけ?」
「クリフサイドで、睡眠魔法で熟睡させられていたスローを起こしてやったのを忘れたギギ?」
「ああーー!!」
あったなぁ、そんなことも。
「網の魔法を解除して、モフモフたちが宴会場を大暴れしている間に、こっそり抜け出してきたギギ」
「凄いなぁ、色々と。じゃあ、今デモーナを眠らせたのもヘルサの魔法?」
「ううん。オンナは勝手に眠ったギギ」
それは違うんかい。
ということは、やっぱりデモーナは一番いいところで寝落ちしちゃったのか。
一体、彼女は僕に何を伝えたかったんだろう……。
そんなことを考えていると、部屋の外が俄に騒がしくなった。
「なぁ、カシラ。いきなり入っていっても大丈夫だろうか?」
「大丈夫じゃあないか?」
「でも、密室に男女が二人きりとなると、お取込み中ということも……」
待て待て。何を言っているんだ、外のやつらは。
「僕はもう、それこそ健全の代名詞みたいな男だけど?」
と、つい先程、紳士にさよならしたばかりの自分を綺麗さっぱり記憶から消し去り、扉の向こうにいる悪魔たちに身の潔白を主張する僕。
「それなら、ノックをすればいいんじゃあないか?」
「それもそうだな。流石、カシラだ!」
コンコンコンと、ささやかなノック音。
「どうぞー」
そう返事をしながら、天界育ちのみんなと違ってノックをしてくれる悪魔族の優しさを僕がしみじみ感じていると、扉が勢いよく開かれた。
そこにいたのは、海賊船のお頭のようでお頭でない、ややこしい風体かつ名前を持つカシラ、およびその他数名の海賊たち。
彼らはズカズカと部屋に入ってくると、ベッドの上で寝ている彼女を確認して――
「おお!! 作戦通り、デモーナが眠っているぞ!!」と、喜んだ。
「作戦通り?」
僕が首を傾げていると、カシラが僕の方を振り返り、一言。
「あぁ、そうだ。これからお前たちを捕まえさせてもらう」
……。
えっ?
それって、謀反的な?
大きな波が一つ、船体に当たって砕けた。
日が沈んだ夜の海を進む海賊船に、何やら良からぬ企みの気配が立ち込めていた。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第135話 謀反にござる!』は、7月4日(土)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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