第133話 海賊船の酒池肉林
ここは海賊船の一室、宴会の間。
海の荒くれ者たちの怒号や罵声が飛び交い、それを煽り、焚き付け、囃し立てる、楽しそうな声。
大量に用意された、湯気が立ち上る香ばしい料理の数々。
周りは飲めや歌えやの大騒ぎ。
テーブルマナーなんて皆無の、悪魔の夜宴である。
ただ、それにしても激しい。
無礼講にも程があるぞ。
「ねぇ、お頭。やっぱり船長として、この人数の海賊をまとめ上げるのって大変なの?」
たった今、目の前を高速で通過していった骨付き肉に唖然としながら、僕は隣で豪快に酒を飲んでいる悪魔族――カシラに声を掛けた。
しかし、彼はキョトンとした表情でこちらを見ているだけ。
その巨大な体躯に似つかわしい、馬鹿デカい酒器に手を伸ばしたままで、固まってしまっている。
まさか、僕、なんか変なこと言っちゃったか……?
と、僕が、ゴツゴツした顔のカシラと、少しの間見詰め合っていると――
「おーい! デモーナ船長ー! 人間族が何か言っておるぞー!」
カシラは僕から視線を外すと、遠くのテーブルにできている人だかり――ならぬ悪魔だかりに向けて大声を出した。
すぐにその中から、ヒョイとデモーナの顔が出てきた……のはいいが、声の主を確認すると、彼女は肩を怒らせてズンズンとこちらにやってきた。
「おい、カシラ! 私のことはデモーナと呼べといつも言っているだろうが!」
カシラのそばに来るや否や、彼を厳しく叱りつけるデモーナ。
「いやあ、スマン。デモーナ」
えぇ……。デモーナが船長なの……?
お頭って意味で、カシラと呼んでいたわけじゃないの?
それはややこしすぎるだろう……と、僕はカシラの風貌と名前から生じた誤解に、心の中で文句を垂れていると――
「おい! 楽しんでいるか、スロー!」
カシラを力ずくで押し退け、僕の隣の席を確保したデモーナが、笑顔で身体を寄せてきた。
露出の多い彼女の豊かな肉体が、僕の肌に触れる。
あと、かなりお酒を飲んでいるのか、少しアルコールの匂いが感じられる。
「う、うん……。デッ、デモーナの方はご機嫌みたいだね……」
「あぁ! デスアイランドでは金目の物はあまり手に入らなかったけれど、その代わりに珍しい生き物を捕まえたからな!」
今でもだだっ広い宴会場の一角には、ピンク色のモフモフたちが網状拘束魔法によって捕獲されたままになっている。
さっき僕がその前を通ったら、「アーギー……」や「ニーギー……」などと、複数の寂しそうな声が聞こえた。
そして、気配はなかったが、ヘルサもあの奥に埋もれているのだろう、きっと。
「デモーナ! 陸に着いたら、あいつらを闇市場に売りに行きやしょうぜ!」
と、一人の男の海賊が、ポテトを食べたり、遠くの誰かに投げつけたりしながら、僕たちの会話に横槍を入れてきた。
「おい、お前っ! 食べ物を粗末にするんじゃない!」
デモーナはそう強く叱りつけると、「断食」と、その海賊に向けて、赤黒い光をぶつけた。
「ぐがぁ! 腕が動かねぇ!」
ポテトを口に持っていきかけた男の手が固まる。
「ポテトを投げるな!」
「分かった、分かったから!」
「本当だな?」
「本当、本当!」
「なら仕方ない」
デモーナの許しの言葉を聞くと、男はポテトを頬張りつつ、逃げ出すように離れていった。
『断食』……。森の中で見た『絶食』とは、また別の呪いなのだろうか……?
「少し話は脱線したが、私は一応、そのつもりではいるのだ。けれど、あいつらは触り心地が良いからな。売らずに皮を剥いで、毛皮にしてもいいかもしれない。悩ましいところだ」
新たな呪いに驚いている僕の耳元で、デモーナは、げに恐ろしい修羅の計画を囁いた。
そのあまりのサイコさに、僕が改めてそっと網の様子を窺うと、一匹のモフモフがつぶらな瞳で、「アニギー……」と、僕に助けを求めていた。
僕は決して彼らの兄貴ではないんだけど、その悲壮感いっぱいの声を聞くと胸がチクリと痛んだ。
助けてやりたいという気持ちが少しだけ湧いてくる。
「なんだ? スローもあいつらが気になるのか? スローのために一匹だけ残しておいてやろうか?」
デモーナはそう言うと、右手をぼんやりと輝かせた。
少し離れた壁際から、一匹のモフモフが宙に浮かび、こちらのテーブルまで引き寄せられ――
「ほれっ!」
デモーナの声と共に、僕の手の中に着地した。
滑らかな毛触りで、とても心地が良い。
今、僕の左右の手のひらは、幸せでいっぱい。
「アーニー!」
その短い鳴き声に我に返り、モフモフに視線を落とす。
頭頂部が不自然に白く色落ちしてしまっている……。
こいつは見覚えがあるぞ!?
感動の再会とまではいかないが、顔見知りのモフモフとの巡り会いに、僕はなんとも言えない高揚感を覚えた。
「むむっ! スロー見てみろ! こいつ怪我をしているぞ! ほら、ここ!」
「いや、これは大丈夫。怪我じゃないんだ」
「ん? そうなのか?」
「うっかり森で漂白されちゃっただけだよ」
「はぁ、自然界は厳しいんだな」
こいつの頭のブリーチ具合は、ヘルサの手によって行われた人為的なものだったのだが、僕は敢えてそれを口に出さなかった。
「それにしても、スロー! お前、全然飲んでないではないか!」
デモーナは、お酒が並々と注がれたままになっている僕のグラスを見て、大きな声を出した。
「えっ? 僕、まだ未成年なので……」
「そうか、まだ未成年か! なら、あそこにハイナール100もあるぞ?」
「ひぇっ!?」
ハイナール100とは、ハイナールの実の果汁でできた未成年でも飲めるノンアルコールドリンクである。
ちなみに、ハイナールの実の果汁の成分の影響を受けると、僕は泥酔して褒め上戸になる。
一つも記憶が残っていないので自分では分からないのだが、それはもう恐ろしいくらい褒めるらしい。
僕は一度それで、客船サント・セイント号を沈めかけた……みたいだ。
「実は僕、ハイナール・アレルギーなんだ……」
嘘も方便である。
ハイナールの成分でブッ飛んで、敵の陣営を崩壊させるレベルの粗相をしてしまってはヤバい。
なんだ、つれないなぁ……と、不満そうなデモーナは、さらにダイナマイトな身体を僕に寄せてきた。
せっ、狭い……。
「ちなみになぁ、私は結構飲んでいるぞ?」
「そうなの?」
「あぁ! 浴びるくらい飲んでいる!」
「えっ?」
「もうスローの顔が4つに見えている!」
今すぐお冷やを持ってこい! 大量にだ!
「デモーナには、これを……」
と、僕はまだ口を付けていないお冷やをデモーナに勧めてみたが、当の本人は不要とばかりにそちらを一切見ず、僕の首へと腕を回してきた。
そして、そのまま僕に圧し掛かるかのように、体重を預けてくる。
「さっき、あっちのテーブルでな、人間族と仲良くなるにはどうしたらいいか聞いてみたんだ」
「はい……」
「そしたら、『取り敢えずしこたま酒を飲んで、しこたまボディタッチをすればいい』という結論が出たので、そのアドバイス通りにだな、ボディでタッチを……」
と、作戦の手の内を明かしてくれているデモーナ。
「ボディをタッチ」ではなく、「ボディでタッチ」なんて、思春期真っ盛りの男は死ぬ可能性すらあるぞ。
僕を失血死させたいのか。鼻から。
向こうのやつらめ。なんて悪魔みたいなアドバイスをするんだ。
……いや、そうか。
この人たちは悪魔だったわ。
デスアイランドにいたときよりも、デモーナの絡み具合や身体の密着度が高いのは、その作戦とやらのせいだったのか。
っていうか、身体の密着度……?
宴会の雰囲気に誤魔化されて、特に意識していなかったけれど……。
現在、僕の右頬にはデモーナの柔らかい「何か」がギュウギュウと押し当てられている。
今、僕の視界の端には、未成年にはまだ早い、その「何か」が強くその存在を主張している。
僕は紳士である前にルールを守る男なので、そちらに焦点を合わせないために、目から血が出るくらいの根性を発揮させていた。
そのときのことである。
僕の煩悩を鋭く感じ取ったのかもしれない。
ついさっきまで、僕の両手にすっぽり収まって、「アーニー」と小さく鳴いていたモフモフ。
その声が――
「ニギニギ……」
完全にアウトな方向へと変わった。
ダメ。
この状況下で「ニギニギ」は絶対にダメ。
流石に猥褻がすぎる。
「ニギニ……」と、鳴き声の途中で、僕はモフモフの口を手で塞ぐ。
「なぁ、スロー」
「はいいいいいっ!?」
「おお、どうした。急に威勢がいいな!」
「こここ、これが平常通りだけど、どうしたの、デモーナ?」
「こいつの言う通り、ニギニギしてみるか?」
えっ!?
「それは、あの、その、えっと……」と、パニック状態の僕。
「よし! そうと決まれば、私の寝室へ行こう!」
「デモーナの寝室!?」
「寝室以外のどこでニギニギするつもりだというのだ?」
「えっ?」
「まさかスローは、見かけによらずマニアックなのか?」
「ひぇっ!? あああ、えっと、僕というよりも、人間族が少し特殊なんだ」
適当なことを言って、人間族の名誉を著しく汚す僕。
「ほう。それは勉強になるなぁ」と、感心しているデモーナ。
本来ならモフモフは「ア」と「ニ」の発音しかできない生き物なのに、ヘルサが変に「ギ」の発音を教えたからこんなことになってしまったのだ。
次に会った時、どうしてくれようか。ヘルサよ。
「ハハハ! まぁ、邪魔が入ると色々面倒だからな! 今日は私の言うことを聞いておけ! なっ?」
酔いで頬を染めているデモーナは、そう言うと柔らかいその身体の一部をますます僕に密着させた。
有無を言わさぬよう、彼女の尻尾が僕の細い腕に巻き付いてくる。
そんな中、僕はというと――
「酒池肉林」という恐ろしい言葉が、脳の奥深くから引き出されたところだった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第134話 さよなら、紳士』は、明日、6月28日(日)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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