第131話 正体は不明でありたい
夕焼けの空が、夜の色に染まり始めた頃。
絶海の孤島、デスアイランドの入り江には二隻の船が並んで停泊していた。
一つは僕たちがここまで乗ってきた、客船サント・セイント号。
船内の至る場所に聖なる女神像が飾られている船長こだわりの一隻である。
そして、その隣。
風に棚引くのは、禍々しいドクロマークが描かれた帆。
まるでお手本のような海賊船である。
「ひぇぇ……」
そのあまりのステレオタイプっぷりに、思わず僕が声を漏らすと――
「うおお! デモーナが帰ってきたぞ!」
「これで一安心だ!」
「あいつらは、もうおしまいだ!」
デモーナと同じ悪魔族なのだろう。水色の肌をした屈強な男たちが、一斉に声を荒げた。
しかし、そんな騒めきを切り裂くかのような鋭い声。
「なんだ、この体たらくはっ!」
仲間の帰還に喜んでいた男たちを、デモーナが一喝した。
ヒィッと、身を寄せ合って縮こまる男たち。
ヒィッと、真横からの突然の大声に縮こまる僕。
そんなにデモーナは怖い存在なのか……とも思ったが、男たちが身を寄せ合って縮こまっているのは当然のことでもあった。
何故なら現在、僕の目の前には、縄で身体を縛られた男たちのまとまりがいくつもできあがっていたからである。
ギュウギュウに締め上げられている悪魔たちは、砂浜の上でとても窮屈そうにしている。
きっと、先に入り江に到着していたヴィオラたちに敗北し、無力化されてしまったのだろう。
彼らの海賊の衣装には激しい戦闘の跡が刻まれており、どれも一様にズタボロにされてしまっている。
「みんな強いからなぁ……」と、僕は旅のメンバーの頼もしさを再認した。
けど、肝心のみんなは、どこに行ったんだろう……?
周囲を窺っても、僕の目に映るのは、捕縛された哀れな男の悪魔たちだけ。
すると、突然、海賊船の上から巨大な黒い物体が飛来した。
「なんじゃあ、あの天使族の娘たちは! 今まで戦ってきた輩とは桁が違う!」
砂浜に着地するや否や、海賊船のデッキの方を見上げてそうボヤく大柄な悪魔。
肌の露出が多いデモーナとは異なり、全身を黒く堅牢そうな鎧で覆っており、ほとんど水色の部分が見えない。
その大柄の悪魔は、立派な角が突き出た鎧兜を器用に外すと、僕たちの方に視線を向けた。
「おぉ! デモーナじゃあないか!」
兜の下には、口髭をたっぷりと蓄えた、厳つい顔が隠されていた。
「おい、カシラ! どうしたんだ、このザマは!」
こちらに向かって呑気に手を振っている図体の大きな悪魔に対して、デモーナは怒鳴った。
この貫禄のある悪魔が海賊船の船長なのだろうか。その名の通り、お頭らしきオーラが滲み出ている。
「いやあ、デモーナが散歩に行っている間、暇だったから金を持っていそうな客船を襲ってみたはいいが、後から合流してきた用心棒たちがありえん強さでな」
「用心棒だと?」
「あぁ、相手は用心棒として天使族の娘を二人雇っていたみたいなんじゃあ。片方は高火力の魔法をバンバン撃ってくるし、もう片方は腕力が強すぎて全く太刀打ちできんのだ」
それは、クラリィとコルネットさんのことだろう。
彼女たちは天界城を守る精鋭部隊、姫騎士団のエリート。
二人が「ありえん強さ」であることは、僕もこの旅で体感している。
「それだけじゃあない! 急に幼い娘が暴れ出したかと思うと、残っていた戦力も一気にやられてしまった!」
それは、レト……だろうか?
「幼い娘? その娘一人に悪魔族の大人が大勢やられたというのか!?」
「あぁ、笑顔で太刀を振り回すんだ。ヤベェぞ。あれは猛獣だ」
うん。レトで間違いない。絶対だ。確定。
「それはヤバいな……」
と、流石のデモーナの顔にも恐怖の二文字が浮かんでいる。
今、僕の顔にも恐怖の二文字が浮かんでいるだろう。
バーサク状態に陥ったレトを思い浮かべてしまったから。
悪魔族たちが次々と切り捨てられていく凄惨な光景は想像したくない。
「太刀の使い方をよく知らなかったのか、全部峰打ちで、仲間は一人も死にはしなかったが……」
というカシラの嘆きが耳に届く。
よかった……。スプラッターな現場はないんだね……。
安心していいんだね……。
と、今海賊船のデッキが血だまりの状態ではないことに、僕が胸を撫で下ろしていると――
「おい、人間族」という低い声。
デモーナの冷たい瞳が僕を捉える。
「はいっ!?」と、僕の声が裏返る。
まさか……。
僕とみんなが仲間であることがバレてしまったのか……!?
「気を付けろよ、まだ近くにその猛獣がいるかもしれん」
あ、違った。
けど、デモーナ……。
お気遣いはありがたいのですが……。
その猛獣……。
うちの子なんです……。
すいません……。すいません……。
と、僕は、自分が今敵陣のど真ん中にいることにようやく気が付き、心の中で恐縮しまくる。
「他にも、正体不明の盾使い――」
あぁ……。それはヴィオラだ……。
「正体不明の喋るウサギの縫いぐるみと、弓矢使い――」
サティとティトレスさん……。
「それから、正体不明の喋り方をする血色の悪い男」
せんちょ……いや、喋り方は許してあげて?
本人はあれで真剣なんだ。多分。
「もう得体が知れないやつばかりで、厄介なんじゃあ!」
「化け物だらけの船なのか!?」
カシラの報告を聞き、デモーナが目を丸くしている。
すると、その流れで――
「なぁ、デモーナ。その人間族はどうしたんじゃあ? そいつも正体不明なのか?」
と、カシラが僕に興味を示してきた。
いいえ、お頭さん。
正体不明の帽子を被ってはいるけれど、僕は至って健全な人間族ですよ。
そうアピールしたいのは山々なのだが、ただ如何せん、緊張のあまり声が出ない。
「あー……。この人間族はなぁ……」
と、ポリポリと頬を指で掻くデモーナ。
その挙動は誰が見ても不審そのものである。
きっと、イモムシを怖がっていたことがバレないように、どう説明しようか悩んでいるのだろう。
「そう! 森の中で助け合った仲だ!」
なるほど、いい説明の仕方。
いやぁ、確かにあのとき、僕は森の中で……。
「死ぬところだったからね……」
森の中での出来事をしみじみと思い出しながら、僕が言葉を零すと――
「なんだって!? こいつ、デモーナを死の淵から救ったのか!?」
僕の余計な一言のせいで、カシラが勘違いをしてしまった。
「まっ、まぁ、そんなところだな!」
ヤバい。デモーナも上手く誤魔化せていない。
「ということは、この人間族……、デモーナでも敵わなかった相手を倒したということか……」
近くで拘束されている海賊の一人が、恐怖に怯えた表情で僕を見ている。
……。
それは、あながち間違っていない。
僕はイモムシを倒してあげたからね。非常に無害だけれど。
代わりに、デモーナは食人植物を倒してくれた。非常に有害だけれど。
今思い返しても、危険度に天と地の差があるだろう。
しかし、当然そんなことは知らない周りの海賊たち。
彼らは、今の一連の会話を聞いて、著しく動揺をし始めた。
「あ、あの人間族、絶対に只者じゃないぞ……」
「こっ、怖え……」
「普通じゃねぇよ……」
「特に、あの帽子がヤベェ……」
「あぁ、なんたって動いてるしな……」
おい、止せ。
僕は只者だぞ。
あと、この帽子のことは触れてくれるな。
僕だって気にしているんだから。
っていうか、コレ……。
まだちょっと動くんだけど?
思い出したら、めっちゃ怖いんだけど!?
と、焦り始めた僕の頭上――正体不明の帽子の、そのまた上の方。
先程までカシラが戦闘を行っていただろう、海賊船のデッキから。
「ヒュ~マン?」という間延びした声。
そして、そのすぐ後、サント・セイント号の船長が顔を出した。
……。
だっ、大丈夫。まだバレてはいないはず。
人間族ではなく、「ピーマン」の聞き間違いだとでも言っておこう、後で。
海賊たちには人間族で通さなければならないし、サント・セイント号の船長には天使族で通さなければならない僕。
取り敢えず、今だけ。
本当に今だけでいいから。
正体は不明でありたい。
そんな切なる願いが生まれた、黄昏時の入り江なのであった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでも明るい気持ちになり、クスっと笑っていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第132話 最悪の事態』は、明日、6月21日(日)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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