第128話 ファザレドと、魂が循環しない島
はっきり言って、紅茶を飲みすぎたのである。
客船サント・セイント号の船長を助けるために、みんなが入り江へ向かう準備をしている中。
僕は今……。
トイレの中にいた。
「お手洗いお借りしちゃって、すいませんでした」
老人ファザレドの小屋の隅にあるトイレから出た僕は、ハンカチで手を拭いながら、ベッドの上で横になっているファザレドに向かって、そう言った。
「あぁ、構わないよ。それよりも、お友達はいいのかい?」
「えっ?」
小屋を見渡すと、僕とファザレド、男二人だけしかいなかった。
「あれ? みんなは?」
「さっき三回目の放送があって、緊急を要するから早く来てくれって」
えっ!? トイレの中では何も聞こえなかったけど!?
遠隔放送魔法を行う際のエチケットみたいなものが一応あるのだろうか、と僕が考えていると――
「なんでも一刻を争う事態らしく、船が沈んでしまうかもしれないって、みんな慌てて出て行ったよ」
それはヤバい!! 敵はそんなに強いのか!?
「声を聞く限り……。船長さん、泣いていたよ」
えぇ……。泣く程なの……?
「もう号泣だった」
号泣なの!?
「それは、みんなも慌てて出て行っちゃうね……」
ファザレドの状況説明を聞いて、僕はただ、ぼやくことしかできなかった。
けど……。
先に行っちゃう前に、僕に一言くらいあってもよかったのでは……。
と、少し寂しい気持ちになってくる。
「そんな暗い顔をしなくても、みんな君のことを憂慮しておったよ。特に天使族の二人なんて、トイレの扉を開けようか最後まで迷っていたみたいだからね」
何それ、優しい……。
……いや、違う!
ノックしてくれたら気付くから!!
今までずっとそうだったけど、なんで天界育ちのみんなは、そんな頑なに扉をノックをしないの!?
何か深い理由でもあるの!?
と、僕が天界の文化的側面に興味すら湧き始めた、そのとき。
「ゲホッ、ゲホッ!!」
突然、ファザレドが酷く咳込み始めた。
「大丈夫ですか!?」
僕は急いでベッドのそばに駆け寄り、ファザレドの背中を擦る。
先程噎せた僕のなんかよりも、もっと病的な咳のように思えた。
薬……。いや、せめて水でも持ってきた方がいいだろうか。
つい数時間前に出会ったばかりだから、僕は、老人の病状について、何一つとして確かな情報を持っていなかった。
みんなと一緒に船を助けに行ったのか、召使いの縫いぐるみサティの姿は、この小屋のどこにも見えない。
何か僕にできることはないのだろうか。
しばらくして、ようやくファザレドの呼吸が一定になってきた頃、彼の口に当てられていた白いタオルが赤く染まっているのが分かった。
「だいぶ楽になったよ。ありがとう」
ファザレドは、まだ苦しそうに声を絞り出した。
「ご病気……なんですか?」
あまりしゃべらせない方がいい、と気付いたのは、僕がその質問を声に出してからだった。
「いいや、寿命だよ」
ファザレドは、皺だらけの目を細めて、優しくそう言った。
「私はもう長くない。身体の痛みが日に日に増してくるのを感じる。ただ、このことはティトレスには黙っていて欲しい」
「分かりました……」
唐突に告げられた衝撃の事実に、僕はただ頷くしかなかった。
「あの子は、私なんかを百年も探していたらしいから……」
「百年っ!?」
ティトレスさんって、百歳オーバーだったの!?
てっきり同年代だと思っていたけど!?
「驚いているみたいだね。ティトレスは、エルフ族の私と人間族の妻との間に生まれたハーフエルフだから、若く見えるだろう。気付かなくても仕方ないよ、耳の形は妻に似たから」
そう言って、ハハハと笑う老人ファザレド。
いや、ハハハじゃない。
吐血したばかりなんだから、もうちょっと安静にして。
でも、そうか。ティトレスさんはハーフエルフだったんだな。
「それで、ティトレスさん、船で野菜と果物しか食べてなかったのか……」
「あぁ、それはあの子が偏食なだけだよ」
「えっ、そうなの!?」
それは関係無いの!?
と、老人に向かって、心の中で小さくツッコミを入れる僕。
しかし、今までの話が正しいなら、ファザレドは、長寿のエルフ族にしては少し老けすぎているように見える。
「死ぬ前に一目会えてよかった」
ファザレドは遠い目をして、聞こえるか、聞こえないか、そんな声にならない声で、そう呟いた。
そして、一転。僕の目をしっかりと見詰め――
「この島は呪われている。私のせいだ。だから君たちは早く出て行った方がいい」
強く、意志を持った声で、僕に警告を発した。
「それならファザレドさんも一緒にこの島から出ましょうよ」
僕は、父との再会を喜んでいたティトレスさんの顔を思い浮かべながら、そう言った。
「私は無理だ。この島から出られない」
「どうしてです?」
すると、ファザレドは少しの間沈黙した後、諦めたように口を開いた。
「昔、この島でとある魔法の実験をしたんだ。当時の私には確実に成功する自信があった」
遠い過去を振り返るように、ゆっくりと丁寧に言葉を紡いでいくファザレド。
「しかし、結果は失敗だった。代償として私は寿命の大半を失い、そしてこの島に閉じ込められた」
もしかすると、それでファザレドは長寿のエルフ族の割に、老いが進んでいるように見えたのかもしれない。
ただ、僕は余計な口を挟まず、黙って次の言葉を待った。
「この島に来る途中、海が赤く染まっている部分があっただろう? あれは私が目印として張った人払いの結界でもあるんだが、私はそのラインの外側の世界に出られなくなってしまった」
ファザレドは神妙な面持ちで宙の一点を凝視している。
海が赤く染まっている部分……。
僕は直接見ていないけど、悪夢から目覚めたとき、確かヴィオラがそんなことを言っていたような……。
「越えると……、どうなるんですか……?」
「私の肉体から魂が抜けだして、死ぬ」
何それ、怖い。
「それが……、呪い……」
「そうだ。私は実験に失敗して、この島全体に取り返しのつかない呪いをかけてしまった。もっと具体的に言うと、魂の循環が行われなくなってしまったんだ」
魂の循環。
命あるものが死ぬと、また次の生き物へと転生するという、この世界の死生観。
「僕、さっき森でイモムシが死ぬのを見ました。そしたら、中から黒いモヤモヤが出てきて、山の方へ向かっていって……」
「あぁ。あの山から吹き出している黒い煙は、この島の近辺で死んだものの魂が集まったものだ。転生することもできず、ただ風に乗って上空へ舞い上がり、また山へと帰っていく」
それなら僕は、すでにこの島の呪いとやらを目にしていたということになるのか。
一人で納得している僕をよそに、老人はなおも言葉を続ける。
「運よく結界を越えられた魂は、この救いのない澱んだ島から抜け出し、転生することができるのかもしれない。ただ、君もあの山の惨状を見ただろう……?」
「はい……」
黒い煙を発し、噴火しているようにさえ見える山。
夥しい数の行き場をなくした魂が滞留している惨状。
魂……。
「そう言えば、あのモフモフたちって、山肌に咲いている花の綿毛に魂が入り込んだって言ってましたっけ」
「どうもそうらしい。拠り所を求めた魂が見つけた新しい器が、あのモフモフみたいだ。どうしてだか、あのピンク色の綿毛にだけは魂が入り込めるらしい。私は長年、魂の研究をしていたが、こんなことは初めてだったよ」
ファザレドはそう言うと、昔を懐かしむような遠い目をして、口を閉ざした。
あのモフモフ、元は植物らしいって言っていたけど、そんな事情があったのか。
この島のことが少しずつ明らかになるにつれ、まるでファザレドの過去も少しずつ暴かれていくような気がした。
それは罪の告白にも似ていて、ファザレドの持つ後悔の念が、僕にまで伝わってくるようだった。
ファザレドは、このデスアイランドで、一体どんな魔法を完成させようとしていたのだろうか。
僕の脳裏に、そんな疑問が浮かんでくる。
静かな部屋に、時を刻む掛け時計の音がしている。
「そろそろ君も海岸に向かった方がいいんじゃないか? お友達が待っているかもしれない」
「でも、ファザレドさん……」
「私はもう大丈夫。一人でも問題ないよ」
ほんの少しの間だけの沈黙を破り、再び口を開いたファザレドは、少しだけ肩の荷が下りたかのように微笑んでいた。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
本作をお楽しみいただき、少しでも明るい気持ちになっていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第129話 森の伏魔殿』は、来週の土曜日、6月13日に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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