第127話 潤い地獄
突然、老人ファザレドの小屋に、サント・セイント号の船長の声が響き渡った。
「ごじょぉ~せんのみなさまにご連絡申し上げまぁ~す。船内放送だよぉ~」
みんなが一斉に壁や天井を見上げ、声の出所を探っている。
しかし、よく考えて欲しい。
僕の知っている船内放送とは、文字通り船内に流れる放送である。
ここは絶海の孤島、デスアイランドにある小さな村の一角。
誰がどう考えても、ここに船内放送が流れるわけがないのである。
「ん~? 私たち、今はご乗船してないけど?」
と、ヴィオラも首を傾げて、僕と同じく至極真っ当な疑問を持て余している様子。
「只今から、本船サント・セイント号は臨戦態勢に入りまぁ~す。お手隙の方は、ぜぇ~ひ船の方までお越ぉ~し下さいませぇ~」
あの船、今から臨戦態勢に入るの?
「何かの間違いじゃなくて?」
僕の口から、思わずそのまま言葉が零れ出ていった。
すると――
「間違いじゃないよぉ~」
「いや、だから。なんで船内放送で会話が成立してるのよ」
一度目のときは船の上だったからギリギリ納得したけど、今のは流石に無理があるから。
これで、この声が船内放送じゃないことが明らかになったぞ。
確信したわ。これ魔法でしょ、絶対。
「とにかく、ご参加いただけると、ぶぉ~くは嬉しいよぉ~」
言いたいことだけを一方的に言うと、小屋のどこかから聞こえていた船長の声がプツンと途絶えた。
「また、変なことに巻き込まれそうだな……」
前回の船内放送の直後にあった厳つい出来事を思い出して、ゲッソリする僕。
少し前から続いていた壁際での仁王立ちを止め、腕を組みながら今後の対応について頭を悩ませていると――
「どうします、スローくん? 一度、船まで帰ってみますか?」
気が付くと、コルネットさんが僕の隣に立っていた。
「どわぁ! びっくりした!! ゲホッ、ゲホッ!」
極限まで渇き切っていた喉が、反射的に出た驚きの声で臨界点を突破してしまい、僕はただシンプルに呼吸困難になった。
以前にもあったけれど、コルネットさん、気配を消して隣に来るの上手すぎない?
天使族ではなくて、本当は忍びの者では?
「大変! スローくん、これを!」
そう言ってコルネットさんから手渡されたティーカップの中身を、僕は一気に飲み干した。
天界産の高級茶葉をふんだんに使用した紅茶が、砂漠のように渇いた喉を潤していく。
なんとか気道を確保しようと僕の肺が激しく活動すればする程、風味豊かな香りが鼻腔を通り抜けていく。
気を抜くとうっかり昇天してしまいそうなくらい息苦しいけれど、天にも昇りそうなくらい香りは素晴らしい。
もう昇天、待ったなし。
「ハァハァ……。ありがとうございます……。助かりました、コルネットさん」
僕が息を切らしながら、背中を優しく擦ってくれている天使コルネットさんに、そう感謝の念を示すと――
「少しは喉、潤いましたか?」
「はい、もう大丈夫です……」
「ふふふっ。それはよかったです」
コルネットさんは、僕の返事を聞くと、ほんのりと頬を染めつつも満足そうな顔になった。
……。
すっかり忘れていたけど……。
このティーカップは、さっきまでコルネットさんが口を付けていた……。
コルネットさんの、あの艶やかでしっとりとした唇が……。
しっとりした唇……。
先程までの生命の危機的な喉の渇きが落ち着いてくると、なんだか無性に恥ずかしさが込み上げてきた。
そんな煩悩まみれの僕とは異なり、「ん?」と、穢れのない微笑みを返してくれているコルネットさん。
僕が照れてコルネットさんから目を逸らし、複雑な気持ちで手元に残った空のティーカップを眺めていた、そのとき。
「スロー……。何か今、ひわいなこと考えてなかったかぁ……?」
テーブルの方から、クラリィの視線。
なんだか、かなり久し振りに卑猥警察になった彼女を見た気がする。
ただ、僕の心は絶賛乱れまくっている最中だったので――
「ボボボ、ボク ハ ゼンゼン ヒワイ ト チガウヨ?」
「なんでカタコトなの?」
怪しい……と、ジト目で僕の心の中を見透かそうとするクラリィ。
「ホ、ホントダヨ?」
しかし! 待って欲しい! 少し! 少しだけ!
思春期ジャストど真ん中の、僕の純情を取り締まろうとするのは止せ!
世の中には、仕方のないことだってあるんだ! 若さが故に!
そんな僕の青い葛藤もなんのその。
「コルネットさんは、スローが思ってるよりずっと清楚なんだからな! ひわいなことはダメなんだぞ!」
問答無用と言わんばかりに、僕の邪な思考を抑止しようとする刑事長クラリィ。
これが公権力の濫用というやつだろうか?
この世界では、思想の自由は権利として認められていないのか?
このままでは卑猥なことを想像しただけで御用になってしまう……。
今は想像してないけどね。
というか、僕は生まれてから一度も卑猥なことなんて想像したことがないけどね。
そんな調子で、僕が脳裏に浮かぶモヤモヤを必死に振り払っていると、コルネットさんがクラリィをなだめるように――
「まぁまぁ、クラリィちゃん。私、スローくんなら全然構いませんから」
そうそう、僕なら全然構わないって本人が言っているんだから……。
……えっ!?
流石のクラリィも、「えっ!?」と、驚愕の表情。
僕なんて、驚きのあまり、「ゲホッ、ゲホッ!」と、再び激しく噎せ出す始末。
“あざとさ”とは縁遠い、純粋無垢なコルネットさんのことだ。
恐らく、本人にそういうつもりは全くないのだろう。
しかし、大いに動揺を誘う天使の一言に、僕の気管はおかしくなってしまった。
「ゲホッ、ゲホッ! ガボッ! ゴバッ!」
「スローがヤバい! はい、これっ! 早くっ! 変な声、出ちゃってるから!」
ゲブッ! と、死にかけている僕から空のティーカップを奪い、クラリィが大急ぎで新しいティーカップを渡してくれる。
僕は胸を叩きながら中の紅茶をゴクゴクと嚥下し、渇きすぎてピトリとくっついてしまった喉の管に水分を与えて、緩やかにふやかしていく。
窒息寸前にも関わらず、天然由来の爽やかな甘味成分が僕の舌を喜ばせているのを感じる。
ゼエゼエと繰り返される喘鳴が徐々に鎮まっていく。
「ふい~……。助かったよ、クラリィ。本当に死ぬかと思った」
「う、うん……」
僕が命の恩人クラリィに感謝の意を表明すると、その顔が真っ赤になってしまっていた。
そうか、このティーカップは、クラリィの……。
クラリィ済まない、恥ずかしい思いをさせてしまって、と僕が心の中で謝罪していると――
「大丈夫ですか、スローくん。私、何か変なこと言っちゃいましたか?」
「いえ……。いえ……。コルネットさんは、そのままで大丈夫です……。あとは、こっち側の問題なので……」
「こっち側の問題……? さっきはよく聞き取れなかったんですけど、今の話って紅茶の回し飲みの話ですよね?」
「えっ?」
さっきは、よく聞き取れなかったの!?
そっか、そうだよな、やっぱり、と心底ホッとした表情のクラリィが見える。
僕のピュアなハートは、さっきから彼女たちに弄ばれまくりなんだが?
……。
まぁ、確かに、清純派のコルネットさんが卑猥なことを潔しとするヴィジョンは見えないけどさ。
緊張感が解れると同時に、身体の力が抜けていくような感覚があった。
すると、この一連のドタバタ劇を楽しそうに観覧していたレトが、こちらへやってきて――
「あのね。もう一滴しかないんだけどね。ワタシのもあげる!」と、どうやらおひねりをくれるつもりらしい。
「ありがとう、レト」
「うんっ!」
なので、僕は、ティーカップの中に残る一滴のご祝儀をありがたく頂戴することにした。
些少で微細な水滴を、まるでお神酒かのように、格式張った態度でクイッと呷る。
たった一雫とは思えない程の力強い芳香が、肺いっぱいに流れ込んでくる。
ふーー……と、恭しく両手で掴んでいたティーカップごと顔を下ろすと、いつの間にそばに来ていたのか、今度はヴィオラと目が合った。
「はは~ん。スロー……。その顔は、まだおかわりが欲しい顔だ……」
と、僕の目の前で、探偵モードに入っているヴィオラ。その手には、自分のティーカップが用意されている。
ただ、珍しく彼女のその推理は間違っていると言わざるを得ない。
何故なら――
「実は僕、もうお腹チャポチャポで……」
「いや……、スローのその顔は、『喉の渇きは治ったけど、今度は緊張で口の中がカワカワになってる』って顔だよ……」
「それって、どんな顔!?」
「だから、私の紅茶を持ってきたんだよ……」
「いや、これ以上は僕、溺死しちゃうかも……」
「ほれ、ほれ……」
と、面白がって僕に紅茶を与えようとしてくるヴィオラ。
何、この潤い地獄!?
と、一瞬焦ったけど、冷静になってみると本当だわ。
ヴィオラの言う通り、今、『さっきまでの緊張で唾液の分泌量が減って、口が水分を欲している』って感じがするわ。
自分ですら気付いていなかったことでさえ一撃で見抜いてしまう洞察力。
そんなヴィオラの圧倒的名探偵の才覚に、僕が驚かされていると――
「あああ、あの……。すいません……。もし、まだ足りないようでしたら、これを……」
ついにはティトレスさんまでもがオドオドしながら、両手に二人分のティーカップを持って、こちらへやってきた。
恐らくだけど、どちらか一方は老人ファザレドのものだ。
二者択一。そちらを引くとヤバい。
どうヤバいかは善意のファザレドに大変失礼だから濁しておくとして、彼との間接的な濃厚接触は是非とも避けたい。
そんな僕の内に眠っていた防衛本能が呼び覚まされた、その瞬間。
「みなさん、仲良く団欒してないで、早く来て下さいよぉ~」
再び、小屋の中に、ほとんど懇願に近い、船内放送……もとい、島内放送が響き渡った。
まるで縋るようなその声を聞きながら、「えっ、何? もしかして、船長ずっと聞いてたの?」と、少し怖くなりつつ。
邪悪な青年の心が芽生えた僕は、どうにかしてヴィオラとティトレスさんの紅茶だけをいただけないだろうか、と算段を立て始めるのだった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
本作をお楽しみいただき、少しでも明るい気持ちになっていただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第128話 ファザレドと、魂が循環しない島』は、次の土曜日、6月6日に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
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