第121話 夢から覚めた夢であれ
巨大イカとの戦闘から少し経ち。
まだ、たった一週間程度の船旅。
それなのに、僕は風邪を引いてしまったのである。
どうやら、デスクラーケンモドキが船を襲ってきたあの朝、パンイチのままで少々暴れすぎてしまったらしい。
僕が半裸状態だった理由。
それは後から分かったことだが、あまりにも凄い僕の寝汗を見たヴィオラが、僕を着替えさせようとしてくれたみたいで、その最中になんだかんだあり、結局そのまま忘れてしまったからである。
……。
僕は時々、ヴィオラが優しいのか酷いのか分からなくなってくる。
そんなヴィオラは、今。
僕が上半身を起こしているベッドのそばで――
「ふーっ、ふーっ。はいっ、あ~んして?」
消化に良さそうなおかゆを、僕の口まで運んでくれようとしていた。
優しい……。
ただ、このおかゆ。
デスクラーケンモドキの切り身が入っているのである。
「どうしたの、スロー。これ、万病に効くんだよ?」
白い陶器の皿から不気味なゲソがはみ出しているのが見える。
もちろん、スプーンの上にも……。
二度目になるが、僕は時々、ヴィオラが優しいのか酷いのか分からなくなってくる。
「ほら、あ~んだよ?」
あ~ん……。
渋々あんぐりと開けられた僕の口に、とろりとした半固形物が流れ込んでくる。
ほとんど流動食に近いのに、濃厚な魚介系のダシの味が口一杯に広がって――
美味しい……。
「どう、スロー? 美味しい?」
僕は黙ったまま、勢いよく頷いた。
「でしょ~? このおかゆ、私が作ったんだよ~」
えっ!? これ、ヴィオラが作ってくれたの!?
総合的にみて、ヴィオラはやっぱり優しい!!
すると、ヴィオラのお腹から可愛らしい音が聞こえてきた。
「へへへ。スローが食べてるところ見てたら、私もお腹空いちゃった」
ヴィオラはそう言うと、僕の食事だったはずのおかゆを一口パクリ。
えええええっ!? あの……ヴィオラさん?
「あぁ、ごめんごめん! でもこれ、我ながら結構いい出来かも! あともう一口だけ……」
幸せそうな表情で、二口目をハムっと咥えるヴィオラ。
僕の心が、俄に騒つき始める。
これはいわゆる……あの有名なやつなのでは?
関節……。
いや、違う。
その……、間接……的なやつ……。
僕の繊細な心が揺れる。
ヴィオラに声を掛けようとしても、喉に力が入らない。掛ける言葉が見つからない。
そんな思春期真っ盛りの僕をよそに、なおもおかゆを食べ続けているヴィオラ。
もはやこれは、「もう一口だけ」どころの騒ぎではない。
モリモリのモリだし、パクパクのパクである。
……。
いや、ヴィオラ! ほんとに食べすぎだから! お皿にもうほとんど残ってないから!
「ん? スローも食べたい?」
えっ?
……。
いやいや、それはダメでしょ、流石に。
少考の後、即座にそれを打ち消し、僕は首を横に激しく振った。
「いいんだよ、スロー? 私は全然気にしないから……」
彼女のつぶらな瞳。吸い込まれそうな程に、澄んだ碧眼。
本来は僕の食事だったはずでは?
そんな疑問もお構いなしに、ゆっくりと近づいてくるスプーン。
いいのか? これは、いただいてしまってもいいやつなのか?
落ち着かない僕の、口元に接近して――
そのスプーンが今、僕の唇に。
触れる、その刹那。
白く、眩しい閃光が僕の視界を覆った。
「あっ! スローが起きた!」
気が付くと、ベッドのそばにヴィオラが座っていた。
「やっぱり夢か……」
まさか、あれが現実なわけがないからねぇ……。
僕は、ベッドから上半身を起こして、ホッと溜め息をついた。
「ん~? 夢? スロー、どんな夢見てたの?」
「いやぁ……。優しいような、酷いような、ちょっとよく分かんない夢だったなぁ……」
「それは夢あるあるだね!」
不思議と声を出すことができなかったあたり、夢あるあると言えばそうなんだけど。
う~ん。しかし、びっくりした……。
「私もたまに夢を見るけど、不思議な夢ばっかりだもん。これは絶対夢だって感覚的に分かる夢とか!」
「あぁ、それこそ夢あるあるだね」
「それで、夢の中の私と、ベッドで寝てる私が会話するの。お腹空いたねぇ、今日の朝ごはんはなんだろうねぇ、って!」
う~ん。それは夢ないない。
「だから私、人より寝言が多いんじゃないかって不安なんだよねぇ。恥ずかしいもん」
「ヴィオラは独特な夢を見るんだねぇ」
「独特なのかな? よく地中を掘り進む夢とか見るよ!」
「もう、それは個性の塊」
空を飛び回る夢ならまだ分かるけど、地面を掘り進む夢はあんまり共感できないなぁ。
まさか天界育ちは掘っちゃうのか?
と、ヴィオラの持ち味が色濃く出た夢から、僕が一つの仮説を導き出した瞬間。
「そうだ! 私の夢なんかどうでもいいんだった! スロー、もう熱は大丈夫そう?」
ヴィオラは、思い出したようにそう言うと、グイッと僕に近づいてきた。
そして、僕の前髪を上げると、そっと額に手を当てて、静かに目を伏せた。
僕に額に、ヴィオラの手のひらの熱が伝わってくる。
「たっ、多分、もう大丈夫だと思うけど……」
「スローはねぇ……丸一日寝てたんだよぉ……うん! 熱は引いてるみたいだね!」
急なボディタッチに動揺している僕だけど。
よかった、よかった、と喜んでくれているヴィオラの天使のような微笑みを眺めていると、段々心が安らいでいくのを感じた。
「スローが寝てたとき、色々凄かったんだよ?」
「ん? 何が凄かったの?」
「海賊に追いかけ回されたり、海が真っ赤に染まったり! もうね、まさに船の処刑場って感じ! まぁ、みんな無事だったけどね!」
あぁ、みんなが無事でよかった……、という安堵と、あぁ、寝ててよかった……、という安堵のスクランブル交差点が大渋滞の大混雑である。
そんな意味不明な表現が脳裏に浮かび上がり、僕が現状を整理できないでいると――
「ヴィオラ! デスアイランドが見えてきたよ!」
突然、クラリィが部屋に飛び込んできた。
デスアイランド!?
……まさか、まだ悪夢の途中なのか!?
夢なら早く覚めて!!
そっと自分の頬をつねっている僕を見て、「スロー、だいぶ顔色が良くなったみたいだね!」と、嬉しそうなクラリィ。
その一方で、僕は刻一刻と迫りくる恐ろしい現実を受け入れられず、再び顔色を悪くしてしまいそうだった。
「ねぇ、クラリィ! デスアイランドはどんな感じ!? 冒険って感じ!?」
と、ヴィオラが目をキラキラさせている。
いや、ヴィオラさん……。
もうそのワクワク具合は、海賊のそれだから……。
ヴィオヴィオの実の能力者なの……?
「えっとねぇ。ピンク色の花が咲いてる綺麗な山が見えたよ!」
「綺麗な山!? それは素敵かも~!!」
おや……?
ヴィオラの言う通り、確かにそれは素敵かも。
まさかデスアイランドが怖いのは名前だけで、実は平和な島なのか?
僕が気を取り直して、気候が良ければ花見でもしようかと提案しようとした、そのとき。
「けどね、なんか山頂から煙が上がってたよ! 真っ黒のやつ!」
やっぱりまだ夢であって!!
黒煙、噴き出しているのはヤバいっ!!
「ええっ!? 真っ黒な煙!?」
と、流石のヴィオラも驚いて――
「それはそれで素敵かも~!!」
いや、ヴィオラの素敵の範囲、広すぎない!?
悪夢と悪夢的な現実の狭間で、情緒が乱高下する病み上がりの僕なのであった。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
読者のみなさまが、少しでも明るい気持ちになり、本作をお楽しみいただけていたら嬉しく存じます。
先週は大型連休だったこともありまして、今週も土日連続更新ができそうです!
なので、次話、『第122話 到着、デスアイランド!』は、明日5月10日(日)に投稿する予定となっております。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
(全然関係ないですけど、夢の中って何故か走りづらいですよね。)




