第114話 にく……うま……
もう夕食時だというのに、このレストランには全く人が見えない。
がらんとしたレストランのホールには数十人分の席が用意されているものの、テーブルについているのは僕たちだけである。
ただ、人の気配がないのは、ここだけの話ではない。
そもそも、このサント・セイント号に乗船してからというもの、僕は乗客らしき人をティトレスさん一人しか見ていない。
これは非常におかしなことだと思う。
「まぁ、あっちこっちに女神像が立ってるから、あんまりそんな感じがしないんだけどねぇ」
僕は、香辛料の効いたステーキを頬張りながら、そう言った。
ほんのり炭の香りがする肉の繊維から、旨味が肉汁として溢れ出てくる。
ビバ! お肉!
「やっぱりさぁ。この船は女神像が多すぎて不気味だから、乗客が少ないんじゃないかなぁ」
と、僕の右隣に座っているクラリィが、目玉焼きの乗ったハンバーグにナイフを入れつつ、言葉を返してきた。
湯気に紛れて、半熟の黄身がとろけて、濃厚なソースと絡まり合っている様子が窺える。
いわゆる“最高のやつ”である。
「マリアさん、人気がないんでしょうか……?」
僕の左隣に座っているコルネットさんが、ステーキを小さく切り分けていた手を止め、ポツリとそう呟いた。
もう彼女の中では、船内に蔓延る女神像のモチーフは、マリアさんということになってしまっているらしい。
ちなみに、あのナイスな焼き具合のステーキは、僕と同じメニューである。彼女と僕は食の好みが似ているのか、この旅ではいつも同じ料理を選んでいる気がする。
「でも、そのおかげで好きな部屋を選ばせてもらえたからね! 向こうの大陸に着くまで、私たち、ずっとロイヤル・スイートに泊まれるみたいだよ!」
僕の正面で「ラッキーだね!」と、破顔しているヴィオラの皿には、得体の知れない生き物のムニエルが上品に盛り付けられている。
ニコニコ顔のところ、誠に申し訳ないのですが……。
ヴィオラさん、ちょっと食に対する探究心が著しすぎやしませんか?
第一、その半透明の触手みたいなの、何?
……。
明日、僕も頼んでみよう。
「ベッドがね、すっごくふかふかなの! ワタシね、さっき思いっきり飛び込んだらね、天井まで跳ねちゃったもん!」
アマゾネスのスタイルなのか、骨付きのフライドチキンを骨ごとバリバリと噛み砕いた後、レトは興奮した様子でそう言った。
「ねー、ヴィオラ!」
と、隣のヴィオラに嬉しそうに同意を求めている彼女は、このレストランでは御行儀よくできているものの、どうやらロイヤル・スイートのベッドの誘惑の前では御行儀よくできなかったみたいだ。
……。
いやいや、ちょっと待って。
ロイヤル……スイート……?
聞いてないけど、勝手に決めちゃったの……?
あと、僕の認識が正しければ、空いていようが、混んでいようが、部屋の代金は変わらないんじゃ……。
これから僕たちは何泊することになるんだろう……。
僕は頭の中で大体の目算を立て始めたが、計算が進むにつれて末恐ろしくなってきたので、もう忘れることにした。
お肉、おいしい……。にく……うま……。
「い~やいやいや! ぶぉ~くのサント・セイント号は、連日だぁ~い盛況なんだよぉ~?」
違和感が大きすぎて、逆に触れられなかったのだが。
現在、このサント・セイント号の船長が、僕たちが食事をしている広い長方形のテーブルの短辺部分(いわゆる、お誕生日席)に堂々と座り、真っ赤なワインを嗜んでいる。
彼は何故ここに? 彼はいつからここに?
っていうか、今この船を操縦しているのは誰?
ここはどこ、私はだあれ?
にく……うま……。
「この辺りの海域は危険がいっぱいだから、っていうのもあるかもしれませんね」
ヴィオラの隣の席でフルーツの盛り合わせを食べていたティトレスさんが、船長をフォローするように言った。
彼女が僕たちと一緒に夕食をとっている理由。それは知っている。
先程の医務室での一件の後、ヴィオラが誘ったからである。
ちなみに、そのときの誤解は完全に正されている。
完全に正されている……と、信じたい。
正されていて下さい、どうかお願いします。
「ねぇ、ティトレスさん。危険って、幽霊船のこと?」
と、ヴィオラが、フィンポートの町で仕入れたらしき、例の噂話の確認を取った。
「ごっ、幽霊船!? わわわ、私が聞いたのは、海賊とか、海に住む大型のモンスターとかが現れるっていう噂なんですけど!?」
怖い怖い。現実味がある分、そっちの方が怖い。
いや、どっちも怖い。
「ここらの海域では、空に切れ目が見え~るという噂ばなぁ~しもあるよぉ~?」
船長が、噂ばなぁ~しを携えて、やけにノリノリで会話に加わってきた。
「空に切れ目!?」と、急にヴィオラの目が輝き始める。
「船の上で亡くなった者のたぁ~ましぃ~は、その空にできた切れ目に吸い込まれてしまうという……。まぁ~、昔ばなぁ~しに近いねぇ~」
「わぁ~! 不気味だね、レトちゃん! 怖いね、レトちゃん!」
「あははは、怖いーーっ!!」
船長の怖い話にも、どこか楽しそうなヴィオラと、セリフとは裏腹に絶対に怖がっていないレト。
「そぉ~でもないよぉ~。昔は観光のいっかぁ~んとして『空の切れ目を見ようツアー』が成り立っていたらしぃ~からねぇ~」
観光の一環だったの!? ツアーが組まれる程なの!?
何かの拍子で生きている人の魂まで吸いとってしまう可能性とか、その切れ目からモンスターが現れる可能性とか、他にも不吉な予兆としての可能性とか色々考えられるのに、恐れることなくそれを観光資源にしてしまうとは。
と、昔の人のメンタルのタフさに、僕が驚かされていると――
「いいい、今は……、成り立っていないんですか?」
「百年くらい前からパッタァ~リと見なくなったみたいだから、今ではまったぁ~く噂を聞かなくなったねぇ~」
船長は、ビクビクしながら尋ねるティトレスさんに、そう回答すると、ワイングラスの中身を一気に飲み干した。
百年くらい前っていうと、ちょうど七つの厄災が問題になり始めたときか。
厄災のどれかが暴れて、空の切れ目を埋めちゃったとか、……まさかね。
「他にも厄災が生まれたと言われている島があ~るとか、追放された黒魔術師が潜伏している島があ~るとか、色々物騒な噂ばなぁ~しは絶えないねぇ~」
海、こわい……。うみ……こわ……。
にく……うま……。
「スローが無心でお肉食べてる……」
と、クラリィが、海の恐怖に心を蝕まれ、ただ目の前の香ばしいお肉を貪るゾンビ状態に陥った僕に気付いたようだ。
「もう眠たくなってきちゃったの? んっ……」
その口の周りに少しソースが付いていたので、ハンカチで拭いてあげると、彼女は頬を赤らめて、「むぅ……」と言ったまま黙ってしまった。
テーブルの向こうでは、ティトレスさんが、「船長さん……。今のお話、後で個人的に聞かせてくれませんか?」と、神妙な顔をしている。
窓の外は真っ暗で、すっかり夜が訪れている。
揺さぶられすぎた僕の精神状態からか、さっきまで穏やかで一定だった波が、少しだけ高くなった気がしてくる。
この危険な船旅の不安を誤魔化すためには――
もうリッチなデザートを頼むしかない!
それも、ちょっとやそっとではない、超リッチなやつ!
みんなにバレないように……こっそりと……。
僕は、“うみこわ的、にくうま状態”から回復し、メニュー表のデザート欄に胸を躍らせた。
……。
両隣にいるクラリィとコルネットさんも唆そう……。
ふふふ……。共犯共犯……。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
読者のみなさまが、少しでも明るい気持ちになって、本作をお楽しみいただけていたら嬉しく存じます。
次話、『第115話 真の豪遊上手は誰だ』は、来週の4月18日(土曜日)に投稿する予定です。
これからも、ゆるゆるな異世界コメディーを何卒よろしくお願い致します。
全然関係ない話ですが、近頃バイオハザード3のリメイク版が気になっている私でした。かゆ……うま……。




