第109話 港の町フィンポートの停竜所にて
ロングドライブの後とはいえ、決して気を抜けないのが竜車の旅である。
地竜が集う停竜所。人間にとっては不快感のある湿度加減と温度設定。そして、鼻を刺激する獣の臭い。
竜車の番を任されている僕は今、御者台で――
寝ていた。
横になって。
「ハッ! 寝てたっ!」
いくら達人技『極限環境下での健やかな寝顔』を披露したとしても、見てくれる人など誰もいない。
どこか既視感を覚えながら身を起こし、僕は御者台を見回した。
今までずっと僕の枕になっていた縫いぐるみのヘルサが、うつぶせでペチャンコになっている。
特にリアクションがないので、きっとヘルサも寝ているのだろう。
停竜所の中には、無数の地竜が竜車ごと横一列に停められていて、その全てが大人しくしている。
そんな中、一際目立つ存在。
それが、僕たちの竜車を牽く緑竜のミドリである。
身体の色もさることながら、緑竜の体躯の大きさは、一般的な竜車牽きである地竜とかなり異なっている。
たとえ持ち前の俊敏な動きで襲い掛かってきたとしても、小柄な地竜では、堂々たる風貌のミドリには敵わないだろう。
また前述の通り、停竜所の環境は決していいものではない。
ジメジメだし、ムンムンだし、プンプンである。
通常人が安眠できる環境とは程遠いが、自堕落業界に身を染めて久しい僕からすれば、騒音がしない分だけまだましかなぁ、くらいのレベルである。
まだまだ全然余裕。だって僕はプロだから。
一応、僕たち一行がこの停竜所に入ってくるまでは、地竜同士がギャースギャースと鳴けよ騒げよの大暴れを繰り広げていたのだが。
ミドリが一歩足を踏み入れ、「クロンッ!」と、咳払いをすると、地竜たちは途端に静かになった。
きっと種族差というものを見せつけられたのだろう。
今となっては、縮こまって震えている地竜もいれば、地面に横たわり、死んだ振りをしている地竜もいる(たまに薄目を開いて、チラチラとこちらの様子を窺っているので、間違いなく生きてはいる)。
ミドリは、ついこの間、王都アセトン近郊の雑木林で、女王の風格を身につけたのかもしれない。
気持ちよさそうにスピスピ眠っているミドリを眺めながら、そんなことを考えていると――
疲れて休んでいた僕の代わりに、港の町フィンポートの視察に行ってくれていたみんなが帰ってきた。
「スロー! おまたせー!」
「おまたせーー!!」
やはりヴィオラは、寝起きに優しい顔をしている。眼福。
あと、彼女の隣にいるレトの服装が、この短時間でまた変わっている。
さてはヴィオラ、またこの町で衝動買いを……。
「あれっ!? スローが起きてる……」
まるで珍しい生き物を見るかのようにそう言うクラリィの手には、バッチリ本屋さんの紙袋が握られている。
……絶対ウインドウショッピングを楽しんでいただろう、みんな。
「ごめんね、待ったでしょ?」
と、申し訳なさそうな顔で、クラリィが御者台に歩み寄ってくる。
僕を見上げる彼女の瞳はつぶらで、とても澄んでいた。
「ううん、全然。今起きたとこ」
「そんな、『今来たとこ』みたいに……」
「ふふふっ、スローくんは紳士ですね」
クラリィの後ろから、コルネットさんもやってきた。
その手には何も見えないので、今回も彼女だけ不要不急の浪費をしなかったということだろう。コルネットさん、偉い。
「フィンポートの町はどうだった? 船は見つかりそうだった?」
僕がみんなに視察の成果を尋ねると、俄に全員が少し渋い表情になった。
「あれっ? ……ダメだった?」
「ダメじゃないんです……。船は見つかったんですけど、その船の船長が……」
コルネットさんの声が徐々に小さくなっていく。
「変なんだよ」と、困り顔のクラリィ。
「変なの?」
「そう! 絶対にあれは変な人間!」
「僕より?」
「スローよりも変!」
それは大概凄いことだぞ。確実に変な人間の認定をしていい。
「どう変なの?」と、僕が怪訝な表情を作って、クラリィに問い掛ける。
「なんかね……。その人、こだわりが強いみたいで、女しか客船に乗せられないって言うんだ」
「あぁ、それは変な人だね」
変で間違いないと思う。
しかし……。そうなると、男の僕はどうすればいいだろうか……。
積み荷に隠れて侵入するか?
う~ん。長旅になると、いつかはバレるなぁ……。
「百歩譲って天使族なら許してやる、とも言ってました……」
そう情報を付け加えるコルネットさん。
彼女の純白の天使の羽も、今は心なしか少ししょげて見える
すると、「手漕ぎボートなら、いっぱい売ってたんだけどねぇ……」と、ヴィオラが深い溜め息を吐いた。
……。
いや、手漕ぎボートで半年はヤバい。
そんなもの、向こうの大陸に着く頃には、腕だけで直立二足歩行ができるようになっているぞ。鍛えられすぎて。
そんな恐ろしい妄想をして、僕が背筋を凍らせていると――
「それならオレに任せるギギ!」
御者台の上で裏返ったまま、平べったくなっていたヘルサが、モゴモゴと何かを言い出した。
「わぁー!! ヘルサがぺったんこだー!!」
と、レトがヘルサのそばに駆け寄り、興味深そうに人差し指でツンツンして楽しみ始めた。
「オ、レ、が、ス、ロ、ー、を、船、に、乗、せ、て、や、る、ギ、ギッ!」
ヘルサ……。何か良い案でもあるのだろうか……。
その細切れになった言葉からビンビン伝わってくる嫌な予感に脅えながら、レトに弄ばれているヘルサを、僕はただ黙って眺め続けていた。
いつもお読み頂き、誠にありがとうございます。
気に入って頂けていたら嬉しく存じます。
次話『第110話 天使族の男スロー』は、来週土曜日の投稿となります。
これからも、ゆるゆる異世界コメディーをお楽しみ頂けたら幸いに存じます。




