第108話 話題を変えよう!
ロングドライブとはいえ、ほとんど手綱を扱う機会のない竜車の旅である。
海が見える街道。丁度良い日向の加減と振動。そして、心地良い潮風。
運転手の仕事を任されている僕は今、御者台で――
寝ていた。
座ったまま。
「ハッ! 寝てたっ!」
いくら達人技『背筋を伸ばしたまま座り寝』を披露したとしても、居眠り運転は決して許されるものではない。
僕は直ちに覚醒し、御者台を見回す。
隣でヴィオラが一生懸命何かを書き記している。
そして、走り続けている緑竜ミドリの背中の上で、ヘルサが手綱を持ちながら鼻唄を歌っている。
何事もなくてよかった……。
「あっ! おはよう、スロー!」
「おはよう……。ごめん、ヴィオラ。僕、手綱を握ったまま寝ちゃってたみたい……」
「あれ? スロー、さっき自分でヘルサに手綱を渡してたけど?」
「えっ!? 記憶喪失だわ、完全に」
記憶喪失というより、半分意識が無かったのだろう。もうそのときすでに。
「はは~ん。さてはスロー、さっき私に言ったことも覚えてないんでしょ~」
何それ。なんて言ったんだろう……。
どれだけ記憶を辿っても、朦朧としていたときの言葉など思い出せるはずもなく。
どうしよう、覚えてない……。
「お、お、お、覚えているともさ!」
「じゃあ、なんて言ったか答えてみてよー」
それはヤバい!!
話を……。話を変えなければ……。
「あー……、それよりさぁ! ヴィオラは、とても寝起きに優しい顔をしてるって話しない!? とても朝向きの顔だって話!!」
「わぁ、ありがとう! ……ってスロー。今、誤魔化そうとしてるでしょー」
ジトーっとした目で僕を直視してくるヴィオラ。
それはとても美しい碧眼ではあるが、ヘビに睨まれたカエルのように冷や汗が止まない僕。
終わった。万事休すとはこのことか。
せめて酷い言葉とか、悪口とかを言ってないといいけど……。
「すいません……。覚えてません……」
「私も聞き取れませんでしたっ!!」
なんじゃそりゃっ!?
「なんじゃそりゃっ!?」
たった今、僕の口から心の声が飛び去って行ったけど、喉のブレーキはどうした?
「なんかねぇ~。『ヴィオラって、やっぱりモニュモニュモニュ……』って言ってたよ?」
オーケー。分かった。喉のブレーキは故障中だ。間違いない。
僕の声真似をするヴィオラによって、自分の喉の不具合を了解した僕ではあるが、『モニュモニュモニュ』の部分は依然として謎のままだ。
……それは永久に謎のままでいいけど。怖いから。
「ヴィオラ。僕のモニュ発言は、ちょっと解明しない方向で一つ……」
「気になるんだけどなぁ……」
止めて! そっとしといて!
そ、そうだ……。今度こそ話題を変えよう。そうしよう。
「そういえば、ヴィオラさっきから何書いてるの? 日記?」
「これ? これはねぇ、天界城のみんなにお手紙を書いてたんだ~!」
「手紙か~。いいねぇ……ってそれ、魔導ペンじゃん!」
「そうなの! 王都アセトンの雑貨屋さんで売ってるのを見つけたから――」
魔導ペンとは、書いた文字を遠くの受信機に表示させる魔道具である。
そして確か……。結構、値が張る代物だったはずだけど……。
「即買いしちゃった!」
「そ、そうなんだ……」
あぁ、ヴィオラのとても良い笑顔だこと……。
やはりヴィオラ御嬢様は、高額商品であっても全く躊躇わないセレブ。
……けど、嬉しそうだからいっか。
「バス王に、僕からもよろしく伝えといて」
オッケー、オッケー! と、楽しそうにペン先を走らせているヴィオラ。
まぁ、いろんなことがあったもんなぁ。きっと書きたいことも沢山あるだろう。
僕は今までの旅をしみじみと思い返しながら、ふと気になったことをヴィオラに尋ねた。
「魔王城でコロラさんに会ったことは、バス王に教えてあげるの?」
「ふふふ……。コロラ伯母さんに会ったことはねぇ、いつかのために取っておきます……。あと、お父さんが『憤怒』の厄災と呼ばれてたことも……」
ふふふ、切り札だよ……、と小悪魔的な微笑みを浮かべるヴィオラ。
いつかのためって、そんなことある……?
と、意外と計算高い彼女に、頼もしさと恐ろしさを覚える僕。
そんな二人の方を振り返った、ヘルサが――
「おー! スローが起きてるギギ!」
と、牙の生えた口をパクパクさせて、脇見運転をし始めた。
悪魔の形をした縫いぐるみが「喋る」ということに関して、違和感を持たなくなるくらいには、僕たち一行とヘルサは長い付き合いになってきたのかもしれない。
紫色の布と、同色の光沢のないマットな質感の革で構成された縫いぐるみは、悪魔らしいと言えば悪魔らしいが、手作り感が凄い。
小悪魔と、悪魔の縫いぐるみが同席する御者台。ここは魔界。
「手綱、代わってくれてありがとうヘルサ。ごめんね」
と、僕が不手際を謝罪すると――
「ギギギ? まぁ、気にするな! かなり疲れてるみたいだったからなぁ!」
ふふっ、いいやつ……。
なんだかんだ可愛げのあるヘルサ。
「だって、スロー。あまりの疲れに、さっきヴィオラに、『やっぱり綺麗な目をしてるね』って口説いて……ムギィッ!」
話の途中で、僕は慌ててヘルサの口を閉じた。
いや、急に牙をむくじゃん! ヘルサ!
就寝一歩手前に囁いたらしい甘々な言葉を、無事に暴露されてしまった僕は、ヴィオラに聞かれていないことを祈って、恐る恐るそちら側を横目で盗み見すると――
「あーーっ!! あそこ!! 遠くに見えてるのって船じゃない!?」
何も聞こえていなかったのか、海を指差しているヴィオラ。
御者台に、彼女の天真爛漫な声が響く。
ただ、そんな彼女の頬がしっかり薄紅色に染まっていることを確認して、僕の赤面の度合も一層加速するのであった。
いつもお読み頂き、誠にありがとうございます。
気に入って頂けていたら嬉しく存じます。
次話『第109話 港の町フィンポートの停竜所にて』は、来週土曜日の投稿となります。
これからも、ゆるゆる異世界コメディーをお楽しみ頂けたら幸いに存じます。




