第102話 風のある墓前に花束
宙に浮かぶ島、アッシュランドを照らす陽光が強まり始めた頃。
身支度を整えた僕とヴィオラは、コロラさんに導かれて、魔王城の庭園に足を運んだ。
「この庭は、たまにワシが手入れしてあげているんじゃよ」
そう言ってコロラさんは、まるで我が子を見るような目で庭園を見渡した。
広い庭園には、優しい色をした小さな花が咲き乱れている。
そして、こうして僕たちが立ち止まっていると、その花たちを揺らす強い風が、時折通り抜けていった。
風が去っていく度に、微かな花の香りを感じた。
今、遠く視界の先には、澄んだ青空の中を、自由に浮かんでいる綿雲が見えている。
「スロー……。ついて来てくれてありがとね」
と、隣を歩くヴィオラが、ポツリと零した。
僕はそれに対して何も言い返せなかった。
ただ神妙な面持ちのまま、小さく頷くしかなかった。
アッシュランドで、七つの厄災の一つ、『嫉妬』の手掛かりを探るという僕たちの旅の目的は、ある種の決着をみた。
何故なら、この島にあったのは、手掛かりなどではなく、『嫉妬』の厄災と化す前の人物――アルティアさんのお墓だったから。
この場にいるのは、僕とヴィオラ、そして魔王城の主であるコロラさんの三人だけ。
個人的にお墓参りをしたいと言うヴィオラに気を使って、僕たち旅のメンバーは同行を辞そうとしたのだが、どういうわけか、ヴィオラは僕にだけ付き添いを頼んできたのだった。
百年の歳月を感じさせない整った石畳をしっかりと踏み締めながら、花壇の間を進んでいく。
すると、庭園の中央部に、綺麗な白い石で形作られたお墓があった。
「これがアルティアさんのお墓……」
ヴィオラが静かに独り言ちた。
“アルティア、ここに眠る”とだけ刻まれた墓石には、汚れ一つ付いていない。
かつて罪人の汚名を着せられ、嫁ぎ先の帝国にもいられず、故郷のエベレスティールにも帰れず、孤独に死んでいった罪無き花嫁アルティア。
「アルティアの肉体はここに埋葬されておる。地上では、アルティアの彷徨える魂は、厄災『嫉妬』なんて呼ばれ方をしておるが……」
いつも元気で快活な性格のコロラさんが、どこか寂しそうな表情で、言い淀んだ。
コロラさんは、生前のアルティアさんと会ったことがあるのだろうか。
いつ堕天させられて地上に降りてきたのかは定かではないが、コロラさんが初めてヴィオラと対面したとき、初めて会った気がしないなんて言っていたことから察すると。
およそ百年前、ヴィオラの前世(そう言ってしまっていいのかは分からないけれど)――ソプラティア王妃とは面識があったのかもしれない。
「ワシにとっては、可愛い義妹ソプラティアの、双子の妹じゃからな……」
「そうだよね……」
伯母の言葉を受け止めたヴィオラは、墓前にしゃがみ込み、手にしていた花束をそっと手向けた。
その白い花びらは、このまま永遠に腐朽しないのではないかと感じる程、純粋で清浄だった。
「きっとアルティアさんは、一人で頑張ったんだよね……。辛かったよね……」
ヴィオラの声が震えている。
僕は、この世界の供養や鎮魂の作法を知らない。
それでも、瞑目し、せめて肉体だけでも楽に、と祈った。
すると――
「あれ? なんで? どうしてだろう……」
ヴィオラのか細い声。
何事かと僕が目を開くと、彼女の碧眼から涙が溢れているのが分かった。
彼女の白い頬に、流れていく透明の粒。
「ヴィオラ、大丈夫……?」
と、僕はどうしていいのか分からず、しゃがんだままのヴィオラに寄り添うことしかできなかった。
「へへへ、大丈夫」
そう言って、作り笑いをするヴィオラ。
彼女は両手でゴシゴシと涙を拭って、立ち上がった。
「なんかね。私、ちょっとだけソプラティア王妃の気持ちが分かったような気がしたんだ。それで、この世界のどこかにいるアルティアさんと通じ合った……みたいな感じがして」
それを聞いて僕も立ち上がると、いつも通りに振舞う彼女の空元気の中に、重く切ない感情が隠されている気がした。
「まさか、ヴィオラ!! ソプラティアとしての記憶が戻ったのか!?」
と、動転しながらヴィオラの顔を覗き込むコロラさん。
「ううん。そういうのじゃないと思う。多分……私の妄想かな」
と、ヴィオラは自分でもよく分かっていないようだった。
ヴィオラとソプラティア王妃。
生きた時代の異なる二人には記憶の共有こそないけれど、二人の肉体と魂は密接に繋がり合っている、と以前、僕は天界城で聞かされていた。
だから、ヴィオラという人間を構成している要素のどこかにソプラティア王妃の欠片が残っていて、それが今、妹アルティアの墓前で覚醒し、ヴィオラ自身に干渉を加えた、なんてことも考えられなくもない。
信じられないような話だけど。
「けどね。アルティアさんが私を呼んでるような、会いたいって言ってくれてるような気がしたんだ」
ヴィオラはそう言って、目を細め、唇にギュッと力を入れた。
そのとき、一陣の風が吹いた。
庭園の小さな花たちが一斉に揺れ、ヴィオラの細い金色の髪がサラサラと靡く。
僕はそれを見て、口を開かずにはいられなかった。
「会いに行かなきゃね」
思わず漏れ出た僕の本音に、今度はヴィオラが黙って頷いた。
風が止み、静けさを取り戻した庭園。
ふむ……と、一呼吸置いた後――
「そうは言っても、二人とも……。アルティアの魂が、今どこを彷徨っているのか分かっていないんじゃろう?」
コロラさんは腕を組み、幼女魔王の姿に似つかわしくない大人びた表情をしつつ、そう言った。
確かに、彼女の言う通りだった。
リオンさんから教えてもらった唯一の情報を頼りに、アッシュランドまでやって来た僕たちには、もうこれ以上の手掛かりは残されていなかった。
けど、それでも。
振出しから。また一から情報収集をすればいい。
僕が、そう思っていると――
「私、分かる気がする……。伝わってくるんだ」
ヴィオラは、アルティアさんの墓石を見つめながら、そう言った。
真剣な眼差し。冗談を言っている様子はない。
「私の勘違いなのかもしれないけど……。スロー、ついて来てくれる……?」
と、僕の方を向き、不安そうに尋ねてくるヴィオラ。
僕はそれに、「ついて行くよ。どこだって行く」と、短く返した。
これは、昨日感じた「ヴィオラには逆らってはいけない」という畏怖などではない。真に僕の心からの言葉だった。
「ふむ。それなら、ワシはもう何も言うまい」
コロラさんが、首を竦めて僕に近づいてきた。
そして――
「どうやら、お主は邪なやつではないみたいだからのう。ワシの可愛い姪っ子を……、ヴィオラを頼んだぞ」
そう言って、僕のお尻をポンと叩いた。
僕は、「はいっ!」という簡素で力強い声と、ボギッという勇ましい尾骶骨の音で、それに答えた。
誰よりも非力な僕だけど、ヴィオラを、そしてみんなを、少しでも支えていけたら。
僕は、ただ強くそう思った。
さっき遠くに浮かんでいた綿雲は、もうどこかへ消えてしまっていた。
何もない群青の空の下に残る静けさ。
墓前に手向けられた花束が、清澄な空気に白く冴えていた。
お読み頂き誠にありがとうございます。
気に入って頂けていたら嬉しく存じます。
次話、『第103話 重装甲は剥がれない』は、明後日(1月23日)の投稿となります。
引き続き、異世界コメディーをお楽しみ頂けたら幸いに存じます。