卒業するまで、あなたを見てる。
「良いか、お前は俺だけを見ていろ。卒業までの辛抱だ」
遠野先生は、壁に手をついて、私を追い詰めるようにして言いました。そうです、いわゆる「壁ドン」というものでした。当時はその言葉を知りませんでしたが、後に知った時、遠野先生を思い出す程に、完璧なそれでした。
とても綺麗な御顔でした。きめ細やかな肌に切れ長な目をしていて、鼻筋もすぅっと通った顔です。それに加えて背の高い遠野先生は、女子生徒だけに留まらない人気がありました。私はその吸い込まれるような瞳に射抜かれて、声も出せないまま、ただ頷くことしかできなかったのです。
私がそうすると、遠野先生は満足そうに笑って、ポケットから鍵を取り出しました。車の鍵です。遠野先生はまだ新しい車に私を乗せると、そのまま家まで送ってくださいました。そうして私は、宮川先生のお誘いを投げ出してしまったのです。
宮川先生は私のクラスの担任で、陸上部の顧問でもありました。そのため体育用具倉庫の鍵を自由に扱えるので、勉強や家庭環境の悩みを聞く場所として活用していました。十八時を過ぎると陸上部員もいなくなるので、本当に、誰に聞かれるかも心配せず、相談することができるのです。その日もやはりお話を聞いてもらう約束だったのですが、遠野先生に呼び止められて、そのまま家に送られていったのです。
遠野先生は次の日から、私を図書職員室へ呼びました。他の先生は滅多にいませんでした。私は遠野先生が何かの書類を扱っている横で授業の課題を解いて、分からない場所があると、遠野先生に質問をしました。遠野先生の担当は倫理でしたが、大抵の科目は教えてくださるのです。そしてそうやって課題を進めていると、遠野先生は温かいコーヒーと、少しのお菓子を出してくれるのでした。
「遠野先生のお菓子は美味しいね。先生が昔から勉強の途中に食べていたお菓子なんだって」
ミサキさんと知り合ったのは、遠野先生が職員会議で不在の日の事でした。その日は雨が強かったので、彼女の足音は聞こえませんでした。ミサキさんは珍しくスラックスの制服を着ていて、彼女がとてもたくさん話し掛けてくださるので、私は学年を聞きそびれてしまいました。でもきっと先輩なのだろうと思っていました。遠野先生がいない日の放課後はミサキさんが図書職員室にやってきて、私に勉強を教えてくださるのです。何の教科でも、必ず、答えてくださるのです。
私には友達がいませんでした。休み時間はいつもひとりで、家に帰ると、母が私の知らない男と笑っています。宮川先生はそんな私の境遇を知って、最初に相談に乗ってくださった人です。ですから、遠野先生に呼ばれるようになっても、週に一度は早めに切り上げて、体育用具倉庫に向かいました。宮川先生には会えたり会えなかったりしましたが、そこで出会えると、宮川先生は必ず笑い掛けてくれるのです。
私の世界は彼ら三人で回っていました。
最初の百日は本当にそう思っていました。
でも、ある日の休み時間に、その噂を聞いてしまったのです。
「うちのお姉ちゃん、遠野先生に言い寄られたことがあったんだって」
詳しくは聞けません。彼女はクラスメイトだったけれど、話したことはありませんでしたから。ただ本を読むふりをして、聞き耳を立てることしかできません。
遠野先生、それがどんなに絶望的なことか分かりますか。
私はそれを直接言う度胸もありません。ただただ涙を堪えながら、知らないふりを続けるのです。昨日と同じように図書職員室へ向かって、遠野先生の隣で課題を解いて、いつもより少し早く帰りました。薄暗い廊下でミサキさんと擦れ違いましたが、挨拶をする余裕はありませんでした。
けれども、遠野先生もミサキさんも、全く私の扱いを変えませんでした。遠野先生は廊下で会っても何も言わず、ミサキさんは翌日会った時に謝っても、気にしなくて良いよと笑うのでした。
でも、それすら耐えられなくなる日が来たのです。
その日は遠野先生も、ミサキさんもいませんでした。机の上に荷物があったので、遠野先生はすぐに帰ってくるだろうと思いました。でもそれを見たのが切っ掛けでした。遠野先生がいつも持ち歩いている籠の中に、見覚えのある御守りがあったのです。
ミサキさんが、同じものを持っているのを見たことがありました。隣の県にある神社の物だと聞いていたものです。私はそれに気付くと、籠の中にあった、遠野先生のスケジュール帳を手に取りました。
スケジュール帳に印がありました。ミサキさんの誕生日と聞いていた日付です。カバーの下には写真が入っています。どこかの神社で、ミサキさんが笑っている写真です。
涙が止まらなくなった私は、図書職員室を飛び出しました。
体育用具倉庫で、私は泣きました。宮川先生は理由も聞かずに頭を撫でてくださって、私はそれでもっと泣いてしまったのでした。
そうしてすっかり夜になって、生徒は皆いなくなりました。私は何時間も泣いて涙も枯れて、疲れてマットの上に座っていました。宮川先生は私の涙を拭って、体育用具倉庫に、中から鍵を掛けました。
宮川先生は私の肩を押して、マットの上に押し倒しました。
とても強い力でした。泣き疲れた私は必死に抵抗しましたが、何の効果もありませんでした。あっという間に組み伏せられて、口を塞がれてしまいました。
具体的に何をするのかは知りません。でもきっと酷いことをされるのだと分かりました。塞がれた口で、必死に助けてと叫びました。思い浮かべたのはあの二人です。図書職員室で私と一緒にいてくれた二人。ついさっきまで裏切られたと思っていたのに、世界で一番憎いと思っていたのに、都合良くそう願っていたのです。
温かいコーヒーが恋しかった。ささやかなお菓子が恋しかった。隣に座ってくれる遠野先生も、一緒に笑ってくれるミサキさんも、ずっと遠くに感じました。どうして私はそこにいられなかったのか、考えても考えてもわかりません。最初から居場所なんて無かった。そう気付くと、もう、抵抗する力も尽きてしまいました。
そして、その時。
背中から突き上げるような、どん、という音が響きました。
体育用具倉庫全体が震えるほど、大きな音でした。
何度も何度も、耳が痛くなるくらい鳴りました。宮川先生は私を触る手を止めて、中を見渡しました。
その間もずっと音は響いていて、私の背中を、強い力が押しました。
弾かれるように起き上がると、宮川先生は私に手を伸ばしました。捕まる、と思ったその時、また音が鳴りました。それに突き飛ばされるように前に倒れると、宮川先生の手は、私を捕まえ損ないました。
鍵を回すと同時に、体育用具倉庫の扉は勢いよく開きました。ちょうど、音を聞いて駆け付けた遠野先生が手を掛けた所だったのです。
そこからの記憶は、少し曖昧になってしまいます。
遠野先生が上着を掛けてくださって、ひどく安心したのを覚えています。そして…そう、積み重なったマットの下に、収納庫の扉があるのを見つけたのです。鍵が掛かっていたけれど、近くにあった工具を使って、遠野先生が抉じ開けました。
翌日から、学校はしばらく休みになって、休みが明けると、宮川先生は急遽退職されたと聞きました。年が明けるまでの間は部活動も禁止になって、生徒は授業が終わると、速やかに下校するようにと急かされます。私はその間、放課後を市内の図書館で過ごしていました。
遠野先生が私を呼び出したのは、大晦日の前日です。指定された場所に行くと、車に乗って、少し山道を進んだところで降りました。
「三崎は俺が教師になった年に在学していたんだ」
遠野先生は、お墓の間を歩きながら、話をしてくださいました。
「三崎の家は長男にしか興味が無いらしかった。制服は兄の御下がりを着て、教材も、学校で配るもの以外は使い古しだった。そして毎日のようにそれを構っていたのが当時の担任と俺だった」
体育用具倉庫の扉を開いた時、私は恐ろしいとか、そういった事を感じませんでした。
ただ見覚えのある制服を、見覚えのある御守りを見て、ミサキさん、と呼び掛けたのでした。
「俺だけだ。俺だけしか探さなかった。あんな扉があるなんて知らなかったから、見つけてやるのがこんなにも遅れた。三崎がいなくなって担任は逃げるように退職した。必死に訴えたが、証拠がなかった」
その頃は、校外学習で隣県の神社に行っていたそうです。
遠野先生は副担任になったクラスの全員に同じ御守りを買って配ったのでした。そしてミサキさんの事を忘れないように、今も同じものを持っていたのです。
宮川先生は、そんな遠野先生の前に現れました。力強い身体と大きな声が、ミサキさんの担任の先生にそっくりだったそうです。そして半年もすると女子生徒の間で噂が立ち、毎日のように、体育用具倉庫で逢瀬を重ねていると知ったのです。
宮川先生に恋をしてしまうと、どんな忠告も聞こえなくなってしまいます。実際、私もそうだったでしょう。きっと、ただ釘を刺されただけでは止まりません。この恋だけは絶対だと信じてしまうのです。だって、それしか縋るものが無かったのですから。
遠野先生は優しいよ。優しくて頭が良くて、生徒のこと大事にしてるんだよ。
いつか、ミサキさんが言っていました。今ではその言葉の意味がよく分かります。遠野先生は、生徒のために危険を冒して引き留めてくださったのです。
帰り際に、私は深く頭を下げました。
そして車を降りると、家に帰ります。そこに私の居場所はなくても、部屋はありますから。あと少しの辛抱なのですから。
「遠野先生、私、卒業するまであなたを見ています。だから先生、先生も私を見ていてください。卒業するまでずっと」
それから。
卒業しても、私と遠野先生の関係は変わりませんでした。
きっと、先生とミサキさんがそうであったように。