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ヂオラマの街  作者: 黒色天国
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正義の墨

私は学生の頃より、堅物と呼ばれるような男でした。


けれどもそれを不名誉であるとか、己の行動を改めようだとかは思いませんでした。


私は、私にとっての正義を貫いていただけなのです。

学校へ不埒な本を持ってきたりだとか、便所で煙草を吸っているような輩を許さないのは、彼らが弱きものを傷付けるからでありました。決して、彼らの行動が気に食わないなどという理由ではありませんでした。


私の理念を分かってくれる者は僅かでしたが、それでも良いと思っていました。

私が中学に通っていた頃、一度だけ母様に挨拶をした女子生徒を覚えておいででしょうか。彼女もまた、数少ない私の理解者の一人でした。私の理念は不理解に苦しむのを多くするものでしたが、彼女のように、私を理解してくれる人に出会えたのですから、それは正しい事なのだと思えたのです。


国家公務員として検閲官を勤める事になった時も、私は誇らしさに満ち溢れておりました。この国に出回る悪書を一つ残らず取り除いてやろうと、決意を漲らせていたのです。


検閲官の仕事は悪書を探し出す事ですから、数々の書物と向き合わねばなりませんでした。卑猥な言葉や過激な言葉を見つけて、その一つ一つを墨で塗りつぶしていくのです。

その作業は決して簡単なものではありませんでした。政府が定めた禁句辞典を頭に叩き込んで、目に入った単語が該当するか判断せねばならないのです。加えて、その書物が反社会的な思想であるか等も判断せねばなりませんので、単に流し読みをする事もできません。


そうして検閲官として三年ほど勤めた頃、私は一人の作家を専門として任される事になりました。与那嶺南海という得体の知れぬその作家は男女の仲を事細かに書き連ねるのですが、思想や表現が絶妙に禁書の境を越えないのです。私は南海の本が出る度にそれを読み、この単語はどうだとかウンウンと唸りながら、必死に禁句を塗り潰していきました。


ご存知である通り、本が出ると末尾に担当した検閲官の名前が載ります。私の名前が載った本もありますし、載ることも世に出る事も無かった本もあります。与那嶺南海の本は、必ず私の名前を載せて世に出て行きました。


南海の本が十冊、私の検閲を通った頃の事でした。南海の本が、どうも私に話し掛けてくるようになった気がしたのです。それまでの本は男と女の心や身体の交わる様子を連綿と綴るような内容だったのですが、急に読者に、それも表現の一つ一つに目を光らせているような者に語り掛けるようになったのです。


どうやらそれが私に向いているらしいと気付いたのは、表現が変わってから三冊も本が出た頃でした。けれどもそれは決して作家が検閲官に敵意を向けるものではなく、私を労うような、妙な生暖かさを感じるものでした。


検閲への風当たりは非常に強いものです。検閲官が襲撃されたとか、そういう物騒な話を聞くことも多くなりました。南海はそういう事を、決して禁書の境を越えない域で言及して、私のような立場の者を労ったりしておりました。


先日の事件も、やはりご存知でしょう。

私の勤める役所が、検閲に抵抗する輩に襲撃され、一般人を含めて多数の死者が出ました。あの日、私は祖父の法事に出ていたので、お父様お母様と共に、ラジオで事の顛末を知りました。飯を食いながらこれは大変だと驚き、翌日時間通りに出勤して、より詳しい事を知ったのです。


襲撃に巻き込まれて死んだ一般人の中に、与那嶺南海がいたと聞かされました。

検閲官にとって専属にされる作家というのは、一般的には目の上の瘤とかそういったものです。けれども、私は南海が語り掛けてくるようなあの感じが気掛かりで、身分を隠して葬儀に参加しました。


申し訳ございません。

その時の事は、詳しく覚えておりません。

ただ嘘だと叫んで、その尾を打ち切る事も忘れたまま、その場に泣き崩れたのだと思います。


与那嶺南海の遺影は、私の理解者の顔をしていました。


私はずっと、何十冊も、彼女が綴った言葉を塗り潰していたのです。


何冊も何冊も、私に寄り添う彼女の言葉を。


私は検閲官になった事も、堅物と呼ばれていた事も、なにも後悔しておりません。

ただ、だからこそ、どうしようもなく、この喉の奥から何かが込み上げて、詰まって息ができなくなるのです。


きっと彼女ならば、私のこの塊を言葉に変えて、静かに息をさせることができるのでしょう。

けれども、それはできません。彼女はあの日、暴動が起こったと聞いて、自分の本を塗り潰した男を案じ足を運んでしまったのです。本当に、ただそれだけのために向かって、暴徒と間違えられてしまったのです。







お父様お母様、

先立つ不孝をお許しください。

私はもう、これ以上文字を綴る事すら、嫌になってしまったのです。


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