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ヂオラマの街  作者: 黒色天国
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異界神クルナ

それが降ってきたのは、17回前の冬だった。


屋根を突き破って落ちてきたそれは僅かに茶色い肌をして…家畜動物の、ジングェンが少し小綺麗になったような格好をしていた。

私たち村人はそれを、屋根を突き破った経緯をさておき、よそから逃げてきたペットなのだろうと判断した。


それは酷く怯えているようで、私たちを見るとすぐに物陰へ隠れようとした。それがジングェンであるなら子供であろう大きさだった。私たちはそれを、鳴き声から「クルナ」と名付けた。


クルナは私たちが近付くのを許さなかった。

家を飛び出して、村人たちの手を掻い潜って、近くの森の中へ入っていった。

私たちはそれを追いかけなかった。

持ち主も分からない家畜の1頭のために、危険な森に入ろうとは思わなかったのだ。


私たちは、クルナはすぐに死ぬだろうと考えていた。

ジングェンは厳しい野生環境で生きられる生き物ではない。

けれども、春になった森で私たちが見つけたのは、森の精霊を従えるクルナの姿だった。


その冬を境に、森から悪霊や獣が出てくることは無くなった。

クルナは鳴き声が「バケモノ」に変わった。

数日に一度、クルナが村へ降りてきて大声で鳴くと、村人は食べ物を供えるようになった。


クルナの機嫌を損ねると、家や丘が巨人に襲われたかのように捻じ曲がった。

けれどもクルナは紙の束と、ぼろぼろになった服だけしか身に付けていなかった。

私たち村人は、クルナは異界から来た神なのだと考えるようになった。



ところで、私は一度、クルナが住んでいる森に一人で入ったことがある。


両親と酷い言い争いをした時の事だった。

私は村を出て各地を回りたいと考えていたが、両親はそれに反対した。

ただそれだけの事だったのだが、私は両親の住む村全てが憎く思えてしまい、当てもなく森に入ったのだった。


がむしゃらにしばらく進むと、山の岩肌に洞穴らしい物が見えた。

その入口に腰掛けになりそうな丸太や焚き火の跡があったので、まさかここに人が住んでいるのかと驚き、中を覗いたのだった。


驚くことに、中にいたのはクルナだった。

草木を敷き詰めた寝台の上で、山猫数匹と一緒に眠っていた。

私は、クルナの機嫌を損ねてはいけないと思い、すぐに引き返そうとした。


…けれども、彼の枕元に置いてある紙の束の存在に気付いてしまった。


私は、クルナが村に来る度、あの紙束は何なのだろうと、子供の頃からずっと考えていたのだ。

はるか遠くにある街では「ホン」という、髪の束に様々なことが記された物があるという。

異界の神が肌身離さず持ち歩くそれが「ホン」であるのなら、そこには何が記されているのか。それが気になったのだ。


クルナの寝息に注意を凝らしながら、私はその紙束を開いた。

けれどもその時、クルナと一緒に眠っていた山猫が鳴いたので、私は慌ててその場を離れ、そのまま森を飛び出してしまった。


最悪なことに、紙束を持ったままで。


結論から言うと、クルナの紙束は見慣れぬ文字らしき物が書かれているだけで内容は全く分からなかった。

私がかろうじて認識できたのはそこに挟まっていた紙片だけで、そこには実に精巧な絵が描かれていた。

2頭のジングェンが、クルナと似たような格好をして立っている絵だった。


家に帰ったその日、両親は私のことを酷く心配していたらしく、とても温かく迎えられたが、私は気が気ではなかった。

母が温かいスープを運んでいるこの瞬間にも、クルナはここにやって来て、私たちの首を捻じ曲げてしまうのではないか。


幸いにしてクルナは日が暮れても村に現れなかった。

私は両親が寝静まった後、家の中からランタンだとか空き瓶だとか、とにかく沢山の物を持って森へ向かった。


クルナは森の入口で待っていた。

私を待っているのだとすぐに分かった。

私はクルナに紙束を差し出すと、お詫びの品を並べて、その足に縋り付いた。

どうか家族を、私の村を捻じ曲げないで欲しいと、泣きながら訴えたのだった。


クルナはランタンを拾い上げると、私に手渡した。

火をつけろという事なのだろうか。解釈した通りにしてランタンを返すと、クルナはその灯りを頼りに紙束の中身を確認し始めた。


私はその時初めて、クルナの姿をまじまじと観察した。

そして、クルナの顔付きが紙片に描かれたジングェンの子供に似ていると気付いたのだった。


一通り紙束の中身を見終わると、クルナは私が持ってきた物を持って、森の中へ戻ろうとした。


思わずクルナ様、と呼び止めてしまうと、クルナは立ち止まって、そして首を振った。


「アルバ」と、クルナは何度も繰り返した。私はそれが十数回目になった頃、それが彼の名前だということに気付いた。私がクルナを「アルバ」と呼ぶと、少しだけ嬉しそうに、微笑んだように見えた。


その話は、村の誰もが信じなかった。

ただ両親だけは、私が一晩のうちに家の物をいくつもどこかにやってしまったのは知っているので、真っ向から否定はしなかった。

ただそれだけで、何も進展はなかった。

私以外の人たちは。



それから更に冬が10回過ぎて、遠く離れた街で私が子供を産んだ年、故郷の村が獣に襲われて壊滅したと知らせが届いた。

私はそれを、前の冬に村人たちへ予言していた。けれどもその言葉を信じたのは両親だけで、生き残ったのは私と、私の言葉を信じて街へ移った両親だけだった。


私は知っていた。

本当の名前をアルバという異界の神が、去年の冬に森を去った事を。

若者であった私が大人になるまで、こっそりと森に通い続けてアルバと互いの言葉を教え合っていた私には、それが永遠の別れである事と、十数年ぶりに森の脅威が解き放たれた事が理解できていたのだ。


誰も、誰も知らない。

アルバが紙片をいつまでも大切に持ち続けていた事も、私たちを恐れるが故に力を振るっていた事も、夜になると涙を流して、泣き疲れて眠っていた事も。


ただの、家に帰りたがっている子供でしかなかったことも。


私がアルバの事を神として語り継ぐ事は無いだろう。

子供がどこかからその話を聞いてきたとして、それをそのままにしておくことも無いだろう。


アルバはただの迷い子だったのだと、きっと教えるだろう。

鱗も嘴も持たなくても、家族を恋しく思う子供だったのだと、いつまでもずっと、伝え続けるだろう。



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