特別講義 『まず聞く相手から間違えた質疑応答』
どうも皆さん、今回もお運びいただきありがとうございます。
毎度おなじみボンクラです。
性懲りも無く、ひたすら役に立たない駄文エッセイ――駄ッセイをお送りいたします。
……さて、お約束として今回も繰り返しますが……。
当講座は、「当たり前」かつ「役に立たない」ことを並べ立てるだけという、よーく見ると実は内容すっからかん、というサギめいたものでございます。
なので、お時間、労力が惜しいと思われる方は、本能が発する危険信号に素直に従って回れ右されるのがいいでしょう。
少なくとも、受講料として請求されるチョコの分は確実にムダが減りますよー。
……と、注意喚起も済んだところで……。
今回ですが、趣向を変えて『特別講義』といたしました。
前回の補講後、「なんかないっすかね?」と浅ましくもお題を求めたこのボンクラに、慈善家顔負けの皆さまが幾つか返答を下さいましたので……。
それについての、ボンクラなりの考えやらやり方やらを述べさせていただきたく思います。
……まあ、そもそも、返答を頂戴したのが一ヶ月以上前ですので、ご本人もすっかり忘れていらっしゃる可能性が大ですが。
題しまして――
『まず聞く相手から間違えた質疑応答』
……でございます。
――では、早速いってみましょう、まず一つ目は……。
・ 同一シーンにおける登場人物の視点移動について。
……ふむふむ。確かにありますよね、一つのシーンで視点を動かしたくなるとき。
こういうとき重要なのは、まず、読者を混乱させないことでしょう。
行間を空けたりするのは基本としてありますが、空けたから大丈夫、というものでもありません。
記号や線を引いたりして区切る方法もまた基本かつ確実でしょうが、これは「シーンの途切れ」も感じさせますので、場合によっては使いたくないかと思います。
……というか、この質問はそういうことではないでしょうし。
作者はついつい忘れがちになってしまいますが、読者は基本、初見です。特に同一シーンにおける視点移動なんて、敢えてそうするならともかく、『なんのガイドも無ければ』まず確実に、意識の着地点を見失うと考えるべきでしょう。
そう、『ガイドが無いと』です。なので、こういうときは作者が意識して指針となるものを置いておくのがいいと思います。
基本は、一人称の変更でしょう。前の人物が「俺」と語っていたのが、「ボク」になるなら、明らかな変化として分かりやすいです。
ただ、もちろんそうもいかない場合もあります。なので例としては……。
たとえばセリフ……その視点が誰の者かが一目で分かるような特徴的なセリフを持ってきます。
もちろん、男二人が相対していて、どちらも自分を「僕」と呼ぶような場合などは避ける方がいいでしょう。喋り方に明らかな違いがある(敬語と乱暴、とか)ならまだしも、そうでなければ混乱が加速するだけです。
逆に言えば、セリフから入りたいなら、『違う人物』であることを強く意識させられる言葉を早いうちに出すべきでしょう。
たとえば情景描写……まったく同じ景色でも、心情やら立場、立ち位置、あるいは語彙などで表現は変わります。
ただこの場合、同じ景色の中にいるなら、それを強く印象付けている『存在』を、キチンと描写の軸に置いてください。
噴水のある公園なら、前の視点の人間が噴水について語っていたら、次の視点の人間も情景描写の軸に噴水を据える、というように。
もちろん場合によりますが、ここでベンチを主体に語られたりしたら、もしかしたら別の公園なんじゃないのかと混乱するもとになりますので。
……さて、ざっと語りましたが、これらは基本的に、一人称を念頭に置いた手法ですね。
そもそも、三人称で同一の場所なら、視点移動を考える必要はありませんので。
しかし場合によっては、三人称で、「一方、その頃……」みたいに、同時間軸における別の場所、という視点切り替えをしたいときもあるでしょう。そんなときでも、やはり『違いを印象付ける』のは大事だと思います。
――では、続きまして二つ目。
・ 本文と会話の割合について。
うわー……これはまた難しい。
それこそ、「作品の傾向によるんじゃないですか?」とか、身も蓋もないこと言って終わりにすることも出来ますけど……。
ちょっと考えてみましょう。
とりあえず、「作品の傾向」って話は置いておいて……。
そして、本文(地の文)が多い分については、ある意味小説として普通の形とも言えるので、こちらもちょっと置いておくとして……。
読みやすさとか見た目以外の点で、会話(セリフ)が増えることによる意味とか効果などを。
まず前提として、当たり前ですが、セリフが連続する間は地の文はありません。
これがどういうことかと言えば、その間、『基本的に状況は止まっている』ってことになります。
会話をしているので、時間が止まっている、とまでは言いませんが、地の文による状況描写は確実に止まってます。つまり、動きが無いのです。
なので……ここで、さらに無味乾燥な、つまらない会話を応酬させようものなら、大根役者による棒読み劇の完成、となってしまいます。
セリフばかりだから読みやすいかも知れませんが、別の意味で読みにくい。
だから、セリフを連続させるなら、必要なことを語らせるだけでなく、『動き』を意識させるのが特に大切でしょう。
そういう言葉を入れたり、「……」の有効利用や言い淀み、詰まり、また逆に、句読点を挟まない流れるような物言いだったり……。
たとえば……。
「……って……は……言っ……のに……」
「――はあ? なんて? 風が強くて聞こえない! もう一回!」
こんなやり取りをさせれば、それがシーンとして必要無いとしても、地の文の描写無しで強風が吹きますし、声を荒げて、耳をそばだてるような様子も想像出来ると思います。
また、セリフの連続というのは、どうしたって文章としてのリズムが速くなりますし、上記のような手法を使っても、状況としての動きが弱くなるのは間違いありません。
ハッキリ言ってしまえば、読みやすくても、連続しすぎると逆にしんどいです。
現実に、ずーっと話してたら疲れるみたいに。
まあ、もちろん、敢えて会話だけでシーンを綴る、という手法もありますが。
……ともあれ、会話主体のシーンだとしても、ちょくちょく、地の文を差し挟むのは割と重要だと思います。リズムとしても。
――では次、三つ目。
・ 表情描写のテクニック
……そんなの、私が聞きたい。
なんて言ってしまうとすべてが終わるので、一応、ボンクラがどうしてるかなどを。
まずは色んな本を読むなり、複数の辞書を用意するなどして、語彙を増やすのが大前提だとは思いますが……。
しかし、大事なのは『伝わるかどうか』であると考えます。
要するに、すごい難しい言い回しなどをたくさん知っても、読み手がそれを想像出来ないなら意味がないってことです。
……なので、適切に表現する言葉を知っているに越したことはないですが、同じ表情を、分かりやすい言葉で色々に描写することもまたアリでしょう。
特に、以前から述べてますように、短い文章中に同じ言葉を何度も繰り返すのは見映えが悪いですから、表情においても、色んな角度から描写して表現を散らすのは重要ですね。
手法としては、
『顔の物理的な動きを追う』……目を伏せたとか、口を尖らせたとか。
『心情を追う』……イタズラっぽく笑うとか、怒りを噛み締めるとか。
『比喩を使う』……ピエロみたいにとか、肉食獣のようにとか。
などがありますが……あるいは、
『そもそも描写しない』
……というのも一つの手です。どういうことかって?
上述した、セリフによる動きとも関連しますが……。
ヘタにムリヤリな描写をするより、いっそ、セリフや情景から、読者の想像に自然と表情が浮かぶようにしよう――ってやり方ですね。
……邪道? そんなことはないと思いますよ?
小説において、『敢えて書かない』は、立派な表現方法の一つのはずですから。
なんでもかんでも描写しても、情報過多で鬱陶しいだけですしね。
マンガとかと違って、完全な『表現の空白』を生み出せるのは、小説の利点でしょう。
まあ……使い方を間違えると、単に作品がスカスカになるだけですので……そこはそれ、用法用量を守って適切にお使いくださいな。
――では、続きまして、四つ目。
・ 作品や文章の取捨選択とか整理
ふーむ、これは……。
私がかつて、書き上げながらもボツにしたシーンやらを例に挙げたりするとやりやすいのでしょうが……。
そもそも、それだと元の作品読んでない人にはなんのことか分からんでしょうし、尺も長くなりすぎますから……とりあえず、このお題について語るだけにさせてもらいますね。
作品書いてれば、誰もが、文章の大幅な切り捨ては経験がおありと思います。
経験が無い人は、経験してください。
書くだけ書いて切り捨てるとか、もったいないとか思いますが……。
やはり必要なことです。
書いてみて初めて気が付く違和感や矛盾というのもあるでしょうし、そもそも書くことによって経験を積んでるわけですし、決してムダにはなってませんから。
なので、そうするべきと判断したなら、切り捨てましょう……もちろん、データから根こそぎ消せなんて言いません、他のフォルダに移すなりして保管しておくことをオススメします。何かに利用出来るかも知れませんしね。
さて、切り捨てる理由は人それぞれでしょうが、私としては『違和感』を重視します。
もちろん、明確な矛盾やらが見つかれば別ですが、そうでなくても、『なにか違う』と感じた場合――特に、そういうときは得てして、書いてる最中から妙な違和感がつきまとって筆が乗らないものですが――は、大体、改めて書き直します。
概ね、突き詰めるとその原因は、キャラクターの動きや心情が、これまでの流れとこの先の展開において、微妙に噛み合わないから……だったりするのですが。
そして、何度か書き直してみてもしっくりこない場合は、シーンそのものを構築し直すということもやります。
意外と、そこまで思い切った方が、すんなりうまくいったりすることもあるからです。
それがキレイにはまると、嬉しくて徒労感も吹っ飛びますしね!
まあ……やると決めて、実際やる間は地獄ですが……。
……とはいえ、やはり、必要と判断したなら迷わず切り捨て、書き直す!――これは本当に大事なことだと思います。それが怖いならそもそも小説を書かない方がいい、ぐらいに。
ただ、私も連載していて思うことですが、1作まるまる書き上げてから発表するならともかく、私もしているように、一話一話、書いてはアップする、というやり方をしていると、なかなか大幅な切り捨てというのは難しい話ではありますけどね。
なんにせよ、大幅な切り捨てや改稿は、別におかしいことでもなんでもない、とは言っておきます。
むしろ、それは、これまで気が付かなかった『違和感』に気付いたとか、より良い文章で表現出来ると思ったとか……あなた自身の成長の証でしょう。
恥じるどころか、むしろ胸を張ってもいいぐらいだと思います――大変な作業になるそれを実行しようという、勇気も含めて。
……でも、全面改稿なんかも、やってみると結構楽しいですよ?
良くなっていく感じが快感だったりね。……時間はかかりますが。
――で、次が今回最後の五つ目。
・頭の良さの描写について。
どうしたら頭の良い人物が、本当に頭が良いように描写出来るか、という……。
これまた具体的すぎて難しい……。
まあ前提として、そのキャラクターごとの最適解というのがあるでしょうから、「こうすればカンペキ!」というものでもないと思いますが……。
今回もボンクラ的な考えを述べるならば。
とりあえず、頼まれてもないのに(流れ的に必然でもないのに)、ベラベラと理論やらなんやらを語るのはあんまり賢そうではないですよね。
一方的だとなお悪し。あと、説明的(無機的)すぎるのも。
なので、対話形式にするのは読者としても分かりやすいし、王道でいいと思います。
頭の良いキャラクターが行ったことなどに対して、読者が当然抱くだろう疑問を、作中のキャラクターに代弁してもらうわけですね。
そうして会話のキャッチボールを使って、丁寧に噛み砕いていく、と。
その会話の切っ掛けは、何だかよく分からない言葉や、意味不明っぽいフレーズだったりすると、また頭の良さが際立つかな、とかも考えます。
常人では見えないことを見てるっぽいし、また、「なんですかそれ?」と、質問を入れやすいですしねー。これもまた王道っちゃ王道ですが。
それから……。
このご時世、ネット使えば、専門知識とか、必要な情報はすぐ手に入りますが、それをそのまま持ってくるのもよろしくないでしょう。
やはり、1回はその情報を、キャラクターというフィルターを通すべきだと思います。
作者が、ではなく、そのキャラクターが件の情報を知識として得て、その上で、それを語るときどういう風にするか、と考えるべきだと……ホント当たり前のことですけど。
……と、以上五つの質疑について、ボンクラなりの回答をしてみましたが……。
いかがでしたでしょうか。
相も変わらず「当たり前」のつまらんことしか言ってないと思われました?
……まあ、ごもっとも。
それとも、やっぱり「役に立たない」くだらないことしか語ってないと感じました?
……それもまた、ごもっとも。
なにせ、それがこの『ボンクラ式』のモットーですからね。
まあ……さすがに、ご質問を下さった方に向けては、多少なりと納得のいく回答になっていてほしいと思いますが……。
――ともあれ、今回はこれにてお開きです。
どうもどうも、ご静聴ありがとうございましたー。
チョコは毎度のごとく、その辺に転がってる、ボロいカゴに放り込んどいて下さいねー。
あとでボンクラが浅ましく回収いたしますのでー。




