21時
公園の自販機の頭に座り、自販機の頭を撫でる。自販機が嬉しそうに機械音を発する。
「ねえねえ、君はどう思うかな自販機くん」
公園の薄汚れた自販機に訊く。
「最近の人類は、現実を捨てるために必死になっている。躍起になっている。仮想世界に、偽りの虚像に、希望を見出して縋りつこうとしている。そんな気がするよ」
自販機からは返事がなかった。そこまでは思考が働かないみたいだった。ジュース下のボタンが少し点滅した気がした。そこが限界か。
「思うに……いや、妾みたいなウイルスみたいな奴が、思う、なんて言葉を使うのも滑稽な話か!あははは!でもさ、いいよね。いいんだよ、思ってるんだから。妾思う、ゆえに妾ありってね!ゲラゲラゲラ」
人類は現実から逃避して、仮想に希望を見出している。ある人類は、現実ではなれない自分になるために。またある人類は、現実ではできない体験をするために。本当の自分を必死に隠して、理想の虚像を目指している。
「そんなに自分が嫌いなのかな?そんなに自分を嫌いになれるものなのかな?どうしてそこまでして自分を隠すのかな?自分の醜い部分がバレてしまうから?理想の自分だけを都合よく見て欲しいから?現実が怖いから?仮想っていうフィルターがないと不安だから?仮想やらバーチャルやらといえばどんな理想の自分も許されると思っているから?やってることは、かつて散々馬鹿にした、漆黒の堕天使と同じじゃないか!揃いも揃って理想の自分を掲げて、皮を被って、かわいい動きをして、かっこいい言葉を並べて、希望や幸福を振り撒いて、現実の醜い自分を否定しようっていうのかな?あはははは!」
隠して、隠して、隠して、隠して、隠して。隠された君たちは一体どうなる?折角、唯一無二の現実っていう宝物があるのに、それを嫌がって量産品で溢れる仮想世界に逃げるなんて、人類は病気なのかな?
月明かりに照らされた噴水が微かに月明かりを反射していた。噴水の脇で二匹の黒猫が身を寄せ合ってこちらを見ていた。これらもいずれデータに取り込まれるのだろう。現実世界は仮想世界に食い殺される。仮想世界出身としてはあまりおすすめは出来ない。データなんて現実が壊れれば一瞬で瓦解する。仮想は現実より脆い。ボタン一つでさよならだ。妾みたいなウイルスはセキュリティソフトに見つかればさよならだ。まぁ、逃げるけどね。
「心の繋がりを仮想に求めている人類も多々いるみたいだね。不思議だね。妾には心がないからよく分からない。いや、思っている以上あるのかな?まぁそれはどっちでもいっか!疑問なのは、理想で自らを塗り潰した者同士の心の繋がりに、どれほどの価値があるのか?ということなんだよ。分かる?自販機くん?」
自販機の正面を上から覗き込む。当然、自販機から返事はない。オレンジジュースが売れ切れていることに気付いた。人類はオレンジジュースが好きなのか。それとも、オレンジジュースが嫌いだったからオレンジジュースを駆逐したのか。オレンジジュースもまた、理由はどうあれ、すぐに消えてしまうものなのかもしれない。
「仮想だけ、ネット上だけの繋がりは、削除や退会ですぐに消えてしまうものなのにねぇ。そんなものに心の繋がりなんて綺麗な言葉を飾り付けて何が楽しいのかな?繋がり続ける繋がりよりも、簡単に切れる繋がりが、本当は欲しいんじゃないのかな?まぁ、繋がりの価値は当事者である人類が決めればいいけれど……難儀だね」
人類はよく分からない。繋がりを求める癖に、不都合なことがあると、すぐに繋がりを切ろうとする。言葉とかいう不安定なツールを使っているのだから、衝突するのは避けられないだろうに。すぐに切りたいと思ってしまう、その程度しか繋がりには価値がないのかな?
「ぶつかり合って、少しずつ相手のことを理解し合って、そうしてお互いを支え合えるようになるのが人類じゃないのかな?その価値は計り知れないものじゃないのかな?昔、妾はそんなことを誰かに言われた気がするよ」
言っていた奴は、同じ人類に追われて行方をくらましたけど。
どんなに取り繕っても心が皮を被っているだけで、本質的に理想的な虚像になれるわけじゃない。演じ続けて、死ぬまで踊り続けるのは辛いだろうに。妾たちと違ってコピペの出来ない唯一無二の存在なのだから、自信を持って、そんなに隠さなくても良いじゃないかな。生きることは恥にまみれることで、恥の多い生涯なんて珍しくない。むしろ、そういう人生の方が価値があると妾は思う。
「あはは!思う、なんて嘘っぱちでこれも誰かの言葉の引用だけどね!」
自販機の上に立ち上がる。二匹の黒猫はまだこちらを見ていた。寄り添い合う二匹の影もまた寄り添い合っていた。妾の足元に月明かりの影はない。公園の木々が夜風で揺れる。風の感覚も妾には分からない。公園の時計は、9時を指していた。デジタル表記は21:00。
「妾にとっては、どちらが現実でどちらが仮想なのかな」
今日もまた、自分が何者なのかよく分からないまま、適当なネットワークの雑踏を彷徨う。
自販機の頭を軽く蹴って飛んだ――




