第3章3 リッド vs スィルカ
模擬戦。
学園においては、生徒同士で実戦的な練習試合を行う行為を指す。
といっても本物の武器を使用するわけではなく、また相手を倒す事や勝利する事が目的ではない。互いの戦技をぶつけ合って至らぬ点を相互に指摘し合ったり、仮想実戦としての経験を積む効果を期待して行う、あくまで戦技研鑽が目的である。
戦技科目は成績に大きく影響しないとはいえ、嗜みや運動目的、スポーツ感覚な者から、本格的に戦技を活かす将来を望んで励む者まで、結構な数の生徒が日々自主的にいそしんでいる。
「………」
リッドもそんな生徒の一人だ。具体的にどういう方向を目指しているのか? なんて話を誰かにしたことはない。
だが理由はどうあれ彼の戦技に対する姿勢は真剣だった。
行う前にはなんだかんだと言っていても、いざ相手を前にしてひとたび武器を構えたなら強い戦意を持ち、闘志と鋭い視線を相手に向ける。
すると、途端にピリッとした空気が10mほど離れた場所にいる傍観者たちのところにまで伝わってくる。
彼の真剣な姿勢を受けて対戦者は、自分の眼鏡のズレを直しながら相手に不足なしとばかりに満足気な笑みを浮かべていた。
「なかなかお強そうで、ちょっと楽しみですー。怪我せんといてくださいよ先輩?」
「はは、お互いに…な」
「なかなか言いはりますねー。ウチなら大丈夫ですんで、どうぞ遠慮なく打ち込んできてください」
スィルカも真面目には違いないが、リッドと比べてどこか余裕があるようだった。全身から力を抜いてその場でトントンと跳ねている。
その両手には何も持っていない――――彼女の武器は自らの脚だ。
リッドの持つ木剣は、刀身が60cmほどで学園に常備されているものよりも10cmほど長く、形状も僅かに異なる。大会に向けて自分用の武器として調達した新品だ。自分用に最適化した得物は当然、学園備品の木剣よりもはるかに扱いやすくなっている。
しかし相手の武器たる脚も、70~80cm程度の射程はありそうだった。つまり、互いに攻撃のリーチにおいて、武器を持っているリッドに、本来ならあるはずの優位性はないに等しい。
「(向こうは生れてからずっと自分と共にある自分の脚だ。得物の扱いという点じゃ絶対的にこっちが劣る……けど蹴り技は近接格闘の中じゃ、小回りの利く技は比較的限られてくる。威力の高い技は大振りになって隙も出来やすい……よし! まずは根気よく立ち回って、小さく確実にその隙を突けるよう攻めてみるか。こいつでの防御も試してみたいしな)」
リッドの思考が終わると同時に、スィルカの両脚が地面を蹴らなくなった。
しかし彼女はあまり腰を落とさず、ほんのわずかに膝を折ったかなという程度にとどめ、しっかりとした構えを取らない。
「それじゃあそろそろ行かせてもらいますんで、覚悟の方はええですかー?」
それは自信か油断か? さあ始めるぞというこの時でさえ、スィルカから気楽さ完全に失せる気配はなかった。
「ゴクッ…。シオウ先輩、この勝負は一体どちらが勝つんでしょうか??」
「さぁな。単純に強い、弱いだけで勝敗が決まるなら勝負する意味はない。戦ってみてその都度結果は変わる。磨いた力を駆使してそれをぶつけ合うわけだからな」
「そうですねぇ。シルちゃんも昔から頑張ってはいましたけれど、練習で御手合せした御相手すべてに勝ってきた、というわけでもありませんし」
「そうなんですか? 学園なら他の生徒とかいますけど、入学以前の練習の相手って―――」
ノヴィンの言葉の途上、風が動く。
ヒュッ……バシュッ!
軽い微笑みを称えたままの眼鏡をかけたお姫様は、空を切る音を奏でていた。
「?! っと、おいおい! なんつーハイキックだ。…一切躊躇わずによくもまぁ打ち出せるもんだな、いきなり?」
スィルカの左脚の脛が、リッドの右頬との間に1cmほどの隙間をあけて止まっている。
リッドは余裕で避けたような態度で言葉をつむぎだすも、その首筋と背中には幾筋もの冷や汗が流れていた。
淀みのない綺麗な直線軌道の蹴りを放ったままの体勢を維持しつつ、彼女はニヤリと笑む。
「そういうリッド先輩こそやるじゃないですかー? 顔面を擦る気で打ったつもりやったんですけどコレかわせられるんて、ちょっと見くびってましたねー」
スッと左脚が引っ込んだ。直後にタンッと地面を蹴る音がなる。
スィルカは軽くステップを踏んで、リッドとの間合いを空けようと後ろへと引くために跳ねたのだ。
「なら、こっちは奇襲のお返し――――」
ターンッ!! ビュフッ!!
チュンッ!!!
「くはっ??! あっぶねぇ?!」
後退する彼女を追いかけて木剣を振るったものの、標的は既にリッドの左側面部に急接近していた。
後ろに引いたと見せかけ、今度は即座に前方へステップ。急接近から右脚で天を突くような蹴り上げを放っている。いかにスパッツを履いているとはいえ、高貴な身分のお姫様がミニスカートで開脚全開になる攻撃を放つなど、この学園では憚られるべき行為といえる。しかしスィルカにそんな恥じらいによる戸惑いや迷いは一切ない。
「気持ちいいくらいに思い切りのいい動きだ。俺がやった盾がなかったら左腕にデカい擦り傷ができていたな、リッドの奴」
「もう、シルちゃんってばまたあんなに大きく広げちゃって…もう少し慎みを持ってもらいたいものなのだけれど」
シオウはぼけーっとしながら、のんびり観察ムード。ミュースィルはあまり凄さがよくわかっていないようで、ぽよよんとした笑顔で見守っている。
開いた口が塞がらないほど驚いているのはノヴィンだけだった。お姫様身分というだけでも十分過ぎるステータスの持ち主が、武器を持つリッドを脚のみで圧倒しているのだからそれも仕方ない。
「す、すごいすごい! あんなに強いんですか、スィルカ姫様は!!」
「確かに上流階級のお姫様って考えれば不相応なレベルではあるかもな。バックステップから折り返し……しかも相手が追撃しようと前にでて、なおかつ武器を振るってきてるのにも臆さずに、最接近して蹴り上げを放とうなんて度胸、普通はまずない」
特にシオウが誉めたのが嬉しかったのか、ミュースィルはまるで我が事のように喜んで、満面の笑顔になる。
「シルちゃんは昔から元気な子でしたから。体を動かすことが大好きで、物心ついた頃にはもうお屋敷中を走り回っていましたよ。…そうそう、柱を上って天井に張り付いていたなんてこともありました。そこから真下に向かって慌てふためいてる使用人達のところに笑顔で落下した時なんて、場にいた侍従の一人があまりのことに泡を吹いて気絶して大騒ぎになった、なんてこともありましたし…懐かしいです」
「まさに生まれついての才能だな。…という事は、スィルカの練習相手はもっぱら、彼女の家の警備兵か何かだったんだな?」
「はい。お城の兵隊さん達や、将軍さんなんかとも御手合せしたりしていましたよ」
ミュースィルはそれがどれだけ凄い事なのかわかっておらず、のほほんと語っているが、ノヴィンはもう何も言えずにただただ驚愕し続けるしかなかった。
ある程度の予想はついていたシオウもさすがに、それは凄いな、と感嘆の言葉を洩らした。
「っ、どーりでっ、この動き…ってか!」
外野の話声から、相手の強さの秘密の一端を聞き取り、リッドはマジかよと心中嘆かずにはいられなかった。
ヒュッ、ヒュンッ!! ドヒュヒュヒュヒュッ!!!
カッ、ガッ、カンッ!
繰り出される蹴りの連続。まるっきり空を切るだけの攻撃も結構混ざっているが、そこに隙を見いだせない。
リッドの目から見ても、それがあきらかに罠だとわかっているからだ。もし隙ありとばかりに反撃の手を出そうとすれば、腰の入った一撃が顔面か腹に突き刺さる―――そんな未来しか見えない。
そして攻撃し返せないでいる結果が今のこの状況である。
シオウからもらった盾で防ぐ一方になってしまい、反撃の糸口が掴めないどころか素早い動きに翻弄されっぱなしで、またも自分の持ち味を生かせないままに動きが固まってしまっていた。
「どーしましたリッド先輩? ガッカリさせんといてくださいよー」
ブンブンッ、ビュビュビュ! ドカカカッ!!
息もつかせないような猛烈な連続攻撃を一切休むことなく続けていながら、スィルカは息も切らさずにのんきに話かけてすらくる。
「ちっ、余裕かよっ。…ったく、あの野郎はつくづくっ」
スィルカの実力も、リッドの実力も見透かしてこのマッチングを組んだ―――そうとしか思えない。
リッドは、我が偉大なる友人殿の姿を一瞬だけ横目で追った。座るというよりは小丘の斜面の角度に任せて寝っ転がっているだけの、だらしない態度で観戦してるその姿は、少し離れて見ると本当に小柄な少女のよう。
だが今自分を圧倒しているスィルカよりも、リッドが敬服せずにいられないのは、その少女のような男友達の方であった。
「(もしこの盾がなかったら…剣じゃ面積が足りないしこの連続蹴りは防ぎきれなかっただろうな。今以上にもっと反撃なんて考えられなかったはずだ。けどなっ)」
「手も足も出えへんようでしたら、そろそろ終わらせますよー? 覚悟してくださいねーリッド先……輩っ!」
ビュゴォッ! ドゴカッァッ!!!
強烈な蹴りだ。
だがリッドの身体ではなく、その右のミドルキックは明らかに彼の盾を狙っていた。
放った右脚が伸びきり、スィルカの身体は地面と水平になって左脚1本で立った姿は、横からだと綺麗なT字の形に見える。リッドは盾越しにその衝撃を受けて身体が大きく揺らぎつつ、フラフラと1歩2歩と後ずさりさせられる。盾を構えた左腕も強く痺れさせられていた。
「(…来る!)」
全身に力を入れる。グラついた体勢を、理屈ではなく根性と気合いで克服せんと踏ん張る。
「(盾…、そう盾だ。ガントの時にはなかった盾、コイツを使えばっ)」
自分を底上げするためにくれた防具だ。腕が痺れているから などという言い訳はいらない。
「……、…ここだっ!!」
フォオンッッ!! ドガッ!!
「っ?! 盾を振るって、ウチの落とし蹴りを防いだ?」
スィルカは、完全に防戦しかできない状態に相手を押し込められたと確信した。それでも油断したわけではない。万全のタイミングでもって身体をひねり、左脚を地面から円を描くように大きく振るってリッドの右肩を狙った。
直前の蹴りで盾越しにキツく衝撃を与えて置いたので、多少動作が大きくて隙ができやすい大技でも、回避や対処は不可能。
この落とし蹴り―――大輪カカト落とし―――は当たるはずだった。
もちろん軽く当たったところで止めて「はい、ウチの勝ちー」とにこやかに宣言するつもりだったスィルカ。
ところがリッドは、直前の攻撃でまだ盾をつけた左腕が痺れているであろうにもかかわらず根性で、落ちてきたスィルカの左脚を迎えにいった。
「盾で待って受け止めるのではなく、自分から受けに行った。するとスィルカからすれば、攻撃が敵に当たるタイミングを完全にズラされる事になる。しかも蹴り脚の位置は高い状態で止まった、あそこから次手はどうしても一瞬遅れる、当然――――」
ビュゥオッ!!
シオウの解説に連動するように、木剣がスィルカの左脚を防いでるリッドの左腕の影より飛び出した。
「―――――逆転の一撃を出すには十分な隙が出来る。俺なら当然それを見逃さねぇ、そして実際に剣を出した…ってかシオウ?」
木剣の切っ先は、軽く揺れてるスィルカの左胸の直下で寸止めされている。もしこれが実戦だったらそのまま突き進み、心臓を貫いていただろう位置。
勝敗は完全に決していた。
・
・
・
「あの落とし蹴りは、落下の勢いを乗せることで強烈な威力になる技だろう。寸止めのつもりで放っても敵の身体に接触するタイミングが想定通りでないと、感覚が狂いやすく、次への反応を大きく鈍らせてしまう。しかも片足が上がったままの体勢じゃ敵の反撃への対処は当然間に合わないな」
「う~、まさかあそこから左腕が出せるなんて思いませんもん。ウチ、絶対入ったって確信してましたわー」
スィルカは残念そうに肩を落とす。
その横でリッドは、そう長くない時間の勝負だったはずなのに、少し息を乱していた。
「ま、ある意味この結果は当然かもな。リッドは街の悪ガキだった事で性根が据わってる。一度集中すれば並み大抵の事じゃ怯まず、さっきみたく気合いと根性で状況を打破する精神力がある。スィルカの行動抑制ための事前攻撃も悪い手じゃないが、残念ながらそれが通用しない相手だったな」
ミュースィルは二人とも凄かったですとしか言えないし、ノヴィンはまだ感動と興奮で口をパクパクさせるだけで言葉が出てこない始末。第三者として感想や意見を述べられるのは、観戦者の中ではシオウだけだった。
「はぁ~、ウチもまだまだ言う事ですかー。やはり大技は使いどころ難しいですー」
「リッドのような相手なら、もう完全に蹴飛ばしてしまって地面を転がしたところに追い打ちで決める方が良いだろうな。…で、そちらさん。少しは息は戻ったかい?」
まずスィルカの振り返りと反省会を行ったのはリッドの状況を鑑みてのことだ。
彼は情けなさそうに友人の問いに応えた。
「ああ、すまん。お姫さんと同じく、オレもまだまだなんだなぁって思い知らされたよ、はぁ~あ……」
「気を落とすなよ。お前にとって相性の悪さ込みでマッチングしたんだ、苦戦したのは想定通りだったから気にするな」
「え、そうだったのかよ!? お前…意地が悪いぞシオウー」
もちろん本気で責めるわけがない。だが少しだけおちゃらけたリッドに対して、シオウは真面目なままだ。
「……リッド。接近戦でかつ素早いのがお前のスタイルだ。けれどどうだった? 自分より速く鋭い相手とやりあってみて? 結局、防戦一方だったろお前。どこかで同じような体験、したことあったよな?」
「! ガント、か」
リッドは一瞬だけ目を見開き、そしてすぐに細めて頭を少し下げた。思い返してみればどうという事はない。ガントとのあの模擬戦でリッドは最後、相手の攻撃を受けるので精一杯になっていた。
そして決着もよく似ている。もっとも今度はこちらの反撃を入れ、敗北ではなく勝利で終えられたので、いくらかマシになったと見る事もできる。しかし…
「ガントは、決してスィルカのような “ 速さ ” のあるタイプじゃない。それでもお前は圧倒されてしまった……つまりリッド、お前は相手のタイプに関わらず、接近戦において自分の手数や身のこなしを封じられてしまうと、それだけで弱くなってしまってるんだよ」
「………」
ぐうの音も出なかった。自身の弱点が明確になり、しかもそれが己も接近戦主体のスタイルなのに、同じ接近戦スタイルに対して弱いだなんてさすがに笑えず、ショックは大きい。
「リッド先輩に弱点が…? でもどうして今まで先輩は、その事に気付いてなかったんですか??」
「そうですよー。リッド先輩にしたって一朝一夕に、剣つかえるようになったんと違うはず…練習とか、それこそ模擬戦とかの時に普通は気付けるもんやないんですの??」
「その答えは簡単。リッド自身が才能に恵まれたのが災いした」
「才能に恵まれて……問題があるものなのですか??」
すでにリッド本人は自覚していることだが、ミュースィル達の疑問を晴らすためにシオウは説明を続ける。
「小さい頃から器用で、何でもそこそこやってのけられる…立派な才能だ。しかし非才の人間がゼロからコツコツ努力するのと違って、挫折する機会が少ないという欠点があり、己を省みる事がない。……リッド、今までやり合った相手だと、ガントとスィルカ以外には苦戦すらした事なかったろ?」
「ああ、まったくその通りだ。…自分じゃ調子に乗ってるつもりはなかったんだけどな…情けない事に、知らず知らず天狗になってたって事か」
いかに才能があろうとその道にあって、自分がどの程度のものなのか、誰でも常に迷うもの。よほど厚顔無恥な性格でもない限り、意識下では自己の実力に対して謙虚さや不安、怖れを抱いて慎重になるのが普通だ。しかし…
「自分が一番だなどと舞い上がらなかったとしても、経験は自信をつける材料になる。特に失敗の経験が少なくて成功の経験が多いと、自分は上手者であるという確信…ともすれば過剰な思い込みすら抱いてしまうケースさえある。むしろ本番より前に気付けたんだ、良かったじゃないか」
精神的にヘコみかけていたリッドを見越してか、最後は少し宥めるような雰囲気を滲ませるシオウ。
実際、大会の試合でもなんでもないこの場で欠点が露呈したのは幸いだ。本番までに改善し、練習してより磨く事ができるのだから。
よし、と自分の両頬を叩き、リッドは心に気合いを入れなおした。
「サンキュ、シオウ。やっぱお前が友達で良かったわ」
「あいあい。で、だ………。んー…」
「?? な、何ですのシオウさん? ウチとリッド先輩をそないにジロジロ見て?」
スィルカは視線がむずかゆいとばかりに、自分で自分の身体を隠すように抱きしめた。しかも見比べるように二人を往復していた視線の動きは止まり、やがてスィルカ一人に注がれはじめる。
「…うん、リッドの奴よりスィルカの方がまだ余裕ありそうだ、次は俺と一勝負しようか」
「え、…は、はいぃっ?! う、ウチと模擬戦やるいうんですか、シオウさんが??」
「うんむ。…なんだ、何かおかしいかな?」
さっきのリッドとスィルカの模擬戦を見た直後。しかもシオウはどちらかと言えばリッドと比較して戦技よりも知能に優れた非戦技タイプだと皆は思っている。とてもスィルカと渡り合えるとは思えない。見た目的にも。
いきなり指名を受けたスィルカの驚きは当然だとしても、全員が同じように驚きをもって自分を見るので、シオウは不思議そうにコテンと首をかしげた。