【3】遊佐 いちご
柚が玄関を開けると2人の女の子が待ち伏せていた。カチコミか?
「わっ!おはよう柚ちゃん」
「おはよ〜」
まぁ、ふつうに考えて、呼び鈴を押そうとしたところ柚が先に玄関を開けたため驚いただけだろう。柚の友達かな?
「びっくりしたぁ、おはよ〜。どうしたの2人とも」
「いきなり来てごめんね。柚ちゃんさえ良ければ一緒に学校行きたいなって話してて」
「一緒に行こ?」
黒髪のロングヘアを真っ白な玉飾りのアクセサリーで束ね、礼儀正しくしっかり者に見える女の子と亜麻色のショートボブが特徴のまだ眠たそうにしている女の子だ。
「えー!ほんと!? 嬉しいなぁ。2人のこともっと知りたいって思ってたから」
柚は友達と登校できることが心から嬉しいのだろう。柚を誘った女の子も柚の返事に喜んでいる。微笑ましいやりとりに顔が緩んでいると、
「あっ、お兄ちゃん、紹介するね。同じクラスの友達の清水千誠ちゃんと、山吹涙ちゃんだよ」
すぐさま顔を引き締める。妹の友達に、兄貴がだらしないなんて思われてはいけない。
「はじめまして。柚の兄で天といいます。いつも柚と仲良くしてくれてありがとう。気をつけて行くんだよ」
我ながら程良い挨拶ができたと思う。感謝の念は絶えないが、表に出しすぎると萎縮させてしまう恐れがあるからな。
「うん、行ってきまーす」
2人もぺこっと頭を下げる。
玄関の扉が閉まるまで手を振って見送った俺だったが柚の新しい友達が真面目で礼儀正しい子でよかったと思いつつ、時計を見ると8時20分。そろそろ予定していた時間だが........
10分たっても20分たっても来ない。
迎えに来てもらう手前、すぐに出れるように外で待ってるのだが電話にも出ない。ENILにも既読がつかない……
寝坊しやがったな...
ため息をついたその時、奥の通りを左折してこちらに向かってくる一台のスポーツカー。真紅の日産シルビア、S15が我が家の前で止まる。
「ため息は幸せが逃げちまうぜ?」
「.........」
助手席側の窓を開けて、左手の指パッチンで小気味のいい音を鳴らしそのまま指鉄砲の人差し指を向け何故かドヤ顔の美人。満足したのか、シートを左手でポンポン叩く仕草は座れということだろう。
「おはよう。完全に遅刻だぞ」
ドアを開けてシートに座りながら話しかける。聞くだけ聞いておこう。
「ごめんねー。朝ご飯が美味しくてつい食べすぎ.....じゃなくて、時間かかっちゃって」
遊佐いちご。
一言で表すと『美人』だ。
青藍の前髪は右眼を境に、黒の髪留め用ピンできっちり分けている。切れ長の目に長い睫毛、編んで結い上げた後ろ髪。
勉強に運動もできるパーフェクトさんなのだ。
「このシルビア買ったのか?」
「違うよー。伊藤さんがもう乗らないからって会社にくれたの。社用車扱いだから天も乗っていいんだよ」
「え、じゃあ伊藤さん今車乗ってないのか?」
「ううん、天が休む前に整備してくれてたカプチーノがあったじゃん?それと交換したんだよ。ちょうど車検が近かったからせめてってことで新しく車検受けて納車したから喜んでた」
「そりゃ良かった。整備してきた甲斐があったな」
声色では明るく振舞っているが、嬉しそうに話すいちごとは逆に少し寂しい気持ちだ。特別好きな車でもなかったのになぜか惹かれるものがあった。だから手塩にかけて整備したり洗車をしていたのだが...。あいつも乗ってくれる人がみつかって喜んでいるだろう。運転が上手い伊藤さんならなおさらだ。大切に乗ってくれることは間違いない。良かった良かった。
「お父...社長も言ってたよ。年式は古いけど毎日点検して整備してきたから保証できますって。あの車を一番見てきたのは天だからって意味に聞こえたから...良かったね天。社長は天に相談せずに売ることを迷ってたけど天には私が話すって言って決めちゃった」
キャリアも技術も申し分ない社長が整備してきたなら保証もできるだろう。だが、整備士の道を歩み始めて数年の俺の腕を見込むなんて社長もいちごも甘すぎだ。
「天はうちの家に負い目があって2人暮らしを始めたんじゃないかってお父さんもお母さんも心配してたよ。けど、天が柚と相談して決めた事なら精一杯応援するってさ。だから天も不安になった時は頼っていいんだよ。私たちは家族なんだから」
車内はエアコンが入っているのも構わず俺は窓を開ける。内側のドアハンドルストレージに左肘をついて外を眺めるフリ。こみあげてくる感情をいちごに気づかれないように一言。
「ありがとう」
気づかれないようにの精一杯だが、いちごにはバレているのがわかる。前方の信号と歩行者用信号に合わせて、わざわざギアを3速に落としエンジンブレーキをかけやがって。このまま寝たふりでもしてやろうか...。