三狂人
時刻は十二時。勢いそのままに準備へと向かってしまった挑御川は、場所は指定しても時間の指定をしないというミスを犯した。しかし現代人である私はスマホなどの端末を駆使して連絡が可能だ。昭和に生まれたからと言って情報や技術に疎いわけではないのだ。
しかし一つ、すっかり忘れていたことがある。それは三日前の闘技のこと。私は端末や財布をポケットに入れたまま闘っていた。結果として、それらは自爆によって焼け焦げて使い物にならなくなったのだ。
つまり今は灼熱の炎天下の元、一時間の待ちぼうけを食らっている、その最中だった。
拭けども噴いてくる汗を面倒に思いながらも、グイと拭う。空を見上げると雲一つない青空。ただ青を塗りたくったようなそれは、しかし涼しさを与えてくれない。むしろこの灼熱地獄が、永遠に終わらないような錯覚を与えてくるのだ。街並みも五十人ほどが街に残っているとは思えないほどに閑散としている。一時間の間に一人も視界に入らないのはどういうことだ。
なるほど、入場した時に挑御川が怒っていた理由も分かるというものだ。偶然にもこの状況は、待っているのが彼女から私に代わっているという点を除いて同じだった。連絡もつかないわけで。むしろ三日前に連絡を無視したという事実が、罪悪感をふつふつと湧き上がらせる。アイツがどれだけ待ったのかは知らないが、どれだけ待とうともアイツを責めるようなことはするまい。……おそらくこの暑さの一番の原因だろう、ファリジア王国特製防炎タイツについても言及しないものとする。
それから三十分ほどして、ようやく現れた。私を見つけると開口一番に、
「やっと見つけられましたよ。ずいぶん探したんですから」
と言った。待ち合わせをしただろうという言葉が喉まで出かかるが、そういえばお使いという名のパシリをしてもらっていたことを思い出す。
「そんなに見つからなかったのか。すまなかったな、ありがとう」
挑御川はピックとヤスリの入っているだろう袋を渡してくれた。
「どういたしまして。それよりも、次の町へ向かいましょう」
「何に使うのかを聞かないのか」
少しだけ拍子抜けしながら聞くと、挑御川は
「中で聞きますよ」
と言って門へと向かう。はて、中とはいかにと考える。門から先は外のはずだ。そこから中に入るということは、扉の向こうの外に、中に入る場所があるということだ。おそらくは移動手段の中、と言ったところか。
そこでまた一つ疑問。挑御川はどのような移動手段を確保したのか。ここへはバスで来たが、まさかまたもバスではあるまい。大体バスならば確保という言葉はどこかおかしい。それに、メラが大量に必要だという理由も分からない。バスに乗るために大量のメラが必要だという線も確かにあるわけだが、もしそうならば、せこい考えだな運営よ、と思わざるを得ない。
なんとなく感じ取ってきたことだが、ファリジア・レースという大会は個人競技の色が強い。闘技場しかり、アイテムを手に入れるための条件しかり。それなのに移動がみんなで仲良くバスとは思えない。たまたま席が隣り合って、
「いやあ君とは仲良くやれそうでなによりだ。ところで君が狙うアイテムはいかに?」
「それは『これこれしかじか』でなあ」
「うーむ偶然だが僕も『これこれしかじか』なんだ。これは争わないといけないなあ」
他の席の人間が聞き耳を立てて、
「てめえらも『これこれしかじか』だと!? 今日出会ったが百年目、成敗してくれるわ!」
わいのわいの。つまるところ、バス内が戦場になりかねないと言いたいわけで。
脳内でバカな小芝居をしているうちに、外に出るための手続きが済んだようだった。目の前の扉が、ゆっくりと開いていく。一向に疑問が解消されない私は、素直に聞いてみることにした。
「なあ挑御川。確保した移動手段は何だ」
すると奴はこちらを向いて、得意げな表情を作った。それから、あれです、と扉の先を指差した。
扉が完全に開かれた。そこにあったものは、三十年生きてきて初めて見る代物だった。
最初は妙な形をしたオブジェかと思った。足が二本付いた、人と動物を合わせたような丸っこいフォルム。全体が鉄さび色で覆われている。しかし、移動手段という単語を組み合わせて見てみると、これがどれだけ異形なのかがよく分かった。少なくとも車とは一線を画している。何せ二足だ。さらに、乗用車などよりはるかに大きな体躯。しかし地面との設置部分が二つでも、自転車やバイクとはまた違う。第一、ホイールがない。これで移動すると考えた時に一番近いと思って連想したのが、まさかの二足歩行ロボットだった。乗り物の頂点にはガチャポンの半分を乗せたような、半円球のガラスらしいものが取り付けてある。これは自動車で言うところのフロントガラスだろうか。
「……挑御川。これは、一体なんだ?」
したり顔の女は、自信満々に答える。
「ファリジア王国原産、移動要塞『トラベリング・フォート』です!」
これがあの、と心の中で強い関心を覚えた。トラベリング・フォートという単語は、噂や話に聞いたことがあった。
トラベリング・フォート。通称T・F。
曰く、どのような道でも揺れない乗り物。
曰く、どのような道でも止まることのない乗り物。
その特性から過酷な環境にある地域や災害現場でよく使われるという、最新鋭の乗り物だ。ファリジア王国は広大で、荒野や湿地、山岳地帯などの様々な大地を包有するために、移動が大変な苦労とされてきたらしい。
しかし産出されたアーティファクトを解析して得た科学力は、そんな問題を亡き者にした。『どこへでも移動できる』をコンセプトとして設計されたこのT・Fは、世界から大絶賛を受けたのだ。すぐに他国から開発のオファーが来たらしく、低コストでの作成にどの国も熱を上げている現状だ。うちの会社でも、開発され次第すぐに取引リストに加えるようにと水面下での交渉が行われている……らしい。窓際社員には縁のない話だが。
ともかくそれが今、目の前にある。
「さあ、乗り込みますよ」
感動に浸っている間に、挑御川は我先にとT・Fに足をかけて登ろうとしているところだった。というか上から入るものなのか。確かファリジア本国のT・Fは快適性よりも移動性能を重視しているとどこかで聞いたな。上から入るだとかの面倒臭さはこれから改善されていくのだろう。
「先輩、下に置いてある荷物を持ってきてくれませんか?」
言われて、次々と荷物を運んでやる。挑御川は相変わらず荷物が多い、が……。これはなんだ。見たこともない会社の菓子が大量にある。そして気が付いたが、そういえば昼食を食べていない。まさかこの女、こっそり食べてきたのではないだろうな。
最後の荷物を頬りこんで、ようやく私が乗り込む番だ。足場がしっかりしているので意外とスルスル登れた。中に入ってみると内装は、想像よりも大分すっきりとしている。狭いリビングだな。配線などがごちゃついている印象を勝手に抱いていたのである意味拍子抜けした。プログラムで動く作りらしく、フロントガラスの下にはノートパソコンサイズのディスプレイがあった。画面にはこの辺りらしい地図が表示されている。一ヵ所点滅しているのが次の街だろうか。
「おい、昼食はどこで食うんだ」
聞いてみると、挑御川は荒野の先を見つめながら言った。
「約束に間に合わなくなるかもしれないので、T・Fの中で食べるつもりです」
「…………」
約束という話、私は聞いていないのだが。しかし昼飯は先ほどのお菓子群を片端から食うことになるのか。まあ休みの日の昼食など気にする必要もないか。いつもはカップ麺で済ませているのだから。
「さあ目的地は次の街、ベーラです。三十時間の旅を楽しみましょう!」
そう意気込んで、勢いよくディスプレイを押した。するとT・Fは多少の機動音を出してから、グオンと走り出した。乗り物に乗っているのに二足で移動している状態は奇妙な不安が渦巻くも、これは想像よりもずいずいと進んでいく。噂通り振動はなく、大きな岩山もお構いなしに真っ直ぐ乗り越えていく。そして、それなりに早い。なかなか楽しい乗り物だった。これぞ異国情緒と言うべきか。
しかしさらりと流したが、三十時間の旅とはそれなりに苛酷だ。T・Fの中は、人ひとりに対して三畳程度のスペースがある。これは広いのか狭いのか意見が分かれそうだ。しかし隣にいる挑御川をちらりと見やる。
彼女とは色々と話すことがある。ポツポツと会話をしていれば、三十時間などすぐに過ぎるだろう。
それから私たちはガラスの外の荒野を眺めながら、のんびりと菓子をつまんで過ごしていた。
空は高く青い。天井はガラスにもかかわらず、日差しがきついとは不思議と思わない。何か特殊なフィルターでも張っているのだろうか。おかげで自由に動き回れなくても息苦しい感じはしない。むしろどこまでも続くように見える荒野は、眺めているだけで心の落ち着きを与えてくれた。
こうして人ひとりいない世界に誰かと二人でいるというのは、特別な時間を過ごしているような感覚を覚える。まるで物語の登場人物にでもなったかのような。自分を中心に世界が回っているよう、とでも言えばいいのか。
それは、非常に懐かしい感覚だ。子供の頃は常に持っていた、自分の知らない世界がすぐそこにあるのだという期待。大人になって、世界には何の驚きも不思議もないと理解して。期待に対して、中身を見る前に諦めと失望を自分勝手に感じてしまうようになって。
世界には不思議で面白いことなど何もないのだと、そう諦めている人にこそ触れてほしい。命を賭ける価値のある現実がここにあるのだと。世界とは自由で膨大なのだと。三十路になって、私は初めて気が付いたのだから。
ふと、妙に感傷的になっている自分に気が付く。様々な出来事を経て、私の心は揺らぎやすくなった気がする。だがそれはいいことだと思った。何に対しても感動できないよりは、ずっといいはずだ。
「風向先輩、なんだか帰りたそうな顔をしてますね。ホームシックにでもなりました?」
覗き込むように顔を向けてくる。そうじゃない、とかぶりを振って答えた。
「この世界に来てよかったと、そう思っていたところだ」
「ならよかったです。私が無理やり煽ったようなものでしたから、帰りたいと言われると傷ついちゃうところでした」
少し影のある笑顔が見えた。その言葉と表情にわずかな違和感を覚えたので、素直に聞いてみることにした。
「……レースに誘った誰かから、帰りたいと言われたことがあるのか」
すると、意味ありげな含み笑いを浮かべながら口を開いてくれた。
「先輩は平然と聞きますね。それでいて察しがいいとか、よく嫌われたりしません?」
「確かに友人は少ないが、それでも気の合う奴はいる。そもそも友人が少ないのは、窓際に誰も近寄ってこないからだ」
話を逸らされているのは分かったが、あえて言及しない。それでもわざと察したような視線を向けてやると、
「本当に性格悪いですね」
と、今度は屈託なく笑った。コホンと咳を一つ、話を始める。
「帰りたいと言われたことはないです。けど一緒に参加して、ああこの人はレースを楽しんでいないな、と思ったことはあります。明らかにつまんなそうな顔してましたから、その人。
レースが終わった後もその人は笑ってませんでした。ようやく解放された、そんな表情でした。それで理由を聞いたんですよ。何がつまらなかったのかと。そのレース、私は最高に楽しかったので、心の底からの疑問だったんです。その人は、質問にはっきり答えてくれました。
『お前の行動に束縛されるのが、うんざりだった』
って。その時気が付いたんですよ。ファリジア・レースは自由です。けど私は私が楽しいようにしか行動してなくて、それ以外の行動を排除してました。つまりその人に、行動を強制してしまっていたわけです。ここはこうするのが一番楽しい、けれどそれは所詮、個人の楽しさでしかなかったのに。
ファリジア・レースには個人個人で楽しみ方に違いがある。それを悟ってからは、初心者と一緒に参加する時にはその人の好きにさせるようにしたんです。すると彼ら彼女らは皆、思いもよらない行動をとる。それは奇天烈で予想もつかなくて——、けれどとても楽しかった」
挑御川が私を見ているのが分かった。何となく恥ずかしくなり、鼻を掻きながら明後日の方を向く。
「先輩が楽しんでくれてるのは嬉しいです。今まで一緒に行った初心者の中でも一、二を争うレベルの奇天烈さですから」
「気になる言い方だ。私と同じくらいのおかしな行動とは、どういったものだ」
私自身の中であの行動は、それほどおかしいという感覚はない。けれど一般的な基準に照らせば、どれほど無謀だったのかの判断はできている。死にに行くのと同等の奇天烈さとはいかに。挑御川は困ったような笑みを浮かべながら言った。
「あの子は初参加の癖に戦闘が大好きな子でした。目的のアイテムなんて関係なく誰彼かまわず襲い掛かって、その時はレース荒らしなんて異名もついたくらいで。しかもそこそこ強かったせいで、次々と参加者があの子の餌食になりました。
最終的には目的のアイテムを変えてまで私と闘いたがりまして。しょうがないから闘ってあげて、その上でねじ伏せましたけど。それでも人懐っこくていい子でして、憎めないんですよね。先輩がレースに参加しなかったらその子と一緒に出るつもりだったんです」
さりげなく強い単語が紛れていた気がするが、気にしないことにする。もしもこのレースから生還できたならば、その戦闘狂の某ちゃんと一緒に参加するなんてこともあるかもしれない。
まあ未来の話ができるほど、今現在余裕のある身でもないわけで。
「今の話で思い出したが、カモミールとベルの様子はどんな感じだったんだ」
「えっと、何がどう繋がればそれを思い出すことになるんですか……?」
いきなり話が変わった感は否めないが、気になったのだから仕方がない。ちなみに繋がりとしては『いい子』という単語からの連想ゲームで『カモミール』になった。他意はない。
「私が見た最後の形としては、ベルさんがカモミールさんについて行きたがっていました。それをあまり好ましく思わなかったカモミールさんが、ベルさんから逃れるために策を用いたんです。ベルさんはカモミールさんが次の街へ向かったと勘違いして行ってしまったのが二日前。カモミールさんは予約していたT・Fの時間をギリギリまで伸ばして私たちを待ってくれていたんですが、間に合わずに昨日出発しています」
私宛の手紙に込められたベルへの失望感が、そのまま行動になっていたようだ。相当がっかりしたのだろうな、行動が辛辣すぎる。カモミールが私たちを待っていた事実に少し疑問符が出るが、すぐにその悩みが解決された。『フランベルジュ=ケンラルー』にこだわらなくてもいいということは、彼女の行動指針であった『剣』と『自立する』が消滅したのだ。だからこそ彼女は自分のしたいように、私たちと行動を共にしようともがいてくれていた。
「……先輩。そういえばあのタイツ、着てるんですね」
私は今、Tシャツと動きやすく質素な長ズボンを着ていた。その下に例のタイツ。格好いいとは思わないが案外気に入っている。
「別にいいだろう、着て損をするわけでもない」
「めちゃくちゃ暑そうでしたけどね」
言いよどむ。確かに暑かったからだ。しかし本当の理由はそこではない。
「私はカモミールの性格が好きというか、気に入っているからな。純粋な好意は出来るだけ無下にしたくなかったんだ」
自分で述べた好きという単語に少しだけドキリとしたが、しかしそれはすぐに消えた。今更恥ずかしがるような年ではない。
「私のことは好きじゃないんですか?」
妙な聞き方をしてくるな。けれどいちいち気にしていても仕方がないから、素直に答えてやる。
「もちろんお前といても楽しいがな。もっと言及するならば、お前が奇天烈な行動に惹かれるように、私もカモミールの言動や振る舞いに惹かれる。それだけのことだ」
「愛ですねえ」
「ばっ」
にやにやとした表情で言う挑御川に馬鹿野郎と言いかけるが、コイツは野郎ではないので途中で止めた。しかし奴もなんとなく察したらしく、こちらをからかう気は失せたようだった。
そういえば、と挑御川は話を変えるように口を開く。
「カモミールさん、闘技場で三連勝してましたよ。それも一方的に剣闘士を串刺しにして」
それには、かなり驚いた。いや、強いということは三日前に分かっていたのだが。弱者殺しの連中が弱いだけかと思っていたのは、どうやら勘違いだったようだ。
むしろそれを聞いて自分の弱さに対して落ち込んだ。こちとら死ぬ思いをしてやっと引き分けたというのに、カモミールは一方的に串刺しときたもんだ。それも三回も。情けないことこの上ない。
「聞いた話なんですけど、ファリジアの貴族は伝統的に武芸を重んじるらしくて、幼い頃から闘いの訓練をしているらしいですよ。だから先輩が弱いわけじゃあ……まあ、ないこともないですね。素人基準では強くても、超能力者としてはとんでもなく弱いですからね、先輩は。超能力者連中は人外ばっかりですから」
励ますのかと思ったら、そんなことはなかった。しかしもっとうまく能力を使えるならば、安定して闘えるようになる自信はある。焦る必要はない。じっくりと実践を積んでいけば、いつかは。そう自分を鼓舞しながらガラスの外を見た。
アッシュを出発してから四時間ほど経ったか。青かった空は次第に赤みを帯びてくる時間帯だ。大きな鳥の群れが一斉に同じ方向へと飛んでいく。巣に帰るのだろうか。
視線を中へ戻すと、挑御川が何か言いたげにこちらを見ていた。心なしか目をキラキラさせているように見える。若干のうっとうしさを感じるが、あと一日以上は同じ空間にいるのだから会話をしないわけにはいかないか。
「なんだ」
ぶっきらぼうに聞くと、待ってましたと言わんばかりに早口で話し始めた。
「闘技場というので思い出したんですけど、今回のファリジア・レースに『三狂人』という二つ名がつけられた三人がいるんですよ」
はあ、と気のない言葉を返す。なるほどコイツの好きな奇天烈な人種の話か。まあ今は暇なわけで、なんだと言ってしまったからには聞かないわけにはいかない。
微妙な返事を気にすることもなく、きびきびと話を続けてくれた。
「一人は初日の夜、闘技場で闘える剣闘士を全員倒したという女です」
「はあ? 全員だと?」
思わず大きな声を上げてしまった。なまじ闘技場で闘っただけにその事実は、どうしようもなく理解の外にある出来事に思えた。
「まあ初日はベルさんとか先輩とかカモミールさんとか他の参加者によって、その前に二十人の剣闘士が倒されていたんですけどね。つまり、彼女は三十人抜きを達成したということなんですけど」
唖然とした。このレースには、どうやらとんでもない化け物がいるようだ。
「彼女の名前は逢瀬牧。私たちと同じ日本人ですね。しかも聞いたことのない名前ですから、末恐ろしい話ですけどおそらく初参加です。今回つけられた字名は『狂った戦乙女』。その闘いぶりは、狂気そのものだったとか」
……字名はまあ、格好良すぎて恥ずかしい感じだな。
それはともかく、恐れを抱きつつも考えてしまう。他の狂人共は一体何をやらかしたのか。しかし挑御川はこちらの気持ちなど関係なく、楽しそうにつらつらと述べていく。
「二人目は初日のリタイア人数の七割、約八十人を路上の戦闘によって倒したという参加者です。男か女か、それと名前も分からないみたいですけど。やられた人は皆『首がなくなったかと思った』と言っていて、その戦闘スタイルから『断頭台』という字名で呼ばれています」
頭がおかしくなりそうだ。化け物が二人。もしも出会ってしまったら私なんて簡単に殺されるぞ。唯一の救いは、こちらが求めているアイテムがしょぼいということ。下手に怒らせでもしない限り、戦闘になることはないだろう。
そうしてふと気が付いた。挑御川はそんな化け物たちと闘う可能性の、最も高いアイテムを狙っているということを。
やはりすごいな、コイツは。
「それで最後の一人は、闘技場で自分もろとも敵を殲滅爆破した『イカレた人間爆弾』こと風向緋板さんです」
文字通りの爆弾発言に、考えていたことが全て吹き飛んだ。自爆した時のような衝撃——何故だ! という言葉が、頭の中で炸裂する。……相当にうろたえつつも何とかして口を開く。
「……おい。どういうことだ。私は弱いのだろう。なのに何故そんなものに選ばれて——」
「三狂人の判断基準は、初日に明らかに普通じゃないことをしでかした三人だったらしいです。強いかどうかは関係ないですね」
いや落ち着け。戸惑うな。三狂人という名詞で化け物どもと一括りにされたことは、すでにもう終わった出来事だ。会社に遅れることが確定した後に罪悪感にまみれて苦しいひと時を過ごすか、どうせ遅れるならばと缶コーヒー片手に音楽を聴くのか。私は常に後者を選んできたではないか!
そもそも、三狂人に選ばれたからと言って、何かがあるわけでは——
「ちなみに三狂人を選んだのは運営なんですよ。レースを盛り上げるために、三狂人を倒した参加者には大量のメラが配られます。ああ、私は先輩を狙いませんからご心配なく」
その分自分の心配ができますね、などと聞こえてくるが、そんなものは意識の外だ。次の街に向かうT・Fが地獄へといざなう案内船に思えてくる。風向緋板という餌を待ち焦がれている三百人の狩人が、目を輝かせていると思うとぞっとする。
普通に考えてみよう。『闘技場三十人抜き女』と『八十人をリタイア某』と『剣闘士一人を爆破男』。メラ稼ぎで倒そうとするならば、間違いなく最後の男を狙うだろう。私だってそうする。理由は明確、他の二人の偉業が異形すぎるからだ。
……準備だけはきちんとしておこう。
ため息をつきながら、買ってきてもらったピックとヤスリを取り出した。今からは作業に取り掛かることにする。弦をはじく部分が鋭くなるよう、一心不乱に磨き続けるという作業。すると後ろから声がした。
「まあ好き好んで、毒虫を食らおうとはしないと思いますけど……」
あれから大体二十四時間経ったのだろうか。しばらく前から、ガラスの向こうに広がる景色が一変していた。荒野は過ぎ去り、今見えている地面は湿地だ。草や水たまり、川などは荒野と違い、見ていると無常感ではなく親しみやすさを与えてくれる。T・Fが水たまりや濡れた地面を踏みしめる音だけが響いていた。今は午後五時。そろそろベーラに着く頃だろう。夕闇の時が近づき、辺りは暗がりへと変わっていく。
私の両親指には、磨き抜かれて鋭さを宿したピックが装着されていた。それで人差し指の腹をそっと撫でてやると、皮膚はきれいに切れて血が滴った。
「なるほど、ピックはそう使うんですね」
ポリポリと残り少なくなった菓子をほおばりながら、じっと指先を見つめてくる挑御川。私は親指と人差し指とで血をこすりながら口を開く。
「必要な時に手早く出血できないと、能力発動が遅れるからな。いつまでも敵に攻撃されてから発動していたのでは、一つの間違いで死ぬかもしれん」
言うと、なぜか笑われた。その理由がよく分からなかったのですぐに問い返す。
「なぜ笑う」
「いえですね。初対面の時から思ってましたけど、先輩って順応性高いですよね。私という人間にもファリジア・レースにもすぐに対応できてる。それをすごく簡単そうに、当たり前のように振る舞っているのがなんだかおかしくて」
「おかしいのか?」
「ほら、そういうところですよ。異常を自分の中の通常にしてしまう。その速度がとんでもなく速いんです。それって先輩のいいところですよね」
楽しげに笑い、じっと見つめてくる。その言葉には、しかしながら反論しなければならないだろう。何故今それを言われたのか分からない人間が、挑御川集子という人間に対応できているとは思えないからだ。
「どうしたんだ。何が言いたい」
「別にー? 風向先輩と一緒だと、退屈しないなーって話ですよ。それよりほら、見てください。次の街、ベーラが見えました」
指で示すその先に、石の防壁のようなもので覆われた門が見えた。古代ローマをコンセプトにしていたアッシュとは、この時点から全く違う造りであることが分かる。アッシュは周りの岩山と同じ茶色の脆そうな壁だったが、ここベーラは白と灰色のきれいに四角に切り分けられた大きな石を丁寧に積み上げた壁。だからこそ、防壁という表現がしっくりくる。
新たなる世界が目の前にあるという期待感で、胸がいっぱいになる瞬間。しかし、ある連想が脳内を支配する。それは挑御川が、おそらく私を褒めたであろう言葉からだった。
『異常を自分の中の通常にしてしまう。その速度がとんでもなく速いんです』
それには薄々気が付いていた。何故ならこれまでの人生で幾度となく苦しめられてきた感覚の根源が、自身の性格に起因するからだと理解していたからだ。
その言葉を言い換えるならば、慣れるのが早いということ。しかしそれは何も、危機的状況や異常事態にのみ反映されるわけではない。
今までにないと思えた程の感動も。
苦しみとやりがいの中で生まれる達成感も。
自身が感じてきた楽しさという楽しさその全てに対して、瞬く間に慣れてしまったのだから。
だからこそ、おこがましいまでも最悪の状況を想定してしまう。ファリジア・レースにすら慣れてしまうという状況を。かけがえのない出会いにも、血を流すことや重傷を負うことや命を賭けることにすらも慣れてしまうかもしれない事態を。
その先に待っているのは、彼女と出会う前以上の地獄だ。
……そんなことを今考えてもしょうがない。連想を忘却の彼方へと送り、目の前に迫る街、ベーラを再び見据えた。




