貴族の事情
柔らかなベッドで目が覚めた瞬間、死んでいないという安心感に満たされてホッとした。
ここが病院でないことはすぐに分かった。天井が白くない……というのは判断基準ではない。一度来ることがあったからだ。
私が寝ているこの部屋は、ベルから譲り受けた宿の寝室だ。荷物を置く時にここには入ったことがあった。一般的なビジネスホテル程度の広さ。ベージュとブラウンを基調としていて、非常にくつろげる雰囲気だ。しかしまあ、外の古代ローマ然とした世界観にはあっていないのは確かであるが。そんなところまで『融合』されても困るから、気にしない。視線を少しずらすと挑御川が抱えていた荷物が隣のベッド上に固めてある。
どこかの窓から涼しげな風が入り、その心地よさに目を細める。そしてふと、自分の肌が元通りになっていることに気が付いた。いや、普段よりも少し肌の色素が薄いか。かなり焼け焦げていたと思ったが……治るものだな。挑御川言うところの、さすがの医療大国だと思っておこう。私が生きているくらいだから、爆発に巻き込んだあの丈夫そうな剣闘士もきっと大丈夫なのだろう。
そういえば、と。いつの間にか着せられている白いローブをはだいて、剣闘士に切り付けられた上に焼いてしまった切り傷の確認をする。するとそこには薄い線のような跡が残っているだけだった。
なるほど本当に素晴らしい技術だなと一人感心していると、ガチャリという音と共にドアが開かれた。ずいと入ってきたのは挑御川。久しぶりに会ったような気もするが、実際はどうなのだろう。
しかしそれを聞く前に、言うことがあるはずだ。
「挑御川、感謝するよ。救ってくれてありがとう」
何重にも意味を込めた言葉。未だにドアの前にいた彼女は声を聞くとツカツカ歩いてくる。その表情には覚えがあった。闘技場から出てすぐに見た時の表情。私のために涙を流してくれた、優しい表情だった。
「……心配しました。無事でよかった。本当によかったです……」
彼女はベッドの傍まで歩み寄り、それから俯いた。泣いてはいないようだったが、心底悲しそうな声を出す。悪かった、心配かけてすまなかった、そういう言葉をかけてやろうと口を開きかけた瞬間だった。
「まったく、何を考えているんですか先輩は!」
悲哀の声が怒声に変わり、その変わりようには心底慄いた。
「命を賭けるのはいいんです。これはファリジア・レースですからね。先輩も覚悟を決めるいいきっかけになったと思います。それに関しては何も言いません。
でも、一つ分かっていないことがあります。それはですね、『ファリジア・レースは一度の闘いでは終わらない』ということです!」
言われて、挑御川が何を責めているのかに気が付いた。彼女は続けてまくしたてる。
「レース中は常に命を賭けて、賭け続けていなければならないんです。それなのに先輩は『そこで終わりかのような命の賭け方』をしていました。あれは駄目です。命を賭けて闘って、勝ち続ける。それはつまりですね、目的を遂げるまでは死んでは駄目だということなんですから。
結果として負けたり致命傷を負ってしまうのはしょうがないです。でも先輩は他に勝ち筋があるにもかかわらず、最も死ぬ危険のある方法を取りました。そうですね?」
まるで先生のような口調にはぐうの音も出ない。やはり、バレていたか。
普通に考えて、血液爆破の能力など初見で対応出来るわけがないのだ。この能力は言うならばテロのような性質を持っている。つまりは不意打ちにこそ最も真価を発揮するのだ。そんな能力を持ちながら決着を自爆でつけた理由は、命を賭ける感覚を味わいたかったという、ただそれだけの理由だった。
私は黙って言葉に頷く。挑御川はため息をつき、そうして言った。
「もうあんな闘い方はやめてください。言いたいことは、それだけです」
「分かった。もうあんな闘い方はしない。すまなかったな、小言を言わせてしまって」
言うと首を振って答えた。
「いえ、うるさく言ったのはこっちなので気にしないでください。それよりも先輩、クイズをしましょう」
話が終わったと思ったら、何やら唐突に始まった。挑御川はすでに切り替えたように、含みを持った表情を浮かべている。考えても仕方がないので、頷いて先を促す。では、と前置きをしてから話し始めた。
「先輩が無茶苦茶したあの闘技から、一体何日経っているでしょーか!」
無茶ではなく無茶苦茶とは、どうやらだいぶあの闘い方を根に持っているようだ。とりあえず言えることは、こちらには考えるための材料が何もないという事実。あてずっぽうで答える選択肢しかないか。しかし理屈はこねるだけこねてみよう。
「窓から空を見るに、今は大体昼くらいか。しかしあの傷が寝て起きただけで治るとは信じられん。ならばあれから二日後か? どうだ」
「ハズレです。正解は三日後でしたー。ちなみに今は午前十時ですよ」
え? という言葉を何とかして飲み込んだ。三日後ということは、私は丸二日寝ていたことになる。なるほど、そう言われてしまうともったいないことをしたと実感するな。せっかくのファリジア・レースを、ベッドで寝て過ごしてしまうとは。正月じゃあるまいし。
いや、そんなことよりも。
「レースの状況はどうなっている。丸二日も何もしないというのは、大きなハンデになるんじゃないのか?」
「ええ、かなりのハンデです。詳しく状況を説明しますと、始まって三日間でのリタイア人数は百五十人程。ゴールした人はゼロ人。しかしレースは確実に動いてまして、調べたところによると今この街にいるのも五十人程度。つまり八割以上の参加者が次の街へと向かったことになります。ベルさんは一昨日、カモミールさんは昨日までここにいて待っていてくれたんですけど、今はもういません」
だいぶ遅れをとっているようだ。挑御川に悪いという気持ちが渦巻くが、しかし彼女自身気にした様子もなく言う。
「まだまだ挽回の余地はありますから心配ないです。他の参加者も結局は私をどうにかしないと『境界線の消失』が手に入らないわけですし。
それに私たちには、風向先輩が命を賭けて取ってきてくれた大量のメラがあります。先輩の全財産五千メラと私の七千メラ、それらが七十倍。しめて八十四万メラ。さらに剣闘士を倒したことによる賞金も合わせるときっかり百万メラあります。これを使って『足』の確保はもう済んでますから、すぐに出発できますよ」
挑御川は、はだけた白いローブから見える私の体をじっと見てから言う。
「すっかり治ったみたいですし、さっそく出発しちゃいましょう! 先輩はここで支度の準備をしていてください。移動の間の食料とかはこっちで買ってきますんで。ついでに欲しい物とかありましたら、ついでに買ってきちゃいますけど。どうします?」
めまぐるしく進む展開について行けない頭を何とか働かせる。欲しい物、か。それならば二つほどある。
「ピックとヤスリが欲しい。あるか?」
聞くと、目をパチパチと瞬かせられた。それから、はい? と理解の及んでいない表情を浮かべた。
「ええとヤスリはともかく。いえ、ともかくとはしたくないんですけどまあいいです。それよりもピックというのはつるはしのことですか?」
なるほど、ピックだけでは伝わらないか。
「そうじゃない。ギターを弾き鳴らすのに使う道具だ。サムピックという、指にはめるものがいい。それを二つだ」
「そんなの、ありますかね……。というか何にどう必要なのかも分からないんですけど」
「私には必要なものだ。頼む」
それなりに真剣味を込めて言うと、
「何とか探してみます」
と言ってくれた。着替えや荷物の場所と用意が済んだ後の待ち合わせ地点をテキパキと指示して、挑御川は準備のために部屋を出て行った。ならば、こちらも支度をするとしよう。着替えはアイツが買ってくれたらしいものがベッドの上に、綺麗に折りたたまれて置いてあった。ベッドから起き上がってそれを見る。何々……。まず目についたのはファリジア王国特製、防炎タイツとやらだ。ご丁寧に上下とも。肌に張り付きそうな質感をしていて、なるほどこれならば火傷の心配もないだろうと思えるが、一つ疑問。血液が爆破する人間は、これを着て何か効果があるのだろうか。
さて、これは着るべきなのだろうか。タイツの上には服を着るわけだから、見た目を気にする必要はないのかもしれん。だからと言って極論、同じ条件で女性下着が置いてあったらそれを履くのかという話だ。私は履かない。性に合わないものは着ない性質だ。
他に置いてある服は普通らしく見える。空港で見たファリジア人が着ていたものと似ているな。個人的な趣味からは外れているが、まあ着られる服だ。……用意してもらった立場で偉そうな考え方はやめておこう。普段通りに、謙虚を心がけよう。
ふと服の横を見ると、手紙が置いてある。ここに置いてあるということは私宛だろう。先に服を着るべきか手紙を読むべきかを悩んで、後者を選択した。
字は丸っこく、小学生が見よう見まねで書いたような印象を受けた。漢字も少ない。なんだこれは? と思いつつも読み進めていくと、すぐに納得を得ることが出来た。
こんにちは、風向さん。あなたがこの手紙をよむころには、わたくしはすでにいないでしょう。かなしいですが、先にいってまっています。
そこにおいてあるでしょう、ぼうえんタイツは気に入ってもらえたでしょうか。あなたのとうぎをみて、こういうものがいいと思い、おくらせてもらいました。よろこんでくれたらうれしいです。
さて、わたくしはあなたに一つ言いたいことがあります。それは、あなたのしりあいというあの人が、ケンラルーさまであったことです。とてもおどろきました。けれど、それはあまり好ましいことにはなりませんでした。
風向さんをたすけたあのよる、あなたを追わないようウィークキラーをくしにさしているときでした。ケンラルーさんはなぜかわたくしを見つめるばかりでたたかおうとしませんでした。そうしててきのほとんどをわたくしがたおしたあと、かれはわたくしに言いました。『きみのたたかうすがたは美しい』と。
わたくしは、こんなときになにを言っているのかとおもいました。そして、この人がケンラルーさんときいて、とてもざんねんにおもいました。千年のこいが、きえたようです。かたがきとちぎりをむすぶのが貴族のさだめとしても、わたくしがこの人とむすばれることはないでしょう。うわさできいたすてきな人、というのはうそだったようです。
このことを手紙にかいたのは、挑御川さんが言うに、風向さんがいろいろと気にしているだろうとのこと。しんぱいをかけてもうしわけありませんでした。
それでは、一日でもはやく、おけがが治りますようにいのっております。
カモミール=カラカリス
……ふむ。とりあえず最初の文章は、狙って書いたのかと言いたくなるくらい、どちらともとれるので戸惑うな。それにあのタイツを送ってくれたのが彼女であるという事実。さらには二人の物語が予想だにしない方向へと動いたということ。この三つに驚けばいいのか。ベルが少し不憫だが、あまり気にすることもないか。
まず私が最初にするべきことは、一つ。ファリジア王国特製防炎タイツを、意気揚々と着ることだろう。




