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  作者: モノノケ
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命を賭けるということ

 私たちはピタリと歩みを止めた。そうして目の前に広がる建物を見上げて、深いため息をついた。

 闘技場。それが目の前にでんと佇んでいた。見た目は古代ローマのコロッセオをアレンジした造りか。けれどテレビで見たそれよりも数段綺麗、と言うよりも新しい。やはり別物感がある。しかしこの中で何が行われているのかを考えると、武者震いが起こった。

「とりあえず中に入ってみましょう」

 物怖じする様子もなくスタスタと歩いていく。置いて行かれるとは思わないが、迷ってしまうことはありそうだ。私は小走りで彼女の後を追った。

 無骨な石門の入口を抜けると、すぐ目の前にはカウンターに入っている売店が広がっていた。早くも台無しな雰囲気だが、それは目をつむろう。今は現代で、ここがある意味競技場なのだから、食べ物を売っているのは商業的には当然。そうだな、私のイメージでこの場所を語るならば、石造りの野球場と表現するのが一番しっくりとくる。人も大勢いてお祭りのような雰囲気だ。参加申請や賭けをする場はどこなのだろう。

「挑御川。とりあえず来てみたはいいが、受付はどこにあるのかよく分からん。教えてくれないか」

「私だってここでレースするの初めてなんですから、何でも知ってるわけじゃないですよ。けどここの案内なら端末の中に入ってると思います」

 確かに聞いたのは早計だった。すまんな、と一言謝ってからポケットから端末を取り出す。ポチポチと調べてみると、場所の把握は簡単だった。売店をぐるりと周っていればすぐ見つかるようになっている。

「まずは闘技場の様子を見ましょうか」

 そう言って売店横の階段に向かい、上っていく。それについて行く私の気持ちは、怖いもの見たさと表現するのが妥当だろう。闘技場という響きからは血みどろの闘争を連想する。どのようなルールで戦いが行われているのかも気になるわけで。

 階段を上り終えて、二階。観客席へと続く通路を進んで、景色が開けた。

 そうして初めに受けた感覚は、人の熱気だった。歓声があちこちから聞こえてくる。見渡すとそこは野球場よりも大分小さい。しかし、それとは比べ物にならないほど一人一人が真剣に、闘いが行われているフィールドを見つめている。まず先ほど述べた声援の質が違う。競技場によくあるようなファンの熱狂ではない。皆が皆、好き勝手に声を振り絞って、祈るように叫ぶのだ。なるほど、確かに博打場のそれだと納得した。

 フィールドを見やる。そこでは細い剣を必死で握りしめた男が、上半身裸の大柄な男と闘っている。一目で分かった。半裸の方が剣闘士だろう。そうして、すでに血まみれで動きの鈍い男が、レースの参加者。

 視線を上げると、これまた雰囲気に合わない電光掲示板がある。表示されている数字は間違いなくオッズだ。レース参加者の方に賭けると八・五倍の配当。剣闘士の方に賭けると一・五倍だ。だがこの光景を見ると、八・五倍の配当が出ないのは明らかだった。

 ふらつく男を剣闘士が襲う。剣闘士の持つ身の丈に合った巨大な剣を振り回し、男の剣を吹き飛ばす勢いで切りつける。男は何とかそれを受けるが体は浮かび上がり、衝撃を殺すこともできずに勢い良く後ろに転がった。

 体勢を崩した男に、剣闘士は躊躇ない突進を行う。男の持つ剣をめがけて自身の剣を振りぬいた。案の定、獲物は吹き飛びフィールドの後方へと飛んでいく。剣闘士は地面にうずくまる男に向けて剣を向け、何かを言った。すると男は両手を剣闘士に差し出した。おそらくは降参の意思表示だろう。

 すると闘技場のどこかにあるらしいスピーカーから実況らしい声が飛んできた。何を言っているのかよく分からなかったが、しばらくして日本語が流れてくる。

《これにて決着! 挑戦者のベダラ選手はあっけなく降参! 勝者は剣闘士ナンバー『ナイン』! これで彼は五連勝、素晴らしい戦績だー! 彼と当たったベダラ選手は不運としか言いようがない》 云々かんぬん。

「端末情報によると」

 隣で端末を覗いていた挑御川が、突然説明を始めた。

「五十人いる剣闘士からランダムで対戦相手が選出されるみたいです。ナンバーが『ワン』に近づくほど強い剣闘士に設定されているようですね。その分倒した時の賞金は多くなっていくみたいですが。

 ルールは無用、純粋な戦闘ルールです。剣闘士との闘いに勝った者はそこで降りるか続けるかを選べるみたいですよ。途中で降りても勝った分の賞金はもらえるみたいです。最低ランクのレースにしては不親切な金稼ぎですけど、まあ賭けの方は誰にでもチャンスがあるから仕方ないのかな」

 最後の方は独り言か。不親切かどうかは比較する対象がないから、そうなのだろうとしか思えないので返答はしない。他のことを尋ねてみよう。

「勝った参加者は、どうやって賞金をもらうんだ」

「それはええと、これですね。闘っていたフィールドの隅にスタンバイしている係員がメラを用意しているので、そこから貰うようです」

 ずいぶん適当に思える。しかしこの闘技場の参加者はそこそこいるのだろう。回転率を上げていかないと賭けの方も成立しないわけだ。

 ふと、ため息をつく。闘技場を見つめて、降参した男を見やる。血まみれで、意識も朦朧とした様子でタンカに乗せられる。彼は何を求めてこのレースに挑んだのだろう。いくら医療技術が発達していても、メラを持っていないとその恩恵に預かることはできない。もし預かるのであれば、それはリタイア以外ではありえない。

 これだ。これが命を懸けて遊ぶという、挑御川の言葉の意味。現実だ。

 私はしばらく味わっていない楽しさを求めてやってきた。現実の遥かなる延長線というこの場所に来て、ただそれだけで——参加するだけで楽しめると、私という人間を変えてくれると、勝手に思い込んでいたのかもしれない。

 しかしそれは間違いだ。

 環境が、自然と人間を変えるわけではない。人の変化は人為でしかありえない。

 この世界で真に楽しむには、命を懸けなければならない。それがファリジア・レースの標準担保。皆がそのはずだ。出会った二人もそうだった。挑御川もそう。強い意志を持って、このレースに挑んでいる。

 風向緋板を除いて。

 私の命はパソコンと同じ価値の安い命だ。しかしそんな命ですら、懸けていないと話にならない。同じステージに上がれない。つまり、楽しめないということ。

「挑御川。すまんがトイレに行ってくる」

「分かりました。ここで待ってますね」

 観客席を背に歩き出し、階段を下りながら考える。どのようにして命を懸けるのか。そうして遊ぶのか。

 それは、一世一代の大博打になるかもしれない。


「待たせてすまんな」

 戻ってくるのに少し時間を食ってしまったが、挑御川はそれほど気にした様子もない。闘技場のフィールドでは次々と闘いが繰り広げられていて、どうやらそれを眺めていたようだった。場を見やると、今回も血みどろの闘いのようだ。おもわず唾を呑み込んでしまう。

 挑御川は視線をこちらに向けてから、口を開く。

「いえ、気になりませんでしたよ。それよりも闘技場は一通り見ましたけど、これからどうします? 私はメラ稼ぎにここで闘うの、今日はちょっと遠慮したいんですよ。思ったよりも疲れちゃいましたし。ちょっと賭けごとするくらいなら全然いいんですけど」

 首をかしげて視線を向けてくる。それなら、と自分の考えを述べた。

「だったら少し遊んでいこうか。どうやって賭けに参加すればいいのか……は、自分で調べるか」

 ポケットの端末を取り出して検索をかける。すると闘技場の項目内に、『賭けごとのルール』という表示を見つけた。闘技場に初めて来たらしい挑御川にも伝わるよう、向き直ってから内容を口に出した。

「『闘技場での賭けごとは、挑戦者であるレース参加者と闘技場の剣闘士、どちらかにメラを賭けることで成立する。闘技場一階にある受付(地図参照)にどちらが勝利するのか、そしていくら賭けるのかを用紙に明記しそれを渡すことで手続きは完了となる。なお受付では現在行われている闘技から数えて、五回あとの分まで賭けることが可能。明記する紙には、電光掲示板に表示されている名前の横にある番号を書くこと』。つまりは、あれか」

 顔を上げて、電光掲示板を見る。そこには参加者と剣闘士の名前の横に番号が表示されていた。剣闘士の番号は強さの順の番号をそのまま使っていて、参加者の番号は闘技場に参加申請した順番につけられているようだ。けれど今は二番の参加者が戦っているが、トイレに行く前は二桁の番号が表示されていた記憶がある。参加者の番号はどこかでループしているのかもしれない。

「ルールはこんなところか。私は賭けごとなどほとんどしたことがないから、こういうのには疎いな。あてずっぽうでしか賭けられん。それでも今まで見た感じだと、剣闘士にかけるのがベターというか、確実であるような気はするな」

 それでも、ベルのように軽々と七人抜き出来るような猛者は確実に存在するのだ。まあ剣闘士の番号が若ければ剣闘士に賭けて、番号が五十に近いならば参加者に賭けるのが、確実性が高いことは理屈として理解できる。

「でもそれだと、大きく稼ぐことはできないんですよね。みんなそう思ってますし。せめて出場選手を間近で見られるならいいんですけど」

「いや挑御川。出場者の基本情報ならば、賭けの参考にするために開示されているらしい。『闘技場』で検索をかけると最新の参加情報が分かるサイトにつながった。現在のオッズやその推移も分かるようだ」

 挑御川は私と肩を並べて端末を覗き込んだ。それから、『二番』と表示されているページをクリックしてみることにした。そこには簡単な情報と、プロフィールが載っている。

「名前は表示されないんですね。ええと、ファリジア・レースの参加経験は十回。武器は短刀を複数所持。性別は男で身長は……」

「それよりもオッズだ。この男は三倍。賭けるうまみはそれなり、と言ったところか。ところで疑問なんだが、ファリジア・レースの参加経験が十回というのは、多い方なのか?」

 私の言葉に、挑御川はかぶりを振って答えてくれる。

「多くはないです。けれど、少ないということもないですね。十回参加していたらレースの流れも分かるでしょうし、素人との差はかなりのものだと思います。

 ちなみに私は八歳の時から出てますので、参加回数なんかはもう覚えてないですね」

 親同伴でしたが、と恥ずかしそうに言う挑御川。それでも驚嘆を禁じ得ない事実だ。そんな頃から命を賭ける遊びをして過ごしてきたという事実。世間一般とはかけ離れた経験を積んできたのだろう。

 親はどんな教育をしているのだと、言ってやりたい気持ちがほとんどだが。彼女の言が冗談であることを祈るばかりである。

 表示させていた短刀使いの男を消して、今度は『六番』という番号のページを表示させた。

「この男は六十倍のオッズだ。ファリジア・レース参加経験なし。武器もない。どうやら死にに行くようだなこの男は。よし、こいつに賭けよう」

「そうですね。いくら高オッズでも、こんな明らかな地雷を踏みは……って、ええ!? 先輩、賭けるんですか? この人に? 冗談はよしてください! メラを大切にって、きちんと言いましたよね!?」

 明らかな狼狽を見せる挑御川。その反応が少し面白かったので、意固地になったふりをして言ってやる。

「いいや私は賭ける。それも持ちメラすべてだ。これはもう決定事項とする。金は命よりも大事だと言うだろう。そしてここはファリジア・レースの場、命を懸けることは普通だ。ならばメラをすべて賭ける程度のわずかな挑戦に、何のためらいがあろうことか!」

 芝居がかった口調に違和感を覚えたのか、挑御川は少し冷静を取り戻したようだ。けれど戸惑いの表情はそのまま。そうして彼女は何とも微妙な笑顔を浮かべて、恐る恐る聞いてくる。

「も、もちろん冗談ですよね。ああ、先輩のことですし、六番の男が勝つ理由を思いついた、とか……」

 自身を持って、きっぱりと言ってやろう。

「ないぞ、何も。不安ならば今から考えよう。そうだな、素人である以上相手は油断をしているから……」

 挑御川の取り繕うような笑顔が、張り付いたまま固まった。何かを言おうとしていたらしく口を開けているが、言葉は口から洩れてどこかへ消えてしまったようだ。

 こうしていてもらちが明かない。財布を取り出して、それから言う。

「私はまた腹が痛くなってきたので、これからトイレに向かう。だから代わりに受付で六番に賭けてきてくれないか。もう四番の闘いが始まっている。早く済ませないと受付が終わってしまうからな」

 頼んだぞ、と言っても返事のない挑御川に、私は財布から取り出した札で頬をペシペシと往復で叩く。ハッとした表情を浮かべたので行為をやめると、彼女は抗議をするようにじっと私の札を見つめた後、財布ごと札をひったくって走って行ってしまった。

「六番だ、忘れるなー」

 伝わっただろうか。疑問だが、それを確かめる術はもうない。

 私はトイレには行かず、ただ血みどろのフィールドを見つめている。十番の参加者がタンカで運ばれて、十一番の闘技が始まった。


 目の前の闘技がおそらく終盤に差し掛かる。十一番の挑戦者の上半身が、相手の二十四番の剣闘士が持つ剣によって、切り付けられたのだ。血しぶきが上がり、明らかにひるんだ挑戦者。その隙をつくように剣闘士はもう一本の剣でも、同じように上半身を切りつけた。挑戦者は手に持つ長い剣で受けること叶わず、再度血しぶきが舞った。参加者は力が抜けてしまったのか、持っていた剣も落としてしまい膝をつく。血まみれの体は痙攣しビクンと体を揺らして——、そうして地面に倒れこんだ。もう駄目だろう。素人目にも明らかな決着だった。そうして待っていたかのように実況の声が聞こえてきた。

《壮絶な、決着だ——! 挑戦者のカマイ選手は健闘むなしくリタイアという結果! 勝者は剣闘士ナンバー『フォーティ』! 本日初の闘技を難なく勝利で飾ったー!》

 またもタンカで運ばれていく参加者を物悲しい気持ちで見ていると、挑御川が小走りでこちらに来るのに気が付いた。

「よう、ずいぶんかかったな。もうすぐ十二番だ」

 ねぎらう気持ちを込めて言ってやる。悪い気持ちはあるのだ。ほとんどパシリのような真似をさせてしまったからな。彼女はあまり気にした風もなく、ただ感想を述べる。

「ものすごく混んでました。たぶんですけど、次の闘技が安牌だからですよ」

「安牌とは」

「だって参加者がレース初心者にして武器なしって、普通に考えればレースを舐めてるとしか考えられないですもん。オッズも七十倍に上がってましたし、相手の剣闘士は相対的に大人気ですよ」

 それはそうだ。普段ならこの状況、細かく稼ぐために剣闘士の方へ賭けていただろう。だがそれではつまらん。せっかくのファリジア・レース、ワクワクする選択を選ぶのは必然とも言える。

「とりあえず賭けている闘技くらいは近くで見よう。ここでは見づらいだろうからな」

 なんでメラ賭けてるのに他人事なんですか、と言う挑御川を無視して歩き、最前列の場所までたどり着く。フィールドが近い。なんとなく、血の匂いが鼻を掠めた気がした。

「まあうまくいけば七十倍の配当が出ますからね、ドキドキしないと言えば嘘ですよ。六番を応援しなきゃいけませんね」

 なんだかんだ言って挑御川も乗り気だ。いや、やけくそなのかもしれない。反応が少し妙な気がしたのだ。賭けたのは私のメラのはずだが、なぜおまえがそんな風なのだろうか。

「そういえば、先ほどの勝つ根拠の件だが」

 するとガバッと、身を乗り出すようにこちらを見てくる。ははあ、さてはコイツも六番に賭けたな。期待させたくなくなったので言いたくなくなったが、乗りかかった船だ。きちんと述べてやろう。

「私は六番の男についての情報を持っている。無論、プラスの情報だ」

「へえ。先輩、知らない内に情報収集してたんですね。いつの間に」

「まあ細かいことはいいだろう。その情報とはな、そいつは超能力者だということだ」

 するとグッと目を見開く。心なしか瞳は輝いているように見える。

「それ、本当ですか? それなら十分チャンスありますよ」

「残念ながらマイナスの情報もある。男は戦闘経験など皆無で、さらには三十路という話だ。全力で走るなんてことも、久しくないらしい」

 この話に違和感を覚えたのか、挑御川が不審がって首をかしげた瞬間。スピーカーから大音量の実況が聞こえてきた。

《既に開始時刻を過ぎているにもかかわらず、六番の男は現れていないぞ! これは一体、どういうことだ! 前情報ではレース初参加というその男、ビビって逃げだしたか——? あと三分で失格になってしまう、これでは拍子抜けすぎる——!》

 フィールドを見ると、明らかにイラついた態度の剣闘士が佇んでいた。ナンバーは十四。それなりに強い自負がある分、格下らしい相手に振り回されるのが気に食わなそうだ。

「まるで巌流島ですね」

「それはそうだ。イラつかせるつもりでこうしてノンビリしているからな」

 挑御川がギョッとした表情を向けた瞬間、私は目の前にある観客席とフィールドとを隔てる塀をヨイショとよじ登った。

「な、何をして」

「呼ばれたからな、行かなくては」

「え? でも、先輩、本当に……?」

 挑御川の瞳が不規則に揺れ動く。何か言いたげだが、これ以上待つわけにはいかない。だから、突き放すような気持ちで言う。

「『命を賭けて全力で遊ぶ、最高の娯楽』なのだろう、これは」

 自分の言葉を返されて彼女は目を見開いた。構うことなく言葉を続ける。

「そうしないと楽しめない世界だということは、この短時間でもよく分かったつもりだ。

 それにな、これまで出会った参加者を見ていて思ったんだ。私には、ファリジア・レースに挑む資格がない。命を賭けるほどの覚悟も、狂えるほどの欲望もない。私はただの観光客だ。けどな、心の底から楽しければそれでもいいと、そんなことも思っていたんだ。

 だが私が心の底から楽しむためにはな、それでは駄目なんだ。この程度では心が動かない。『楽しい』という感情が心の表面を撫でているにすぎないんだ。私はもっともっと、狂えるほどの楽しさが欲しい。欲しいんだよ、どうしてもな。

 だから命を賭けるんだ。ファリジア・レースに出場している参加者は、これまで見たことがないような楽しそうな表情を浮かべている。それはつまり、ファリジア・レースは今私が感じているようなものではないということだ」

 そして、これが、最大級の心の言葉。

「命を賭けた先にそれがあるのなら、私は死んだっていい」

 唖然とした挑御川の表情。私の言葉など、きっと理解できないだろう。『楽しさ』というものを長らく失っていた男の目の前に現れた、光り輝く希望の話など。

 彼女に背を向け、それから塀の上に立ち上がった。周りからどよめきが聞こえる。アイツの声は聞こえない。奇異の視線が集まっているのを感じる。慣れない感覚に肌がざわつく。けれどそのすべてを私は無視して、叫びを上げた。


「またせたな——六番、風向緋板はここだ!」


 ざわめきが静まり返ったのは刹那。瞬時にして、静寂はどでかい歓声に変わった。それは耳が痛むほど。肌に受ける期待の視線はすがすがしく気持ちがいい。感じる敵意がただ一点、フィールドの中央でこちらを見る男のみ。睨み付けてくる剣闘士に対して自信に満ち溢れた笑みを返してやる。剣闘士は唾を吐き捨て、首を鳴らすような動作をする。

 自然と浮かべた笑みが引っ込まない。思っていたよりもだいぶノリのいい観客のおかげで、会場の盛り上がりはすさまじいことになっていた。これが自らの行動の結果だという事実が、さらに気分を盛り上げてくれる。オッズを考えるに挑戦者を応援する人間は圧倒的少数派のはずだった。それがどうだ! やってやった、やってやったぞ!

 そうして予想以上に気分が高揚したので、思い切って塀からフィールドへと飛び込んだ。瞬間、後悔した。思っていたよりも高い。落下にかかる秒数が、そのまま恐怖へと変換される。着地の時に格好をつけて受け身をしようとするも、丸めた背中と後頭部とついた手に激痛が走るだけだった。こんな無様な着地に、心なしか歓声が半分ほど減った気がする。

 背中を打ったせいでしっかり二十秒ほど息ができない状態だったがそれを乗り越えて、フィールドの中央へと歩みを進める。すると馬鹿にしたような表情の剣闘士と目があった。しかし気にした素振りを見せずに澄ました笑顔を返してやる。やはり不快そうに、剣闘士は舌打ちをした。

 目の前の剣闘士は、その態度から想像できるように若かった。おそらくは二十代前半か。髪はブロンズを混ぜた金色のスポーツ刈り。顔立ちが何となくベルと似ている気がするが、これは外国人を見た時特有の、皆が同じ顔に見える現象だろう。きっとこの男はファリジア人。服装は気にする必要はない。半裸である。しかし背は百七十五ある私よりも明らかに高い。肩幅もあり筋骨隆々で、強そうだ。十四番という話もうなずける。手に持つ武器は無骨な長剣。刃の部分は私の座高よりも長く見えた。

 スピーカーからカウントダウンが流れ始めて、いよいよ闘技が始まる。

《九、八、七》

 心臓がズグンと低く鳴る。

《六、五、四》

 鳥肌と冷や汗で、肌の感覚が気持ち悪い。

《三、二、一、闘技、開始!》

 瞬間私はため息をついて体の力を抜き、剣闘士に笑いかけた。すると、身構えていた男は拍子抜けしたようにきょとんとした表情を浮かべた。それを油断したと思ったのだろう。剣闘士はすぐに顔を引き締めるも、その隙の間にも何もせずにいる私を見てやはり拍子抜けしたらしかった。地面に切っ先を向けるように剣を下げて、疑惑の視線を向けた。それはつまり、体よりも頭を使ったという証拠だ。

 今なら、会話が出来るか。同じく拍子抜けしたらしい観客のざわめきを背に、剣闘士へと声をかける。

「よう、攻撃しないのか?」

 挑発のようでいてさっぱり敵意のこもらない言葉を紡ぐ。それを聞き流すようにため息をついた剣闘士は、逆に質問をしてきた。

「お前、素手とか舐めてんのか?」

「何を言う剣闘士君。君は格闘技を知らないのか? 私は日本では有名な格闘家なのだよ」

 ピクリと体を揺らすも、しかし剣闘士はこちらの体つきをじっと見てから言う。「その細腕細足で格闘家? 馬鹿言うなっての」

「『日本の』と言っただろう。日本には合気という、力を一切用いず相手を投げる術が存在する。私はそれの達人なのだよ」

「アイキ……」

 じりりと、わずかに後ずさりをする剣闘士。予想通りか。ファリジアでは日本が人気らしいから、こんな嘘にも引っかかってくれる。もう少し言ってみようか。

「さらには忍者の末裔でな、忍術を用いることができる。さすがにこれは日本の秘技だ、もしかすれば知らないかもしれないが……」

「いや、知ってる。ニンジャの技はフクザツカイキだと聞いてる。なるほどな、素手なのはそういうことか。けど、なんでそれを教えてくれるんだよ」

 間髪入れずに答えてやる。

「これが武士道だよ」

「ブシドー、だと?」

 気が付けば、剣闘士の額に汗がにじみ出ている。呼吸もわずかに乱れているようだ。ただの嘘でここまで影響を与えられるとは、ファリジア本土での日本の扱いが気になるところである。

 ここまでは予想以上にうまくいった。ならば、仕上げといってみようか。

「さらに私は超能力も使える。こう、血液が爆発してな。それによって敵を粉みじんにすることも——」

 大げさな身振り手振りでペラペラと話してやる。しかし瞬間、正面の剣闘士がフッと失笑を浮かべた。馬鹿にしたような、それでいて冷めきった笑み。そんな表情で私に言う。

「馬鹿だろお前。血液が爆発する? だったら自分ごと爆発するだろうが! 得意げに嘘を並べやがって、もうだまされねえぞ」

「だったら嘘かどうか、試してみればいいだろう」

「そうしてやる」

 剣闘士が動いた。力なく地面に向けていた剣を、私に向けて切り上げたのだ。ただそれだけの、おそらく傍から見れば大したことのない動きだっただろう。

 しかし私は格闘経験のない三十路で、運動不足の男だ。その動きに反応することなど当然できない。左下腹部から胸にかけてズシンと切り付ける。

 そうして私は、息が止まるような衝撃に襲われた。口から血がせりあがるような気持ち悪さが押し込めるが、それを必死になって飲み込んだ。しかしそれが問題ではないのは明らかだ。

 文字通りの、裂くような痛みが襲いかかる。それをこらえるように傷口の周りに右爪を突き立てるも、一向に痛みは和らがない。手のひらから血がこぼれ地面へと滴り落ちる。脂汗と冷汗が全身から吹き出てきて、全身の皮膚が湿る感覚に覆われた。痛みをこらえる歯ぎしりの奥から、唸るような我慢声を出してしまう。

 こんな種類の痛みは生まれて初めてだった。それでも、私は行動しなければならないのだ。命を賭ける。それが意味する行動は、まだ先なのだから。

「そらみろ、やっぱり嘘だったじゃねえか! こっちは散々待たされてイラついてんだ、一気に決着を——」

 しかし声と痛みを全力で無視して、一歩前に出る。そうして笑みを浮かべながら、私は剣闘士の方を向いた。血で濡れた剣と体が見える。しかしその表情は、どこか腑に落ちない様子。当然だろう。剣闘士は先の攻撃でこちらの言葉が嘘だと思った。しかし相手は、近づくように一歩を踏み出す。単純そうな剣闘士君でも気が付くはずだ。この行動が、頭の中にある相手のプロフィールと一致しない不可解なものであるということに。本当に格闘素人であるならば、決してとらない行動であるということに。

 敵は策に嵌まった。そう確信した瞬間に、間髪入れずに言ってやった。

「油断したな」

 痛みを隠し、愉悦を込めた笑み。それを向けると剣闘士はしまったという表情を浮かべて、近づく私から距離をとるためにバックステップを踏んだ。遠くに離れていく剣闘士をじっと眺める。

 ——人を思い通りに操れて楽しいという、心底人の悪い笑みを浮かべて。

 瞬間、剣闘士は爆発に包まれた。

 轟音と爆風、砂煙が剣闘士を覆い隠す。疑問符を含んだ唸るような叫び声をあげる男。彼の頭の中はきっと真っ白だろう。何をされたのかも、これがこちらの行動によるものだとも分かっていないはずだ。

 彼の敗因は、情報の取捨選択を怠ったこと。この情報社会でそんな当然のスキルを身に着けず、敵のもたらす情報を零か一かでしか判断できなかったことだ。

 つまるところ私が話した内容で、格闘経験や忍術の話は嘘。自身の血液を爆発させるという、超能力の話は本当だったのだ。剣を避けることも出来なかった私の『一歩前に出る』という行動で、剣闘士は自分を油断させるために、わざと攻撃を食らったと思い込んだ。このままでは合気を食らうと、そう思い込んでしまった。それが故に『油断したな』の一言で疑いが確信に変わった彼は、全力で離れるという行動をとってしまった。

 剣闘士を見やる。彼は地面にのた打ち回り苦しみの声を上げている。それはそうだ、強烈な火傷の痛みもさることながら、何も警戒する暇もなく食らったのだ。通常の爆発の数倍は痛く感じるはずだ。

 まったく、どうせ零か一の行動しか出来ないのならば、全てを警戒して剣の面でタコ殴りにするか、全て嘘だと思って自分の行動に一切の迷いなく攻撃するべきだったよ、君は。

 うまくいった興奮は少しずつ収まり、麻痺していた痛みがぶり返してくる。傷口からはまだとめどなく出血している。こらえつつ、私はつぶやいた。

「やはり相手を離れさせて良かった。この爆発の規模だと、私も巻き込まれていただろうからな。痛いのはやはり、ごめんだ」

 瞬間この言葉に反応するよう動いたのは、のた打ち回っていた剣闘士だった。彼は恨みのこもった怒号を上げて、明らかに正気を失った様子でこちらに向かって突撃してきた。避けるなんて出来るはずもなく簡単に捕まり、その大きな腕で私の体をすり潰すように締め上げる。たまらずくぐもった声が漏れた。

 正面からのホールドで剣闘士の顔がよく見える。彼は笑っているのか怒っているのかも分からないすさまじい形相で、ボリュームの壊れた声を上げた。

「てめえはこの闘いにふさわしくねえ、臆病な奴だ! だからこそ自分が致命傷を負うことを恐れたんだ! 自分の命を賭けることも出来ないとことんしょうもねえ奴だよお前。挙句の果てに自分の行動を得意げに話しやがる。馬鹿だなあお前、馬鹿だ、馬鹿が! 死んじまえよてめえみたいな奴。

 てめえは爆発に自分がまきこまれる時、爆発しねえんだろ?! これで俺の勝ちだ。このまま締め上げて殺してやるよ」

 傷口が絞られるような痛み。頭にはこらえがたい苦痛で満たされていく。それでも必至で言葉を紡いだ。

「……一つ、言いたいことがある。私はな、ここに命を賭けに来たんだ」

「臆病者のてめえにはそれができなかった! だからこうして——」

「私はな、楽しさのためならば死んでもいいと思っている」

「はあ? 何を言って……」

「理解できないだろうなお前には。教えてやる。ここに、死にに来たと言っているんだ」

「はあ……、いや、まさか——」

 表情が、明らかに変わった。おそらくこちらの企みにも気が付いたのだろう、見る見るうちに顔が青ざめていく。

「分かったようだな。こちらもできることならば傷つきたくない。それは人として当然だ。だがな、それは今この場で爆発できないこととイコールでは決してないんだよ」

 剣闘士のたくましく盛り上がった肌に、見て分かるほどに激しい鳥肌がゾゾッと立った。

「そしてお前は、ここで爆発しようとしているにもかかわらず離れることができない。分かっているはずだ。ホールドしたおかげで私の血を大量に付着させた今、離れるとお前だけを爆発させることになる。威力は先ほどとは比べるまでもないのは、この出血量から見ても間違いない。

 だからお前には、一緒に爆発するしかないんだ」

 剣闘士の歯ぎしりが耳に届く。それから小さく悪態をついて、その上苛立った舌打ちをしてからため息をついた。忙しい奴だと思っていると、剣闘士は今度は普通に口を開いた。

「……ここまでが、計画通りだってのか」

 場の二人が動かないこの状況に向けてだろう、観客たちが抗議の悪態を叫んでいる。しかし意に介しない。私は剣闘士の問いに簡単に答えてやる。

「まあ、概ねはな」

「じゃあ間違いなくてめえは狂ってる。計画の最後がこれとか、もはや自殺志願じゃねえか」

「そう言っただろう。……さて、ならば勝負といこうか。爆発の中、どちらが意識を保てるか」

 もう剣闘士は何も言わないが、しかし腕の力は全く緩めない。さすがはこういう仕事を生業にしているだけある。命を賭ける覚悟は出来ているようだ。

 さあ、心中だ。

「最後に、君に教えておくことがある」

「……なんだってんだ」

「傷口を肉の裏側まで焼かれる痛みは、最大級の苦痛だ。お前は知っているか?」

 そうして躊躇なく爆発を決行した。


 爆炎が私と剣闘士の二人を襲った。しかしこれで生じる痛みは、慣れたものだった。皮膚が焼け焦げる痛み。肉が焼ける痛み。傷口が焼ける痛み。そのどれもが苦痛でのた打ち回るほどの激痛。意識を刈り取り、死に匹敵すると言っても全く過言でない痛み。

 しかし常識が一つ。痛みは慣れるものだということ。

 幼い頃の私は、超能力をセーブすることすらできないでいた。外で遊んで膝小僧をすりむくたびに、草で薄皮一枚切るたびにその箇所が爆発して傷口を焼くことになった。近所では私がこけて気絶することは日常茶飯事。結果として地面に寝転がる『お昼寝小僧』などと呼ばれたものだ。

 風呂で傷口がしみるのを大人になってなんの感情もなく我慢できるように。剣闘士がおそらく切られる痛みに慣れていることと同様に。

 私はどれほどの痛みが伴おうとも、火傷では気絶しないのだ。

 そうして爆発を食らいつつも、何とか意識を保つことに成功した。全身の皮膚や服が黒く焦げていて、これ以上なく痛い。気絶はしないと高をくくっての爆破だったが、これほどの規模は初めてだったわけで。予想以上に意識が朦朧としていた。

 私は目でもう一人を探す。するとすぐに見つかった。地面に倒れ伏し、ピクリとも動かない焦げた剣闘士。それは勝利を意味していた。

《これにて、決着ゥー! 衝撃の展開! いったい会場の誰が、六番の勝利を予想していたのか! 剣闘士ナンバー『フォーティーン』は黒焦げの丸焦げ! まったく信じられない! しかも結果としては自爆という、狂っているとしか思えない! まったくとんでもない男が現れたー!》

 フィールドの入り口に、お盆の上に賞金を載せて立つ係員らしき男がいた。私はそこまでふらりと歩いていき、煤けた手で賞金を握り掴む。財布を出す余裕もきちんと金を持つ余裕もない。そもそも財布が無事かの確認すらできないのだ。しわくちゃになった金を手にして、声援を背にゆっくりとフィールドを後にした。

 足元がふらつく。風が吹くたびに皮膚が痛む。周りを歩く人の視線が、どのようなものなのかすら判別つかない。見慣れない通路。おそらくは闘技参加者専用の通路だ。歩いていけばいつか出られるとはいえ、閉塞感を覚える。普段ならば気にならない程度のそれは、今は相当な苦痛に思えた。

 そうしてようやく外に出られて、少しだけホッとした。澄んだ空気と夕暮れの日差しが心と体を癒してくれる。しかしその景色は、どこかさびしい感情を想起させた。

 その時。

 何故か、いつの間にか目の前にいて、瞳を濡らしている挑御川を見た時。

 胸の中心がじんわりとした温かさに包まれた。

 薄く涙を流す彼女は、しかし瞳は揺らがずただ私を見つめている。表情は普段のまま、唇だけはキュッと絞られていた。私には、彼女が何か言いたいことを我慢しているように見えた。沈黙が痛い。

「……すまん、肩を、貸してもらえないか」

 しかし挑御川は言葉を無視して、それから背を向けた。なんだと思っていると、彼女は私の右足と左足を、自らの右腕と左腕で抱えるようにした。つまり無理やりに背負ってしまったのだ。

「こう見えても力、ありますから」

「しかし服が……」

 昼時に見た半袖の上着は、血と煤ですでにだいぶ汚れていた。けれど彼女はサバサバした調子で言う。

「いいんですよそんなの。また買えば済むことですから。血だって先輩が超能力を使わなければ大丈夫なわけですし。それよりも早く、病院に行かないと」

 意外にもしっかりとした足取りで歩き出す。どうやら本当に力はあるらしい。挑御川は病院へ向かうようだ。そんな施設あったのか。

 いや、それよりも彼女は試合を見ただけであの超能力を理解したらしい。剣闘士との会話は聞こえていなかったはずなのに。

 本当に、感心するばかりだ。

 夕焼け空が半分ほど夜に浸食されつつある、そんな街中をゆっくりと進む。風も涼しいのだろうが、いかんせん皮膚が焼けたせいでそれが分からない。この街で感じる風は、きっと気持ちがいいのだろう。もっと二人で街を回りたい。背負ってくれている挑御川にお礼として服を買ってやるのもいい。いや、お礼ならばファリジア・レースに誘ってくれたことに対してするべきか。街を見て回るのならば、カモミールやベルも一緒がいい。彼女たちとは、もっと話がしたい。酒を飲みたい。そうしてふと気づく。

 ああ、命を賭けるというのは、それだけで他愛もなかった日常を彩るものなのかと。

 周りは段々と暗くなり、そうして静けさを増していく。挑御川の背中から感じる鼓動。温かさ。するとどこか、雰囲気に浸っている自分に気が付いた。不思議な感覚だった。怪我をしている。早く診てもらわなければならない。

 それでも私は、この時この瞬間がずっと続けばいいと、そんな願いにも似た感情を抱いていた。

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