ベルの物語
僕、フランベルジュ=ケンラルーから見たヒイタの《《最初の》》印象は、ハッキリ言って最悪だった。
もしも誰かに彼の何が悪かったのかと問われたならば、こう言うだろう。
「舐めてたからだよ」
それはもう辛辣に、嘲笑を込めて言っただろうさ。それくらいあの時の彼は覇気がなく、つまらなそうな、しかし遠くの星空に夢を見ているような表情だった。腹が立ったね。夢や希望を叶えられるレースに今、まさに参加している人間がそんな表情をするのかと。一番の目的だろうアイテムのしょうもなさを聞いた瞬間、彼に対する興味はほぼ失われた。ああこの男は物見遊山でレースを冒涜する、低レベルのレースによくいる参加者の一人なのだと。
だけど、それにもかかわらず完全に興味を失わなかった理由は一つだ。《《あの挑御川集子》》と一緒にいるという、まさにその一点だけ。
ファリジアレースにおいて最も知られたビッグネームに数えられる『挑御川』。かつて超能力者の参加が初めて認められ、しかしアーティファクトの使用は認められなかった時代のレース。のちにファリジアレース黎明期と呼ばれた時代。ノーマルの参加者が圧倒的に不利とされた最初のレースにおいて、ノーマルでありながら人の域を超えた化け物超能力者連中と闘って圧倒したという、ただ二人の英雄。
世界最高レベルの銃技や武器の扱いと、地形や状況、敵の心理、その他全てを利用して闘う『最悪の曲者』挑御川重雅と。
他の追随を許さない圧倒的な剣の絶技、ただそれだけで誰もが認める『世界最強』を誇った旧姓、散華桜菜。後の挑御川桜菜という二人の技術を受け継いだとされた最高のハイブリット、挑御川集子。レースに深く嵌った者なら必ず存在を知っているほどの有名人。そんな彼女が先輩と呼び、期待を込めた瞳でヒイタを見つめる理由が僕には全く理解出来なかった。
けど、すぐにその評価は大きく覆ってしまったんだけど。僕《《本来の目的》》を先延ばしにして、彼の行く末を見てみたくなるほどに——
鉄号盾人の剣撃を受けて数秒の後、腕は痙攣を始めた。なるほどね、いくら僕でもこの攻撃をこらえきることは不可能だ。早々に受け流しをしたいところだけど、ヒイタは突然の状況に頭がついて行かないようだった。もしもここで剣を離してしまったらすぐにこの重剣は二人を襲うだろう。鉄号盾人は任務に対して、一瞬の思考の間すら許さないという噂を聞いたことがある。まったく、戦闘に遊びがないのはつまらないね。
「君は君のやるべきことを、果たしたまえ」
食いしばる奥歯同士を数センチ開いて、そんな言葉を述べるだけでもかなりしんどい。僕の必死の説得にようやく応じてくれたヒイタはラダルに背負われたまま、ゴール地点へと向かっていった。その後もあれこれ問答をして、シューコとライカを加えた四人には先に行かせるように指示すると、彼女たちは素晴らしい反応速度で行動して、十秒も経たないうちにあの四人の姿は闇へと紛れて、消失した。
そう、ようやくして《《本来の目的》》を遂行できるというわけだ。僕は重なり合う剣筋を僅かにずらし、鉄号の巨大な剣を軸にしてするりと回った。すると彼の剣は僕という支えを失って、恐ろしき威力でもって地面に叩きつけられた。するとまるで地震のように地面がグラグラと揺れる。冗談のような威力には思わず苦笑。
鉄号を見やると、すでに視線は僕に注がれていた。もしかすると笑ったのが癪に障ったのかな? 余裕があると思われたのかもしれない。実際はそこまでゆとりがあるわけじゃないんだけど、そう思ってくれるなら好都合だ。この後、こちらの思い描く展開に進みやすくなるはずだ。
「——なぜ、俺の剣が受けられる」
そんなことを言いながら、鉄号は巨大な剣の切っ先をこっちに向けている。本当に会話する気があるのかな? 僕は、口を開いたその一瞬の隙すらも突きかねない濃密な敵意を肌に感じているので、全く落ち着かない。彼にはコミュニケーションの基本を学び直してほしいものだね。
「簡単な話さ。この剣は折れぬ細剣グラマンという代物でね。いくら君の剣が規格外の巨大さだろうと、君がどれほどの力で振るおうとも、この剣が折れることはないのさ」
ペラペラとまくし立てると、案の定鉄号はイラついた視線を向けた。ま、そうだよね。僕には彼が、次の瞬間何を言うのか手に取るように分かっていた。
「ごまかすな。俺の剣は例えアーティファクト武器だろうと関係なく、受けた者の体ごと吹き飛ばす。そう、受け手が並みの使い手ならな」
「光栄だね」
茶化すように、大仰にお辞儀をしてからそう述べた。だが鉄号はその行為に苛立ちの反応を示さなかった。どうやら平常心を乱そうという作戦は徒労に終わったようだ。まあ半分以上は時間稼ぎが目的の行動だったし、気にすることないかな。
「だから俺は聞いているわけだ。お前がなぜ俺の剣を受けられるのかを」
そうして鉄号は、心臓まで射抜きそうな怖い視線を僕に向けて言った。
「……お前は一体、何者だ?」
その言葉に対して、薄い笑みを浮かべてみる。でもやはり彼から分かりやすい反応——得体のしれない存在に危機を抱くような視線を引き出すことは出来なかった。せいぜい彼がこっちに向けるのは『不審』くらいのものか。そりゃそうだ、この男から見る世界は僕とは違う。彼は自分が強者であると自覚しているから、先ほどの剣を《《受けられた程度》》の僕なんて敵ではないのだろう。
けどその圧倒的な実力から生じる《《正しき自尊心》》こそが、鉄号盾人の弱点だと思う。
「僕はね、貴族なんだ」
自信たっぷりに述べたその言葉で、鉄号は少しだけ眉をひそめた。そう、彼が所属するグロリアスデモンズは先日、とある組織との戦闘によって頭領を失っている。それこそが今回のレースが荒れた原因。最上位級の犯罪ギルドと闘ったその組織の名は|高貴なる仮面を被りし傑物、通称『仮面』という、貴族の人間だけで構成された集団だった。彼らは自らを『真に高貴たる存在』だと自負していて、己の欲のままに行動することにためらいがない。さらには自分たちの身勝手な行動でどれだけの被害が出たとしても、それが許されて当然だと考えているから救われない——というか、そのせいで犯罪ギルド以上に評判の悪い集団だ。正義ギルドからは当たり前のように犯罪ギルドとして認識されているくらいには。
まあ僕としては、刹那的快楽主義者が多い傾向にあるだけ——だと思うんだけど。それはあまりに身内評価が過ぎるのかもね。
「貴族として下々の質問に答えるのもやぶさかじゃないんだけど。まあ一つ、今回のレースの疑問点について、僕の推理を聞いてからでも遅くはないと思うんだ。それに、よく考えて拝聴してくれたら、僕の正体が分かるかもしれないよ」
本当ならすぐにでも目的のために動きたいんだけど、今回関わった二人のために少しばかり時間稼ぎをしてあげよう。鉄号は何か言いたそうな顔をしているが、何か言う前に得意の早口でまくし立ててやった。
「——初めの疑問はやっぱり、初日だよね。参加者は初日、いくつか行動に選択肢があるけれど、今回はなぜか宿に泊まることを選択した人間が多かった。それは満室の宿屋が多かったことからも明らかだよね。あの日は随分と暑かったとはいえ、やっぱりそれは不自然なんだ。なぜなら今回の大会には、闘技場という手軽にメラを稼げる場が設けられていたからさ。
今回の宿屋料金はシビアでね。最初にもらえるメラがあれは宿には泊まれるけど、その前に食事をしていると《《所持金的》》に宿には泊まれなくなっているのさ。つまり闘技場で稼がなければ、宿には泊まれても食事が取れない。そもそも多くの参加者は闘技場で、『賭け』によってメラを稼ぐからね。先に宿屋に泊まって元金をごっそりと消費してから闘技場に来る人は、普通ならいないはずなんだ。それが出来るのは、闘技場での闘技に参加することで確実にメラを稼げると分かっている、一部の実力者だけさ。
整理して言おうか? ここはファリジアレースの場でありメラは多く持っているに越したことはない。それなのに、最初から宿屋に泊まって『賭け』によるメラ稼ぎを放棄している参加者が、とんでもない人数いたってことなんだよ。それが許される一部の実力者、つまり僕やカモミール、ヒイタや重雅、そして三十人抜きをした君の部下を含めて十人もいなかったはずなのに。それってものすごくおかしいよね? あまりにも不自然すぎて、ついさっきこう思ったんだ。
このあまりにもおかしな現象を正義ギルドが、つまりは『最悪の曲者』たる挑御川重雅が気付かないわけがないのさ。さらに言えば、重雅も含めてこの現象の違和感に気が付いていた人間全員が、原因究明に乗り出さなかった事実。それはあまりにもグロリアスデモンズに都合がよすぎるんだよね。
そして、さっき君が重雅と浩太に食らわせた攻撃。あれもうまくいきすぎだよ。自力で重雅に劣るはずの君が、いくら薄暗いとはいえ完璧な不意打ちを成功させたよね。それも、浩太の分も含めて二回だ。不意打ちという行為がこんな短時間、こんな近距離で二回も成功すること自体おかしな話なのにね。
それで気が付いちゃったんだ。この二つのおかしな現象には共通点があるのさ。それは当然、『気が付けない』という点だ。不自然な行動に『気が付けない』。他者の存在に『気が付けない』。これはもう、明らかだよね。鉄号盾人、君はきっとそういった効力の《《アーティファクト》》を持っているんだ。そうじゃなきゃ、説明がつかないんだよ」
そうやって息を吐かせる間もなく言い切った瞬間、鉄号はあからさまに驚いた表情を見せた。そうそう、そういう表情が見たかったんだ。けど彼はきっと、僕の言葉の裏にも気が付いている。僕の正体について、すでに察しがついたはずだ。『気が付けない』ようにするアーティファクト。その存在に『気が付けて』しまった僕が、どういう立場の人間なのか。
そして、さらに彼は分かってしまうだろう。この推理全てが、答えありきで考えられたまがい物——《《思考の産物ではない》》ということに。
「——なるほどな。貴様、『仮面』の先兵か」
攻撃的に武器を構え、より強い殺気を込めて言う鉄号に対して、僕はにっこり笑って答えてやる。
「ご明察。僕の第一目的は最初から、人の認識を凌駕するアーティファクト『第三世界』の調査および奪取、または破壊だったんだよね。今回君たちはあれをうまく使って事を運んだみたいだけど、盗人猛々しいね。あれは僕たちの物だ。人様の物で利益をむさぼろうなんて、最低の行為だよ」
自分の言葉に思わず笑ってしまいそうだ。案の定、鉄号は分かりやすい反論を口走る。
「貴様らも他者の迷惑を考えない点では俺たちと大差ないだろう。だがしかし、話に納得はさせてもらった。貴様が実力者であることの裏付けとして、『仮面』は十分すぎる。それに貴様が最初から『第三世界』の存在を知っていたならば、貴様の言う不可解な現象の原因として『第三世界』を想像して、『気が付いて』も仕方ない。あれは存在を知られていると効力が弱まる類の道具だからな」
見た目や噂で聞くよりは、ペラペラと喋るねこの男。いや、自分の考えを声に出して纏めているのかな。どっちにしても、そこまでいい癖ではないと思う。いくら既出の情報しかしゃべってないとしてもね。それを僕が言うのか、という話は置いておいて。
さて、もう目的の最終段階に突入か。ずっと疑問だった『誰が』アーティファクトを持っているのかという点について、先ほどの不意打ちでもう答えは出たわけなんだけど。それでも最大級の問題が一つ。
僕じゃどうあがいても、鉄号盾人に勝てないんだよね。
「大人しく譲ってくれたりは——」
鉄号はより鋭く、揺るがない視線を向けて言う。
「譲るわけがない。こちらは貴様らと闘って頭領を殺されている。『第三世界』はその痛み分けともならない代物だが、それでもこれを無償で譲ってしまえば頭領は無駄死にだ」
まあそうだよね。そりゃそうだ。そうなると目的を果たせないから、どうにかしなきゃいけないわけだ。どうするかな、正面切って闘って気絶させてからゆっくり目的のブツを探る——より確率の良い方法はいくらかあるだろうけど。例えば不意打ちで鉄号の持つアーティファクトだけを破壊するとか。まあそれがベターかな。でも不意打ちはどうにかなるとして、彼がどこに『第三世界』を持っているのか分からない以上どうしようもないんだよね。あれは豪華な装飾の施された黒皮のチョーカーの形状をしているから、つけているとすぐに分かるはずなんだけど。鉄号の首にはそんなもの、ついてないし。
ああ面倒くさい。でも命令を受けて以上やるしかない。鉄号をうまいこと動揺させさえすれば、僕なら視線や体の動きから大体の位置は割り出せるはずだ。伊達に長らく貴族社会に浸かっているわけじゃない。仮面の上からでも他者の気持ちを探れなければ、貴族社会では生き延びられないのだから。
そこで一つ、無情な術を思いついた。《《ヒイタごめんね》》。でもたくさん時間を稼ぐから、差し引いてトントンってことで許してくれないかな。
僕は、もったいぶった口調で探るように言う。
「——そういえば君さ、疑問に思ってることが一つあるよね?」
「なんだ、まだ闘わないつもりか。往生際が悪い。くだらない時間稼ぎはもういいだろう」
鉄号は面倒くさそうな表情で、しかし一部の隙もない構えを取る。両腕で大剣を握りしめ、切っ先はその重量にもかかわらず一切揺らぐことはない。まずいね、彼は本気だ。
だったらこちらも、本気で言葉を選んでみようか。
「へえ、はぐらかすんだ。だったら満を持して言わせてもらおうかな。
鉄号。今回グロリアスデモンズが遂行している作戦、本当なら君一人でとんでもない量のお釣りが返ってくるよね。低ランクのレースに紛れた高価なアーティファクトを回収しつつ、その他のアイテムも同じく回収。こんなの、最大級犯罪ギルドの幹部たる鉄号盾人の仕事じゃない」
鉄号の眉が、少しだけ寄った。つけ入る隙をなんとなく感じながら話を続ける。
「けどさ、そんな簡単なはずの任務なのに、あろうことか君たちはもう一人の戦力を投入しているよね。
いやいや、ゴメン。この予想、本当は少し違うんだ。違うと言っても言い方を変える程度の話なんだけどね。つまり僕が言いたいのはさ、過保護だなあって話。任務に対して人材を割り振るお上の立場になって考えれば、一瞬で閃けることなんだ。
《《どう考えたって先にこの任務に割り当てられたのは逢瀬牧で》》、《《それから保険として君が入ったとする方が自然だよね》》」
この言葉に鉄号盾人の表情は、明らかに歪んだ。彼はもう、僕の言わんとしている内容が分かってるだろう。けどまだ煽り足りない。だからこれまでとは比べ物にならない強い口調で続きを述べてやる。
「もう一度言おうか? それはとんでもなく過保護だよね。この任務自体は彼女にも軽々とこなせるはずだ。それでも君が保険として選ばれた。低ランクのファリジアレースに鉄号盾人と逢瀬牧、この二人の戦力は過剰すぎるって誰にでも分かるのにね。それが意味するのは任務の重要性もそうだけど、こう考えると自然なんだ。
まだ無名だけど超有望株で将来を嘱望された新米幹部たる逢瀬牧のデビュー戦を大々的に、しかし確実に成功させるためだってさ!
さあもう一度言おうか鉄号。もう一度何食わぬ顔ではぐらかして見せたまえ! あれだけ分かりやすく特別扱いしていた、君たちの大事な逢瀬牧が今この瞬間ここにいない事実を鉄号。君は——本当に疑問に思わなかったのかい?」
今度の言葉は正真正銘、僕の推理だ。だけど決して的外れでないことは、先ほどまでの鉄号の反応を見ていれば分かる。だから僕は、探る探る。この男の揺らぎを、一瞬たりとも見逃さないために。そして予想通り、彼は食いついた。
「貴様は牧がどうしているのかを——」
わざと、かぶらせるようにして答える。
「詳しいことは知らないんだよね。でも逢瀬牧とヒイタの闘い、その顛末を知っている男は知ってるよ。ほら、さっき君が三番目に狙った、背負われて仮面を被っていた彼さ」
「仮面! まさか貴様らに縁のある者では……ないか。ここで仲間を売る意味はない。ならばその男は——」
「どう考えるのが自然、なんだろうね」
煽るように言ってやると、鉄号は呆れるような声色で吐き出す。
「馬鹿な、ありえん。あれは挑御川集子に匹敵する才能がある。それが超能力者とはいえレース初心者の素人に負けるなど——」
もうほとんど独り言のような鉄号の言葉。言うならば、今かな。大きく息を吸い込んで、それからよく通る声を意識してから叫んだ。
「『第三世界』はどこだ鉄号盾人!」
ハッとしたような表情を、鉄号は一瞬だけ浮かべた。しかしそれはすぐに閉じられ、普段通りを取り繕う。それから何でもないように取り繕って口を開こうとしていた。
だがほんの刹那。鉄号の眼球は彼から見て《《左下》》を向いていて——。
「何度も言わせるな。いくら情報をもらおうと、貴様に教える義理はない」
ああなるほど、そこだったのか。
僕は『第三世界』の場所を瞬時に把握して、そうして鉄号に向かって一直線に駆け出した。しかし彼は油断していようと動揺していようとも不意を突かれようとも関係がないようで、すぐさまこっちの行動に対して反撃の態勢をとっていた。流石すぎて驚きもしないね。だからわざと、こんな言葉を言ってやる。
「左腕の小手の内側、前腕部分だろう? 分かってるよ」
するとようやく鉄号は分かりやすい驚愕の表情を浮かべた。そりゃそうだ、彼は一言だって『第三世界』の場所について口を割っていないからね。分かるわけがないと、高を括っていたんだろうさ。
でもそれは、貴族を甘く見すぎだ。『他者の言葉で動揺しない』なんて、社交界の場では十五の子供でも叩き込まれている常識なんだから。動揺しない相手を揺るがせることだけに神経を使う生き物なんだから、貴族は。
鉄号は反撃の態勢から、大剣で自分の体を覆う防御態勢へと切り替えた。うん、これは読み通り。彼にとって一番大切なものなんだから、その行動が最も自然だ。
けど僕相手だと、それは悪手だったね。
鉄号を射程内に捉えた。その距離、二メートル。今から繰り出す必殺の突きは射程距離が短いから、このくらいじゃないと掠りもしない。でも当たるのならば、敵がどれだけ分厚い鉄の塊で防御していようと突き破れる自信がある——!
右手に握る細剣の柄を自分のお腹に当たるくらい、右の腰深くに構える。それから手首の甲を張るようにして、スナップを利かせておく。それから遊んでいる左腕を右肩に触れるまで引いた。これで準備は万端。この独特の構えが、僕の最速を生み出すんだ。そう、これが僕の必殺剣——
「『音』」
そして勢いよく、左腕を右腰へと引き戻す。その反動を利用しつつ、僕は右腕——細剣をしならせながら鉄号の大剣へと振りぬいた。だがしかしその本質は敵への切り付けではない。
貴族の剣術は、突きだと相場は決まっているんだから。
しならせていた手首を肘ごと、まるで鞭のようにして鉄号へと向けた。すると握っている細剣の切っ先はさらなる加速を得て——。
右腕に強い衝撃を感じると同時に、耳をつんざくような鈍い金属音が薄暗がりに響いた。そして僕は、もう何となく行動の結果を察していた。
細剣は分厚い鋼鉄の大剣を穿ち、鉄号の小手を刺し貫いていた。小手は間を置かずひびが入っていき、割れて地面に転がる。同時に彼の前腕に無理やり巻かれていた黒皮のアーティファクトも裂かれてポトリと落ちた。そうして安堵。ようやく、本当にようやく任務完了だ。
僕は一息つく。すると鉄号は驚いた表情で言った。
「……切っ先が消えたように見えるほどの高速突きか。受けたのは間違いなく失敗だった。自分の判断の甘さに腹が立つが、この場合は貴様の策にはめられたという方が正しいか」
「そうかもね」
あっけにとられたような鉄号の言葉にうなずく。ほんとこの技、初見の相手にしか当たらないんだよね。構えが独特だから、技の威力を知ってる相手はすぐに距離を取っちゃうせいで当たらない当たらない。
というか、あれ? ずいぶんとのんびりした反応じゃないか鉄号は。ふと顔を見やると考えごとをしているようで、僕のことは眼中にないようだ。何故だ? 分からないけど、この状況は都合がいい。さっさと撤収するとしよう。
鉄号の前腕から剣を引き抜こうとして、そこで気が付いた。掌の感覚がない。そりゃそうか、ほとんど鉄の壁みたいなものをぶち抜いたんだからね。右腕はしばらく使い物になりそうもない。右手をかばうようにして、左手で剣を抜いてみるとまた気が付く。剣先に血がほとんど付着していない。ということはつまり、僕の突きはあの大剣と小手によってほとんど威力を殺されていたのか。アーティファクトの剣でこの程度ってことは、ほんとに紙一重か。危ないところだったね。
剣にわずかに付着した血液を振り払っていると、鉄号が不意に言葉を紡いだ。
「やはりいくら考えようとも、そうとしか結論は出ないか。ならば急ぐとしよう。しかしあの《《曲者ども》》も面倒なことをしてくれた。《《この状況を見越しての端末狙い》》だったか」
結論とは、やはりヒイタのことだろうか。だがその後の言葉は、先に沈んだ《《例の二人》》の話だ。まったく驚かされたね。二人とも、気が付けないはずの不意打ちを受けながらカウンターのようにして鉄号の《《両ポケット》》を攻撃したんだから。そして賭けは成功。鉄号はこの状況で最も使い道があった端末を破壊されてしまった。よって今の彼にはアイテム変更によってヒイタの足止めもできなければ、外にいるデモンズ構成員や逢瀬牧との連絡もとれない。
チラリと地面に伏せる二人を見やる。まったく、心底敵には回したくない男たちだね。
それはともかく、僕としてはやはり鉄号の淡白な反応が気になる——というか気に入らない。あれだけ必死になって守っていたアーティファクトを破壊されたんだから、もっと悔しがるなり激高するなり反応が欲しいと思うのは欲張りだろうか。
と、ここで僕は自分の言葉に疑問を抱く。あれ? 鉄号はアーティファクトを守るのに、そんなに必死だったっけ? 彼ほどの実力があれば、もっと激しい抵抗があってもいいはずなのに。考えていると、すぐさま走り出そうと大剣を担いでいた彼がこちらへ向き直ってから、まるで心を読んだかのように口を開いた。
「貴様なら分かっていたかもしれんが情報の礼だ、一応言っておこう。俺の持っていた『第三世界』はオリジナルを調べ上げて作られた模造品だ」
え、と僕は思わず情けない声を上げて、頭が真っ白になる。突現告げられた衝撃の事実に戸惑っていると、小さく鼻を鳴らした鉄号はつまらなそうな声で言った。
「なんだ貴様、聞かされていなかったのか。ならば殺された頭領が影武者だったことも知らないわけだ。どうやら貴様、『仮面』の上位貴族にうまく使われたようだな。……俺が言うのも何だが。確か『仮面』の奴らは先日の頭領襲撃時点でその事実に気が付いていたはずだ」
驚愕の事実に口をあんぐりしていると、鉄号は同情のこめられた言葉を告げた。
「……まあ頭の回る上役に駒として動かされる気持ちは、よく分かるつもりだ」
この男が僕に、苦笑いとはいえ笑みを浮かべるとは。それに鉄号曰く、僕が手駒として使われてたという事実。いや、それには気が付いてたんだけど、下に降りてくる情報が少なすぎやしないかな。まあ、まだまだ立場が弱いってことだ、となんとか自分を鼓舞する。
まったく貴族も犯罪ギルドも、陰謀ばっかりだ。僕の上役の思惑も、ここまで情報がそろえば想像に難くない。犯罪ギルドに『本物と見せかけた偽の第三世界』をデモンズにわざと盗ませて、それを破壊することで本物がこの世からなくなったと貴族社会にアピールすることが目的だったのだろう。そうすれば本物を持っているはずの、僕に命令をした貴族が『第三世界』を他の貴族に干渉されることなく使用できるようになるわけだ。もしも偽物をとって戻ってきても、自分の駒が貴重なアーティファクトを取り返したという功績を得られる。
貴族らしいことだよ、まったく。
「最後に一つ質問するけどさ、なんでそんなことを教えてくれたんだい? 情報の価値が釣り合ってないように思えるんだけど」
こちらに背を向け、いざ走り出そうと一歩踏み出した鉄号に声をかける。空気読めてないな、という気持ちは彼方へ飛んで行ってもらおう。彼は振り返ることなく告げた。
「俺は正義ギルドだろうと犯罪ギルドだろうと『仮面』だろうと、強者は対等な存在だと思っているからだ。上から命じられた任務はそんな俺の考え簡単に覆すが、しかし任務外の事柄ならば話は別。俺はそういう人間だ。
そして理由はもう一つある。逢瀬牧は俺の大切な教え子だからな」
そう言葉を切ると、鉄号は地面を割りかねない勢いで走り出した。ああ、これは結構すぐに追いつかれるかもしれないね。いくら時間を稼いだとしても、先に行った皆はいつやってくるか分からない鉄号の存在を警戒しているだろうから、きっと相も変わらずラダルがヒイタを背負ってるだろうし。そうなると移動速度はかなり落ちる。もしかしたら僕が「すぐに負ける」とか言ったせいもあるかもしれない。予想よりずいぶん時間を稼いだし、シューコやライカがヒイタを背負って走っていれば逃げ切れる可能性があったかも。ちょっと失敗しちゃったな。
それに僕は、大切な教え子を倒した人間の居場所を教えてしまった。友人を売ってしまった。それはどう考えても駄目だよね人として。無論友達としても。これでは友人や知人、果ては親族すら躊躇なく騙す『仮面』連中と同じになってしまう。
先ほどのやり取りで鉄号の人間性に触れたせいで、僕は彼のことも気に入ってしまった。でも、それでも彼は敵だ。彼の任務が友人たちの目的を邪魔するのだとしたら、大事な方を優先することに躊躇する必要はないよね。
「と、いうわけなんだ。君が怖がっていた男はもういなくなったし、もうそろそろ話せるんじゃないかな、カモミール?」
見やると、鉄号が現れてからずっと恐怖に侵されていたらしい彼女の顔は真っ青だった。まあしょうがない。あんな怪物、普通ならレース初心者がお目にかかるようなものじゃないしね。
カモミール=カラカリスは緊張を吐き出すようにしてため息をついてから、おずおずと口を開いた。




