終わりへの扉
そうして、私たちは城の頂上へと続く扉の前へとたどり着いた。これまでは城の外側からひたすら階段を登り防壁の上を駆けてきたわけだが、ここからは城の内部に潜入するようになっているらしい。しかし門に入るとそこからは廊下を突き進むだけのようで、入ってから十分もしない内にゴール地点へ到着する——というのはラダル君の端末で検索した情報だ。
問題は中で待ち構えているという鉄号盾人の存在、その一点に尽きる。
私は背中の傷が触れないよう気を遣いながら、扉横の城壁を後ろにして地面に座り込んでいた。
「というか——」
ずっと走っていたせいだろう、全身汗だくの集子はタオルで首筋を拭きながら口を開いた。
「私たちにしつこく付きまとってた犯罪ギルドの連中、すっかりいなくなりましたね」
集子の緯線を感じ、ああ私に向けて言ったのかと自覚してから返事をする。
「そうだな。合流時には三十人はいた気がするが」
「はい、三十五人いました。走りながら闘ってたんで、追ってこられない程度の傷を与えるのは難しかったわけでして。それでも十人ほどは倒していまして、敵は二十人ほどの戦力を残していたはずです。そのまま闘えば私たちは今以上に消耗していたはずで、鉄号と相対するにあたって今以上に不利になっていたと思うんですが」
確かにそうだ。浩太の話だと、敵は実力をよく知っている重雅、浩太、集子に戦力を傾けたという話だった。だが事実として、私たちは消耗しながらもゴールへ続く扉にたどり着けているのだ。いくら重雅や浩太がいるとしても、敵の人数を考えた場合にこれは違和感がある……ような気がする。それとも実力者がそろっている私たちサイドはたどり着けて当然なのだろうか。
休憩がてらに考えていると、横から口をはさむことに定評のあるベルが一言発した。
「シューコはもう、ほとんど答えを言ってるよ」
「へ、そうなんですか?」
疑問顔の集子に向けてしたり顔を浮かべるベル。彼はやはりいつもの通り、聞いてもいないのにその答えを話し始めた。
「先ほどシューコは、走りながらだと傷を与えるのは難しいと言っていただろう? それでも僕たちは敵の十人に対して、追跡行動が不可能なレベルの傷を与えられている。敵の方が人数が多いにもかかわらず、だ。これが示すのは僕たちの方が強いという事実なんだけど、示されるのはそれだけじゃない。
敵は僕たちの殲滅命令を受けていたわけじゃない——ってことだね」
「ああ、なるほど」
少し考えてから、私は納得した。
「私たちの追跡が出来ない程の傷。しかしそれは、闘えないほどの傷でもリタイアするほどの傷でもないわけだ」
そう、敵は私たちの足止めをしていたわけじゃない。もしそうならば三十人が一斉に襲いかかっていたはずだ。三十人の人の波、または肉の壁は武器の性質上、重雅でも突破は困難だっただろう。いや、そもそも——
その通り、と言ったベルは話を続ける。
「敵の目的が足止め、つまり鉄号盾人がいるだろう城の中へ向かわせないことだと仮定するとさ、怪我の割に諦めが良すぎると思うんだよね。それもファリジアレースの場で、さ。犯罪ギルドの人間は上からの命令には必死になって動くから、これはちょっとおかしい」
うんうんと重雅、浩太両名が頷いた。
「よく知ってるじゃねえか。ただの貴族ってわけじゃねえんか?」
「何度もレースに参加した人間ならなんとなく察せるさ。……話を戻すよ。彼ら三十五人の目的が僕らの足止めじゃないとする。そして不自然な諦めの良さ。それにグロリアスデモンズ本来の目的を合わせると——もう答えさ」
ベルが視線を向けた先にいた集子は、頷きながら答えた。
「よく分かりました。つまり彼らが受けた命令は、自分たちが致命傷を受けないようにしつつ私たちを消耗させるつもりだった、と
デモンズの連中は欲しいアイテムを根こそぎ手に入れるのが目的なわけで、いくらそれを邪魔しようとする私たちだろうと、取り分を減らすような真似はしたくない。そのため追跡戦を選んでお互いに負傷しづらい状況を作り出す。さらには数で勝る奴らと走りながらの戦闘を強いられていた——訳ですね。奴らは私たちとの戦闘で消耗しても基本格下の参加者と闘うから問題はなくて、私たちは消耗した状態で鉄号盾人と闘う羽目になった」
お見事、とベルは親指を立ててそう言った。なるほどそれに気が付いていた重雅と浩太とベルは、極力戦闘を来家などに任せていたのか。
「なるほど、勉強になりますわ」
すぐ横で座り込んでいたカモミールが重々しく呟いた。彼女には似合わない声質だと思い視線を向けると、彼女の方も私を見ていたようだ。彼女は最初に出会った時のような勝気な笑みを浮かべ、
「勉強勉強ですわね」
と言ってくる。そう、カモミールもレース初心者であり私と同じく学ぶ立ち場なのだ。こういったレース特有の思考方法は私と同じく不慣れのはず。だがそれでも、学んで吸収しようという姿勢は素晴らしいと思う。それも楽しそうに、だ。いつか重雅が言っていた『レースは楽しむ場』という言葉を、正道に沿って実行している。ごちゃごちゃと考えてしまう私からすれば、うらやましくすらある。
「そうだな。まだまだ分からないことばかりだ」
言葉を返すと、カモミールはまた嬉しそうに微笑んでから、どうぞ、とどこからか取り出したタオルを渡してくれる。
「これで汗を拭いてくださいまし」
「いや、私はずっと楽を——」
長い距離をかなりの速度で走っていた皆とは違い、ここまで背負われてきた私に受け取る資格はない。しかしそう言おうとする私を察したように、カモミールはハンカチで私の額をそっと拭いてくれた。
「お、おい」
「ヒイタさん、すごく汗かいてますわよ。気が付かなかったのですか?」
「そう……だったのか。だったら後は私が拭くからもういい。世話を焼かせてすまなかったな」
「どういたしましてですわ。ついでにお水も飲んでくださいね」
差し出された口の開いたペットボトルを見つめて、それを痛む手首をこらえながら受け取る。中身は半分ほど残っていて、おそらくカモミールが飲んだのだろう。純粋な好意による行為を突っぱねるわけにもいかず、後で飲ませてもらおう、と告げてやるとカモミールは天使の微笑みを返してくれた。陳腐な上に恥ずかしい表現だが、カモミールの笑顔を表すにはそれが最も正しい気がする。疲れ切り擦り切れた私の心に、その笑みは心地よく染み渡るのだ。ペットボトルはとりあえず、ローブのポケットにでも入れておこう。
そういえば先ほどまで、背負われていて楽をしていたというのが私の弁だったはずだ。そのくせ疲れたなどと弱音を吐いていれば、走っていた他の皆、特にラダル君には申し訳が立たない。ふと視線を動かしラダル君を探してみると、彼は四肢を投げ出し仰向けのままピクリとも動く様子はない。体力の回復に努めている……のかもしれない。
「それって考える意味あるの? 鉄号と闘うこと考える方がずっとよくない?」
声質の高い来家の声は、それほど大声でなくても耳に響く。それにしても元気なものだ。先ほどの戦闘で一番大勢の敵を相手にしていたはずなのだが、見た目にもテンションにもその疲れは微塵も感じられない。やはり若いというのは、それだけで凄いのだ。
「まあ今回に限っては一理あるな。だがそうやって敵の行動をあれこれ考えるのも楽しいもんだ。お前にはその辺をもっと教えなきゃいかんな」
重雅が呆れたような声と表情で、来家に言いつけるようにして述べた。どうやら先ほどの考察についての話が、まだ続いていたらしい。私やカモミールにとって先ほどの話は勉強で、来家にとってはどうでもいいことで、重雅にとっては楽しみ方の一つ。随分と感じ方が違うものだ。いや、この場合はレースに求める物の違いなのかもしれない。
「戦闘以外の楽しみなんて、全く考えられないけどなあ。あたしがファリジアレースに求めてるのはそれだけだもん。命を削り合うような闘いがしたくてここにいるんだからさ。一番にやりたいって思ってることを無視して他の遊びを覚えるなんて、不純だよ不純」
来家の言葉に、私の胸が一瞬ひやりと冷たくなった。
「屁理屈がうまくなったもんだな来家」
「いや重雅さんその顔マジで怖いから——」
重雅の声色が冗談を含んだ凄味のあるものへと変化したり、それに対する来家の反応は本気の恐怖だったりしたことは、今の私の興味からは外れていた。視覚情報が頭に入ってこないのだ。思考が、意識が深く内側へと潜っていく感覚。思考が加速していき、私の頭が来家のある一言に支配されていく。
『一番にやりたいこと』
それを見失っている事実を、私は今ハッキリと自覚したのだ。
別に目的自体を見失っているわけではない。私を地獄のような日常から引きずり出してくれた集子。大げさでなく人生を救ってくれた恩人である彼女のためならば、何だってしたいのだ。深く暗い孤独に怯え震えているならば、絶対に逃げない仲間としてずっと一緒にいてやりたい。死んだ母親と話したいと望むのならば、そのために必死で闘う彼女に全力で手を貸してやる。
だがそれは挑御川集子のためにやりたいことだ。当然私も望んでやっていることとはいえ、『他者のため』に命を賭けて全力を尽くすことが果たして『一番』でいいのだろうか。
『先輩は、人生を自分のために消費してますか?』
『先輩の人生は会社の物じゃなくて、自分自身の物ですから』
初めて集子と語らった酒場での言葉が、私を救ってくれたあの言葉が、今になって私を迷わせる。
私は自分自身に対して、何をしてやりたい? 集子の存在を抜きにした私の望みとは一体なんだ? 強くなることか? それとも闘いに勝つこと? いや、集子と同じように強い絆で結ばれた仲間を欲しているのかもしれない。いやいや、もしかするとファリジアレースという異世界に存在できるだけで満足なのかも——。そもそも私のような、強くなる努力を怠ってきた人間が、ファリジアレースの場で何かを望んでもいいのか? 現状おんぶに抱っこで皆に迷惑をかけているだけの私が、恩人である集子を差し置いて——
「先輩? 顔色大分悪いですけど、大丈夫ですか」
ハッとして顔を上げると、そこには眉を八の字に下げた集子の顔。それに普段の三割増しで優しげな声色だったなと察して、私はカモミールから受け取っていたハンカチで額を拭きながら慌てて返事をした。
「あ、ああ。心配ない、大丈夫だ。体調はすこぶる良好だと思う」
そういえば、焼けるように痛かった背中の火傷が今は何ともない。体中の傷も同じく痛まない。もしかすると回復の兆しかもしれないな。身体は先ほどまでよりもだるくなったが、今の方が思い切り動ける気がする。しかし集子の心配性は相変わらずで、
「本当ですか? 本当にきつかったらリタイアしても——」
「それだけは、選択肢にすらない」
断言して、言葉を続ける。
「あと一息なんだ。足を引っ張るわけにはいかないさ。それに私は背負われてゴールに向かうだけなのだからな。怪我人だろうとそれくらいの役目は果たせる」
心配そうな集子の瞳を、射抜くようにして見つめ返してやる。すると彼女は小さくため息をついて頷いた。
「分かりました。だったら、もう何も言いません。心配もしません。せいぜい頑張って意識を保っててください。そうしていてくれたら、私が全力で守って見せますから」
ああ、よろしく頼む——そう言おうと喉に力を入れた瞬間。
「僕もいるよ、忘れないでね」
縮れた黒髪をたなびかせたベルがサラリと言い、
「わたくしだっていますわ」
いつか見た金属の槍を両手で握りしめたカモミールが得意げに言い、
「ま、あたしは好きなようにするけどねー」
楽しげに日本刀をくるくると弄ぶ来家がこちらも向かずに言い、
「心配はせんと寝とってええぞ」
腕を組んだ浩太が仏頂面で言い、
「任せておけ、風向」
まるで真打ちだと言わんばかりに、重雅は力強く言い切った。
まったく、いつの間に集合していたのだろう。
「ああ。皆、よろしく頼む」
喉に出かかった言葉をほとんどそのまま口にする。すると、若干一名から予想通りの反応が返ってきた。
「おいおい、俺のこと忘れてんじゃねえぞ」
「もちろん覚えているさ、一番世話になる男だからな。これまでさんざん迷惑をかけたが、これで最後だ。よろしくお願いするよ、ラダル」
おっと、雰囲気に流されて思わず呼び捨ててしまった。ラダル君は一瞬目を見開いてから少しだけ照れた。やはり彼は分かりやすい。それからごまかすように、茶化した口調で言った。
「やーっと君付けから卒業かよ。ったく、本当に迷惑ばっかりだった気がすんなあ。けどまあこれが最後だし、いっちょ景気よく走ってやっか!」
ほれ乗れよ、と差し出された背中に体を預ける。皆で扉へ歩みを進め、そうして目の前にそびえる扉を私は見つめた。非常に分厚い木製だが、金属の模様が細かく装飾された高級感のある作り。しかし至る所に銃弾や切り跡が深々と刻まれていて、重々しい年季と圧迫感が意志を持って私を押しつぶそうとしているような気さえする。そう、まるで試されているような——
「ラダルと風向は先頭だ。鉄号の奴は実力的に劣っていたり弱っている相手から攻撃する性格だからな。言うならば囮なんだが心配はいらん。奴を釣り出した瞬間に叩いてやる」
一瞬、戦闘がどうのこうのと言われた気がして戸惑うが、なるほど先頭か。そして囮か。扉を目の前にして今それを言うのか、と素直に驚いた。しかしあまりに自然に口にするので、リアクションすら取れず徐々に顔を引きつらせることしか出来ない。しかもその口ぶりと声色からして冗談ではない。いや、私からしても冗談ではないのだが。性質が悪いというか口がうまいというか、その作戦の利点を述べられた上に作戦成功を誓われてしまうと、もう何も言えない。口をパクパクさせるだけの物言わぬ金魚になるしかなかった。
「ま、しゃーねーな。そんじゃ、扉を開けるぜ」
呆れたような声を出したラダル君は、一切の躊躇なく扉に手を掛けた。勇ましいことだ。誰一人不平を漏らさぬこの状況で、一番後ろだと思っていましたなどと口が裂けても言えない。私は鼻で大きく息を吸い、口から勢いよく吐き出した。今つけている仮面はこうした呼吸をしても空気の滞りを感じない。ベルのことだ、この仮面もかなりいいものなのだろう。
「おい、息が首筋に当たってんだが」
「すまんな。だがもう大丈夫だ。私を気遣って間を取ってくれていたのだろう?」
「へん、自分に都合のいいよう解釈してんなよな。んじゃ、今度こそ」
ラダル君は、終わりの道への扉を開いた。




