全員集合
声を聞かずとも姿を見れば、声の主が誰なのかすぐに判別できただろう。艶やかな肌色の目立つバーコード頭に、私よりも一回り低い身長。しかし彼の表情や佇まいから溢れる自信は、一見して弱弱しい六十数歳の外見を遥かに超越している。戦場に溶け込むように存在する浩太は、まさしく歴戦の強者に見えた。
しかしラダル君は突然背後に現れた浩太に対して、強い反応を示した。私が触れている彼の背中が、ギョッと固まったのだ。そうして勢いよく一足飛び、空中で翻り背後にいた浩太を視界に入れた。そうして着地したラダル君の息遣いは、早く荒くなっている。緊張感は背負われている私にも伝染して、思わずごくりと唾を飲む。飲んで、そんな自分自身に呆れてため息をついた。重雅の友人相手に臨戦態勢になるなど、緊張の無駄だ。
そこで私は、ラダル君の左手が私の尻の辺りでせわしなく動いているのに気が付く。よく覗き見てみると、まるで私の臀部を鷲づかみしようともがいているように見えた。そんな間抜けな行動を額に汗しながら、真剣な表情で行っているラダル君に苦笑しながら言ってやる。
「ラダル君。私のケツならもっと上だが」
「馬鹿野郎っ! ふざけてる場合じゃねえんだよ。あのおっさんはマジでやべえ。この雰囲気は逢瀬の姐さんと互角か、それ以上の——」
「あれは私の知り合いだ。挑御川重雅の仲間でもある」
「それなのにさっきから腰にあるはずの武器が掴めねえんだよ。なんでなんだ……え? あのハゲのおっさん、アンタの知り合いって、マジで?」
ワキワキと動かしていた左手を大人しくさせて、ゆっくりこちらを向いたラダル君。汗まみれの顔はポカンとしていて、未だに状況を呑み込めていないように見えた。ならば肯定の返事をしてやろうと、口を開いたその時。数メートル先にいる浩太が、私たちの足元に見覚えのある分厚い刃物を投げ捨てながら早口でまくしたてた。
「ったく初対面でハゲだのジジイだの言いよるとは、なっとらんガキンチョだな。ついでに自分の獲物の管理もなっとらんなあ。こんなにあっさり盗られてりゃ、ここではすぐ死んじまうってのを心身同時に理解せなんだ。敵を警戒すんならもっとちゃんとしろ」
ジジイとは言ってねえよ、と小さく呟くラダル君も緊張は解けたようだ。そしてどうやら浩太は、あの不意打ちのような声掛けと同時にラダル君の武器を奪っていたらしい。
ラダル君の私へ行なった痴漢未遂は、武器を取ろうとした結果であって他意はなかったようだ。ホッと胸を撫でおろして、頭を切り替える。確か私が犯罪ギルドに狙われない理由、だったか?
「……それで浩太、先ほどの言葉の続きが聞きたいのだが。犯罪ギルドの人間が見当たらないとは、どういうことなんだ」
言葉尻に重ねるように、浩太は素早く舌を回す。
「言った通りの意味しかねえ。今、一階と二階に犯罪ギルド連中はいねえのよ。その理由が、これまた厄介でなあ。
『グロリアスデモンズ』が起こした今回の襲撃、リーダー的役割を果たしてたんは逢瀬牧で確定だ。だけんど不測の事態が起きた場合に、代わりの指揮を任されてる幹部がもう一人いたんよ。そいつは鉄号盾人って言ってな、俺や重雅、集子ちゃんとは見知った相手よ。『グロリアスデモンズ』に古くからいる幹部でな。
だからこそ今回のレースで奴は、厄介なのは俺たちだって見当つけやがった。戦力を俺と重雅と集子ちゃんの三人に絞って攻撃しかけてきやがってなあ。
つまりよ。肌身で厄介さを知ってる俺たちを誰よりも優先したんだろうぜ。だから俺は、お前にこれを届けるために抜け出してきたんよ」
相変わらず要領を得ないことを言いながら差し出した物は、薄い板で作られた丈夫そうでシンプルな面だった。一瞬あっけにとられるも、すぐにその理由を察した。
「私の存在を敵にばらさないためか。この配慮は素直にありがたい。もしも私がセレンにいると判明すれば、連中は間違いなくこっちを狙うだろうからな」
言いながら面を受け取る。それからラダル君がしゃがみ込んで、投げ置かれた鉈を拾い上げたと同時に浩太が続きを述べる。
「そういうこった。こっちとしてもおめえ一人に戦力裂かれるよりも、俺たちに向かって来てくれた方が闘いやすい。ついでに敵さんを最大目標から逸らせるっつーオマケつきで一石二鳥ってなもんよ。
ちなみにその面はフランベルジュのもんだ。後で礼を言っとけ」
浩太は言い終えると、クイッと首を左へと向けた。その動きの意味を私もラダル君も理解する。私はベルが持っていたというお面をつけ終えると、視線を浩太と同じ方向——参加者同士が争う戦場の道へと向けて言う。
「先を急ごう」
ラダル君と浩太の足は、再び人の海へと向かって駆ける。
そして同時に、私は忘れることなく集子へと報告する。
「もしもし。今から二階を進む所だ。それと、先ほど浩太と合流した。集子は今どの辺りにいる?」
雑音や大勢の怒声交じりに、集子の声が聞こえてくる。
「今はもう三階の階段付近です。だからもうすぐ合流できますね。けど浩太さんがいない分だけ現状こちらが不利です。一秒でも早く合流してもらえると助かるんですけど……」
そうは言ってもラダル君は私を背負って走っているわけで、出せる速度には限度がある。彼自身が頑張っているのは私にはよく分かる。彼の全身の筋肉が疲労によって生み出す熱は、ただ背負われている私の体にじっとりとした汗を生み出させるほどだ。
それでもまだ、階段までは遠いのだ。集子たちには耐えてもらうしか——
「俺に超能力使えってんだな、分かったぜ集子ちゃん!」
ふいに隣で走る浩太が叫んだので、私はビクッと体を震わせた。どうやら集子の言葉を聞いていたらしい。ラダル君もそうだが、よくもまあ耳から離れた電話の声をこうもはっきりと聞けるものだ。少なくとも私では、話している内容を把握するなんて真似は間違いなく出来ない。だがこの場合、ファリジアレースの標準に届いていない私の修行不足なのだろう。これから頑張らなければと一つため息をついてから浩太へと問うた。
「その超能力を使えば、すぐに集子の元へと移動出来るのか」
「ただ走るよりは速いってだけだ。そこまで大層なもんじゃねえんよ」
「だったら早く使っちまおうぜ。もったいぶる必要ねえよ」
「ガキンチョの言う通りだな。そんじゃあいっちょやるか!」
ラダル君の急かすような言葉に、素早く同意した浩太は怒鳴るような早口で言う。
「どっちも俺に触れとけ」
今度は浩太の急かす声。私とラダル君が同時に浩太の肩へ手をかけると、彼は虚空を見上げ手を伸ばしながら、《《命令》》をした。
「風ども、俺を連れていけ!」
すると、一体誰に言っているのだと考えるより早く、背中に圧力を感じる程の突風が吹き荒れた。強烈な風によって汗が急速に冷やされて、寒イボが立つと同時に背中の火傷がヒリヒリと痛む。
状況から考えてこの風は浩太が起こしたのだろう。しかしこれはただの追い風だ。それが一体どうしたと——
「来たぜ風が。しっかと掴まっとけよおめえら!」
そう浩太が叫んだ瞬間、いまだ虚空に手を伸ばす彼の手が何かを掴んだ。すると浩太の身体が速度を維持したままで、まるで風に連れ去られるかのように浮かび始めたのだ。足元を確認すると、走り続けていたはすの浩太の足はその速度を維持したまま、地面を離れ宙に浮いている。
そんな現状に目を疑うと同時においおいと内心びくついていた私は、私を背負うラダル君の頓狂な声にさらにびくつく。
「お、おい俺も浮き始めた!」
実際その通りだった。背負われている手前気が付かなかなかったが、私たちは浩太の肩に手をかけていたのだ。ならば浩太が浮き始めた瞬間から私も浮いていたはずだ。我ながら気づくのが遅すぎると、苦み成分強めの苦笑が漏れてしまう。
「おいおめえら、俺に触れてる間は風に乗ったままだ。意味は分かるな?」
私は浩太の言わんとしている事柄を理解する。つまり浩太に触れている今の私ならば、ラダル君に背負われる必要はないと言いたいようだ。だがそれは、今の私には少々勇気のいる行動を意味する。
私たちは浩太言うところの『風に乗る』形で十メートルほど宙を浮き、戦場を眼下に収めながら移動しているわけだ。つまり他参加者の邪魔や城の地形を無視して、一直線に集子たちの元へと向かっている。
だが十メートルほど宙に浮いて移動しているという現状は、晴れやかな爽快感を伴うと同時に慣れない恐怖を覚えるのだ。いくら『浩太に触れていけば浮ける』と言われていても、ラダル君の背中という足場から何もない宙へと降りるのには強い抵抗があるわけで。
「この調子ならばすぐに着くだろう。ならばラダル君。このままでいた方が合流後に乗り直すという工程を踏まない分だけ上層階へと向かいやすくなると思うのだが、どうかな」
「……素直に怖いって言えよおっさん。いい歳こいて面倒臭え言い訳してんじゃねえ。まあ重くはねえから、せいぜいひっついてろ」
助かるよ、と述べてから私は眼前に広がる景色を見つめた。普通ならばあり得ないような地点からの風景は、いつもとは一変する。それはつまり、普段見慣れぬ景色を見た時と同じ気持ちにさせてくれるのだ。ドキドキするというよりも、心の底からゾワゾワずるという表現が正しい。
この感覚は私がファリジアレースに参加してからよく訪れるものだ。楽しいという感情とも、ひりつくような緊張感とも、絶対に勝つという強い気概とも違う感覚。
前者三つとは違う《《これも》》ファリジアレースなのだと、私は感慨にふけるようにそう思った。そう、集子と最初にT・Fに乗った時も同じような気持ちになった記憶がある。
言うならば、ファリジアレースは『旅』の一種なのだ。目的のアイテムを手に入れるために命賭けの闘いに身を投じるのとは、また別の側面からの観念。街並みを眺めぶらつきながら金を貯めて、乗り物を自力で調達する。その過程で景色を楽しみながら次の街へと向かい宿に泊まる。どの街で何をするも自由で、様々な人間と触れ合い関わりを持つ。旅の醍醐味と言える事柄が全て詰まっていた。
まったくのんびりとしたレースもあったものだ。しかしレース自体に多種多様の楽しみ方があるからこそ、ここに魅せられ夢を見る人々がいるのだろう。かくいう初参加の私も、すでにその一人となっている。目をつむれば、この一週間弱で出会った仲間の生き生きとした表情が浮かぶ。心に語りかければ、闘いに敗れ絶望と死に伏しかけた集子の弱弱しい笑みと、あまりに無力だった自分への怨念じみた怒りが沸き立つ。ファリジアレース中に起きた全ての出来事が、私という人間の貧しい心に注ぎ込まれて。
そうして私は生まれ変わった。
そんな思い出深い長旅も、もう執着地点を残すのみだ。旅の終わり特有の感傷的な気分に浸る私の掌から、しかしそんな気持ちを吹き飛ばすような嬉しそうな大声が耳に届いた。
「緋板先輩っ、こっちですよ!」
端末からの声にも関わらず、妙にはっきり聞こえる声。いよいよ私もラダル君や浩太のような異形聴覚を得たのかと、思わず手に持つ端末を見やった。しかしそこから聞こえるのは途切れた通和音のみ。ならばどこから——。
「おい風向よお、集子ちゃんが手え振ってんぞ」
そう言われて、ようやく私は声の出所を把握した。端末からではない。表示されている通話状態を閉じてから声のする方へ見下ろした。
そこには大勢の敵に囲まれ多種多様な攻撃を、全て避けながら迎撃しつつ、こちらへ笑顔を振りまく狂気的な挑御川集子がいた。もしも通話状態だったならばこちらはいいから戦闘に集中してろと怒鳴っていただろう。彼女ならそんな状態でも大丈夫だと分かっていようとも、傍から見ているとハラハラするのでやめてほしい。仕方がないので手だけは振ってやる。まったく、一心不乱に敵と闘う他四人の垢を煎じて飲んで欲しいものだ。
「それじゃあ降りるぜ。ちょっち乱暴になるが気にすんなよ」
ふいに聞こえる浩太の声。その言葉の意味を考える前に、私は《《正解》》を体験してしまう。
私たちは今、集子たちが戦闘を繰り広げる場所の真上に浮かんでいる。しかし浩太は、先ほどの言葉を告げてから人の悪い笑みを私に向けて。それから虚空に伸ばしていた手を、サッと引っ込めたのだ。
そうなれば何が起こるのかなど、明確に察せるわけで。つまり私たちは地上十数メートルから、突然の空中ダイブを決行させられたのだ。
体に重力が戻る感覚を覚えながらの自由落下。空気抵抗による風と落下の恐怖で、私とラダル君は無意識的に叫び声を上げていた。しかし横にいるこの状況の元凶。私たちと同じく落下中なはずの浩太の顔には、微塵の恐怖も刻まれていない。むしろ楽しげで晴れやかな表情を浮かべる彼は、その顔のままで右拳をバシバシと反対の掌に何度もぶつけている。つまりは臨戦態勢だ。何故だと考えると、その答えはすぐに浮かんできた。
「ラダル君っ!」
「分かってるよ!」
叫び声を止めて言った私の声掛けは必要なかった。ラダル君は腰に取り付けたホルダーから分厚い鉈をスルリと抜いて、それを構える。そうして真下に迫る敵の一人に目をつけて、ラダル君はそいつに向かって思い切り鉈を振るった。使われたのは鉈の側面。戦闘中につき宙にいる私たちに目を向けてなかったその男の頂点に、勢いよく鉈が衝突する。骨の砕ける音と共に男は体をグラリと揺らして、地面に倒れ伏した。不意の攻撃を受けた男には悪い気はするが、考えても仕方がない。彼は運が悪かったのだ、南無三。
落下エネルギーを利用して攻撃することで、落下の衝撃を抑えると同時に敵を倒す。浩太もよくそんな発想がサッと出てくるな。このへんは明確な戦闘経験の差だろう。素直に感心する。
まあそれはともかくだ。私たちは結果として無事、着地に成功した。そうして周りを見渡すと、かなりの人数が私たちに意識を向けているのが分かった。何人いるのか分からないほどの大勢。人数は透明の森の時よりも少ないが、一人一人の動きというか佇まいが明らかに違う。そう、彼らは慣れているように見えた。敵を大勢で囲むという場面に。この人数差でも油断は微塵も感じられない。今攻めてこないのも、私たちというイレギュラーの存在を警戒しているからだろう。いきなり突撃してくるような、いつかの私のような馬鹿は当然いない。
そうして私が周りを警戒し、落下の衝撃でうずくまっていたラダル君がすっくと立ち上がると同時に。
頼りがいのある太い声が響いた。
「合流は完了したんだ、さっさと上へ向かうぞ!」
重雅は視線と武器を進む先へと向けて叫ぶ。声に引かれるようにラダル君は走り出し、
「くっそ、合流までが約束だっつーのによお」
と悪態をついている。まさかこの状況で私を投げ捨てるとは思わないが、保険として声をかけておく。
「すまんなラダル君。切りのいいところまでは頼むよ」
「ちっ。しゃーねーよな」
そうラダル君が不本意そうな声を出した瞬間、私の背後から勢いよく飛びついてくる人間がいた。
「ぐえっ、なんだってんだ!」
不意に体重をかけられてキレるラダル君。コロコロと声色を変える彼をよそに、私の方も驚きで声を上げてしまった。この戦闘状況で飛びついてくるなど、敵以外にはありえない。そう思って驚きのあまり硬直した私の身体は、しかしすぐに力を緩めた。
なぜなら飛びついてきたのは私の紛れもない仲間、カモミール=カラカリスだったからだ。カモミールは体をグッと押し当てて、私の背中を包み込むようにして抱きついている。先にも述べたが状況に合わない突飛な行動だ。その上彼女自身に隙を生む行為でもあるわけで。
「どうしたんだ一体」
当然私の問いかけも戸惑いを含んだものになる。するとカモミールは驚いたようにパッと私から離れる。一瞬立ち止まり、しかし切り替えるように頭を振ってから再び走り出した彼女は、顔を上げて私を見つめた。その表情は非常に分かりやすい、心配と安堵の混在した涙顔。そうして震える唇で言葉を紡いだ。
「心配……しましたのよ。もしかしたら、万が一にもあなたを失ってしまうのかと思うと、胸の辺りが割れそうに痛んで……。よかったですわ、本当によかった……」
ラダル君が空気を読んで、後ろを走っていたカモミールを右側にして並走する。私は俯き、さびしそうな声を出すカモミールの肩にそっと手をやる。それはもちらろん、私のために泣いてくれた優しさに感謝を示すためだった。
「心配をかけてすまなかった。だが私は歪んでいるな。そんな心配が嬉しくもある。私のためなんかに涙を流してくれてありがとう、カモミール」
同時にそっと頭をなでてやる。するとカモミールの表情から憂いが消えて、安心の笑顔を浮かべてくれた。その表情に、私も同じく安心の気持ちを抱いていた。優しくて純粋なカモミールの言葉に、心が洗われるようだった。
「ふーん、私の時は軽く聞き流してたのになあ。ずいぶん扱いが違いますね先輩?」
今度は左側から声が聞こえる。確認するまでもなく集子の声だが、どことなく不満そうな声色だったので表情の確認をしてみる。ふむ、想像通り不満そうな顔をしているな。
「別に集子をないがしろにしたわけではない。ただ、電話越しの心配と正面切って言われるそれとは心に受ける衝撃が違うというだけの話だ。お前にも心配をかけたとは、当然思っている」
「別にそんなフォロー的なこと言わなくても分かってます、冗談ですよ」
集子は白い歯を見せつつにやりと笑みを浮かべて言った。しかしスンと鼻を一回鳴らすと、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべ耳元でささやいた。
「緋板先輩、凄く濃い血の匂いがしますよ。本当に大丈夫なんですか?」
「心配するなと言っただろう。それにもうすぐゴールなんだ。そうしたら医者にでも見てもらうさ」
言うと、集子は案外あっけなくそうですかと呟いて、それから彼女は私を背負うラダル君に視線を向ける。物言いたげな視線を受けて、彼は落ち着かないようにそわそわし始める。しかし我慢できなくなったのか、集子を睨み付けるようにして声を上げた。
「おい、なんだってんだ」
すると集子は視線の鋭さはそのまま、羨望の声色を宿して言い放った。
「君、ずるい。私だって緋板先輩を背負いたいのに」
意外な言葉だったのだろう、ラダル君はどもったようにせき込んだ。しかしすぐに声を上げて反論する。
「こんなおっさん、いつだってくれてやるっつーの。だが今そんな暇はねーだろうが!」
「ガキンチョの言う通りだなあ。無駄話してる暇があんならとっととゴール地点へ行っちまおう」
浩太の強い口調で、私たちの間に緊張感が走った。そうだ、私たちは進まなければ。
気を引き締めて目的をはっきりと意識して。そうして浩太の隣にいた重雅が、堂々と口を開いた。
「おい、金髪坊やはいいとしてもサイドの二人はしゃべってる暇があるんなら、敵を倒しながら走ってくれ」
そう言う重雅は、目的地である頂上へと進む私たちを妨害せんと立ちはだかる大勢の敵を、ちぎっては投げていた。
「お父さんだったらこの人たち程度なら楽勝でしょ? 今は感動の再会真っ最中なんだからさ、邪魔しないでよ」
「出来る限り体力は温存したいんだよ。いいから手伝え」
ほんの少しだけ、切羽詰まったような声色。重雅の言葉に集子は何かを察したようだ。
「カモミールさん闘いましょう」
と集子は一転して真剣な言葉を紡いで、カモミールは戸惑いながらも頷いた。
「それでは失礼しますわ」
と私に断りを入れてから、二人は敵の迎撃へと向かった。するとまたも耳慣れた声が聞こえてくる。
「やれやれ、早い展開だねえ。僕としてはもう少し落ち着いて闘いたいものだけど、こればかりはしょうがないかな。やあ、生きていてなによりだよヒイタ」
二人と入れ替わるようにしてこちらへやってきたのはベルだ。ずっと前を走りつつ敵を相手にしていたらしく、白の燕尾服は返り血で程よく染まっている。しかし今の彼を見ると、もう一つ注目する点があった。
「心配をかけてすまなかったなベル。それよりも、小脇に抱えている大量の刀は一体何なんだ?」
聞くと、ベルはホクホクした笑みを浮かべて言ってくる。
「今相手にしているグロリアスデモンズは主に日本を拠点にしている犯罪ギルドでね、そうなると当然使っている武器は日本のものが多いわけだ。僕は細身の剣が好みだけど、日本のカタナは美しさと実用性を兼ね備えた実にすばらしい剣なのは君も当然知っているよね? だからこうして、倒したり倒れたりしている構成員から質のいいカタナを拝借しているんだよ。十本くらいは欲しいけど、闘いながら抱えられるのは七本くらいが限度でね。選りすぐりを選ぶ作業はとっても楽しいよ」
ううむ、この状況で趣味に走るベルに突っ込みを入れるべきだろうか。そんなことを考えながらベルがまとめている刀に視線をやると、あることに気が付いた。
「六本しか持っていないようだが」
聞くとベルは苦笑いを浮かべながら視線を正面に向けて、それから答えた。
「ああ、最高の一本をライカにひったくられてね。ほら、あそこで暴れているだろう?」
視線の先には、一騎当千の戦闘を繰り広げる重雅の横で元気よく闘う来家の姿があった。なるほど戦闘狂の彼女にとって、今の状況は楽しくて仕方がないだろうな。私が来たことになど一切気を向けないその淡泊さと戦闘への純粋さには、もはや安心すら覚えよう。
「アクティブだね彼女は」
「その一言で表すのは、果たして適切なんだろうか」
「僕にはこれ以上ピッタリくる語彙はないかな」
「……ああ、私も特に思いつかない」
英語とは日本語ほど物事を的確に表せないが、それが故に程よくオブラートに包めるのだと私は気が付いた。そんなものに気がついて、どうしたという話だが。
などと楽しげな会話を続けていると、先ほどの女性二人と同じように、私とラダル君に並走する形でベルとは反対側に走りこんでくる者がいた。もう見慣れた寂しい頭、浩太だった。
「おいフランベルジュよお、ちゃっちゃと説明してくれねえと困るぜ。んで、とっかかりくらいは話したんだろうな」
「いや、まだ会話のとっかかりだね。本題はまだだよ」
ほんの少し困ったような顔で浩太にそう告げるベル。
「だったら早くしろよ。もう数分で着いちまう」
「おい、二人は何の話をしているんだ。話とは何だ」
私は頭の上で交差する会話に口をはさんだ。もう数分というのはゴール地点のことだろうが、ベルがまだしていないという話が気になる。そして浩太の焦りようを見るに重要な話なのは間違いない。いや、浩太はいつも焦っているから別に急ぎではない可能性もあるのか——などとごちゃごちゃと考えていると、ベルはゴホンと咳をして注意を引く。私が振り向きラダル君が聞いているという風に顔を動かすと、ベルは話し始めた。
「さて楽しい会話はここまでにして、本題に入ろう。結論から述べさせてもらうと、僕たちが今向かっているゴールへの通路には厄介な男がいるんだ。名前は鉄号盾人と言って、逢瀬牧と同じくグロリアスデモンズの幹部だ」
犯罪ギルドの幹部、と聞いて私の脳裏には数時間前の血生臭い戦闘風景が呼び起される。体中に点在する火傷がズグンと、かゆみを帯びた痛みを発した。
「言っとくがなあ」
反対方面にいる浩太が口をはさむ。
「逢瀬牧みてえな新米と一緒こたにすんじゃねえぞ? アイツは俺や重雅ちゃんとは二十年来の敵で、重雅よりは少し落ちるにしてもほぼ互角の実力だかんよ。しかも今回に至っちゃあ俺も重雅も準備が足りなくてよお、奴に太刀打ち出来ねえんだ」
「つまりゴール前には重雅と互角の実力者がいる。だがその厄介な敵に対して準備不足の重雅と浩太は、準備万端で待ち構えている敵には勝てない——という認識で合ってるか?」
この言葉にベルは頷き、浩太は渋い顔をしながらも否定はしなかった。私は自分でまとめた発言内容を改めて吟味して、一つ気になった部分を浩太に問うた。
「一つ聞くが、普段は互角にも関わらず、今現在は二人がかりでも勝てないというのは差がありすぎるのではないか? そもそも私たちは重雅のもたらした情報によって、逢瀬牧の何かしらの計画を予期した上でセレンへと向かったはずだ。準備期間はそれなりにあったはずなのにそれでもまだ準備不足ならば、今回不足した要因とは一体何なんだ」
「それはいい質問だね」
私は浩太に聞いたはずなのだが、しかし返事の第一声をくれたのはベルだった。彼は私に対して、優秀な生徒を見る教師のような表情で笑みを浮かべて、それから続きを述べた。
「全てはアーティファクトなんだ」
「どういう意味だ?」
頭に浮かんだ疑問符を、そのままベルへと投げつける。当然私はアーティファクトという物の意味を尋ねたわけではない。それ自体に関わったことはあまりないが、普段から良く耳にする単語ではあるわけで。ベルも弁えているようで、彼は私の疑問部分について答えてくれた。
「この世界には『特殊な効果を発揮する道具』としてアーティファクトというものが存在するけど、それは別に文化的に役立つもの——つまりは高い治癒効果を持つ包帯の技術だったり、死んだ人と話せるようなものばかりじゃない。高熱や氷結や風を纏う剣や姿が見えなくなる鎧みたいに、『特殊な効果を発揮する戦闘器具』としてのアーティファクト、通称アーティファクト武器という物も存在するんだ。当然普通の武器を持つよりも戦闘能力は上がるわけで、僕とかシューコみたいなノーマルは超能力者に対抗するためにこれを用いるわけだね。僕が今持っている、非常に折れにくいという特徴を持つ『細剣グラマン』とか今回狙ってる『魔剣デュベルク』もアーティファクト武器だよ」
私はベルの言葉に、素直な驚きを覚えた。アーティファクトには、なるほど武器もあったのか。窓際社員になる前には二度ほどアーティファクトを取り扱う案件を任されたが、そのどちらも武器ではなかった。思い込みというのは怖い。しかし今の状況では、アーティファクト武器という存在がもっと怖いわけで。
「要するに俺と重雅は今現在アーティファクト武器を持ってなくて、鉄号の奴はしっかり準備してやがったんだよ」
「なんで今は持っていないんだ?」
浩太は呆れ果てたような表情で、自嘲気味に漏らした。
「こんな低ランクのレースには必要ないと思っちまってな、今はっつーかそもそも今回のレースに持ってきてねえのよ。まあものの見事に仇になった」
ははあ、状況は大体把握した。
「つまり状況をまとめると、ゴール前にはアーティファクト武器を持った重雅と同じくらいの実力者が私たちを待ち構えている。私たちはその敵、鉄号某を倒さなければならない、と」
「「それは違う」ね」
「え?」
二人から前のめりな反論を受けて少しだけショックを受けるも、すぐに切り替えて頭を働かせる。しかし、私には自分のまとめのどこが違うのか分からなかった。
「今の話だと、そういう展開になると思うのだが」
思わず悔しげな気持ちを含めた言葉を投げかけてしまう。しかし浩太はそんな負け惜しみじみた言葉には耳を貸さず、真剣な声色でただ告げた。
「倒すんじゃねえ。正面切って闘わず、逃げ切るんよ」
続けてベルが言葉を紡ぐ。
「時間稼ぎならともかく、お互い本気で闘うといい勝負になってしまうんだ。ま、五対一だからね。
けどその闘いは勝っても負けても、僕たちの誰かが間違いなく死ぬと思うよ。それは避けないといけないのさ。それだけアーティファクト武器は強力で、なおかつ鉄号盾人は実力者なんだ」
私はアーティファクト武器の持つ性能を目の当たりにはしていない。ここは経験者の言葉に従うべきなのは考えるまでもない。いやそもそも、
「私はまともに歩けないほどの怪我を負っている。闘うなんて選択肢にも入っていないのだが」
「君は突拍子もない選択を平然と行うから、釘を刺しておけと重雅に言われてね。そもそも釘を刺されていたのに狂える戦乙女にちょっかい出したんだから、前科持ちだよ。信用されなくて当然さ」
はて、釘を刺されていたのは来家だった気がするが。三日前の記憶だが、もう遠い昔のように思えてくる。まあよく覚えていなかったのでこれ以上の反論はしないことにした。今そこは重要ではない。
「つまり簡単に言えば、強い敵を振り切ってゴールすればいいわけか。五対一のラグビーだな」
「その字面だとすごく簡単そうだね」
「全く正しくない例えだなあそりゃ」
浩太は苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。
「言うなら狩人と獣の勝負って感じだ。生きて巣に戻りゃ俺たちの勝ちよ」
なるほどその例えが正しいのならば、私たちはただの獲物だ。
「だったら——」
今度は私を背負って走り続けているラダル君が口を挟んだ。
「狩人が油断すりゃ、むしろ俺たちが狩る側だぜ。どんなに優秀な狩人でも気を抜けば死ぬんだ。理由は簡単、狩られる側は死ぬ物狂いだからな。草食動物なら脇目も振らず逃げるだけでも、相手が肉食動物なら狩れなかった場合、狩られるのは人間の方だ。俺の地元じゃガキでも知ってる」
「今言ってたこと聞いてたんかガキンチョ」
浩太は低音を震わせるようにして、ラダル君の言葉をたしなめる。そう、彼の言葉はつまるところ戦闘を想定した発言であり、これまでの会話を無視していると取られても当然だ。そう考えていると、彼は鼻を鳴らしながら早口で答えた。
「聞いてたっつーの。俺だって正面切って闘おうなんて言ってねーだろうが。
けどよ、そんな風に逃げ一辺倒の作戦一つだけが最高の選択肢じゃねーだろ。もしかしたらその鉄号ってのがめちゃくちゃ弱ってるかもしれねーし、逆にこっちの想定以上に準備万端で俺たちを待ってる可能性もあるんじゃねーの?」
ラダル君の言いたいことは分かった。つまり彼は、状況に応じた行動を取るべきだと言っているのだ。こちらの想定を下回る、または上回る状況が発生した場合、逃げきりの選択が最善でない、またはそれだけでは対応できない場合もある、と。
ラダル君の言葉は的を射ているように感じだ。私も同調の声を上げようかと喉に空気を通す前に、浩太は「見た目ほど頭が悪いわけじゃねえんか」と呟いた。
「あ? ケンカ売ってんのか」
頭の悪そうな調子で声を荒げるラダル君に対して、浩太は普段より落ち着いた声色で口を開いた。
「そうじゃねえ。てっきりおめえみたいなんには臨機応変て言葉が通じねえと思ってたんでな」
咳払いを一つ、浩太は言葉を続ける。
「そういうんはこっちで、お前らが来る前にしっかり話し合ってるんよ。状況に応じて対応を変えるなんざ、あったりきしゃりきてなもんでな。おめえみたいなガキンチョに今さら言われるまでもねえ。
話し合った上で言ってんだ。お前ら二人には、これからどんな状況に陥っても逃げろってな。ゴールだけを目指して走れってな。今回鉄号の持つアーティファクトの効果が分からねえ以上、この人数差ですら覆されて全滅する可能性もある。だけんど俺と重雅ちゃん含む正義ギルドの立場からすりゃあ、今の状況では敵最大の目的『境界線の消失』を入手するんが最善でな。必死こいて風向、お前をゴールさせる方向で動くことになっとるんよ。正義ギルドに関係ない連中はまあ、ただの物好きか何か知らんが」
浩太は視線をベルへと向けると、話題の主はにやりと楽しげな笑みを浮かべた。
「僕としてはヒイタ、今回の君の行く末が見たくてね。どんな結末に行き着くのか分からないけど、僕はそれを最前列で見たいのさ。
まああっちの二人は、もっと純粋な好意からだろうけど」
視線を紡ぐようにして、ベルは重雅と話す二人——集子とカモミールを見つめて言った。
「あははははっ! まだまだまだまだ足りないんだけど!」
その先で日本刀片手に大暴れしている来家の声が轟いて、
「きっと彼女も君のことを……」
「いや、どうだろうか」
私たちについてくれば強者と闘える、くらいは考えていそうだが。
そうしていると話を戻すように、浩太がゴホンと咳をした。
「あれはともかく、風向。お前は俺と重雅が全力で守る。普通ならありえんくらいの特別待遇受けられるんを、幸運くらいに思っとれ」
強靭な意志の乗った浩太の言葉。彼は敵の優位性を認めてなお、自らの能力に自信を持ち、目的を遂行できると自負しているのだ。
それは私に最も欠けた感情だ。不利な状況だろうとどうにかできるという自負。準備を積み上げ、勝機を見出さなければ挑みすらしない私との、深く大きな差だ。
そんな強かな英雄たちの闘いを目の前で見られるのだ。ただ背負われているだけでなく、しっかと目を見開いて学ばなければ。
「すまない。よろしく頼む」
彼らにすがるのではない、一緒に闘うのだ。自らの弱い心に固く固く結びつけるようにして、私はそう誓った。




