vs逢瀬牧
息が止まるような、強い衝撃が背中を襲う。私は抵抗する隙もなく逢瀬牧によって地面に押さえつけられて、右手に持つ剣を突きつけられる。見上げるとそこには夜空が煌めいていて、一瞬だけ今が夜であるような錯覚をした。逢瀬牧の横から見える青空が夜空の翼と交差して、幻想的な光景に魅せられて——、ハッとする。
今のこの状況と体勢、勝負はついたも同然だということに。
少なくとも逢瀬牧はそう思っているはずだ。だがまだ終わったわけではない。この状況、《《今の私には》》想定していなくとも対処は可能。問題は『イカれた人間爆弾』を逢瀬牧がどれだけ知っているのか。その一点——
「あなた、超能力者なのよね。それも性質の悪いことに三狂人だなんて、人は見かけによらないわ。まあ、行動にもよらないみたいだけれど。あなた程度でもそう呼ばれるのだから、価値なんてないようなものね」
逢瀬牧は三日前の、私が一撃で倒れ伏せた時のことを言っている。言って、明らかに侮っている様子だ。まああれほどの体たらくを演じたのだから仕方がないのか。それほど熱心に情報収集しているわけでないのなら、彼女が知る私の情報は『血液が爆発する』程度のはず。ならば断頭台——速見来家の時と同じように、油断させるのはまだ有効。今度はその隙を逃さない。最初から考えうる全戦力で迎え撃つ。情け容赦など、彼女の前では死に等しいのだから。
だが侮るなかれ。逢瀬牧は頭が回る。私と同じく言葉での精神誘導くらい、当たり前に使ってくるのだから。相手が私の言葉の何を信じて、さらには何を疑っているのかも把握する必要がある。
まずは逢瀬牧が、どれほど私の超能力を把握しているのかを試してみよう。
「おい逢瀬牧。そんな拘束でいいのか?」
「どういう意味かしら」
すぐさま強気な声が返ってくる。その考えは当然だ。私は腕と手を足で押さえられていて、足は自由だが筋力の差で起き上がることもできない状況。三日前、私が逢瀬牧に突っ込んで行った時にどういう行動をとったのかを、彼女はしっかりと覚えているようだ。そうでなければ動きを止めるために、腕はともかく手まで動かないようにするはずがない。指に出血させるための小道具があるのは、既にばれているようだ。
だが、それだけでは完璧とは言えない。血液が爆発するという超能力を、きちんと把握しているならば拘束などするはずがないのだ。何故ならば——
「口が自由だと、そう言っているんだ」
瞬間私は口内を歯で小さく噛み切って、滲み出た血液を含んだ唾液を躊躇なく吐き出した。だが逢瀬牧は私の汚らしいそれを持ち前の消えるような速度で回避する。強烈な風が吹き荒れて、彼女は私から数メートル離れた場所へと着地した。おかげで両腕の拘束は解かれて、私はすぐに立ち上がる。ついでに掌に傷をつけておき、同時にさりげなく顔に付着した自分の唾液を、服の裾でグイと拭った。
同時に私は、ぐるりと辺りを見渡してみる。どうやら言葉通りに、集子たちは先へ向かってくれたらしい。近くにあるT・Fは、近くに転がっている一つだけだ。あれが逢瀬牧の乗ってきた代物であるのは明白だ。
そうして私は、逢瀬牧が避けてくれて助かったと内心ホッとした。そのためにわざわざ煽るようなことを口にしたとはいえ、あれは実のところ避けるような攻撃ではない。『自爆壁』よりも小さい出血量の攻撃では、火傷以上の攻撃力はないのだ。つまりは逢瀬牧が避けようが避けまいが、どちらでも拘束が解かれる、または逢瀬牧に隙を作らせるという有利な二者択一が成立していた。
……まあ逢瀬牧が避けた理由の七割以上が、おっさんの汚い唾液が飛んできたからだろうが。案の定、私の卑劣な攻撃ともいえないような嫌がらせに対して、逢瀬牧は軽蔑の視線を向けてくる。
「……最低ね。それに色々な意味で汚らしいわ」
そう言う逢瀬牧に私は首をかしげながら、努めて普通の声色で口を開く。
「お前は分かっていない。私はな、挑御川集子の仇討に来ているんだ。そのためならばどのような汚い手だろうと、卑怯で異常な術だろうと平然と使う。
《《お前が理解しろ》》。こちらがそういう心づもりで来ているのだ、ということをな」
「……なるほどね」
私の言葉に逢瀬牧はそう呟くと、顕現していた夜の翼を引っ込めた。この行動の意味はなんだと考えて様々な理由が思いつくが、今はそれを考えない。
何故なら彼女が集子と闘っていた時と同じように、きちんとした構えを作ったからだ。それが意味するのは彼女にとって私が力ずくのゴリ押しでは倒せない敵だと判断したからだろう。
ならば逢瀬牧は、私をどう倒そうとするだろう。まだ『爆発の手順』や『自爆壁』を知られていない今ならば、普通に切りかかってくる可能性は……どうだろう。逢瀬牧の武器はロングソード一本に、大量の飛苦無。いや、把握していないだけでまだあるのかもしれない。
そうして状況を予測していると、相手が口を開いた。
「面倒だけれど、私も本気になってあげるわ。そうしたら一瞬で片が付くでしょうけれどね。あなたは挑御川集子とは比べ物にならないの。格が違うのよ。——それを、身を持って教えてあげるわ」
そうして逢瀬牧は駆けだした。しかし来家との戦闘で超高速戦闘に慣れたせいか、彼女の動きは遅く見える。などと言って、それでもスピード差は歴然すぎて勝負にもならないのだが。
私は動きに対して動きで対抗は出来ないが、動きに対してプログラムでならば、《《対応》》出来る。
既に逢瀬牧は私を射程圏内に入れた。私は急いで『爆発の手順』で『自爆壁』を起動させ、そうして逢瀬牧の長剣が私の肌に触れる。
そう思っていた。
だが直前で彼女は、いつの間にか右手に持っていた飛苦無の方で私の左肩を切り付けてきた。そうなると当然自爆壁は自動で発動、飛苦無は爆発に巻き込まれて使い物にならなくなる。
私はその瞬間、先ほど起き上がった時に切っていた掌の傷を指の爪で掘り起こす。逢瀬牧は私のあまりに早い能力発動スピードに戸惑っているだろうという読み。そこには確かな隙があるはずだと、全力で両掌を逢瀬牧へと向けた。
すると何故か、視線が合った。そして同時に気が付いた。私の読みはおそらく半分しか当たっていない。逢瀬牧は私の超能力にある程度の予測を立てていたのだ——。
やはりそうなのね、と。小さく呟く声が耳に届いた。
そうして逢瀬牧の隙を突いたはずの攻撃は彼女の振るう長剣の面によって、いとも容易く相殺された。
私の『赤手袋』によって逢瀬牧の長剣は爆発に巻き込まれて、砕け折れてしまう。だがしかしその攻撃は私と逢瀬牧の間にムワリとした熱と爆風をまき散らすのみで、それ以上の効果はない。その衝撃により彼女が後退したおかげでお互いに手が出しづらい状況になる。行動を読み合い、察し合い、相手の心臓の音までも探りかねないような、空間が固まるような緊張感が辺りに漂うが——。それを解いたのは相手の言葉だった。
「あの発動スピードだと、おそらくは切られた瞬間に……いえ。《《出血した瞬間には》》発動するのかしら。そこまではある程度予測通りだったけれど、まさかあの瞬間に攻撃してくるとは思わなかったわね。おかげでわざわざ苦無で攻撃したのに、台無しにされてしまった」
やはり得た情報をペラペラと話す癖は健在か。しかしながら、これまでずっと使ってきた獲物を破壊された割に気にした様子はない。多少は動揺を見せると思っていたのだが……。これは予測外の反応だった。
そうして考える。何故武器を失っても平気なのかと。すぐに思いつくのは、他にも武器を持っている可能性。現に集子との闘いで見せた大量の飛苦無をまだ一本しか見せていない。苦無以外にも武器を持っているかどうか。これが重要になってくる。
そうして相手の立場で考えてみると、もう一つ思いつく。それは仮説だとか可能性という話ではない。私を倒そうと考えた時の、当然の帰結だ。
出血がイコールで爆発となる人間を相手にする場合、近接切断系の武器は全く必要ないのだ。逢瀬牧はそれがどれほど手慣れた武器であろうと、それ自体が不利になる理由になるのならばあっさりと切り捨てる。いや、切り捨てても戦闘力を維持できる高い実力と柔軟性を備えているのだ。武器の関係もあるが、集子には出来なさそうな芸当だ。重雅はあのごつい筋肉を見るに、近接遠距離どちらにも対応出来そうではあるが。
「出血の瞬間に爆発するその超能力パターンは、厄介の一言ね。おかげで私の得意な攻撃はほぼ全て封じられたと言っても過言ではない、か。挑御川集子との闘いとは真逆ね。相性はこちらがすこぶる悪い。けれど実力はこちらが圧倒的なのよね。だったら——」
相手がぶつくさと呟き考えているうちに私も考えを進める。先ほど置いておいた、何故『輝く夜の翼』を引っ込めたのかの理由について考えよう。
すぐに考えられる理由として、常に顕現させておくと何らかの障害が引き起こされたり、または単純に体力消費が激しいなどが考えられる。これらは逢瀬牧は『輝く夜の翼』を顕現させている方が圧倒的に強いにも関わらず、それをしないから導き出される推論だ。つまりは、リスクがあるという理由。同じように超能力によって動きが見違えるように変わった速見来家を例に考えてみても、最後の方の動きには体がついていっていないような印象があった。それが理由である可能性は高いように思える。
同時に考えられるのは逢瀬牧の性格によるもの、という可能性だ。集子との戦闘で彼女が二度言った言葉、『奥の手は勝機までは取っておく』という理念を優先した結果なのではないか? という推理。それでもやはり、ノーリスクで使えるのならばその理念を優先するメリットはないように思える。
そうして仮説。『輝く夜の翼』にはリスクがあり、そのために最後のとっておきという形にしてあるのだとしたら?
ならば案外この勝負、逢瀬牧に『輝く夜の翼』を使わせた方がうまくいくかもしれない。言うならばあの能力は逢瀬牧の戦闘の切り札であると同時に、精神的な支柱にもなっている。奥の手とはそういうものだ。『輝く夜の翼』を使わせ続けてリスクを負わせ、その能力を破るとはいかないまでも何とかして決定打を受けないように立ちまわれたならば、精神的にも追い詰めることが出来るはずだ。
それをこなすための方法は、もう出ている。『奥の手は勝機まで取っておく』のならば、私が逢瀬牧に攻められ続け、敵に勝機を見出してもらう方法だ。だがそれは、私と逢瀬牧の実力差ならば必然的に起きるだろう。つまり狙ってやることではない。頭の片隅に留めておくべき、消極的な打開案だ。
ならば積極的な打開案とは、逢瀬牧に直接ダメージを与える方法だ。その術を、私は例の三日間で練りに練った。それがどれだけ実践で通用するかが肝になる。
「——と私は考えるのだけれど、正解かしら」
逢瀬牧は不意に聞いてくる。私はおぼろげにしか聞いていなかったが、どうやら私の『自爆壁』を分析していたようだ。もうこのプログラムの二つある弱点、そのどちらにも気づいていると考えていいだろう。集子との闘いを考えるに、彼女は二つの弱点の致命的な方を、難なく突くことが出来るのだから。
だが、その質問には正直に答える。
「すまんな、ちゃんと聞いていなかった。どうしても同意が欲しいのならば、もう一度最初から話してくれ」
む。集子を倒した相手だからか、どうしても煽るような言葉を選択してしまう。だがそんな程度の低い煽りの言葉を意に介する様子はなく、
「だったら今見せるから、血まみれになってから答えてくれて構わないわ」
と煽り返された。私の方が年上だが、こちらの煽りの方が餓鬼臭いのは情けないな。無事帰れたならば古書店でブラックユーモアの本でも買って勉強をしよう。
ユーモアセンスのない私にこれ以上の煽り合いは難度が高いので、少しだけ負けたような気分で言ってやる。
「さっさと来い。返り討ちにしてやるから」
そんな速見来家にも使った二番煎じで安っぽい言葉を、逢瀬牧は気に入ってくれたようだ。特徴的な薄い笑みを浮かべて——
「血だるまにしてあげる」
煽り成分の一切含まれない、文脈にも合わない直接的な暴言と共に戦闘は再開された。だが相手に距離を詰める様子は一切ない。服の内に仕込んでいたらしいむき身の刃——、飛苦無をその手に四本。両手合わせて合計八本を私に向かって放ってきた。
そうこれが『自爆壁』の致命的な弱点を突いた単純明快なる手段、遠距離攻撃だ。逢瀬牧の血だるまという言葉は当を射た表現だろう。私の『赤手袋』の届かない範囲から飛苦無で、一方的な嬲り殺しにする戦法。『自爆壁』があるので大量の切り傷を負うようなことにはならないが、引き換えに私は文字通り自爆し続けるのだ。気絶はしないとはいえ一方的に体力は削られて、火傷の痛みにより精神的な摩耗も非常に激しい。思考も当然鈍ってくる。彼女の言葉を正しく言うならば、血だるまでなく焼死体となるわけだから笑えない。
もっとも相手が逢瀬牧ではなく挑御川集子だった場合、もっと酷いことになるのだが。彼女相手だと出血も出来ないので放たれた鉄球の威力をそのまま受けることになり、銃弾を避けられない私は死ぬ寸前までタコ殴りだろう。相性で言うならば集子と闘う方が私にとって難しい。
故にその弱点は、最初期から分かっていた。来家との戦闘時ならばともかく、今の私ならばなんとか出来る。相手の情報と手札を一方的に得ているというこちらのアドバンテージによって行動を先読みできる今ならば——。
私は刹那で『爆発の手順』を起動する。
——能力発動条件『手首からの血液が地面を除く自分以外の物体に触れた瞬間』
——威力設定『十段階の三』
——よってパターン二『自爆壁』に上書き開始。
——起動中のプログラム『自爆壁』を一部変更。
——『自爆壁』の能力発動条件に『手首以外の箇所』を追加。
——このプロトコルを『パターン三』としてショートカット化。
——今後『パターン三』を『血遊び』として判断。
そうして私はプログラムによって『自爆壁』の有効範囲から排除した両手首に反対側の親指同士を這わせて、ギュッと歯を食いしばり覚悟を決めた瞬間。
私は両手首を切り裂いた。瞬間、激痛もさることながら両手ですくえる程あふれる血液を見て、全身の鳥肌が総立ちする。取り返しのつかない行為をしたという恐怖を必死にねじ伏せてから、迫る飛苦無に向かって両手を振った。
血雫が散弾のごとく飛び散り——、それが飛苦無に触れた瞬間、爆風と熱風がまき散らされて視界一面が火の海と化す。当然飛苦無も蹴散らされ、私に届いたものは一本もなかった。それを確認してから血を握りしめて手に留めつつ、私は火の消えた黒い煙の中へと駆け出した。
体を低く、顔は両腕で覆いながらの突撃。そうしてすぐそこにいるはずの逢瀬牧へと両手を突き出すも、しかし掌の感触は空気のみ。手ごたえ無く、体勢を崩した私の心には小さな喪失感が生まれた。
そんな心の隙を突くように背中側——、私が走ってきた方向から飛苦無が放たれた。それを全く察知できなかったせいで突然起きた背中からの爆発に、崩れていた体勢は余計不安定なものとなる。そのまま勢いよく前のめりに倒れるも、おかげで追撃の飛苦無は避けられた。が、こけて擦りむいた膝と腕が爆発し、不意の痛みに通常以上の苦痛を覚える。何とか立ち上がるも予想外の痛みは深刻で、力を込めても右膝は恐怖を覚えたように震えるだけ。すでに黒煙は消えているので当然私の居場所は見えているのだ。今動かなければハチの巣に——。
そんな隙を、逢瀬牧が見逃すはずもなく。視界に映った彼女は驚くべき流麗さで飛苦無を放ってくる。銃弾よりは遥かに遅いその刃は、視認できるだけで十以上。しかし私でも数えられる程度の速度だからといって、避けられるかといえばまた別問題だ。右膝の痛み震えはまだ止まらない。咄嗟に両手首を確認すると、倒れた拍子で血液が拭われたおかげで血量が少なかった。いや、そもそも今からの『血遊び』では飛苦無と一緒に私まで爆発に巻き込まれる。体はともかく、目や耳と重要部位の多い顔が爆風に巻き込まれるのは非常にまずい。
あまりの危機的状況。しかし私の脳はふとあることを思い出す。何度も思い出した絶望の記憶。その中にあったのは、今この瞬間によく似た状況を切り抜けた、逢瀬牧の落ち着き方。極限状態でこそ体の力を抜いて、冷静だった彼女の姿を。
似たような状況ならば集子にもあったはずだ。何故この瞬間に逢瀬牧を思い出したのか、それに気が付いた私は刹那の間にプログラムを書き換える。そうして腕で顔を必死で覆い——私は十数本のナイフを全て受け入れた。出血の瞬間に『自爆壁』が発動し、当然爆発に巻き込まれることになった。
衝撃。そしてむせるような血と硝煙の臭い。さらに肌を焼かれる痛みに私は身を悶えさせる。
だが私はそれほどダメージを負わなかった。飛苦無による出血個所は、そのまま飛苦無が飛んできた数と同じにも関わらず、だ。
そもそも飛苦無によって受けるダメージは、イコール私自身の爆発によるもの。つまりは『自爆壁』発生の結果なわけだ。『自爆壁』をわざわざ発動させているのは出血と肉体の損傷度合い、この二つを刺された場合と爆発の場合で比べた結果の判断だ。私は、爆発で生じる痛みの方が刺されるよりもましだという考えを持っている。
だから私は『自爆壁』の威力設定を十段階の五から、飛苦無を破壊できると『血遊び』で証明されている最低威力の三へと変更したのだ。その結果、自爆による損傷は最低限で済み、飛苦無の直撃を受けずに済むという理屈にたどり着いた。
皮肉にも《《極限状態でも落ち着いていい》》という新たな体系に気が付けたのは、集子と闘っていた時の逢瀬牧を思い出したからだったのだが。
大量の黒煙が徐々に晴れていく。膝の痛みと震えも、全身を爆発に巻き込まれたことによるアドレナリン分泌でも行われたのか、すっかりと引いていた。どうする、今この瞬間ならば逢瀬牧は油断しているはずだ。即座に考えて行動しろ風向緋板。今この瞬間にも勝機は消えていくのかもしれないのだ。
ならば、行くしかない。後一手で、『道』が完成するはずだ。そうすれば私の勝利も見えてくる。《《風》》のあまり吹いていない今のうちに完成させなければ——。
『自爆壁』による全身の焼けるような痛みを、そのまま活力に変換して飛び出した。両掌には手首から滴る血液で満たされていて、威力は十分。風を切るような気持ちで、さながら獣のような容赦のなさで。
黒の煙から一気に飛び出した私は、すぐ前にいる逢瀬牧を視認した。しかし彼女には私を見ても大仰な驚きの表情はなく、ほんの小さな驚嘆の真顔。あまりにも反応が薄すぎる。まさかあの爆発に何らかの違和感でも感じとり、私が無事であることを察したのか。
だがそれでも、十分すぎるほどの隙だ。『赤手袋』を発動して、いまだ動けていない逢瀬牧へと肉薄する——
しかしやはり、速度差というのは大きなネックだ。奇しくもこの状況は初めて彼女に攻撃を仕掛けた三日前と同じだ。多少の隙を突いているとはいえ、圧倒的な速度差を覆すまでには至らなかった。
逢瀬牧はこちらの手が触れる直前に、後ろへ跳んだのだ。指先はギリギリで掠らず、決死の突撃は不発に終わる——
いいや、まだだ! 眼前に映る逢瀬牧の右手には飛苦無が握られている。一つの行動が終わったからと言って、その後に行動しない理由はないのだ。とっさに私は全力で両腕を伸ばした。同時に目をつむった私は——全力で《《拍手》》をした。
それはつまり、私の血液に対する《《衝撃》》だ。
瞬間、爆発音と火傷しそうな程の熱気が顔を掠めていく。掌に意識を向けると、もう握れないほどの激痛が走った。我慢するようにして息を吐き、それから薄く目を開く。逢瀬牧の姿を探した。
彼女は爆発させた場所から数メートル離れた所で、膝立ちの状態でこちらを睨みつけていた。どうなって今の姿になったのかは分からないが、確かなことは一つある。それは彼女の腹の部分が、黒く焼け焦げている事実だ。同時に歯を食いしばるようにしていて、痛みをこらえているように見える。一切の汗をかいていなかったはずだが、その肌がうっすらと濡れているのが見て取れた。
ようやく一太刀。そう思ってため息をつき、痛む掌を自然と握りしめた瞬間。私は想像もしていなかった激痛に襲われた。思わず叫び声を上げて痛みを覚える両手首を勢い良く見つめると、その痛みは余計リアルに感じられる。全身の血の気がサーッと引いた。
両手首には例の飛苦無が深々と突き刺さっていた。血がマグマのようにゴポゴポと溢れ出しており、鉄の質感が傷口をなぞるように感じられ、身の毛がよだつような恐怖を感じる。痛いと同時に、非現実的な状況にパニックを起こしかけている自分に気が付いた。落ち着こうと必死になって、まずやるべきはと考えて苦無の引き抜きを敢行。手首を動かせる気がしないので歯を使うも予想以上に力を込めていたらしく、勢いよく引き抜いてしまい血が噴き出して顔が鮮血で染まった。湧き上がる恐怖に痛みの声を上げながら、血の吹き出してはいるものの自由になった右手で左手の苦無をゆっくりと引き抜く。今度は痛みこそましだったが、傷口でより鮮明に苦無の硬質的な感触を味わってしまい、その気持ちの悪さに唸るような声を出してしまう。
息も切れ切れに、苦無を引き抜けたことで多少落ち着いた私は、溢れる手首の出血を止めるために一度『血遊び』もろとも『自爆壁』を解除。それから何度も何度も深呼吸して覚悟を決めてから、威力設定一で両手首を爆発させた。その激痛によりくぐもった声を上げてしまい、思わず涙がこぼれるも必死になって耐える。無理やりではあるが出血を止めることに成功。そうして再び『自爆壁』を発動させておく。
その惨状をずっと睨みつけるように見ていた逢瀬牧は、満足そうな声色で話し始めた。
「うふふ。これは、痛み分けなのかしらね。……爆発の威力を下げて飛苦無を全て受けるという発想は素晴らしかったけれど、見た目には明らかに爆発の規模が小さくなっていたわ。おかげであなたの奇襲は看破出来た。それでも手痛い反撃を食らうとは思わなかったけれど……。血を飛ばしてきて、手首は普通に出血すると分かった瞬間にはその手首、切断するまで苦無を投げてやろうと思っていたのに。一本ずつしか当てられないとは想定外よ」
爆発の規模、か。なるほどそんなもので判断していたのか。その記憶力と判断力に驚嘆を覚えながらも、いまだに落ち着かない心臓を何とかして鎮めようと画策する。できるだけ静かな深呼吸を、何度も何度も繰り返す。落ち着きついでに、私は自虐的に言葉を発した。
「私の方は、一方的にダメージを与えられると思っていたがな。相性でこれほど勝っているにも関わらず、ようやく一太刀だ。むしろ私の方が負った傷は大きいとは、どういうことなのやら」
「単純に実力不足……とはもう言えないのよね。強いて言うならば経験不足、行動の速度が遅すぎるとか挙げられるけれど」
「親切だな、敵にわざわざ教えてくれるとは」
「指摘して、今すぐ改善出来るものだったら戦闘中には教えないわ。それとも今すぐに改善してみせるのかしら」
苦笑気味に私は答える。
「……それは、難しいな」
経験不足は随時補っていくとしても、速度の方はどうしようもない。何度もファリジアレースに参加して、成長していくしかない……のだろう。そうなると三十路の私に伸び白があるのかという話になってくるわけだが。
《《まあ》》、《《普通の方法では》》一生かけても逢瀬牧には到達しない。
彼女は私の答えに対して、ほんの少しだけ得意げな表情で言う。
「それはそうよね。あなたには足りないものが多すぎる。それを補えたならば私に勝てるかもしれないけれど、今のあなたでは勝てないわ。もう、手も使えないのだから」
確かに逢瀬牧の言う通り、手を使った攻撃はもう使えない。神経が途切れかかっているのか、何かを握ろうにも伝達速度が落ちていてすぐに言うことを聞かないのだ。そもそもこれ以上負担をかけようものなら、何かの拍子でポロッと落ちてしまう可能性がある……というのはさすがに冗談だが。
だがそれが、今勝てない理由にはならない。
「私の方は、まだ勝つつもりなのだが」
言うと、逢瀬牧は冷ややかな視線を向けてくる。そうして呆れるようにため息をついて口を開いた。
「もう無理よ。それ以上やってもいたずらに死期を早めるだけだわ。勝てはしなかったけれど、一矢報いたのだからそれで諦めてくれないかしら。戦闘する術……いえ、もう手がないと言った方が適切な状況なのだから」
しかしそんなうまいことを言う彼女に対して、そっけなく告げる。
「《《もう》》『《《道》》』《《は作られた》》。『線』と言ってもいい。それは、私にだけしか見えていないものだ。それはお前に続いているんだ、逢瀬牧」
私の意味不明な発言に、彼女はしわを寄せる。だがそんなものに構わない。私は視界に映っている《《空中で漂う赤い線》》を見つめる。それは強い風が吹けばたちまち乱れる不安定なものではあるが、今は確かに存在している。
『勝負は所詮、強さと相性と準備だけで決まる』という重雅の言葉を思い出す。ここまで私は相性で闘ってきた。逢瀬牧はと言うと、強さと準備だと言える。
相性だけでは勝てないことくらい、初めから分かっていた。だからこそこうして準備をした。常に流血し続けて、何度も爆発することで血液を蒸発させて、何度も突撃することで道筋を作った。そうして作り上げられた、私だけに見える《《血の道》》だ。
私は『自爆壁』を解除して、それから手首でなく左腕を動かして、ピックを右掌に沿わせる。ほんの小さな傷跡から、少量の血液が漏れ出した。その右掌を右側に見える血の道にそっと沿わせる。嫌な予感でもしたのだろうか、逢瀬牧が声を上げる。
「何をしているのかしら」
私は答えない。相手に向かって何かを言う必要などないのだから。
だから心の中でのみ呟く。
点火、とただ一言。
私の右掌から流れる血液を小さく爆発させた瞬間、眼前に漂う血の道が瞬く間に炎を上げた。空中に漂う私の血液が蒸発したものに次々と点火していき、爆発が宙を走っている光景が目に映る。予想よりもはるかに速いその連爆発は、逢瀬牧に驚きの表情すら浮かぶ暇なく一瞬で彼女を呑み込んだ。爆風によって見るも恐ろしい速度で吹き飛んだ逢瀬牧は軽々と宙を舞い、そうして落下。一見して十数メートルにおよび地面を転がり続けて——、止まった。作戦の成功に、ひとまず息をつく。
まるで車にでもはねられたような彼女は、一見するに動いていない。少なくともここからではそうとしか見えない。
一瞬集子のパターンを思い出す。つまり逢瀬牧がノーダメージである場合も考えたが、いくら彼女でも助走もなしで後ろを向いたまま垂直五メートル以上、距離十数メートル以上も自力で跳ぶような真似は出来ないはずだ。それに『輝く夜の翼』を使っていないことは分かっている。あの超能力は使った瞬間、すぐ分かるような目立つものだからな。問題は彼女が『血の道』を受けてどれほどのダメージを負っているのかという、その一点に集約されている状況だ。
私と逢瀬牧は距離が離れすぎていて、いまいち状況が見えない。かと言って近づきすぎるのはリスクが高い。『自爆壁』を発動して警戒しつつも、対応できる最低限の距離へ近づこうと一歩踏み出した瞬間。
体の力がガクンと抜けた。




