ベルとの楽しい食事
さて、こうして超能力の自動化とコントロール法を手に入れたわけだが、実際にその余韻に浸れる時間は短かった。
何せ時刻は十二時十五分。待ち合わせの時間はとっくに過ぎていたからだ。
能力発動の余韻で笑みを浮かべた私の、右手に握られていた端末が小さく震えた。鬱陶しく感じながらもそれを確認すると、背筋が凍った。そこにはベルからのメールがあったのだ。
『僕は今三人分の食事に囲まれながら一人で食べているんだけど、これは日本の鍵っ子という存在の間ではよくある食事風景と聞くね』
添付された写真は、いかにも高そうな店の四人掛けテーブルで一人、さびしく食事を取るベルの自撮り画像だった。
罪悪感に駆られ、私は全力で走り出した。どう言い訳をしたものか。まさか『友人と楽しく電話していたら食事のことなどすっかり忘れていた』なんて言えるはずもない。いや、言い訳はすまい。ただ素直に頭を下げてすまなかったと謝ろう。
しかし一つ、引っかかっていた。そういえば集子が来られないことをベルに伝え忘れていたのだが、写真とメールの文面によると、食事はベルの分を含めても三人分しかないようだ。
つまり呼ばれていて当然だろうカモミールの分の食事が見当たらないのだ。だがそれを考えても仕方がない。すぐに聞けることに頭を働かせる必要はない。今はとにかく待ち合わせの店へと急ぐことにしよう。
そうして着いた待ち合わせの店は、そこそこ高級そうな中華屋だった。店の風貌は、とにかく赤い。それはどことなく、実家がやっている店によく似た色合いをしていた。思わず眉をひそめてしまう。
私は店に入ってテーブルをグルッと見渡すが、ベルの姿は見えなかった。近づいてきた店員に聞くと、どうやら二階に個室があるようだ。名前を聞かれたので答えると、店員は営業スマイルを浮かべてベルのいる個室へと案内してくれた。
扉の前まで来て案内を終えた店員は、一階へと降りていく。目の前の引き戸を開くと、そこには案の定ベルの姿があった。目が合い、私はすかさず謝罪を述べる。
「遅れてすまなかった。この通りだ」
九十度のお辞儀をする。顔を上げるとベルは気にした風もなく、
「それはもういいから、とにかく座って食事をしよう。メニューはこれだよ」
と言って赤い紙をラミネートしたメニュー表を見せてくれる。それを受け取りながら席に座り、寛大なベルの態度に感謝しつつ品物に目を通す。するとベルは当然ながら質問してきた。
「シューコは来ないのかい?」
私はメニューから目を離し、深く頷いた。そうしてすでに何度も頭の中で状況を整理した、あの出来事について口を開く。
「実はな……」
私が昨日のいきさつについて話し終えると、ベルは深いため息をついた。ふと手元を見ると食事の手は止まっている。そうしてレンゲからも手を離して、ゆっくりと腕を組んでから口を開いた。
「そんなことがあったなんて……。それでもレースではよくあることだから、そこまで気にすることではないんだけど。それにしても、まさかあのシューコが。それほどまでなのか、狂える戦乙女の戦闘力は」
「どうやら相性が悪かったらしい。逢瀬牧本人が『実力は互角』だと言っていたからな」
あの場面のあの口調で、わざわざ負けた相手を持ち上げる発言をする意味はないだろう。だからあの言葉はある程度の信憑性がある。だからどうしたという話だが。
「まあ闘うことはないと思うから、気にしなくてもいいんだけどね」
「そうだろうな」
話が一息ついたところで、ベルは食事を再開する。とはいっても彼は、私たちが来ると思って先に用意していた二人分の料理も冷める前に食べていたので、その手はゆっくりだ。私も話をしながらに頼んだ料理を合間合間に食べていたので、腹はかなり満たされている。そうだ、聞きたいことがあるのをすっかり忘れていた。流麗な手際で天津飯をすくうベルへと口を開く。
「私も聞きたいことがある。カモミールはどうしたんだ?」
その質問は、どうやら予想していたらしい。天津飯を崩す手を緩めず言った。
「今は宿で療養中さ」
「療養中とは」
「ほら、彼女は挑御川重雅と闘っただろう? その時の無茶が祟ったらしい」
「はあ。挑御川……重雅!?」
私はおそらくファリジアレースに参加して、最も素っ頓狂な声を上げた。だがベルは普通の顔をして聞いてくる。
「知らなかったのかい?」
「ああ、知らなかった。闘技場の『ワン』を倒した人間に挑むとは聞いていたが……。確かに、重雅なら納得だ。だったら、話に出てきた『アイテムを譲った相手』とは——」
「きっとカモミールだね。まったく、とんでもない大金星だ。かの有名な挑御川重雅に、形だけとはいえ勝利を掴むんだから。それでも相当な無茶をやったらしくてね。今はまともに動けないみたいだ」
何というか、世界は狭い。というよりも、こういう形でカモミールが関わってくるなど思いもしなかった。そして彼女には悪いが、その行動によって犯罪ギルドと正義ギルドの争いはややこしさを増したと言っていい。別に誰が悪いわけでもない。強いて挙げるならばまあ当然、犯罪ギルドとなるわけだが。
「だったらまた後で見舞いに行くか」
「すぐに行かないのかい? ああ、そうか。もうすぐイベントが始まるからね」
ベルの言葉の中に、急に聞きなれない言葉が混じった。気になる私はすぐに聞く。
「イベントとは何だ」
「ええっ!?」
今度の質問には、ベルは声を出して驚いた。そこまでの反応をされるとは。ファリジアレースでは常識の部類に入る情報なのだろうか。ベルはゴホンと一つ咳をして、その内容を話してくれる。
「イベントとは、ファリジアレース中にある条件が満たされると行われる特別な催しだ。今回のは『透明の森』と呼ばれるイベントでね。発生条件は確か、『参加者の一人がゴールすること』だったかな。十人とか五十人とか、切りがよい人数がゴールするとそのたびに行われる頻度が最も高いイベントだ。
イベントの内容はその名の通り、視界を遮る森を見えなくなる。つまり端末を用いることで、シーカーズを使わなくとも自分の狙うアイテムを誰が狙っているのか、その相手がどこにいるのかが分かるようになるんだよ。開催時期は一人目がゴールした次の日の十四時から十八時まで。つまり今から約一時間後には始まるわけだ」
思わず端末に表示されている時間を確認してしまう。なるほど、つまり今日は特別な日だったのだ。だからこそ街行く人皆が妙に楽しそうに見えて、さらに妙に殺気立っていたわけだ。メラを使うことなく敵を見つけられるこの日を、今か今かと待ち焦がれていたのだろう。それが意味することは、つまり。
「街全体が戦場になるというわけか」
「そうだね。ま、建物内は闘ってはいけないってルールがあるから、怪我人に配慮がなされている分、本当の戦場よりはずっと易しいけどね」
まるで見てきたように言う。
「それでもこれまでに比べると危険度はぐっと上がるよね。だから気のしれた相手と一緒に行動して、背中を守ってもらうというのがセオリーだったりするんだ。今日はそのために呼んだんだけど、二人じゃ少々心細いかな」
そう言うベルの表情には、一切の恐れは表れていない。心細いなどと言ってはいるが、おそらく彼ほどの強さがあれば一人でも大丈夫なのだろう。それでも誘ってくれたのは、皆で一緒にいた方が楽しいから——なのかもしれない。そう解釈する方がずっといい。
それにこのイベントは、私にとって渡りに船だ。現状最も足りていない、そうしてもっとも欲している『実戦』の機会がやってきたのだから。いざとなったら守ってもらえる——という考えが浮かんだので捨てた。そういう甘い考えでいるからこそ私は弱いのだ。
だからベルに一つお願いをする。
「そうだな、今回は二人でできるだけ一緒にいよう。だが一つ頼みがある」
「頼み?」
首をかしげて聞くベルに、決意を持って答えた。
「私のことは助けなくていい。もし斬られそうになっても、死にそうになったとしても手出しは無用だ。貴重な実践の機会だからな、必死になって頑張りたいんだ」
ほんの一瞬ポカンとした表情を浮かべたベルだったが、すぐ表情を戻して頷いた。
「分かった、気を付けるよ。でも僕の敵は倒してもらっても、全然かまわないからね」
私も頷く。そうしてベルは崩しすぎてあんかけと完全に混ざってしまった天津飯をレンゲにすくい、口に入れた。咀嚼し飲み込んで、水を口にしてから言った。
「それじゃあ時間十分前まではここで粘ろう。食べ過ぎは禁物だけど、腹が減ってはよい戦ができないらしいからね」
その言葉に私は笑い、もう一度メニューを開いた。デザート一品くらいならまだいけるだろう。
そうして戦闘までの猶予時間を、笑って過ごした。




