平和なひと時? その2
そうして宿の部屋へと戻り、正義ギルドの人間との待ち合わせ時刻までゴロゴロとする。とりあえずテレビをつけて、それほど意識を集中せずに眺めていた。今見ているファリジア・チャンネルでは話題の狂人、狂った戦乙女こと逢瀬牧の闘技の再放送が流れていた。敵は闘技場のナンバー4という申し分ない相手。やはり例に漏れることなく大きな体にすさまじい筋肉に半裸の格好。
逢瀬牧の身長は百七十くらいで、私よりも少しだけ低いか同じくらいだろう。腰まであるロングの黒髪を、まとめることもなく無造作に散らしている。スタイルもかなり良く、脚も長いが腕も長い。それに体つきは引き締まったアスリート体型だ。つり目だが顔は整った美人。服装はぴっちりとした 露出の少ない、全身を覆うスポーツタイツを着ている。陸上選手が着ているような、あれだ。
長い髪がなければ美人アスリートのような風貌。しかし彼女はスポーツマンではなく、れっきとしたファリジア・レースの参加者だ。映像を見ていると、スポーツマンとは全く異なる動きをしているのが素人目にも分かった。
逢瀬牧の武器は、小学生が絵に描きそうな非常に単純な形をした長剣。相手は両手にそれぞれ一本ずつ斧を持っている。なんというか、見たまんまだ
開始と同時に剣闘士は、すさまじい勢いで突進を行う。その速度は泥棒を捕まえた時のベルよりも素速く見えた。そうして振り回した両斧を、逢瀬牧は避けた——ように見えたが、しかし血煙が上がった。彼女の腕辺りがすっぱりと切れていて、肌が露出していることからもそうだと分かる。
だが、映像が引く。するとショッキングな映像が見えてきた。彼女の持つ剣が、剣闘士の腹を貫いていたのだ。
そこですぐに理解する。逢瀬牧は避けようとしたのではなく、先に攻撃を当てたことで剣闘士の動きを止めようとしたのだと。
しかし剣闘士もやはり只者ではない。鬼のような形相を浮かべ、刺し貫いた剣ごと相手の腕を切り落とそうと斧を振りぬいた。が、しかし速度の桁が違った。剣闘士が斧を振り上げた時にはすでに剣は引き抜かれ、彼女はその勢いのままに一閃。剣闘士の左肩から右腰にかけてを、深々と切り裂いた。
今度の血煙は剣闘士のもの。それも出血量は桁外れに違う。口からも血を吐き出して、そのまま糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちたのだった。
映像は逢瀬牧の表情を映す。強敵に勝ったというのに晴れやかでない表情は、まるでたくさんある仕事の一つを終えただけ、そんなイメージを抱かせた。
そこで映像はプツリと切れた。テレビの映像ごと消えたのだ。部屋を見渡すと、リモコンを持った挑御川が私を見下ろしていた。リモコンを自分のベッドに置いてから口を開く。
「準備が出来ましたので、そろそろ行きましょう」
服はやはり、着替えたようだった。白のフリルに黒のフリルスカートは、確かにお嬢様らしく見える。全体の雰囲気がふわふわとしていて、まさに余所行きの服という風体だ。
しかし、私は言ってやる。
「似合ってるじゃないか」
挑御川は、どうも、と一言言ってから部屋のドアへと歩いていく。そうして急かす。
「早く行きましょうよ」
そう言う奴の耳が赤くなっていることは、黙っておこう。
待ち合わせは、ベーラ中央に位置する公園。やたらと設置されている噴水が特徴的で、非常に涼やかな上に清潔感もある。午前十時にもなるとかなりの人が集まっていて、参加者も自由な時間を楽しんでいるようだ。しかし人が大勢集まっていても狭さは全く感じないのは、異国の公園特有の広大さのせいだろう。街の中に自然あふれる広い公園がある状況は、日本ではあまりない光景だ。
しかし広い公園で待ち合わせというのは、失敗だったと言わざるを得ない。せめてどの噴水の近くか、など目印のある場所を指定しておけばよかったのだが……。
つまり、私たちは正義ギルドの人間——挑御川の父親との合流が出来ないでいたのだ。挑御川は端末に連絡をしたらしいのだが、一向につながらないらしい。大方どこかで遊んでいるだろうというのは彼女の弁。
結局、彼女の言う変態の示すところを聞いていないので、その父親がどういう人間なのかは分からない。どこかで遊んでいるなどと、待ち合わせ中に大の大人がするはずがないと思うのだが。
そうして歩いていると、噴水の一つが見えてきた。どうやら地面から噴き出るタイプのようだ。よく見てみると、噴水の中心で踊る男女の姿が見えた。びしょ濡れで、しかし楽しそうな笑顔を浮かべている。行動が若いなあ、初々しいカップルだなあと思ってよく見てみると、ギョッとした。片方は十歳くらいの少女。そしてもう一人の男は、私よりも明らかに年上のごつい中年だったのだ。あれは色々と大丈夫なのかと、そう問うつもりで挑御川の方を向いた。しかし、聞くことは叶わなかった。
彼女の頬は赤く染まり、口をあんぐりと開けて、唇をわなわなと震わせていたのだ。瞳は一点、中年の方を向いて動かない。
しかし数秒の後、再び動き出した挑御川はすうっと息を吸ってから、雄叫びのような声で言った。
「こんの、変態親父!」
驚く間もなく、彼女は飛び出した。両の手にはそれぞれ二丁の銃が握られている。泥棒を捕まえる時にすら抜かなかった方の銃も抜いているということは、本気の証か。
挑御川は狙いを定め、躊躇なく引き金を引いた。目にもとまらぬ弾丸は、しかし中年には当たらなかった。続けざまに弾を撃ち続けるが、しかし一向に当たらない。中年は弾が当たらないことが分かっているかのごとく、相手の方を向くことなく少女との踊りに熱中している。
「まだまだ!」
すさまじい速度で弾を込めて、第二波。弾幕を張るがごとく撃ちまくるが、やはりかすりもしない。中年は心底楽しそうな様子で踊り続けている。
中年と一緒に踊っている少女は、何かを恐れているように周りを気にしながら踊っているのだ。そう、それは普通の反応。躊躇ない弾が襲い掛かっているのだから、恐れて当然。
ああそうか、挑御川が外しているわけではない——相手が踊りながら避けているのだ。
中年は不安そうな少女の頬を撫でて、笑顔を浮かべた。それは一切の不安のない、自信に満ちた表情。すると少女も笑顔を浮かべて、中年の体にしがみつく。それは、信頼による行動だと一目で分かった。少女は恋する乙女のように、うっとりと頬を赤らめていたから。
「こんどこそ——」
そうして挑御川が第三波を仕掛けるための弾込めを始めた、その刹那。中年はズボンと腹の間に挟んでいたらしい銃を取り出して、それを彼女へ向けて撃った。踊りながら、当然相手を視界にすら入れていないにもかかわらず、だ。
向かってくる弾に気が付くのに挑御川は遅れた。その一瞬で両手に持つ銃の両方ともが弾かれてしまい、ガチャリと地面に落ちた。私はその事実を前にしてようやく、中年が一度の銃声の間に二発撃っていたことに気づかされた。
そんな凄業を披露した中年は、ようやく踊りを止めた。そうして一緒に踊っていた少女の指先にキスをすると、少女は嬉しそうに微笑んだ。お返しとばかりに、今度は少女が中年の頬にキスを返した。恥ずかしそうに顔を赤くして、少女は明後日の方へと走りだす。その姿は、次第に見えなくなっていった。そうしてこちらへと振り返り、挑御川を見据えた。ニイっと笑って、楽しそうな声色で言う。
「まだ俺に当てられないのか、まだまだだな。弾込めが遅い上に隙だらけときたもんだ。それはつまり『今私に撃てば当たりますよ』と叫んでるようなもんだと、前にも言っただろうが。だから撃ってやった。どうだ、俺は間違ってるか?」
「…………っ」
挑御川は悔しそうに、下を向いて唇を噛んだ。頬も赤く、涙目になっているのが見て取れた。なるほど、彼女もまだ子供だということか。会社での振る舞いやレース中の頼りになる姿を見続けてきたせいか、少し思い違いをしていたようだ。
そうして、中年は私の方を向いた。体の隅々までじっくりを目をやり、ふむ、とつぶやく。観察、いや、値ふみだろうか。ついでなのでこちらからも観察する。大柄な体に筋骨隆々、肌は浅黒く傷だらけ。腕を見ると異様な太さで、見たことがないほど青白い血管が浮き出ている。私の闘った剣闘士よりもよほど強そうな見た目だ。先ほどは銃を使っていたが、その体躯では銃火器よりも打撃武器や大剣の方がよく似合う。髪は短髪で白髪の混じる黒。彫りの深い顔立ちで目がぎょろりと大きい。いざ対峙するととんでもない威圧感を受ける。だが先ほど少女と笑顔で踊っていたことを思い出して、見た目ではないのだと思い直した。
挑御川を未熟だというこの男は、私を何と評するのだろう。少し気になるな。だがしかし、男が口にしたのは意外な言葉だった。
「……そうだな、自己紹介をしよう。俺の名は挑御川重雅だ。集子が迷惑をかけたはずだ、済まなかったな」
少しだけ拍子抜けした。私のそんな気の抜けた隙を縫うように、娘が反論する。
「別に、先輩に迷惑なんてかけてないんだけど」
「どうせお前のことだから、効率のいいレースの回り方しか教えてないんだろ。俺がやってた『遊び』にも、あっけにとられていたからな。それで、前の二の舞になっても知らねえぞ?」
ぐう、と小さく唸る挑御川。親には随分と頭が上がらないようだ。どうやらそれ以上何も言えなさそうだったので、今度は私が口をはさむ。
「風向緋板です。聞いているのかもしれませんが、挑御川集子とは先輩後輩の間柄でして。今回、集子さんに誘われる形でレースに参加することになりました」
どういった接し方が好ましいのかよく分からなかったので、上司の友人に対するような無難な対応をしておく。それに対して彼は興味の視線を向けながら言ってくる。
「ああ聞いている。で、どうだ。ファリジア・レースを体験した感想は。随分な怪我をしたそうだが」
この問いには、自分の意志を持ってはっきりと答えられる。
「充実していますね。友人も出来ましたし。集子さんには助けられてばかりですが。なによりも、楽しいです」
言うと彼はシワを深くして笑い、
「それはなによりだ」
と笑みをこぼした。ああ、この人は本当にファリジア・レースが好きなんだな。挑御川もそういう節があったが、何よりもファリジア・レースを褒められることがうれしいようだ。レースが自身の存在の一部となっているかのような、そんな印象を受けた。
挨拶もそこそこに、私は先ほどの会話で気になっていた単語を繰り返して言う。
「それで重雅さん。遊びとは、どういうもので?」
何故か挑御川が、ギョッとした表情を浮かべる。聞いてはまずいことだったのか? しかし重雅さんは、気にする風もなく答えてくれた。
「遊びってのは、要するにレース攻略とは全く関係のない娯楽のことだ。賭けごとや闘技場などのメラが絡む娯楽はそれには含まれない。むしろ攻略をするにあたっては、メラを使う分だけ不利になると言ってもいいな。だがその代わり、ここでしか出来ないような娯楽があるのさ。
例えるならば、俺がさっきまでやっていたことがそうだ。メラを払い、ファリジア・レース所属の女と遊んだりできる。俺は遊ぶ相手は未熟な方がいい性質だから、美しいロリータを選んだんだが——」
「……変態」
挑御川がつぶやくと、呆れたように重雅が言う。
「とまあ言われるわけだ。別にやましいことなんかしていないんだがな。
確かに日本では禁止されているあれやこれやもできるが、俺はしていない。この辺の娯楽に対する自由度が、ファリジア王国の特徴ってことになるのか。楽しさを求める国民性、ファリジア・レースはその最たるもんだ。
レースに命を賭けながらも、その道中を楽しむ。これがファリジア・レースの遊び方だ」
そう言われて、ムラリと邪な欲が湧いてくる。あれやこれやという言葉には、無限の可能性が秘められている気がした。ここは日本ではない。異国の中の、さらに限られた世界の中にいるのだという事実を、今更ながら思い出す。
挑御川重雅はつまり、ここには何をしてもいい自由さがあると言っているのだ。メラを払って出来ること全てが、この国、このレース中は合法なのだと。すると今手元にあるメラで何ができるのかが非常に気になる。目的のパソコンなどに命を賭けるよりも、稼いだメラで遊び呆けることも可能という事実。ファリジア・レースは自由だという言葉の意味を、もう一つ深いレベルで理解した気がした。
だがそれを実際に行うかどうかも自由なわけで。重雅さんの言葉を噛み締めつつ、自分の気持ちを表す。
「それもいいですね。私の知らない娯楽があるというのは、とても心が躍ります。
ですが今は、レースに命を賭けることにただ夢中なんです。だから娯楽は、次回以降のレースで教えてもらいたいですね」
「そうかい」
とそっけなく呟いてから、彼は再びにやりと笑った。挑御川も顔を上げて、何やら分かったような顔をしていた。二人とも、表情は違うがニュアンスは同じと表現するのが正しいか。どうしたのかを聞こうとする前に、彼が答えを述べた。
「その気持ち、分かるぜ。最初にファリジア・レースに挑んだ時に持っていた、何も分からないにも関わらず、楽しくて仕方がないって感覚だよな。その気持ちを持っているなら、レースをもっと深く味わえるようになるだろうよ」
ファリジア・レースを、もっと深く——。その言葉は今の私には強烈に響いた。おそらく何十年もレースに参加する男からの言葉は説得力が違う。そう、ファリジア・レースに参加して実質まだ二日なのだ。まだまだ、レースの楽しみなど味わい尽くしてはいない。飽きる心配など、しなくてもいい。全力で楽しめばいいのだと。
おそらく意図しての言葉ではないだろうが、そう言われたような気がした。
「それとな、俺のことは呼び捨てでいいし敬語もいらん。集子が世話になっていることだしな。それにこれから長い付き合いになるかもしれんのに、敬語などまどろっこしくて仕方がない」
これはうれしい提案だった。休みの間までも年上の人間に敬語など、単純に疲れるからな。さっそく対応して、使ってみることにしよう。
「こういう話し方でいいか、重雅」
それでいい、と重雅はニイッと笑う。集子もそうだが、重雅もなにかとよく笑う性質だ。このあたりは親子だなと思う。
重雅が、ゴホンと咳をしてから言う。
「それじゃあ本題に入ろうか。確か、今騒ぎを起こしている犯罪ギルド『デスマスク』の強盗を捕まえるんだったな。歩きながら話すか」
言って、公園を出る方向へと歩き出した。そこで私は、彼が娘の頼みよりも見知らぬ少女との遊びを優先していたのだと気が付いた。なんというか、あるがまま我のままという感じだ。自由と自我、この二つを絶対的な基盤として成り立つ、奔放な行動指針。うらやましいと思った。あんな風に行動して、あんな風に生きられたならばきっと人生、楽しいことだらけだろう。
重雅は何も言わないまま歩いて、やはり公園を出た。無言でついていくその娘と私。数分の後、挑御川は痺れを切らしたように口を開いた。
「それで、情報は?」
「そう焦るな。……確か、こっちだったか」
ヨーロッパ風の建物が並ぶ道のりを、右に曲がった。目印代わりに看板を確認しているようだ。こっちであってるなと呟いてから、重雅は話を始めた。
「デスマスクは小さな犯罪ギルドだ。構成員は五人。ギルドが作られたのは三日前だから、規模が小さいのは当たり前と言える。なにせ名前を探すのにも一苦労だったからな。そんな少ないメンバーの一人は、初日に捕まっている。それは知っているな?」
「うん。目の前で見てたから」
歩いていくうちに、人通りが多くなっていく。本通りに出る道のようだ。重雅は挑御川の言葉に、そうか、とそっけなく言ってから話を続ける。
「奴らの目的だが、おそらくは他の犯罪ギルドに盗品を売り込むつもりだな。そうして資金を得ると同時に強力な犯罪ギルドとのコネクションも手に入れるつもりだろう。まあ、よくある動機だな。弱小ギルドのやりそうなことだ」
うなずく挑御川に対して、私は首をひねって質問する。
「よくあることなのか?」
「まあな。ファリジア・レースで一攫千金ってのは、何も善良な参加者だけの特権じゃない。犯罪ギルドを起こしたばかりの小悪党にとっても、ここは成り上がりにもってこいの場所なんだよ。そんな奴らをつぶすのも、俺のような正義ギルドの務めだ」
ファリジア・レースは犯罪発生の温情となっているのか。そう聞かされると、日本での評価もあながち間違っていないように思える。それでも悪い面ばかりが伝わっている気もするが。
重雅は続ける。
「だが、今回に限って一つ疑問に思っていることがあるんだよ。それは今回のレースではざっと街を見る限り、さっき言った強力な犯罪ギルドが参加していないってことだ。
ああ、ざっと見るにと言ったのは、ファリジア・レースに参加している人間を全て把握できるのは運営だけだからだ。俺たち正義ギルドはあくまで自警団、運営直属の治安維持組織じゃないからそれを問い合わせても無駄って理屈になる」
なるほど。つまり重雅は、犯罪ギルド『デスマスク』は他の犯罪ギルドに盗品を売り込む以外に動機があるのかもしれない、と考えているのだ。しかしその動機は分かっていないと。確かに正義ギルドとしては敵の目的が分かっていないと不安にもなるだろう。しかし挑御川は、少し考えるようにしていた私に向かって言う。
「そんなの、捕まえてから聞けばいいんですよ。そう思いません?」
さすがに彼女はアクティブだ。いや、乱暴と表現すべきなのか。安易に同意せず、視線を重雅へと向けた。てっきり彼女の言葉をいさめるのかと思っていると、予想外にも彼は普通のトーンで言った。
「まあ、そうだよな」
間違いない、正真正銘の親子だ。
「現状それしか方法がないからな。まあ奴らにも傾向があるから、いつかは捕まえられるだろうよ。実を言えばその傾向ってのが、今日お前らにやる情報だ。ついでに言うと、いま俺はその傾向に沿って移動しているんだが」
挑御川が目を光らせながら言った。
「傾向って何? もったいぶってないで教えてよ」
「ったく。つい昨日気が付いた、まだ誰も気が付いてない情報だってのに。少しはもったいぶらせろよ……、まあいいか」
重雅は表情を整えてから、口を開いた。
「最初は無差別だと思われていたんだがな。武器屋に宝石店に、いろんな場所が狙われた。盗られた物もとりとめがなく、ランダムかのように思われていた。
だがな、一つ揺るがない事実があったんだよ。それはな、盗まれた物はすべて高価だということだ」
その言い方は明らかにもったいぶっているだろう、と口に出す勇気はない。ここで気になるのは、常識的見地から考えられ事実だ。私は、反応を待つためか少しの間黙っていた重雅に聞いてみた。
「だが泥棒が高いものを盗むのは当然だろう。それは重要なことなのか?」
「それが重要なんだよ。奴らはご丁寧にも高価な品物が置いてある店から順に盗んでやがった。本来犯罪ギルドに盗品を売り込む場合、弱小犯罪ギルドは買い手のニーズに合わせて物を盗む。今回はそういう一般的な手順を踏まずに行われたからこそ、混乱を招いたと言ってもいい」
つまり、と挑御川は話が終わったかのようにまとめる。
「まだ強盗が行われていないかつ高価な品を店に置いているところが、狙われる可能性が高いってわけね」
敬語ではないから、恐らく重雅に向けて言ったのだろう。だが私はまだ解明されていない疑問点を指して言った。
「結論はそうだが、分からないところがある。弱小犯罪ギルドの連中は、なぜ一般的な手順を踏まずに物を盗んだのか。そしてどこに売るつもりなのか。そもそも売るつもりなのかどうかも不明、と」
「そうだな、そこが問題だ」
重雅も気になっていたのだろう、頷きながらすぐに言葉を返した。しかし挑御川が投げやりに口をはさむ。
「とりあえず混乱させるためにやったんじゃないんですか?」
確かにその可能性もある。しかし私としては、もう一つの可能性を押したいのだ。理由は明白、そう考えた方が怖くないからだ。
「……私はこの強盗を起こしている犯罪ギルドが、田舎者過ぎて手順を知らなかった説を押したいのだが。一般的手順を知らないならば、単純に高価な物を狙った理由にもなる。それに今回のレースに強力な犯罪ギルドがいないのも、これらの犯行が弱小犯罪ギルド連中の独断専行だからではないか?
つまり逆に考えるんだ。『強盗が起きた。それは強力な犯罪ギルドに売るためなのだからそのギルドがいないとおかしい。しかしそんなギルドがいないのが不審だ。さらには普段の手順から外れた行動を取っている』と考えるのではなく、『今回は強力な犯罪ギルドが見当たらない。しかし強盗が発生した。しかも普段の手中から外れた行動を取っている』とな。
田舎者でワルな連中が、なんとなく聞いたことのある犯罪ギルドになりたいがためにレースに参加して、とりあえず金目のものを片っ端から盗んだとすると、その行動には当然、他の犯罪ギルドは関わっていないことになる」
歩きながらの説明。少々疲れたのでふと辺りを見渡した。段々と人通りの少ない方へと歩みを進めていることに、今更ながら気が付いた。重雅の述べた傾向の店はこの先にあるのだろうか。
願望が多分に含まれた意見に、律儀にも挑御川が感想を述べてくれた。
「それは、さすがに楽観的すぎませんか?」
疑念のこもった言葉には何も気にすることなく答える。
「当然だ、半分以上は冗談だからな。敵がよほど恐ろしくなければいいという私の望みに、理屈を肉付けしただけの根拠に乏しい推論だよ」
言うと、重雅が楽しそうに笑った。
「風向、だったよな。なあ風向。それだけ話して別に根拠がねえとは、どういう思考回路だってんだ。話を聞いてるだけでこんなに面白いのは久しぶりだったぜ。しかもその考え、可能性がゼロじゃねえのがまた面白い。まあ、せいぜい参考にさせてもらう——」
重雅が急に黙った、その瞬間。視線の先五十メートルにある店の一つから、飛び出してきた二人組がいた。一人は大きな荷物を担いでいる太り気味の男。しかし足は速いようで、一目散に建物の影へと走っていく。今私たちが立つ地点からは見えない場所へと行ってしまい、その姿は見えなくなった。
しかしもう一人の、細身の男は違った。キョロキョロとせわしなく辺りを見渡したかと思うと、気が付いたようにこちらを向く。そこで私は理解した。この男の行動目的、それは犯行の目撃者を見つけることだ。今この辺りに三人以外の人間はいなかった。つまり、この男の目的は、私たちだということになる。
そうして物事の道理。犯行を目撃された犯罪者の取る行動は二つに一つ。
逃走か、もしくは口封じだ。
案の定、細身の男はこちらに向かって走り出した。両手には鉄色に鈍く光るナイフが握られている。眼光は鋭く、凶悪な意思が見て取れた。表情も背水の必死さで、鬼の形相。犯罪に走る人間はあれほどまでに恐ろしい表情になるのかと、背筋が凍った。
情けないことに、私は男の敵意に対して竦んでいた。足が動かない。腕も、体も、表情ですら慄いたまま動こうとしない。唯一思考だけが加速して、迫る男に対する未知の恐怖が脳みそを埋め尽くしていった。心の準備という防護処理をしていない私自身は、こんなにも脆いのだと気付かされた。
しかし男が迫る中で聞こえてくる、あまりにも落ち着いた会話。
「俺とお前、どっちがやる」
「分かってるでしょ。お父さんは手出ししないで」
「分かったよ」
「やけにあっさり引くんだ」
「文句があるんなら——」
「別にないから。万が一危なくなっても手、出さないでね。その時は先輩に手伝ってもらうから」
期待するような瞳を向けられる。しかし私には、肯定も否定もできない。動かないのだ、何もかもが。どうしようもない。どうしようもない、私は。
言葉に対して頷くことすらできない。すると挑御川はこちらから視線を外した。一瞬見捨てられたような気持ちになり、情けなさと恥ずかしさで顔を覆いたくなる。しかし思い直した。すでに細身の男はすぐ傍まで来ているのだ。
挑御川は戦闘態勢になったのだろう。一目見て、それがよく分かった。
ぎらつきながらも一点を見つめる揺らぎない眼光。敵を倒す意欲に満ちた、自我の強い表情。それでいて身体の力は、驚くほどに抜けていた。銃を握る両の手にも無駄な力はかかっていないように見える。今の彼女の動きは恐ろしく速いだろうことは容易に想像できた。
挑御川が、迫る細身男を見据える。見据えて、しかし動かない。どうしたのかと思っていると、隣にいる重雅が突然に肩をつかんできた。
「なんだ」
「今ここにいるのは集子の邪魔だ。後ろに下がるんだよ」
肩を掴まれたまま、無理やりに後ろへと引きずられた。私は成人男性の標準体型だが、それを机か何かのように動かす重雅の腕力はどれほどのものか。だが今、それは重要ではない。足が動かないせいで迷惑をかける男の話など、どうでもいいのだ。
私たちが挑御川の邪魔にならない位置まで動いたその瞬間、細身男のナイフが一閃。彼女の腹にめがけて、それは振るわれた——はずだった。
しかし体はピクリとも動いていないように見えたが、それでもナイフの切っ先が彼女に触れることはなかった。傍から見る素人視点の私には、避けていないのに当たらないという、気持ちの悪い映像が脳に映っている。
そして『避けていないのに当たらない』この光景には、覚えがあった。公園で乱射された弾を重雅が避けた時の、奇妙な動きだ。
細身男は次々とナイフをふるい、必死になって腕を伸ばし刃を当てようとする。けれど挑御川の身体は刃の数ミリ先に存在していて、一見して掠っているように見えるナイフはやはり皮膚に触れてさえいない。
その光景に重雅は満足するように鼻息を鳴らし、口を開く。
「あれは桜菜——俺の妻が教えた動きだ。薄氷の舞と言ってな、動きを見切った敵の攻撃を、無駄な力を使わずギリギリで避ける技術なんだよ。まあ格下相手に余計な力を使わないためには有用な技術だな」
つまりは細身男は、挑御川にとって格下ということになるのか。奴が闘う姿を初めて見るが、奴では実力不足だったようだ。
そうしてナイフを避け続ける挑御川を見据えて、重雅は言った。
「この勝負、あっという間に決着がつくな」
つまらなそうな、覇気のない言葉が耳に響く。あのナイフが速く見える私と、まるで遊んでいるかのようにそれを避け続ける挑御川。それは一体どれほどの差か。
普段会社で見かける冷静で愛らしい彼女とはかけ離れた、戦場での彼女。それは凛々しく、自信にあふれ、それでいて心から楽しそうな、ある種解放された姿なのだろう。動きの端端から感じる、楽しさのほとばしり。避けるその技『薄氷の舞』とやらには無駄な動きは一切ない。にもかかわらず躍動感と言うのだろうか、ナイフを避ける動きにはあふれるような挑御川自身の楽しさが宿っている。
戦場で楽しげに舞う、純然たる一人の戦乙女がそこにはいた。
振い続けるナイフが一向に当たらないことに対して危惧したのだろう。細身男のナイフの動きが明らかに大振りになった。それを見た挑御川は、しかし先ほどまでのように薄皮一枚の避けを使わなかった。ようやく、私にも分かるように動いたのだ。大仰に、避けるように後ろへ跳んだ。
すると二人の間には五メートルほどの、一瞬では詰められない距離が作られた。細身男は攻撃を当てるはおろか、攻撃に移ることすら出来ない距離。対して挑御川の武器は銃二丁。この距離感を作った時点で、勝利は決まったも同然だった。
挑御川は後ろに跳ぶと同時に、二丁の銃で細身男に狙いを済ませる。そこからは惨劇だった。躊躇なく引き金を引く指先に、発砲音。次々と放たれる無数の弾丸が、射線上にいる細身の体にめり込んでいく。最初は右膝に当たった。次に左膝。骨を砕く無機質な音が耳に残る。さらには腹に二発、心臓の辺りに一発。肉にめり込む、小さくも鈍い音が妙な現実感を与えてくる。そうして両肘に同時着弾。先ほど骨を砕いた時よりも軽い音が、人体破壊のあっけなさを教えてくれた。
最後の一発は、男の喉に命中した。口から血と唾液が噴き出して自身の唇を汚す。同時に弾の勢いに押されて、細身男の身体は後ろへ浮いた。表情を見やると、すでに鬼のような形相は消え失せている。消え失せて、何の表情も浮かべていなかった。苦悶も苦痛も、表情からは読み取れない。ああそうか、と気が付いた。すでに彼は気を失ってしまったのだ。
力なく、細身男の身体は地面に投げ出された。後頭部や全身を強く打ちつけながら、滑るように地面を転がる。そうして体にめり込んでいた弾丸も、体から離れて辺りを転がった。私が立っている場所に、その内の一つが石畳を跳ねつつこちらに転がってくる。重雅はそれを指でつまみ、ほれ、と見せてきた。
それは通常の弾丸のように先の尖ったものではなかった。形と大きさは、BB弾を少し大きくしたような球状のもの。しかし鉄特有の光沢は、人体に当たった時の重量感を想像させる。私は弾丸を見せてきた意図を考えてから聞いてみる。
「この弾丸が球状をしているのは、どういう意味があるんだ?」
重雅はうなずいて、それから答えてくれる。
「殺傷力、つまり貫通力を抑えているんだ。ファリジア・レースでは人を殺すと重大なペナルティがあるからな。人体をえぐるんじゃなく、外側から破壊するようにしてあるのさ。当然弾道が安定しにくいが、その辺はまあ腕次第だな。安定しやすいように回転をかけてから射出しているから、同じく球状の弾を使っていた戦国時代の銃よりかは遥かに当たりやすいようにしてある」
確かに殺しにくいようだが……と目の前でうずくまる細身男を見やる。なんというか、この状況には既視感があるな。そうだ、ベルと初めて会った状況と似ているのだ。殺しこそしていないが、男は骨を破壊されて立つことも出来ないだろう。それ以前に気を失っているのだが。
戦闘を終えた挑御川は、すぐに端末を操作していた。おそらくは運営に連絡を取っているのだろう。それから倒れる男の両腕両足をポケットから取り出した紐できつく縛る。ベルと違って抜け目のないことだ。紐が動かないことを確認して、ようやく彼女は私たちの方を向いた。
スッキリしたような、晴れやかな笑顔を浮かべながら。
挑御川はスタスタとこちらに歩いてきて、じっとこちらを見る。しかし何故かその表情は、先ほどまで浮かべていた楽しげなそれではない。かと言って別に機嫌が悪そうには見えない。真剣な表情、と言えばいいのか。何を考えているのかを察することもできない。
そうして目の前五十センチほどで、その歩みを止めた。瞳は揺らがず私を見つめ、そのまま口を開いた。
「……闘っているのを見て、どう思いました?」
意外な言葉であっけにとられた。意外と言っても、挑御川がどのようなことを口にするのか、予想していたわけではない。おそらくは何を言われてもすぐに返事はできなかった。彼女の普段とは違う雰囲気に、戸惑っている今の私では。
だからだろう。質問に対しての答えは、うっかり洩らした心の声だった。
「なんというのだろうな。すごく、綺麗だったよ」
そこでようやく、挑御川は表情を崩した。私の妙な言葉に対して、気恥ずかしげな笑顔を見せてくれる。
「なんですかその反応。娘の花嫁衣装を見た時の父親みたいですよ。……でもまあ少しだけ安心しました。先輩ならたぶん大丈夫だと思ってたんですけど」
どうやら安心したらしい。つまり先ほどまでの表情は、何かを心配していたということになる。聞いてみようか。野暮かもしれないが、話してくれないことには会話にもならないわけで。
「お前は一体、何を心配していたんだ」
「いまさら何を気にしてるんだって言われそうですけどね」
自嘲気味に笑いながら言う。
「実はですね、前に一緒にレースを回った初心者の人に、闘い方で引かれちゃったことがあったんですよ。きっと大丈夫だとは思ってたんですけど、もしもそうなったらどうしようかと心配で」
「集子、お前なあ。それは何年前の話だ!」
「うるさいなあ。気にしてるんだからしょうがないでしょ」
かなり強めの語調に厳しい剣幕で言う重雅に、面倒くさそうな挑御川。私は彼の言い方に、少しの違和感を覚える。そこまで強く言うことなのだろうか。気になるが、口を開く前に運営の人間らしい男がやってきた。どうやら手配されていた細身男を捕まえて、賞金をもらうための手続きをするらしい。それを離れたところから見ていると、突然重雅が耳打ちをしてきた。
「この後、俺はお前らを飲みに誘う。そこで集子の奴を酔い潰すが、風向はできるだけ飲まないでやり過ごしてくれ。話があるんだ」
驚いて表情を見ると、ハッとした。妙に苦々しい表情で挑御川を見つめていたのだ。しかしそれ以上に、心配そうな表情を向けている。懐かしい表情だと思った。昔々、子供の頃の記憶。気絶して家に運ばれる度に私を見つめていた母親の表情と、重雅のそれはとてもよく似ていた。
そう。紛れもなく、親の表情だった。




